雲になった少年 8分の2
夕食後、勇樹は他の皆の後を追ってシミュレータ室に入った。利吉は相変わらず何も教えてくれそうにない。
「利吉さん、この時間、いつも何しているんですか?」
「まぁ、見てな」
何気ない会話は気さくに応じてくれるが、訓練の話になるとなぜかいつも渋られる。
それはシミュレータ室内の奥にある小部屋の中だった。勇樹は小窓から中を覗いた。
椅子とボンベが壁沿いに並び、中央には大きな机がある。そして、その上には無数の人形があった。人型がほとんどだが、中には獣のものもある。
「これは?もしかして毎晩毎晩、みんなで人形を作っているんですか?」
やはり利吉はろくに答えてくれない。
「まぁ、お前には必要のない”訓練”さ」
他の面々が何やらマスクを着けて、部屋に入ってきた。椅子に座ってじっとしている。中の音は何も聞こえない。
利吉もマスクを着けて中に入ってしまった。しかたがないので勇樹はただ見ている。
椅子から立ち上がったと思えば、皆マスクのままで机に向かい、手元の作業を始めた。脇から垣間見るのは粘土だ。勇樹が花木商店から持ってきたものだ。絵具も見える。筆を使って着色している。
勇樹には分からなかった。男たちが変なマスクをつけて粘土で人形を作っている。これのどこが訓練なのだろうか。
それは二時間ほど続いた。途中で帰りたくなった勇樹だったが、居室にいてもどうせすることはないので、離れずにいた。
皆が小部屋から出てきてマスクを外すと、汗でびしょびしょだった。いったい何が起こっていたのか、訊いたところで誰も答えてはくれないだろう。勇樹はただ見ていた。
「おい、帰るぞ」
幸四郎が勇樹に言った。勇樹の存在を認知してはいるのだった。
廊下を移動中、山部がやってきて敢太と短い会話をして去っていった。一瞬、廊下が華やかになったが、すぐに戻った。
「利吉、明日は勇樹を整備隊の休憩室に連れて行ってやってくれ」
「はい、分かりました。10時に行ってきます」
「おう」
土曜日は一日中、整備隊も休みのはずだ。何があるというのだろう。挨拶か?と思う勇樹だったが、どうせ訊いても教えてくれないし、その時が来ればわかるのだから、流れに身を任せようと定めた。
翌朝、勇樹は朝食をとったあと、洗濯や居室の掃除をした。身辺整理をしていると利吉がやってきた。
「おう、行こうか」
利吉は長ズボンに半袖の楽そうな恰好をしている。季節はもう初冬なのだが、基地内ではまったく寒さを感じない。一年中快適である。
「休みなんだから、かしこまらなくていいさ」
勇樹はPスーツを着ていた。慌ててジャージに着替える。他が無い。
二人は会議室を通りすぎてエレベータに乗った。また廊下を歩くと見覚えのある場所に着いた。
じゃじゃっ娘たちと一度来たことがある、敢太たちの着陸を見た広い空間だ。
「こんなに広かったんだ。利吉さん、ここの名前は何ですか?」
「奈央さんは何も教えなかったのか?ここは飛行場さ。ほとんど滑走路だけど、整備もここでするし、ここは格納庫でもある」
勇樹は村から帰ってきて以来、ずっと棟内にいたので広い空間にいるだけで気持ちがいい。
「ほら、行くぞ」
利吉にとっては何てこともない場所なのかも知れないが、勇樹にとってはまだ特別である。久しぶりに好奇心を刺激される。
見回せばじゃじゃっ娘たちが片隅ではしゃいでいた。
「第十一戦闘機部隊はいつもあんな感じさ。半年に一度フライトする第一戦闘機部隊と違って、何年もほとんど缶詰なんだから、あれくらい許されて当然だよな。広場って呼んでるらしい。まっ、呼び方は何でもいいさ」
だだっ広い空間の一角には、緑色の布がたくさんの丘をつくっていた。あの下には飛行機があるのだろう。
勇樹が壁際を歩いていて思い浮かべるのは、衝撃という名の引き出しにある記憶だ。
大きな門が上下に開き、眩い世界が現れる。そしてその中心から、等間隔に整列した大小5機の飛行機がこちらへ向かって飛んでくる。漆黒の機体が静かに近づいてきて、あっという間に目の前を通り過ぎた。感動したのもつかの間、尾の紅炎が作る轟音に襲われた。
