おかえりと言ってくれる人 3分の3
「ふぅー」
思わず小さな声が出た。山部のロッカーにはPスーツと外出用のスーツ、シャツ、少しの小物しかなかった。
勇樹は、悪事を働かなくて済んだと思ったのだった。もう禁断の園に入ってしまったのだが。
あまり悠長なことはしていられない。いつ山部が戻ってくるかわからない。
次に勇樹は机の引き出しを探したが、メモ帳と筆記具しかない。
ベッドメイクを崩すのはさすがにまずいし、布団の中にはないだろう。ベッドの下を覗いてみるが、もちろんそんなところには何も無い。
「無いことがわかった、、、うん」
”失敗”である。しかし、敢太の計画通りに動いた勇樹に責任はない。あとはバレないように自分の居室へ帰るだけだ。
それまでは気を抜けない。
息を殺して気配を探り、素早く廊下に出る。扉を閉めて振り向いたときであった。勇樹は立ち止まった。
敢太は外出させてくれるだろうか。ブラジャーなしで外出させてくれるだろうか。ロマン、そんなものは持っていない。
きっと明日もやれと言われるだろう。そう思うと、このままでは終われないと、妙にやる気がでてきた。
部屋にブラジャーがないとすると、他のところにあるか、山部はブラジャーを着けないかだ。それを確かめることは、今からできる。
勇樹は自ら決めたプランBに運を任せた。脱衣所には外したばかりのものがあるはずだ。持ち去りはしない。使用の有無を確かめるだけでいい。
風呂場の引き戸の前に立って、耳を澄ませる。脱衣所にはいなさそうである。
取っ手を引こうとしたとき、別の引き戸の開く音がした。山部が浴室から脱衣所へ出たのだ。残念ながらプランBも断念せざるをえない。
こうなったら諦めるしかない。緊張の糸が緩むと、勇樹は尿意をもよおした。
トイレで用をたして、手を洗っている時、微かな希望が勇樹の脳裏を横切った。プランCだ。
勇樹はトイレの掃除用具置き場に隠れて、山部が風呂場から出てくるのを待った。
数分後、出て来た山部はトイレではなく、居室の方へ歩き出した。居室の扉が開いて閉まったことを音で確認して、勇樹は風呂場に移動した。
勇樹は、なんだか楽しくなってきた。
風呂場も自動照明である。勇樹がじっとしていると消灯する。そして、待つ。
しばらくして、山部が廊下に出てこちらに向かってくる。また風呂場に来れば鉢合わせるが、来ないはずだ。トイレに行くだろう。
その読みは的中し、山部はトイレに入った。
時間がない。勇樹は躊躇うことなく廊下に出て、再び山部の部屋に入った。
「あった」
机の上に、先程は無かったものがある。風呂で脱いだ服である。その中に、、、
「無い、、え!?、下着が無い、、、」
許された時間は僅かである。勇樹は廊下に出た。ここから居室に戻れば、運が悪ければ後姿を見られるだろう。
それよりかは、トイレに行くふりをしてすれ違う方が安全である。
勇樹の脳の活性化が止まらない。
「あら、まだ起きていたのね。おやすみなさい」
トイレの方へと三歩半進んだときに山部が手洗い場から出て来た。間一髪、隠し通せた。
「おやすみなさい」
勇樹は眠たそうに装って答えた。しかし、その目はしっかりと山部を捉えていた。山部はどこを切り取っても”大人”だった。
歩くたびに爽やかに靡く、艶やかな山部の髪の毛は良い匂いがした。
勇樹はトイレに入り、個室の扉を閉めて、二度流してから出た。
手を洗って廊下に出たとき、人影が待っていた。
「これ、敢太に。ちゃんと渡してね。早く寝なさいよ」
そう言って、山部は不敵な笑みを浮かべながら、紙袋を手渡した。
居室に戻った勇樹は中身を覗こうと思ったが、紙袋の封に隙がなかった。
勇樹は志帆の寝顔を見てからベッドに入った。
翌朝勇樹は、いつも通りに過ごし、朝食後に紙袋を持って食堂に再度入った。
「おはよう。勇樹くん!それが例のものかい?」
敢太と二人の子分だけが待っていた。
「おはようございます。山部さんが敢太さんに渡してくれと」
中身を知らない勇樹は浮かない顔をしている。他方、敢太たちは興奮を隠しきれていない。
「優理奈さんが俺に?どういうことだ?まぁいい、見れば分かるだろう」
基嗣が受け取って封を開ける。
「こ、これは」
「おおおお、うぉ~~~!」
「ほぁーーー」
四人の目の前にあるのは、確かにブラジャーである。ちゃんと茶色い小箱もある。
「か、感動だな」
「ようやっとだ」
「10年越しに叶った」
「いや、本物にはまだ届いてないぞ」
「現実だな」
敢太たちは興奮して落ち着きがない。勇樹は寝不足であるが、自分の願いは固く保持している。一つしかないのだから。
冷静を失った敢太は約束をすっぽかしやしないだろうかと、勇樹は眉をひそめた。
「敢太さん、外出させてください」
「おう、分かってるよ!行くか!」
四人は男子棟側の扉から食堂を出ると、幸四郎と基嗣は紙袋を持って右へ、敢太と勇樹は左へ歩きだした。
「幸四郎、あれはまだ見るなよ」
「早くしないと見るぞ!」
敢太の歩調はだんだん速くなる。
