七人目『隠す』
七人目→葉隠結衣
「よう、旦那!」
「……お、おう」不意に後ろから大きな声が掛けられて、ちょっと驚く。「葉隠」
「何握りやしょう!」
「お寿司屋さんごっこはいいから……」
「そっか~寿司屋の大将の真似、あんまり他の子からもウケがよくないんだよね~」
仮に『あ……じゃあ、まずは卵で』とか言って、もし偶然受けが良かったとしても、一体どうやって話を着陸させるつもりだったんだろう。
テンポが恐ろしくグダグダなコントになる未来以外見えない。
ここは、適当に流しておこうか……。
「まあ、な」
「今からどこ行くの?」
「ん、ちょっと喉が渇いちゃったから、自販機に行こうかなって」
「えー! あの西棟の?」
「うん」
「遠いとこ?」
「うんうん」
僕らが基本的に授業を受ける場所となる東棟には自販機がない。
だから喉の渇きを感じた時は、体育館近くのウォータークーラーまで行くか、東棟にある水とお茶とスポドリしかない地味な自販機まで足を運ぶしかない。
高校の総会では西棟への設置が毎年提案されているらしいのだけれど、職員室が東棟にあるということで、先生がその案に積極的になることはなく、結局有耶無耶にされている。
お金のない県立高校の難しいところだ。
「私も行くよ」
「うんうんうん……へ?」行くの?「行くの?」
「え、ダメなの?」
「ダメじゃないけどさ……」
「じゃ、決まりね。レッツゴー!」
買いたいものがあるなら、お金さえ渡してくれれば買って来るんだけど。そっちの方が合理的だ。
でも、右手を上げてノリノリになっている葉隠の出鼻を挫くことはなんとなく躊躇われたので、何も言わないでおいた。
何も言わないまま二人で歩いていると、前からナチュラルなメイクを施した綺麗めの女子高生二人組がやってくる。
「おー、結衣っちじゃん。おっすおっす~」
「おっすおっす~。また一緒にタピろね~」
「「おっけー」」
その二人組が通り過ぎて、ほどなくすると今度は体育会系の日に焼けた同級生がやってきた。
昼練帰りだろう。人のよさそうな顔から見て、サッカー部といったところだろうか。
「結衣じゃん。お前全っ然焼けてないなー。ちゃんと外出てないだろ?」
「日焼け止めしてるからですー。肌荒れとか気にしなくていい、どっかの体育会系な人と一緒にしないでもらえます??」
「はいはい、悪かったよ」
制汗剤のかおりを残して、そのサッカー部員は東棟へと向かったようだった。
それから、西棟と東棟を繋ぐ連絡通路で、大きな黒縁メガネを掛けた、猫背の男子高校生がこちらにやって来た。
「……うす」
「うすー」
そして――と一言挨拶を交わして去っていく。
……。
「ねえ」
「何ー?」
「知り合い多いね」
「今日は偶々色んな人と会うねー」――は言った。「ツイてる日だ」
「それに、ちょっとキャラが違う」
「え、う、そう? 気のせいじゃない?」
「なんというか……人に合わせて喋り方を変えてる感じがした」
女子高生と話した時はゆるゆふわふわした喋り方で、サッカー部に話しかけられた時は売り言葉に買い言葉を返していて、根暗めな子の時は、少しだけトーンが落ちていた。
それに、僕の時だって。
「だって、そりゃそうじゃない? その子にとって、一番ウケがいいキャラで話しかけた方が、相手も気が楽だろうし私だって楽しいもん」
「葉隠は」僕は言った。「器用なんだね」
「器用?」
「僕だったら、一人一人話し方だったりを変えるなんてできないから」
「――くんは――くんのままで一番いいんだよ」
「……え?」
それは、僕を褒めたニュアンスを微かに感じた言葉だったのに。
とてつもなく、距離を感じる言葉だったように思えた。
「中身がいい人は、別にキャラを偽らなくても受け入れてくれるから、いい。演じる必要なんかない」
「中身がいいって……別に、よくないよ」
「でも、キャラを演じないといけないな、って思った経験はない。……そうでしょ?」
「え、あ、う……いや、それは……」
葉隠は笑っている。
でもいつものような、元気溌剌とした笑顔じゃない。
どこか遠くのものを見ているような。
僕のことなんてまるで気にしていないような笑顔だった。
「……えへへ、ごめん。嫌な聞き方をしちゃったね」
「あ、いやそんな、」
「行こ。もう自販機に着くよ」
「う、うん」
ひょっとしたら誰も、――の本性を見たことがないんじゃないのか。
そして今の笑顔の――が、本当の――なのか。それとも今のは、僕に見せたもう一人の偽りの――なのか。
分からない。
それに、知りたくないと言えば嘘になる。
僕は――。
「ダメだよ」
いつしか葉隠は立ち止まっていた。そして射抜くような目で僕を見ていた。
そこから先は近づいてくるなと。立ち入り禁止だと。
暗に言われているようだった。
「もう着いたから」
結局、夏休みが始まって、学校に来られなくなってしまうまで。
僕にも、他の誰にも、あの時の笑顔を見せた彼女を、僕は見ることができなかった。