笑顔って何?
敢太様と名乗ったのは小さな男で、けれども肉厚の逞しい若人であった。
勇樹は思わず、身長差があまりない年上に対して勝手に親近感を抱いた。
「誰もあんたの顔を拝みに来たわけじゃないわよ。この子たちに見せてあげようと思って連れて来たのよ」
瑠美が歩み寄ってなにやら話し始めたが、二人の表情は少し険しく、寂しそうで、違う世界にいるように勇樹には感じられた。
「おうっ!新人くん、よろしくな。敢太、20歳だ」
敢太は手袋を外して右手を差し出した。勇樹がその手を握ると、掌を通って、敢太のもつ覚悟の強さや人柱としての立派さが伝わってきた。この人は太く、揺るがない、強い心を持っているとなんとなくだが感じた。しかし、その口ぶりや低身長で太り気味の見た目のせいか、あまり大人には見えない。それが敢太の良さなのかもしれない。
「そっちが勇樹で、えーっと、15歳だったよね。で、こっちは志帆よ。まだ9歳なの」
圧倒されっぱなしで言葉が出ない勇樹の代わりに、奈央が紹介した。
「まだ7歳か、早すぎるぜ。犯罪じゃねえかよ。よろしくな」
今度は満面の作り笑顔で手を差し伸べた敢太だったが、邪心を見抜いたのか、志帆は奈央の後ろに隠れて嫌がった。
敢太の肩を強めに叩いたのは瑠美だった。そのふくれっ面は敢太の不躾な態度に嫌悪感を抱いたのが半分と、嫉妬心が半分といったところだ。無遠慮に接する二人は、勇樹の目には仲が良いようにしか見えなかった。
しばらくすると同じ飛行機からもう一人降りて来た。これまた男のわりに背が低い。
「敢太さん、異常なしです。ありがとうございました」
丁寧にはきはきと話すこの男は敢太よりも凛々しい。
勇樹と志帆には目もくれず、敢太の目から視線を逸らさないでいるところから、敢太に対する信頼と敬意を感じさせる。
「敢太、麻呂は合格なの?」
「あぁ、ばっちりだ。もう一人で飛んでもいいよ。合格だ」
麻呂と呼ばれた青年は飛び上がって喜んだ。
「おーい、気づけ!新人の二人よ」
明らかに年下であろう穂実だが、上から口調で言った。しかし、誰もが当たり前のように受け流しており、勇樹の中の違和感はまた一つ増えた。
「おっと、気付いてはいたんだけど、失礼。第一戦闘機部隊、麻呂、23歳だ。よろしく」
この中で一番の年上だとは思えない扱いを受けていても、麻呂の目は輝いていた。まるで夢見る少年のようだ。
「勇樹です。15歳、よろしくお願いします」
そうは言っても、勇樹は自分が何をお願いしているのか分からない。
「はい、志帆、9歳です。お願いします」
志帆は緊張など知らないのか、勇樹よりも堂々と言ってのけた。その姿に勇樹は驚き、敢太は嫉妬した。本人は昨日見たじゃじゃっ娘四人組の自己紹介の真似をしているのだった。
「じゃ、デブリすっぞ」
「はい!」
パイロットの二人はヘルメットを脇に抱えて歩いていった。
「じゃ、私たちは棟に戻ろっか」
瑠美が、”隊長”が”隊員たち”に指示を出した。
長い廊下に戻ると勇樹は、ここは迷路だと思った。右に行けば突き当りに寮があること以外、位置を想像することができない。
じゃじゃっ娘四人組はよそ見をして談笑しながらも目的地に迷うことなくたどり着く。
「ここはシミュレータ室よ。午前中はここにいることが多いわね」
「さっき滑走路に行ったときに通ったこの部屋は会議室よ。午後は昨日来たトレーニング室かこの部屋にいるわ」
「食堂はここね。お手洗いはこっちよ。勇樹は一番手前を、他に誰もいないときだけ使っていいわよ。もちろん、掃除しなさいよ」
「食堂は奥にも扉があるでしょう。あれは男子棟に繋がってるの。ここは山部班の食堂だから、第一の連中も来るの。時間が合わないことも多いけれど、こことエプロンくらいね、あいつらと顔を合わせるのは」