外へと続く扉は廊下の突き当たり、居住区とは反対側にあった。扉を開けると更に廊下がある。何度か曲がりながら進むと空気が変わった。少し寒い。
出口の扉は少し頑丈に見える。車を降りて始めに通った扉だ。
敢太は扉の前で立ち止まった。さっきとは違い、真剣な目だ。
「命令を言い渡す。勇樹、マルナナサンマルより外出し、花木商店へ行け。そこで物資の調達をして、帰隊せよ。帰隊予定時刻はヒトヒトヨンゴーとする。以上。
粘土5キロと絵の具と筆を持って帰ってこい。まだあるはずだ」
「わかりました」
「命令を復唱せよ」
「えーっと、花木商店に行って、粘土5キロと絵の具と筆を持って帰ってきます。ヒトヒトヨンゴーまでに」
「うーん、むちゃくちゃだけど、仕方がない。行け。それと、現実から逃げるなよ」
勇樹はトンネルへと出た。閉じた扉に見覚えがあるが、あまり良い印象はない。
施設の中では、ろくなことは何もなかった。モスキートの後ろ姿に心が踊ったが、その感覚はもう忘れてしまった。
トンネルは思った以上に長かった。平坦ではあるが弛く曲がっており、出口が見えず、精神的に辛い。
「なんて綺麗なんだ」
トンネルを抜けた勇樹の目に、大自然が飛び込んだ。緑豊かな山々が折り重なり、雲間からは柔らかな朝日が降り注いでいる。
秋の風が優しく頬を撫でた。木々のささめきが命の素晴らしさを教えてくれる。
緩やかな坂道を勇樹は早歩きで下った。
一月前、車で10分ほどかかった道は、延々と続くように思われた。しかし、勇樹はどこまでも行ける気がした。その先にかかが待っていると思えたから。
かかに会ったら何を話そうか。喜んでくれるかな。志帆も連れていたらもっと喜ぶだろうから、今度いっしょに外出しよう。花バアは元気にしてるかな。久しぶりに肩揉みをしてあげよう。
などと考えながら歩けば、勇樹は自然と笑顔になっていた。
勇樹は、子供じみている欲求を、"一番に抱きしめてほしい"という気持ちを、素直に認めた。
そのころ、男子棟、第一戦闘機部隊階、居住区の幸四郎の部屋では、上映会が行われていた。
出席者は敢太、幸四郎、基嗣の3人だけだ。
「二人とも、こんな卑劣な手など誰が使う?」
「俺たちだ」
「自分で卑劣と言うなよ。その通りだけど」
「俺たちは何歳だ?」
「敢太は20、俺と基嗣は19だ」
「だな。そして、我らが優理奈さんは32だ」
「つまり?」
「”ころあい”だ」
「つまり?」
「うーん、上手く説明できないけど、とにかく見てみよう」
「歯切れが悪いなぁ」
基嗣は再生ボタンを押した。
食堂が映った。昨日の昼食時の映像だ。
「ここは早送りでいいな」
女子と勇樹が入って来て、最後に山部が入った。しばらくして食べ終わり、女子だけが出て行った。男子は食堂の片隅に集まって、ごそごそしている。そして、幸四郎が近寄ってきた。
そこで映像が途切れた。
次に移ったのは脱衣所である。勇樹の足元が映る。
「再生!」
敢太の反応速度に他の二人は敵わない。
「なかなかいい画角だな。いいセンスだ」
勇樹が出て行き、しばらくして誰かが入ってきた。瑠美だ。タオルを片手に行ったり来たりしている。
「おいおいおい、まさか。やめてくれよ」
十年前、風呂覗きを邪魔された記憶が蘇る。
残念ながらその再現である。カメラに近づいてきて、瑠美の足がアップになった。それを最後に画面は真っ黒になった。瑠美がタオルを被せたのだ。
「かぁっーーー、また瑠美かよ!!」
「やってくれたな、また」
「こっちの成果は瑠美の脛だけかよ」
三人は天井を仰いで悔しがった。
覗きの次は盗撮に”挑んだ”つもりなのだ。ただの犯罪である。瑠美にバレたということは何かしらの罰が待っていることになる。
しかし、そんなことは、この三人のロマンの前では小さなことであった。
「待てよ、タオルを被せただけだ。誰かが拾ってくれたりするかもしれない。このまま見るぞ」
じつに諦めが悪い。しかし、そんなやつらが大した事をやってのけることも、なくはない。
タオル越しに見えることはなく、ただ音声だけが流れていく、じゃじゃっ娘たちの会話は食堂と何ら変わりない。
本当に収穫なしかと思われた。
じゃじゃっ娘たちが出ていって約二時間後、おそらく山部が入ってきたが、足音くらいしか聞こえない。
「あぁ、やっぱだめか。しかたないな。勇樹には見せなくていいだろう」
「ちょっとこれ!」
席を外しかけた敢太がすぐに戻る。
画面が動いている。山部が持ち上げたのだ。タオルをとった。しかし、山部の隣には天敵の瑠美がいた。
二人の寝間着姿は、これはこれで”レア”だ。
「これね、敢太の。ありがとう、あとは任せて」
呆れ顔の瑠美が脱衣所から出て行った。山部は棚に置いて、レンズを覗き、何か考えている。
「コラ、敢太!男なら真正面から来なさいよ!沙耶が怒るわよ~。マ、ショ、ウ、メ、ン、から来なさいよ!じゃあねー」
そこで映像は停止した。
「おい、最後の」
「ああ、あれは」
「あれは!」
「行って来るぜ、今晩」
敢太の目はギラギラに燃えている。
次回、「必ず俺が」、子供扱いって面倒なのよね




