ローウェンその2(三章までのネタバレあり)
※三章までのネタバレがありますのでご注意ください。
翌日の早朝、私たちは高級レストランの一席で朝食を採る。
激しい訓練の上に、睡眠時間も少なかったため、ライナー君はふらふらだ。
しかし、時間がないため手は抜かない。
付け焼刃だとしても、ライナー君を即興でカナミたちと同じ領域まで引き上げないといけないのだ。それは並大抵のことではない。
幸い、彼は勘が良い。
その特性に合わせて、スキル『感応』の指導も行っている途中だ。
「――こんなことをしている場合じゃないんですけど」
目を閉じたまま、ライナー君はスプーンを動かす。
この訓練に余り納得がいっていないようだ。
「いいから、目を閉じたままで過ごせ。ついでに、この店の人数を数えてみろ。これも訓練だ」
「いや、魔法もなしに、そんなことできるわけないですよ……」
ライナー君はカナミと同じ愚痴をこぼす。
やはり、スキル『感応』の修得方法は納得しにくい類なのだろう。
食事を採りながら、ライナー君は足音や空気の流れを頼りに人数を数え始める。ただ、それではスキル『感応』には至れない。
五感に頼るだけでは駄目だと注意しようとしたところで、レストラン内に異物が混じる。
食事を楽しむ一般人たちの中に、獰猛な動物が混じったかのような感覚。
それをライナー君も感じ取る。――感じ取り、別の『何か』にも気づく。
運が良い。今、彼は聴覚も触覚も使わずに、侵入者に気づいた。魔法も五感も遣わずに世界を理解するというスキルの取っ掛かりを得たように見える。
私は進入してきた恩人を見る。
私と同じ赤みがかった髪を垂らしていた男だ。覇気のない顔つきだが、身に纏う空気が鋭い。世界の全てを警戒しているような印象を受ける青年だ。
青年はまっすぐとこちらへ歩いてくる。
それに気づいたライナー君は、目を開けて青年の顔を見る。そして、大きく目を見開いて、名前を漏らす。
「グ、グレン・ウォーカー……?」
そして、その名を私は知っていた。
スノウ君の兄であり、連合国最強の称号を持つ探索者。
文句なしの『英雄』であり、私の次の対戦相手でもある。
「へえ、この男が……。『最強』の男か……」
私はグレン・ウォーカーをまじまじと見る。
すると、彼は卑屈そうに笑い、私たちのテーブルまでやってくる。
「ここ、座ってもいいかな?」
余った席を指し、人の好さそうな顔を浮かべる。
「もちろん。歓迎する」
拒否する理由はない。この時代の『英雄』はとても興味深い。
「よかった……。戦う前に話しておきたかったんだ。僕に勝つ人とね」
しかし、グレン・ウォーカーは私の期待には応えてくれない。にへらと笑って、早々に降参の意思を見せる。
それは私にとって望むところではなかった。
「……む。あなたは私と戦う前に、勝負を諦めているのか?」
「ああ、これでも力量の差くらいはわかるからね。できれば棄権したいくらいだよ。ほんとに。はぁ」
「ま、待て。待ってくれ。……私はグレン・ウォーカーを『最強』と聞いている。負ければ、その称号は私のものになる。誰もが憧れる称号を、そう簡単に手放せるのか?」
私が『最強』となったときは『化け物』と呼ばれた。
『英雄』どころか、人としても扱われなかった。
だというのに、彼はその称号をぞんざいに扱う。私が何よりも欲しかったものを、道端の石ころのように扱う。
「うん、手放すよ。それは僕にとって重要じゃないからね。ここで手放しても、目的は達成できる」
撫でるように、不快な感情が背中を通り過ぎた。
その感情は、私の言葉に刺々しいものへと変える。
「……あなたは『最強』の『英雄』に相応しくないな」
彼が『英雄』と呼ばれ、私が『英雄』になれなかったことが腹立たしい。
私は子どものように眉をひそませた。
それを見たグレン・ウォーカーは悲しそうに笑った。
