祈りの夜
勇樹と志帆を乗せた車はトンネルに入り、しばらくして停車した。そこは袋小路になっており、扉が一つだけあった。点滅する電灯が物淋しさを増幅させている。
車から降りると空気がひんやりとして、勇樹は小さく身震いした。扉の中に入っても寒かったが、長い廊下を歩いていると、すぐに快適な空気に迎えられた。
四人は真っ直ぐに食堂へ向かい、夕食を食べた。その間に具体的な説明はなかったが、四島と山部が悪い人間ではないことは、15歳の勇樹にも察しがついた。
兎のぬいぐるみのピョンピョン以外は何も持っていないことに気がついた勇樹だったが、児童園に荷物を取りにいくことは出来ないだろう、もう二度と児童園に近づくことはないのだろうと、暗澹とした気分でいた。
訳も分からないまま、導かれるままに廊下を歩いた。手を繋いで歩く志帆の存在が唯一の心の支えである。
とある部屋に通されると、そこはトレーニングルームであった。
「瑠美、羽菜、奈央、穂実、休憩中すまないが、新人を紹介させてくれ。今日から皆の仲間に加わる勇樹と志帆だ。分からないことだらけだろうから…」
話を最後まで聴かないことは若い女子の特権であると言わんばかりに、四島の言葉を無視して、女子というべきか女性というべきか区別できない四人が、駆け寄ってきた。
初めましてと挨拶した直後から、名前は?、歳は?などと矢継ぎ早に質問が続いたが、勇樹と志帆が答える隙などなかった。
これには四島も打つ手がないようで、頭を掻きながら天を仰いだ。隣の山部は微笑んでいる。
少しの後、山部が号令を発した。
「きをつけ!」
先程までの穏やかな女性らしい印象とは全く違う、覇気のある声に勇樹と志帆は一瞬怯んだ。一方、これに対する女子女性四人の反応は素晴らしく、瞬時に姿勢を正し、口をつぐんだ。
「順に自己紹介をしなさい」
勇樹は優理奈の方を向くことができなくなり、じんわりと汗をかく感じがした。
「はい。第十一戦闘機部隊、隊長、瑠美、20歳です」
「同じく、羽菜、22歳です」
「同じく、奈央、22歳です」
「同じく、穂実、16歳です」
聞いて驚いた。四人とも勇樹の目には実年齢よりもずっと幼く見える。成長期に入ったばかりの、男にしては小柄な勇樹と比べても皆、拳一つ分は背が低い。体型は大人に見えなくはない。顔つきはやけに凛々しく、濃い人生を送っていることは伝わってくるが、そこには不自然さがあることも確かである。
勇樹は驚きと戸惑いの狭間で、志帆はただ流れについていけず口を開けたまま硬直した。
そんな二人をよそに、山部の指示が続く。
「勇樹と志帆は、ニコイチだから二人とも女子寮に入る。教育係は、えーと、奈央ね」
「はい。えっ、私ですか。どうして?あっ、どうしてっていうのは、教育係のことじゃなくて、どうして勇樹まで女子寮なのかな?と。ニコイチって?」
男子寮と女子寮があり、例外なく性別によって別れているのに、勇樹だけは女子寮に入るという。理由は単純であったが、説明は難しかった。そこで山部は意地悪にもこう言った。
「二人で一つってことよ。勇樹はまだ子供だから安心しなさい」
小馬鹿にされて奈央はイラっとしたが、これ以上の質問は無駄だと悟り、口をつぐんだ。
「では、トレーニングの続きね。わかれ」
「わかれます」「わかれます」「わかれます」「わかれます」
号令の瞬間だけ覇気が出る。締めるところは締める人たちだ。勇樹が知ったことといえばそれくらいだった。
四島と山部は六人を残して出て行った。
奈央は早々にトレーニングを終わらせて、勇樹たちを寮に案内することにした。三人はトレーニングルームを出て、長い廊下を歩いた。
道中、冷静に現状を理解しようとした勇樹は気がついた。勇樹は十五歳の男だ。女子寮とは男子禁制のはずだ。自分は間違った場所に迷い込もうとしているのではないかと、勇樹は自問した。先程、トレーニングルームに入ったとたんに感じた、良い匂いといい、胸騒ぎといい、これまでに体験したことがない。勇樹は人生で初めて男女というものを意識したのだった。
しかし、これは導かれているのであって、自らの意志をもって禁忌を犯そうとしているわけではない。そうだ、流れに身を任せているだけなのだ。そう結論付けて、勇樹は無駄な迷いを断ち切った。
「着いたわよ。ここが私たちの寮よ」
勇樹たちは長い廊下の行き止まりまで来ていた。奈央が壁の一部に手をかざすと、扉が開いた。
寮とは、建物があるわけではなく、鍵のある扉の奥側にも廊下があり、等間隔に個室や洗面所があるだけであった。各部屋に扉はあるが鍵はなく、どう見ても男子禁制である。
「あの、すみません。本当に俺もここに住むんですか?男ですよ?」
奈央には勇樹が困っているのか、下心でにやけているのかは判断がつかないが、奈央も同様の疑問を抱いているのだ。聞かれても答えようがない。
