ローウェンその4(三章までのネタバレあり)
※三章までのネタバレがありますのでご注意ください。
詠唱は単純。
私の人生そのものを謳うだけだ。それだけで、代償は果たされる。
詠唱の本質を理解している者だけが出来る――、世界との取引が行使される。
「――『拒んだのは世界が先だ』、『だから私は剣と生きていく』――」
奇跡の一端を顕現させる。
この世の『理』全てを否定する剣。
その技の名も、私そのもの。
「――魔法『亡霊の一閃』」
剣が奔る。
時間も空間にも囚われない一閃が、あらゆるものを切り裂いていく。
襲い掛かる風の刃を掻き消し、フェンリル・アレイスの身に宿った魔力を霧散させ、彼の持つ剣をも弾き飛ばす。
『剣聖』であるフェンリル・アレイスでも視認することの適わない一閃。
それが私の唯一の魔法。魔法『亡霊の一閃』。
フェンリル・アレイスは一瞬で剣も魔法も失い、驚きと共に足を止める。
「礼を言う、フェンリル・アレイス。やっと、夢から覚めた。あの家は、もうないのだな……」
「な、一体何がっ――!?」
グレンさんとライナー君にも感謝しないといけない。
彼らのおかげで、私は間違いに気づけた。かつて羨んでいた貴族の実態を見せてもらい、『英雄』の現実を知ることができた。
それがなければ、私はここまで来られなかっただろう。
「ありがとう。そして、悔しくも私の勝ちだ」
そして、勝利を宣言する。
同時にフェンリル・アレイスの弾き飛ばされた剣が、遠くの地面に突き刺さる。
『武器落とし』の決着がついた瞬間だった。
「――け、決着! 『一ノ月連合国総合騎士団種舞踏会』南エリア第四試合、ローウェン選手の勝利です!」
落ちた剣を確認した司会が、終了を宣言する。
観客たちは無名の剣士が『最強』と『剣聖』を破ったことに興奮する。『舞闘大会』の波乱の継続を目の当たりにして、大騒ぎが始まる。
私を『英雄』として讃える声が響く。
今、間違いなく、私は闘技場の中心で『栄光』を浴びていた。
しかし、私の心から沸いてくるのは歓喜でなく、虚無感だった。
喜びも苛立ちも超えて、空虚になっていくのがわかる。
一度でも確認してしまえば終わりだ。私はリーパーを置いて、カナミを敵に回し、『英雄』というものを理解した。
その果てが、この感情だった。
「ああ、『栄光』も『英雄』も、こんなものだったのか……」
私は『答え』に近づいていく。
望んでいたものが全てガラクタだったと知り、私は残ったものへと目を向ける。おそらく、後回しにしてきたそれこそ、私の本当の願いなのだろう。
それはつまり、私の人生を賭けた戦いに意味はなかったということだ。
空虚の中に、暗い闇が染み込んでいく。
何のために生きているのか自分でもわからなくなる。
立っている位置も向きも見失い、深い底へと落ちていくような気がした。
絶望に染まっていく。
悔しくて涙が出そうだ。
自暴自棄になる。苛立ちが破壊衝動へと変わり、世界の全てへ八つ当たりしたくなる。
ああ、もうどうでもいい。
私に残ったのは、恨みと敵意だけ――
「――! ――っ、――!!」
――ではなかった。
聞き覚えのある声が耳を通った。
それはとても大切な人の声だった気がする。
我に返り、私は声の発生源を探す。
しかし、観客席を見回せども、見つけられない。立ち上がった観客と、その歓声が邪魔をする。
闇の中へ落ちても、はっきりと聞こえた声。
私はそれが気になって仕方がなかった。
必死になって見回していると、剣を落としたフェンリル・アレイスが私に拍手を贈っていた。
「強いな、剣士ローウェン……」
私と同じ家名を持ちながら、けれど家族ではない『剣聖』に認められてしまった。赤の他人からの賞賛だとはわかっている。けれど、その賞賛は観客たちの声全てよりも心地良かった。
私は声を返そうとする。
けれど、それは観客たちの声に押し潰される。
今、会場全てが私の名前を呼んでいた。
勝者である私を讃え、敗者である『剣聖』のことを忘れようとしていた。僅かにフェンリル・アレイスの名があがることがあっても、中身は当てが外れた貴族や商家たちの失望がほとんどだ。