「私たちが寝起きする部屋、位置はわかるわよね、廊下の突き当たりのあそこ。あそこは居住区っていうの。各自の部屋を指すときは居室ね」
半ば楽しそうに施設の案内をするじゃじゃっ娘四人組だが、勇樹の頭には何も入って来ない。
シミュレータ?トレーニング?山部班?第一の連中?いったい何の話なんだ。さっきの飛行機やたくさんの大人たちはいったい何なんだ?ここはいったいどこで、なぜ俺はここにいるんだ?疑問だらけである。
「じゃあ、私たちは着替えてシミュレータするから、居室に戻るわ。二人は会議室で待機しておいて。午前中に優理奈さんが来るから待ってて」
じゃじゃっ娘四人組を見送って、二人は会議室と書かれた札のある部屋に入った。鍵は無く、照明は自動点灯だ。長机、椅子、地図、モニターなどが整頓されてある。デジタル時計が音も無く時刻を表示していた。
勇樹と志帆は座って机にうつ伏せた。迷路の中を歩き回るのはけっこう疲れるようだ。
しばらくして、山部優理奈が入ってきた。昨日とは違い、群青色のつなぎに身を包んでいる。スーツ姿は外用らしく、こちらが常装のようだ。オーダーメイドかと思うくらい、体形の良さがはっきりと表れている。艶のある黒い長髪は後頭部できれいにまとめられ、みずみずしい首筋が露になり、実年齢よりも若く見える。
山部がかかと同い年だとしたら、山部は32歳ってことになる。そんなことを考えている自分自身に、勇樹は違和感を覚えた。また、少しドキドキしていることに気が付いた。
隣の志帆はまだ寝ているようだ。勇樹は志帆を起こそうとしたが、山部が寝させてあげてと言うので、そのままにした。
「おまたせ。これから身体測定するわね。京子からデータをもらってるんだけど、最新版をね」
身長、体重、四肢の長さ、視力、聴力、肺活量、筋肉量など、勇樹は内臓以外の全てを計られたかのようで、自分の体が奪われる心地がした。そしてなぜか、優理奈にならば全てを曝け出せるような気がした。何もないのだが。
測定中、優理奈は優しく話してくれた。まさに京子がそうであったように。
「や、山部さん」
「うん?何?」
「どうして僕と志帆はここに連れてこられたんですか?」
「うーん、勇樹くんは志帆ちゃんに選ばれたからかな。志帆ちゃんはそういう星の下に産まれたからかな」
勇樹は山部の言葉の意味するところをを全く理解できない。
「じゃあ、どうして山部さんはここにいるんですか?」
余計なことを訊く子だと内心思いながら、山部は微笑みながら答えた。
「運命かしら。あなたがここにいるのも運命よ、きっと」
勇樹が心を奪われた数瞬ののち、ラッパの放送が鳴った。その音で志帆が目を覚ました。
「お昼ごはんよ。行きましょ」
食堂に行くと、じゃじゃっ娘四人組と敢太、麻呂、それに加え男性だか男子だかが六人いる。端っこの席にいる敢太が勇樹に向かって手招きした。
「お前はこっちだ」
そう言う敢太は少しにやけていた。勇樹は、視界の隅で瑠美がこちらのほうを睨んでいる気配がして、視線を志帆のほうへ動かせなかった。
山部の合図で合掌して食事が始まった。
食事中、新入りに向けて一人一人自己紹介した。ここにいる15人は、通称山部班のメンバーである。補佐官の山部優理奈以下、第一戦闘機部隊、隊長の敢太、幸四郎19歳、基嗣19歳、利吉20歳、永悟18歳、秀20歳、優一21歳、麻呂23歳と、第十一戦闘機部隊、隊長の瑠美、羽菜、奈央、穂実、そして志帆と勇樹である。
「全員の顔と名前は、いきなりは覚えられないでしょうけど、頑張ってね。皆、昼イチで、エプロンで集合写真撮るからね。Pスーツで」
「はい」「はい」「はい」……
エプロンとは駐機場のことであって前掛けではない。そして、皆が着ているつなぎがPスーツと呼ばれるものである。それを知らない勇樹の頭の中では、山部班は謎の集団である。
