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月(あれ)は私(バニー)がいただきます  作者: 三七十 十六
第一章 始まり
23/54

雲になった少年 8分の3

「6300点。って、どういうことだよ」


 ハヤブサで満点をとろうがとりまいが意味はない、とでも言いたかったのか?では、邪魔にならないようにこれで遊んでいろとでも言うのだろうか。敢太はこの展開が見えていたのだろうか。勇樹には何一つ掴めない。


 第一戦闘機部隊(モスキートパイロット)の連中は、10あるうちの1しか教えてくれない。訊いても教えてくれない。


 それでも、勇樹は素直にかつ前向きに捉えなければならない。10あるうちの1は教えてもらえたのだ、そしてそこに嘘はないのだ、と。


 パイロットである利吉は、6300点をとって見せて、どういうことか考えろと言った。

 勇樹は最高でも3500点ほどしかとったことがないし、パイロットでもない。利吉の考えることが分からないのは、立場が違うからだとすれば、勇樹がとるべき行動は一つだ。ハヤブサで6300点をとる。それが次の一歩となるのだろう。


 休日は、食事以外にすることがない勇樹だ。ハヤブサは稼働し続けた。




 月曜日になり、時間割り通りの生活が始まったが、勇樹の頭の中ではハヤブサの映像が延々と流れている。


 掃除、筋トレ、授業、食事に風呂、何が楽しいのか、勇樹以外の面々はとても明るい顔をしている。目先の進路を得た勇樹は、無色の日常から意識が離れ、殻に籠もるようになった。


 そのことに気がつかない利吉たちではないが、助言するわけにはいかない。勇樹を見る度、はがゆさが湧いてくる。




 夕食を食べ終え、皆がシミュレータ室へと向う中、勇樹は整備隊室へと向かった。ハヤブサをするのだ。


 会議室を通り抜けて、エレベータに乗る。最上階に着くと、エレベータホールを出て突き当たりの扉を出れば飛行場である。

 扉ごとにセンサーに触れて生体認証を受けなければならないのは面倒だが、開かない扉はない。扉が開くとき、それは勇樹が唯一、自由を実感できる瞬間だ。


 整備隊室に入ると誰もいなかった。名前も顔も知らない誰かの仕事場を通って、勇樹は休憩室と札が掛けられた部屋に入った。やはり誰もいない。


 いないほうがいい。一人のほうが気楽である。軽く背伸びをして、ハヤブサを始めた。


「なんでこんなことしてるんだろう」


 一時間ほど経ったころ、不意に勇樹の口からこぼれた。応えてくれる人はいない。殺風景な部屋にハヤブサの音が遠慮なくこだまする。


 勇樹がため息をついたとき、背後で扉が開く音がした。


「おう!小僧、精が出るな」


 入ってきたのはデーモンこと糸城勲だった。勇樹は、鬼のような人という印象しかもっていない。初対面といってよいだろう。


 親しみをこめた笑顔のつもりなのだろうが、怖い。猛獣のような眼光に心臓を貫かれ、鍛え上げられた肉体になぜか絶望する。この男には敵わない、逃げも隠れも、嘘をつくことすらもできないのだ、と痛感する。


「おい、無視か?」


 勇樹は生唾を飲んだ。声を出せないのは、本能的な恐怖からだった。直立したまま、指一本動かせない。胃袋の上あたりを握られているような気分で、涙が出そうになる。


「挨拶ぐらいせんか」


 糸城がゆっくりと瞬きするとき、人間らしい疲れが見えて、勇樹はようやく正気に戻り始めた。


「どうも」


 なんとか出した3音だったが、糸城の耳には入らないくらい小さな声だった。


「何て言うんだ?初対面の人に」

「はじめまして」

「名前は?」

「勇樹、です」

「歳は?」

「15、です」

「男か?」

「女に見えますか?」

「ハァッ!」


 糸城は大きな声を出して短く笑った。豪快な男である。


「生意気なやつだな。まともに自己紹介もできないくせに、屁理屈は出るのか」


 勇樹は自分の言葉を疑った。まるで誘導されたかのように咄嗟に話していた。この男の前では何事にも選択肢が一つしかないような気がした。


「ハヤブサやるのか?やってみろ」

「はい」


 糸城とハヤブサの関係をあれこれ考えようとしても、勇樹は思考を続けられない。とりあえずプレイする。糸城は後ろで椅子に座った。


 徐々に感覚を取り戻しつつあった勇樹だが、糸城に見られていてはできるはずのこともできない。それでも最後までもがいた。結果は2050点だった。

 勇樹は恐る恐る振り返った。


「えっ!」


 悪魔は寝ていた。腕を組んで項垂れ、重低音の小さないびきをかいている。よく見るとそこそこのおじさんである。


「終わりました」


 勇樹は小声で言った。反応は無い。


「あの、今日はそろそろ帰ります。おやすみなさい」


 勇樹はハヤブサの電源を落として、静かに部屋を出て行った。


 扉が閉まった音を聞いて糸城は立ち上がった。背伸びをして、ハヤブサを見やる。


「声が小せぇなぁ。蚊みたいな声で喋りやがって。何をしてるんだ。敢太のやつ」


 扉を開いて、整備隊室に誰もいないことを確認し、糸城はハヤブサの電源を入れた。


「俺を利用しようとでも考えているのか?面倒だが、久しぶりにしごいてやろうか、あの敢太パンダーー」


 糸城は勇樹のプレイを見て呆れたのだった。あまりにも未熟すぎる。敵が見えてから反応し、そのうえ、力んでタイミングが遅れていた。あれでは進歩しない。

 すぐに見切り、寝たふりをして見逃してやった。教育してやる立場にない以上、誰だか知らないが、教育係に任せるべきだ、とくらいは考えるまでもない。


「ふーーぅ。さすがに鈍っちまったな」


 二十年以上やっていなかった。それでも7200点だった。

 糸城はハヤブサの前では独り言が多い。それは変わらないようだ。




 翌日の夕食時、勇樹は迷っていた。このあと、ハヤブサの他にすることはない。皆が謎の人形を作る姿を見続けるなど、退屈過ぎて苦痛である。


 かといって、昨日のように一人でハヤブサをしていて、また糸城に見られるのはそれ以上に嫌である。勇樹は、できれば彼と関わりたくないと願っていた。


 食堂にじゃじゃっ娘たちが入ってきた。5人が飛行場の片隅ではしゃぐ光景が勇樹の脳裏をよぎった。誰かと一緒にするのもいいかもしれないと思った。


 食べ終わった勇樹は近づいて話しかけた。


「奈央さん。このあと何するんですか?」

「このあと?そうね、少し居室でのんびりして、トレーニングよ。何?何かあるの?」

「いえ、ないですけど。志帆も同じですか?」


 志帆の明るい顔はすぐ近くにあった。たまに食堂で姿を見る度に、少しずつ変わってきたような気がして、勇樹は寂しさを感じていた。


「志帆はまだトレーニングしないわよ」

「そうですか。志帆、最近何してるの?」

「ないしょ」

「内緒って、どうして?」


 じゃじゃっ娘たちは笑っているが、勇樹の心は傷ついた。


「奈央さん、志帆借りていいですか?」

「はぁ?ダメよ」


 勇樹の言葉に眉をしかめた奈央の目は鋭かった。気圧された勇樹は、頭の中が一瞬まっ白になった。


「借りるってどういうこと?」


8分の4へ、つづく


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