フェンリル・アレイスは無念そうだった。
「……わ、私は何をやっているんだ?」
私は僅かに正気を取り戻す。
そして、自分のすべきことを理解する。
確かに、今のアレイス家は、私のアレイス家とは違う。けれど、私という死人のせいで、同じアレイスの名が汚されるのはおかしい。
このままでは、私は千年後までやってきて、ただ八つ当たりをしにきただけだ。
もう私はアレイス家に囚われてはいない。けれど、ローウェンという一個人として、この時代のアレイス家を讃えるべきだと思った。
中身は変われども、よくぞ千年も生き残ったと褒めたい。
没落貴族から大貴族まで育て上げた一族たちを褒めたい。
その自分の感情を理解したとき、すでに私の身体は動いていた。喉は震えていた。
「悔しがることはない、フェンリル・アレイス。確かにあなたはこの時代最高の剣を持っていた……。ただ、なんて言えばいいのか。そう、相手が悪かっただけだ……。これはあれだ、師範代が師範に敵わないようなもので……――」
死人の私さえいなければ、彼が現代最高の剣士であったのことは明確だ。
フェンリル・アレイスは讃えられこそすれ、失望されるのは間違っている。
だから、私のような死人にできるのはこれくらいしかなかった。
私は終了宣言した司会が近寄ってくるのを確認し、その魔法道具に叫ぶ。
「――我が名はアレイス家3代目当主、ローウェン! ローウェン・アレイスだ! アレイス流剣術の先駆者として、今代の剣聖フェンリルを讃えよう! 千年の時を経ても変わらぬその輝き! 私は敬意と共に、アレイス流の皆伝を彼に伝える!!」
全員へ聞こえるように、私は厳粛に言い放つ。
一剣士のローウェンではなく、アレイス家の当主の威厳を賭けた言葉だ。
「ローウェン・アレイス……。貴殿は、やはり……」
フェンリル・アレイスは口を開けて私を見る。彼は戦闘中に抱いていた疑問の答えへ辿りつこうとしていた。
唐突な話に観客席たちはざわつき始める。
フェンリル・アレイスは自分を19代目当主と言った。それにも関わらず、そのフェンリル・アレイスよりも若い男が3代目当主だと主張するのだ。疑問に思うのは当然だろう。
虚言と思われるのが普通だ。
私は説得力を出すために、フェンリル・アレイスへと語りかける。
「見事だった、我が末裔。この平和な時代でありながら、よくぞここまで鍛え上げた」
「その末裔ってのは、どういうことだ? 剣士ローウェン・アレイス」
敗北を経て、ことの深刻さを理解したフェンリル・アレイスは真剣な表情を見せる。
腫れ物に触るかのように、ゆっくりと問いただす。
「そのままの意味だ。私は千年前の人間であり、かつてアレイス家の当主として戦っていた」
私は大きめの声で話す。わざと魔法道具へと声を入れて、会場へ説明する。
「ま、本当なのか……?」
フェンリル・アレイスも観客と同様に、私の話を疑う。
けれど、彼は疑いを否定しきれない。
まず、私がアレイス流の技を、現代のアレイス家当主よりも高レベルに扱っていたこと。そして、大貴族の当主である彼は、千年前の人間が現代に存在できる可能性を知っている。
私はその可能性を証明するために、私は剣を握る。
剣の切っ先で、自身の腕を裂く。
「ああ、私は千年前の人間だ。簡単なことだ。私は迷宮に『想起収束』されたモンスターなのさ」
流れる血が音を立てながら水晶へと変質する。ついでに肌の表面も変質させ、化物石像化させていく。
観客にも見えるように私は両腕を広げて、モンスターであることを主張した。
それを見たフェンリル・アレイスは息を呑んだ。
隣に立つ司会は慌てた様子で後退する。
「な、なななっ――!!」
会場のざわつきが倍に膨らむ。
警備員たちに得物を抜かせるほどまでに、緊張が走った。
「ちょっと、今のアレイス家が気になってね。素性を隠して『舞闘大会』へ参加させてもらった次第だ」
「は、話には聞いていたが――、まさか、アレイス家当主が守護者に選ばれているとは――」
フェンリル・アレイスは私が守護者であることを確信した。