食後は自由解散だった。勇樹は敢太に呼ばれて居残った。食堂内は志帆と男だけになった。
「勇樹の部屋はどこだ?たしか、1号室と10号室が空いてたよな」
「えっと、僕と志帆は8号室です」
誰もがおかしいと思った。8号室は現在、優一が使っているからだ。
「まさかお前、女子棟に居るのか?」
表情から察するに、明らかに敢太は疑問ではなく期待を抱いている。
「はい、昨晩からです。志帆と一緒に連れてこられました」
第一戦闘機部隊の子供のような大人の男たちは、一様に腕組みして神妙な面持ちになった。
「そうかそうか、またあとで話し合おう」
敢太たちは熱い眼差しで去っていった。勇樹も居室に戻った。
居室に志帆はいなかった。昨日勇樹が一人で風呂に入ったときは怒ったくせに、今日はもう離れていても平気らしい。じゃじゃっ娘四人組が妹扱いするから、馴れたのだろう。
勇樹はエプロン、前掛けを探したが居室にはない。奈央に相談しようと廊下に出ると、声が聞こえる部屋を探した。
2号室の扉をノックしようとしたとき、中から5人が出てきた。
「あら勇樹、行くわよ」
初めに出てきた瑠美はつなぎのままである。勇樹はエプロンのことなどどうでもいいので、また流れに身をまかせることにした。
6人が、今朝着陸した戦闘機の前に着いてしばらくすると男たちも集まった。山部ともう一人が到着したときにはラッパの放送が鳴り始めた。午後の始まりの合図だ。
「よしっ、報告!」
「第一、5名、集合終わり!」
「第十一、9名、集合終わり!」
急に覇気を出すので、勇樹はまだついていけない。見渡せば皆姿勢を正している。なぜか志帆まで。
「まさかデーモンさんがカメラマンを?そんな畏れ多い」
敢太の顔はひきつり、及び腰になっている。皆もそうだった。
「ガッハッハッ、優理奈に頼まれたら仕方がない。お前らちゃんと笑えよ」
デーモンさん、敢太がそう呼んだ人は、今朝勇樹に、走るな、と遠くから叱りつけたあの人だ。眼光があまりに鋭くて、薄く笑っているのだろうが、獲物を追い詰めた鬼のような印象を受ける。デーモンの所以だろう。
「じゃ、真ん中には志帆ね。隣に隊長の二人、あとは隊ごとに二列。志帆はここね」
志帆は山部に手を引かれて戦闘機の前に立った。勇樹にはどちらの隊にも帰属意識がないので立ち位置に困った。しかし、敢太が呼んでくれたので、隣に収まった。
山部がレンズ越しに全体のバランスを整えて、端に加わると、シャッターがきられた。真顔で、笑顔で、ポーズを決めて。
「おい、敢太。交われ!」
「わかりました!」
用意していたかのように素早い動きだった。敢太はただの太っちょではなさそうだ。
デーモンが山部の反対側に立つと、どこからか持ってきた椅子にカメラを置いて、敢太は元の位置に戻った。
写りを確認して更に二回。
その後、出来上がった写真を見ると、最後の1枚を除いて、みごとに必ず誰かがよそ見をしていたり目を瞑っていたりした。
笑顔で、と言われれば変に意識してしまうのか、デーモンの撮影だからか、皆表情が硬い。
「志帆と優理奈さんはいい笑顔だ。二人はモテるだろうけど、じゃじゃっ娘には、これじゃあ男は寄り付かねぇな」
そんなことを言うのは、そんなことを言えるのは敢太だけだ。そして、それをいの一番に咎めるのはいつも瑠美である。
誰も指摘しなかったが、一番不自然な面をしているのは自分であると、勇樹はまっ先に思った。志帆がいい笑顔でいられるのだから、それでもいいと言い聞かせてはいるが、隠しきれていない。どうしても、ここに居たいとは思えないことだけがはっきりとしている。
次回、「おかえりと言ってくれる人」、人は目的地へ歩むときは輝く