「いいんですよ~、なんて言うバカはいないでしょ。おそらくあんたはただのお守りよ。志帆ちゃんのね。あと、私は奈央よ。奈央先輩って呼びなさい。曖昧な呼びかけだったら無視するから。お風呂のこととかはまだ訊いてなかったから優理奈さんのとこに行って訊いてくるわ。とりあえず、あなたたちは右側の三つ目と四つ目の部屋を使うことになるから。他の部屋には絶対に入っちゃだめよ」
奈央は壁に手をかざして扉を開き、長い廊下に出て行った。
勇樹は初めて自動ドアというものを見た。おそらく壁に手をかざせば開くのだろうと思い、やってみるが開かなかった。訳もわからず、閉じ込められたと勘違いした。
「どうしよう、このまま飢え死にするのかな」
そんなことを呟いているうちに志帆は一人で、奈央が言っていた三つ目の部屋の扉を開けた。閉塞された虚空に尻込みをして、ひとりでは中に入られなかった。しかし、勇樹の邪推を終わらせることはできた。
勇樹と志帆は一緒に部屋の中に入った。
一言でいえば実に簡素である。ロッカーが一人分とシングルベッド、机と椅子が一組だけある。クリーム色の壁と茶色のカーペット。窓はない。ここは地下なのだ。温度は快適であるが、どこか寂しい部屋である。
布団以外は何も無く、二人は椅子とベッドに腰かけて奈央を待っていると、すぐに来た。
「あら、案外素直なのね」
その声には、少しの落胆と安堵が混在していた。
「はい、これ。着替えね。お風呂だけど、勇樹はこれから入ってしまって。皆がトレーニングルームから帰ってきたらすぐに入りたいだろうから」
勇樹は分かりましたと返事して、着替えとタオルを受けとった。奈央の案内で浴場に向かったが、それは寮の中にあった。またしても男子禁制の場所である。
「な、奈央先輩、ここって、女子風呂ですよね。ここはさすがに」
今度の顔は完全ににやけていると判断した奈央は、拳を勇樹の胸に突き当てた。
「勘違いしないの。完全に掃除してから出てきなさい。十分以内よ。早くしないと風呂無しよ」
勇樹は素早く、自分には選択肢がないことを察して浴場の扉を開いた。
なんとか邪心を抑えて、手早く体を洗い終えた。束の間浴槽に浸かっているとき、浴室の扉が開いた。
「なんだ、志帆か」
速まった脈拍は一気に落ち着いた。毎日一緒に入っていたので、お互いに罪の意識がない。
いつも通りに志帆の髪の毛を勇樹が洗っていると、志帆が口を開いた。
「勇樹のバカ。一人にしないでよ」
志帆は泣いていた。怖かったのである。記憶のある限り、いつも志帆の隣には勇樹がいた。勇樹が風呂に入ってしまい、傍にいるのが奈央だけでは不安で、制止を振り切って入ってきたのだった。
志帆は、知らない場所で、勇樹の姿が見えなくなることが耐えられない。それゆえに、勇樹も女子寮に入ることになったのだった。奈央は静かにそのことを理解した。
勇樹が浴場から出ると、じゃじゃっ娘四人組がふくれっ面で出迎えてくれた。
「どきなさいよ」
奈央の顔からは火が出そうだった。出てくるのが少し遅かったらしい。
勇樹が逃げるように自室に入ると、やはり志帆も入ってきた。
「一緒に寝よっか?」
志帆は頷いて先にベッドに入った。小さい二人だから、シングルベッドで一緒に寝てもあまり狭くない。
勇樹と志帆は兄妹同然に育てられてきた。同じ部屋で寝起きして、同じものを食べて、一緒に遊んだ。どこへ行っても、何をしても一緒だった。互いに離れられなかったのだ。
勇樹は自分の親が誰だかわからない。勇樹の一番古い記憶にあるのはかかだ。かかにはとても感謝している。箸の持ち方を教えてくれたのも、熱が出たときに看病してくれたのも、食べ物を好き嫌いしたときに叱ってくれたのもかかだった。ずっとかかが、花木京子が世話をしてくれたけれど、児童園の職員であって母親代わりであることは知っている。
そして、次に古い記憶は、志帆が児童園にやってきたときだ。まだ、よちよち歩きで、言葉も話せなかった。それからずっと一緒にいる。
勇樹は志帆の面倒をみることで、自分の居場所を認識することができた。俺はなぜここにいるのだ?と自問することから逃げることができた。
志帆は昔から何も変わっていない。気がつけば勇樹が一緒にいてくれる。いろいろと優しくしてくれる。勇樹から受け取る温もりだけが自分を守ってくれていると無意識のうちに感じている。
二人は、これからもずっと一緒にいられることを祈りながら目を閉じた。
次回、「現に夢を」、この地下施設はいったい…
人物紹介その1
勇樹
15歳(初期)
15年7月3日生まれ。
身長155cm、48kg
出生地不明。両親不明。岐阜の山奥の児童園で育つ。
母親代わりの花木京子に、志帆と兄妹同然に育てられた。
村では京子と志帆と三人で、村人の農作業や家畜の世話をしていた。
常に志帆とともに居て、花木商店で志帆がハヤブサをプレイするときにはずっと傍で見ていた。ハヤブサの腕前は、児童園にいた頃の最高点は3000点くらい。
村の同じことを繰り返す日々に満足しており、基地に入る前の生活に戻ることを願っている。
甘えたい気持ちがあるが、上手く甘えられない。辛い時には、志帆と京子のことを思い浮かべ、落ち込んでも腐らずに耐えるだけの強さはある。