やはり、彼は迷宮の秘密を深くまで知っている。
私とフェンリル・アレイスが話している内に、闘技場の出入り口から多くの兵が沸いて出てくる。不測の事態に備えていた人員だろう。
その迅速な対応に私は感心する。
距離を取って私を取り囲み、兵は武器を向ける。
その中の代表と思われる一人が、私に問う。
「貴殿は本当に……、過去のアレイス家の当主で、モンスター、なのですか……?」
予想外の事態に、対応を計りかねているようだった。
この時代のアレイス家は大貴族だ。その当主であるとすれば、モンスターといえど攻撃はしにくいだろう。
少しことを急ぎすぎたかもしれない。
衝動に駆られてしまい、私がアレイス家の当主であることまで叫んでしまったのは失策だ。そこは伏せた方が良かったかもしれない。
私はそれを塗りつぶすべく、モンスターであることだけを強調する。
「どこまで信じるかは、君たちの自由だ。ただ、私が守護者という強大な存在であることだけは間違いないよ」
要はグレン・ウォーカーとフェンリル・アレイスを破った存在が大物であればいいのだ。
破るも当然の存在であれば、彼らの名誉は最低限保たれる。
不適に笑いながら守護者であることを認めた私に、兵たちは覚悟を決めた表情を見せる。
私は両手を上げながら、優しく笑う。
「……しかし、勘違いしないでくれ。私は抵抗しない。モンスターだが、人間の味方のつもりだよ。いつだって、私は人々のために生きてきたのだから」
そして、その両手を前に差し出して、捕縛を望んでいることを訴える。
兵たちは戸惑いながらも、少しずつ包囲を縮める。そして、私の要求に応え、長い時間をかけて私に手錠をかけた。
これで、大会運営側も安心できるだろう。私のせいで大会中止になって欲しくはない。
観客席は混乱していた。新たな『英雄』が登場したかと思えば、次には兵たちの手によって捕縛されているのだ。
事実を理解してしまえば、期待を裏切られたと嘆くことだろう。
それを一番わかっているのは大会を運営しているものたちだった。
迅速に話し合いが行われ、今後の処遇を私に伝える。
「――ローウェン選手。あなたに敵対の意思がないことはわかっています。ゆえに、こちら側はあなたが何者であろうと『舞闘大会』の参加を認めようと思っています。あなたは『舞闘大会』の参加続行を望みますか?」
「よかった……。ええ、もちろんです」
どうやら、はっきりとモンスターであると証明されるまでは、参加取り消しにならないようだ。
いや、単純に私という美味しい参加者を失いたくないだけかもしれない。観客席の反応を見れば、それは一目瞭然だ。『英雄』の候補だった私も、モンスターかもしれない私も、『舞闘大会』を盛り上げるには必要な存在だ。
何にしろ、これで『舞闘大会』決勝へ乱入しなくてすむ。私は安堵しつつ、頷いた。
こうして私の処遇は決定し、南エリア四回戦は前代未聞の決着を終えた。
兵たちは大人しい私を囲んだまま、闘技場外へと連れ出していく。
回廊を通り、控え室に入ったところで、ライナー君が待っていた。
訓練で疲れきっていたため部屋に置いてきたのだが、目を覚まして駆けつけてくれたようだ。
「ローウェンさん! 何をしてるんですか!!」
ライナー君は荒々しく私の行為を責める。
彼にとって私が捕縛されるのは好ましくなかったようだ。場合によっては、今ここで私を助け出すほどの迫力がある。
しかし、私は手で彼を制する。
彼の舞台は『舞闘大会』じゃない。まだ、時は早い。
「ライナー君、もう稽古は終わりだ」
私の表情を見たライナー君は、詰め寄る足を止める。
「何が……、あったんですか……?」
そして、冷静に問う。
「すまない。もう私は急ぐ必要がなくなったんだ。あとは独自に目指してくれ、全ての取っ掛かりは教えたつもりだ」
「な、なっ!? ここに来て放り出す気ですか!?」
「有体に言えば、そうなるな」
「待ってください! キリスト・ユーラシアたちを殺す為には、あなたの教えが必要なんですよ!」