侮蔑でも同情でもない。仲間を見つけたかのように、口の端を震わせる。
「ははっ、まるで昔の僕たちを見ているようだ……」
表情は全く違うが、言っていることには覚えがある。
「……昔の自分、か。……同じことをあなたの妹にも言われたよ。すごい表情でね」
「スノウさんが、あなたに……? へえ……」
妹の名前が出てグレン・ウォーカーは嬉しそうだった。
そして、彼は言葉を選び、ゆっくりと答える。
「昔、僕たちも、あなたのように『栄光』を追い求めていたんだ。そして、僕とスノウさんは失敗した。だから自分の過ちを見ているようで、スノウさんは苛立っているんじゃないかな?」
その答えはスノウ君と同じだった。そこに偽りはないはずだ。
だからこそ、私は疑問を覚える。
「兄妹で失敗した? しかし、目の前のあなたは『最強』と評され、連合国の『英雄』だ。大成功じゃないのか?」
その失敗の中にグレン・ウォーカーも入っているのは納得いかなかった。
「『最強』も『英雄』も、僕たち兄妹を幸せにしてくれなかったんだ……。それどころか、不幸のどん底へ叩き落した……。私たちは失敗したんだ。そのせいで、スノウさんは――」
グレン・ウォーカーが「私たち」と言ったとき、彼の暗い顔がさらに暗くなった。悲愴な面持ちで、吐くように「私たち」と言った。
その「私たち」の中にスノウ君が入っているようには感じなかった。私の人離れした直感が、そう確信させる。
では誰と失敗したのか。それを聞こうとする前に、彼は話を終える。
「――結果、スノウさんの心が折れた。そして、僕はウォーカー家の奴隷になった。『栄光』があろうと、『英雄』になろうと、失敗は失敗さ」
「……しかし、傍から見れば成功にしか見えない。あなたがどれだけ失敗と言おうと、誰もが憧れる『英雄』なのは確かだ。貴族の嫡男にとっては、到達点の一つとも言える」
「傍目から見ればそうなんだろうね。傍目から見れば、ね。けど僕は生粋の貴族じゃないし、『英雄』の立場を惜しいとも思わない」
話は平行線だ。
彼には『栄光』よりも大切なものがある。だから、『栄光』も『英雄』も、その大切なものを守るための手段としか思っていない。
平行線だが、私にもよくわかってしまう話だった。
自分をも騙すように、わからない振りをして私は小さく首を振る。
そんな私を見て、彼は優しく告げる。
「勝負は諦めてる。けれど、僕の目的には近づくはずだよ」
その目的が彼の『本当の願い』なのだろう。
彼は願いを間違えない。確固たる意思を持っていて、迷いなど欠片もない。
それが私にはとても羨ましかった。
「あなたは明日、『最強』になる。けれど、もし『最強』が嫌になったら、僕に返してくれていい。そのときは協力する。……そのために僕は居るんだ」
その言葉を最後に彼は席を立つ。
私は何も言い返せなかった。
グレン・ウォーカーと私では決意の固さに差がありすぎた。彼は何を言われてもすぐに言い返せる準備があるだろう。しかし、私にはない。
その背中を見送る。
おそらく、グレン・ウォーカーの言うとおり、私は彼よりも強い。けれど、今の私には彼の背中が大きく見え、自分の身体を薄弱に感じた。
「彼は『最強』という称号を、まるで重荷のように話すな……」
私はライナー君に話しかける。
「そりゃそうでしょう。連合国の全員が『最強』のグレン・ウォーカーに憧れています。あの人ほど重い期待を背負ってる人はいませんよ? それがどれだけの苦しみかは計り知れません」
「期待は苦しみになるのか……?」
「不相応な期待は、苦しみにしかならないんでしょう。そして、あの人は心優しくて気弱だから、より辛いんだと思います。社交の場でグレン・ウォーカーはよく見ますけど、いつも張り付いた笑顔で、とても苦しそうですよ」
ライナー君はすらすらとグレン・ウォーカーについて語る。
どうやら、今日会っただけの関係じゃなさそうだ。
