子供なんだから 6分の6
違和感を抱くのに時間はかからなかった。
広場に出た瑠美は早足のまま滑走路の奥を眺めた。今朝帰って来たモスキートに整備員が集って作業しており、その向こう側には使われなくなった旧機がビニールシートに覆われていくつもの小山となっている。
普段から注意深く観察しているわけではないので普段通りに見えるが、何かが違う。きっとその正体が敢太の連絡してきた理由なのだろうと思うと、不安はなかった。着陸後といい昼食時といい、第一戦闘機部隊は落ち込んでいたが、その原因が彼ら自身ではないのなら、瑠美には大事ではないのだ。
瑠美にとってモスキートは地面を這いずり回るゴキブリと同等であり、そんなものは無くなっても構わないのだ。そうなれば敢太は危険を冒さずに済むのだから。
しかし、整備隊室の扉を開いたとき、瑠美は自分の想像の範囲外のことが起きたことを知った。
「おう、来たか」
そこにいたのは敢太と司令と“もう1人の”補佐官の井上だった。
「久しぶりだね。覚えてるかい?」
瑠美は井上の顔を薄っすらと覚えていたが、名前は出てこない。瑠美の生活圏は山部の管轄であり、井上はほとんど姿を見せないのだから仕方がない。
「お久しぶりです」
口ではそう言うものの、親近感がまったくないので瑠美の表情は少しも緩まない。
「どういうことでしょうか?」
「察しが早いね」
司令は顔色ひとつ変えずに優しい声で言った。
「優理奈さんとデーモンさんはどちらにいらっしゃるのですか?」
いつも通りの室内に無いもの、それは入ってはいけないという雰囲気である。糸城勲が姿を見せずとも感じさせる威圧感、山部優理奈に対して拭いきれない劣等感、この部屋はそれらに満ちていたのに、今は何も感じない。
決して両者の体臭が濃かったわけでも、瑠美に特殊な感性があるわけでもない。三人の表情だけでも勘づくが、人間が存在するだけで無意識に作ってしまう物理的な形跡がまったく無いのだ。常人ならば気付かないことでも、感覚を極限まで研ぎ澄ませて生死の狭間を往く瑠美にとっては、勲と優理奈だからでもあるが、十分な変化である。
「今、彼らは広島へ向かっているよ。あと、高永も」
その目的は1つしか考えられない。敢太たちに代わって任務を遂行するということだ。きっと、朝鮮半島方面で緊急を要する何かがあって、帰ってきたばかりの敢太たちを出撃させるよりも、万全な態勢で臨めると判断したのだろう、と瑠美は思った。
整備班長の高永瞬太は、9年前までバレルに乗っていた。糸城の後方支援役として樺太作戦にも参加していた男だ。
「そういえば、バレルがなかった」
滑走路で感じた違和感の正体は、バレルと一部の旧機が無いことだった。
「詳しく聞かせてください」
瑠美は自分に関係の無い任務ではあるが、聞かない訳にはいかなかった。司令に質問したつもりだったが、答えたのは井上だった。
「11年前、デーモンさん率いる部隊は女満別を拠点として、樺太に集結した者たちが日本に侵入してくるのを阻止するべく、殲滅作戦を実行した。任務は達成されたが、その直後、天幕の攻撃により大勢の仲間を失うことになった。そして現在、敢太君たちが同様の任務を遂行する立場にある。おそらく、デーモンさんと優理奈は二人でそれを遂行するつもりだ。辛さをよくしっているから、この任務に愛弟子たちを送り込みたくないんだろうね」
敢太は腕を組んで天井を仰ぎ、司令は目を瞑っていた。
「そんなの、勝手すぎる。死に物狂いで鍛えてきたのに、結局子供扱い。3人だけじゃないわ」
誰にも気付かれずに離陸することは不可能である。離陸に際する放送はされなかったが、開門はおろか飛行準備を3人だけでするのは到底不可能だ。
「皆、勲に言われて協力したんだろう。何を言ったかは知らないが、こうなっては仕方ない」
司令が規律を軽んじることはないが、飛びたった勲たちを今すぐ罰することはできない。
「瑠美、デーモンさんは俺たちを子供扱いしてないさ。何も言わなかったのは、自分で考えろということなんだ」
敢太の目は穏やかだ。疲れが滲み出ているが、冷静に考えていることが分かる。
「そんなこと、わかってるわよ」
「実は3か月ほど前から、司令と出撃のタイミングを計っていたんだ。俺は勇樹がもう少し成長してからにしたいと思っていた」
任務を無事に完遂するためには、モスキートの最大性能を発揮して、できるだけ危険を小さくしたい。十分な訓練を積まなければ勇樹は負荷に耐えられないだろう。
「私には黙っていたのね」
瑠美は敢太から視線を逸らした。
「具体的に決めるまでは言わないようにしていたんだ」
近い将来確実に起こる事が具体的にいつなのかを知ると、余計な考えが生まれて、普段の生活がぎこちなくなってしまうかもしれないと、敢太は危惧していたのだ。そのことは言葉にせずとも瑠美に伝わった。
「じゃあ、決まったってこと?」
「明日、広島に向かう。デーモンさんを止めることはできないだろうし、悠長なことをしていられないのも事実だ。作戦を実行する」
「そう。でも、風防にひびが入った状態じゃ無理なんじゃないの?それとも2機だけで行くつもり?」
井上に比べれば敢太も瑠美も背が低い。自然と見下ろすことになるが、パイロットが無意識に漂わせる威圧感が壁になり、二人の間に入るのは気が引けた。しかし、司令には関係なかった。
「大丈夫、替えの部品ならあるし、何より俺がいる」
モスキートは司令が造ったのだ。設計図も造りかたも頭の中に入っている。風防の交換など、朝飯前である。
「司令も行ったほうがいいんじゃないですか?」
兼継は痛いところを突かれたと言わんばかりに眉を上げて見せたが、内心はそうじゃないことが見え透いている。
「あいつが作戦を中断することはないだろうさ」
会議はそこで終わり、千歳の惨状は瑠美に伝えられなかった。司令は伝えるべきだと言ったが、敢太が半島のことが終わるまではいつもの瑠美たちでいて欲しいと言うので、伏せておくことになった。
瑠美は訊きたくてしかたがないが、敢太のこれからを想えばどうしても訊けなかった。
この日も、飛行場では夜遅くまで機体の整備が行われた。
次回、「さようなら」、どんな声がする?