「君こそ、彼を殺したあと、どうするんだ? ちなみに、私は『英雄』になったあと、何も残らなかった。笑ってくれていい」
「そ、それは――!」
私の核心を突いた問いに、ライナー君は口ごもる。
彼は賢い子だ。だからこそ、私の言わんとすることをすぐに察した。
けれど、彼は戦意を失うことなく私を睨み続ける。
「そうだな……。こんな様の私が言っても無駄だな。君を諭すのは『別の誰か』の役割だ」
失敗した私が言っても説得力はないだろう。
それに、間違っていながらも進むことを止められない彼の気持ちがわかってしまう。心からの説得はできない。
ライナー君は俯いて、首を振った。
「……わかりました。もうローウェンさんと僕の利害は一致しないんですね。なら、僕は――」
そして、そのまま部屋を出ていく。
私は彼を引きとめようと手を伸ばし、すぐに下ろした。
不思議な予感があったからだ。
スキル『感応』による予感ではない。
この千年後の世界の状況と今の状況を照らし合わせ、私は運命を感じているのだ。
今、『カナミ』には『過去の仲間たち』が味方している。ならば『ヘルヴィルシャイン』も、千年前と同じように彼の味方となる気がする。
だから、私は彼をそのまま向かわせた。
おそらく、彼を納得させる『別の誰か』はカナミの仲間の誰かだろう。
私は懐かしみと共に、ライナー・ヘルヴィルシャインを見送った。
「……それに私は死人だ。これ以上は、差し出がましい」
亡霊が生きているものに関わりすぎては悪霊となる。
私は自分を死人と称して自嘲した。
すると、ライナー君が出て行った扉から、入れ代わりにフェンリル・アレイスが入ってくる。
「その死人とやらについて、詳しく話してもらいたいんだがな……。剣士ローウェン・アレイス……」
私を取り囲んでいた兵が、彼に道を空ける。
その堂々たる大貴族としての姿は、私の何倍も当主らしい。
「フェンリル・アレイスか……。そうだな、君には私のことを話そう。もはや別物となってしまったアレイス家とはいえ、君が末裔であるのは確かだからね」
私は素直に頷く。
公の場で、ああも正体をばらしてしまったのだ。もはや、隠すことのほうが少ない。
「その代わり、私の話も少しばかり聞いて欲しい。……頼めるかな?」
「わかった」
こうして、二人のアレイス家当主は話を始め、私の四回戦は終了した。
北ではカナミやスノウ君たちも激戦を繰り広げているだろう。しかし、私はもうそれに関与することはできない。私はもう、その資格を失ってしまった。
この数日で、私は色々なものを失った。
けど、わかったこともある
私の本当の願い。
『答え』をあと少しで、確信できるだろう。
いや、もう確信しているのと同じだ。
私は私の願いを間違えた。あとは消去法で、私の本当の願いは特定できる。
けれど、今ここで、たった独りでそれを理解したくなかった。
理解すれば前と同じだ。
また独りで終わってしまう。
この『答え』は、自分独りで見つけてはいけないものなのだ。
だから、最後の一押しだけは誰かに押してもらいたい。
できれば、最後の『答え』は親友たちに教えてもらいたい。
リーパー……。
カナミ……。
私の大切な親友たち……。
私は待っている。
笑ってくれてもいい。けれど、独りで消えるのは、どうしても嫌なんだ。
あの頃と同じように、独りのまま終わるのは寂しい。
とても、寂しいんだ……。
だから、どうか――
どうか、私の願いに気づいて欲しい。
どうか、私の願いを理解して欲しい。
どうか、私の願いを伝えて欲しい。
どうか、私の願いを叶えて欲しい。
願わくば、私の親友たちの手によって消えたい。
寂しがり屋で欲深い、子どもみたいな私を許してくれ。
最期は笑って見送って欲しいんだ。
また独りで死ぬのは嫌だ。親友の笑顔に見送られたい。
そのために、私は千年後の今日まで。
この世界にしがみついていたのだから――
ゆえに私は『舞闘大会』の頂点で二人を待つ。
きっと、私がローウェン・アレイスとなったときから、ずっと私は二人を待っていたのだ。
私の親友たちが助けに来てくれるのを待っていた――
ずっと――