「意外と、君は交流関係が広いんだな」
「……これでも大貴族ヘルヴィルシャインの末席に座ってますから。大抵の人とは、最低一回は社交の場で挨拶してると思います」
「ふむ、詳しいんだな」
ライナー君は貴族らしさのない少年だが、よく聞けば彼は貴族の中でも上位に位置する存在らしい。
一応、私も貴族だが、生まれが特殊すぎて話にならない。
「ライナー君、貴族について聞かせてくれないか。あと、あのグレン・ウォーカーについても」
「そのくらいは構いませんが……。訓練も忘れないでくださいよ……?」
「ああ、それはもちろん」
私は知りたい。
一度はアレイス家当主にまでなりながら、死ぬまで手に入らなかった貴族としての生活。追い求めていた世界を少しでも知ることは、私の未練に関わると思った。
「そうですね……。まず、グレンさんはとにかく忙しい人です。連合国の共有資産、『英雄』様ですからね。そして、連合国は五つの国で構成されているので、付き合うお偉いさんたちも通常の5倍です。休む間もなく、あらゆる社交場に駆り出されます」
「彼は『最強』の『英雄』なのだろう? 社交場に駆り出されるのか? 戦場に駆り出されるのならわかるが……」
「戦場に行くのは軍人の仕事です。戦場に行かせて、『英雄』が死んだら困るじゃないですか」
「ほ、ほう……」
常に戦場へ駆り出されていた私は言葉に詰まる。
「それで社交場では、何をするんだい? 剣舞でもするのか?」
「なぜそこで剣舞なんですか……。するはずないでしょ、そんなこと……」
呆れた目を向けられる。
そう言われても、一度も行ったことがないのだからわかりようがない。
「えっと、なら、何を……?」
「基本的には人脈作りですね。そして、とにかく名前を貸しまくります。それで利益を出して国へ還元します」
「名前を貸す……?」
「ええ、企画やお祭りで、「『最強』のグレン・ウォーカーも参加」とか、「あの『英雄』も参列するぞ」とか謳って客寄せするんです。他にも、商談や商家そのものに「『英雄』のお墨付き」にしたりします」
「な、なんだそれは……」
私は素で呆ける。思い描いていた『英雄』と全く違った。
「あとは貴族と貴族の間を取り持ったり、国の代表として発言したり――」
ライナー君は朗々と語り続ける。スキル『感応』が嘘を言ってないと告げている。
しかし、私にとっての『英雄』とは、そんな浅ましい真似をする存在ではない。『私の英雄』はそんなに醜くない。
カナミは、危険があれば誰よりも前へ出て戦い、多くの仲間と共に民を救っていた。
利益よりも人々の笑顔を望み、体面なんて気にしたことは一度もなかった。
けれど、ライナー君は『英雄』を全く逆の存在だと言う。
『英雄』グレン・ウォーカーはお飾りの仕事を延々と与えられ、その力を活かせずに苦しんでいると言う。
「――貴族も、そんなことばかりしてるのかい?」
「ええ、貴族が『英雄』にそういうことさせているんですから。貴族はもっと汚いことしてますよ?」
「し、信じられないな。私の知る貴族は、もっと気高くて、潔癖なものなのだが……」
「ははっ、気高い? いつの時代の話ですか? 今の貴族たちは、一に利益、二に権力、あとは立場と体面のためだけに生きる人間のクズたちですよ」
「むう……」
ライナー君は忌々しげに即答した。少し私情が入っているように見える。
しかし、彼は私の憧れていた貴族たちを、吐き捨てるかのように「クズ」とまで言った。彼の私情が混じっているとはいえ、それでも私にはショックだった。
私は首を振る。
今日まで信じ続けていたものを覆すまいと戦う。
「――しかし、私は信じたい。高貴なる貴族が、まだ世界に残っていることを」
自分でもわかるほど声が震えていた。
それを聞いたライナー君は、感心した様子で答える。
「こんなに強いのに……。ローウェンさんは子どもみたいに純真な人ですね……」