敢太の言葉を借りれば、それはまさしく"ロマン"の塊だった。
「利吉さん、10月にここで着陸を見ました。そのときモスキートには誰が乗っていたのですか?」
「この前は、隊長と麻呂が二人乗りで、基嗣さん、俺、永悟が一人乗りで乗ったよ。他の人はバレルに乗って、幸四郎さんが機長だった」
「利吉さんがモスキートに乗り始めたのって、いつですか?」
それについては勇樹に話しても構わないのだが、利吉は躊躇った。
「まぁ、そのうち話すさ」
そんな具合だから勇樹は、第一戦闘機部隊の中で孤独を感じている。受け入れてくれているのか受け入れるつもりがないのか掴めず、宙に浮いた心地で気持ちが悪い。
とりあえず傍観的に構えて、勇樹は疲れない程度に足踏みを続けている。いつか道が開けるはずだ、と。
そうする理由は一人の存在にあった。志帆が基地にいなければ、勇樹はとっくに出ていったことだろう
「そういえば、利吉さんはこの地下施設をどう呼んでいるんですか?」
「第一は"基地"って呼んでるかな。男子棟の俺たちの階は敢太さんが責任者なんだけど、あそこは”家”だ。ゆっくり寛げる場所だ」
勇樹にはそんなふうには思えない。飛行場に来るまで気づかなかったが、居住区は息苦しい場所だ。
飛行場の中ほどには白い扉がいくつかあり、一つに整備隊と書かれた札が掛けられている。
中は机がズラリと並べられている。全体的に整理整頓されてはいるが、全ての机上には書類が山積みになっている。
部屋の奥には3つの扉がある。右の扉には男らしい”イカツイ”装飾が施されているが、他の2つは平凡なものだ。
「右の部屋の名前は"地獄"っていうんだ。左は休憩室だ」
真ん中の扉だけ言及しないが、勇樹も何も訊かなかった。
利吉はまっすぐ左側の扉へ進んだが、勇樹は右側へと歩いた。
「隊長室」
勇樹は札を読んだ。地獄、悪魔=糸城の住処ということだろう。利吉の冗談だった。
「近づきすぎると鬼が出るぞ。こっちだ」
小声で言う利吉の表情は照れを隠している。子供だましであると自覚していて、恥じているのだろう。
左の部屋に入ると、そこには懐かしいものがあった。花木商店の店先に置いてあった、志帆のプレイを何度も見た、あのゲーム機だ。
「ハヤブサだ。もちろん知ってるよな?」
「はい、花バァのところにあったやつですよね?ハヤブサっていうんですね、これ。こんなところに移されていたんだ」
「できるか?」
まさかこれが目的なのか?と勇樹は一瞬、拒絶の色を顔に出した。
「どうなんだよ?」
「長いこと触ってないです」
「てことは、やり方は知ってるな。やってみろ」
「はい」
勇樹は側面にある電源ボタンを押した。
映像は何も変わっていない。利吉の前では少し緊張するが、勇樹は花木商店に来た気分になった。
勇樹は空中戦を始めた。久しぶりのせいか、背が伸びて見えかたが変わったせいか、初めてのような感覚だ。
「これは時間がかかりそうだな」
点数が出て、利吉は半笑いしながら言った。
「昔はもう少しできました。今のは自分でも酷いと思います」
最後にプレイしたのはもう数年前になるが、3000点くらいはとれるはずだった。1500点は低すぎる。
それがどうした。ただのゲームじゃないか。勇樹はそう思いたかった。
しかし、それでは説明がつかなくなってしまう。志帆がこのゲームで満点をとった日に、二人は基地へと連れてこられた。利吉は勇樹にハヤブサをさせるために、わざわざ整備隊の休憩室まで連れてきた。
このゲームには何か意味があるはずだと、今更だが、勇樹でも疑える。
「利吉さん、お願いします」
「あまり良い手本じゃないぞ」
利吉はさぞかし上手いのだろうと期待した勇樹だったが、志帆のほうが上だとすぐに分かった。
「これがどういうことか、自分で考えな」
プレイを終えた利吉は、そう言って出ていった。
8分の3へ、つづく