「私が子どもみたい……?」
「ええ、そうです。だから、ローウェンさんには貴族なんて相応しくないですよ。もちろん、『栄光』も『英雄』も。あなたはもっと良い所で生きていくべきです。僕はそう思います」
ライナー君は当然のように「もっと良い所」があると言った。
私が世界の頂点だと思っていた場所よりも上があるらしい。
しかし、私はそれを認めたくなかった。
『栄光』と『英雄』のために生きてきたのだ。ここで諦めては報われない。
子どもみたいでは駄目なのだ。――私は大人になったのだから。
そう私が自問自答していると、ライナー君はグレン・ウォーカーと似た表情で私へ語る。
「……ローウェンさんがどこの誰かは聞きません。複雑な事情があるのも察しています。けれど、この時代の、この国の『英雄』に相応しくないのは間違いないです。利用され、使い潰されるのがオチですよ?」
「そんな、ことはない……。私は『英雄』になる。『英雄』にならなくてはいけないんだ……」
私は逃げるように席を立った。
慌てて、ライナー君も後ろへついてくる。
たとえ、ライナー君やグレン・ウォーカーの言うとおりだとしても、一度は確かめないといけない。そうしなければ、私の人生が何だったのかわからなくなる。
私は戦場でたくさんの人を殺した。
ここで道を変えてしまえば、私に殺されていた人たちに顔向けできなくなる。敵だったとしても、「あなたたちの死は無駄だった」なんて口が裂けても言いたくない。
私の望みが間違いだったなんて、絶対に言えない……。
だから、私は『英雄』になる。
カナミを決勝で倒す必要がある。
グレン・ウォーカーにも――、誰にも負けられない。
そして、午後の試合が始まる。
南エリア3回戦。
『無名の剣士』と『最強の英雄』の試合だ。
◆◆◆◆◆
五月雨が如く、刃が空を舞う。
短刀の白い刃が太陽光を反射し、闘技場内を星空のように輝かせる。
グレン・ウォーカーの武器は複数の短刀だった。
しかし、ただの短刀ではない。鎖、紐、糸などを柄に付けることで、投げた短刀を自在に操る。彼は複数の短刀を舞わせ、私の剣技に対抗した。
私の時代にはなかった戦闘法だ。
なにより、グレン・ウォーカーは短刀だけに頼っていないというのが大きい。地属性の基本魔法を絡ませ、石つぶてや微震で私の体勢を崩す。
探索者の使う煙幕や火炎瓶、それに多種多様の魔法道具をも器用に使う
その幅広い戦術に、私は押されていた。
スキル『感応』があるとはいえ、こうも連続で初見の攻撃をされては無傷でいられない。
戦いは長時間に及ぶ。
今までは数分で終わらせてきた『舞闘大会』の試合だが、グレン・ウォーカーとの試合は半刻に届きそうだった。
それだけ彼の引き出しは多いというのもあるが、私自身もっと彼と戦っていたいという気持ちが強かった。試合前の期待とは異なり、想像以上に楽しめている。
私は興奮のままに、戦いながらグレン・ウォーカーに話しかける。
「ふふっ。勝てないとかいいながら、本気だな! グレン・ウォーカー!」
「そりゃそうだよ。できれば勝ちたい。理想は、僕が決勝でカナミに負けることだからね!」
グレン・ウォーカーも笑いながら軽口を叩き返す。
「それはさせない! カナミと戦うのは私だァア!!」
私は剣を奔らせる。
四方八方から襲ってくる短剣を切り払い、私はグレン・ウォーカーに剣を振るう。
しかし、その一閃を、まるで予期していたかのように彼は避ける。
代わりに、彼のゆったりとした袖から短剣が飛び出し、私の喉元に襲い掛かる。
私は飛び道具を弾きながら前進する。
「勘が良すぎる! やりづらい男だ!」
最上級の褒め言葉を叫びながら、スキル『感応』を全開にする。
しかし、世界の『理』を感じる力を使っても、グレン・ウォーカーの攻め手を読みきれない。
グレン・ウォーカーは何度も私の思考の裏を突き、必殺の間合いを外し続ける。
一度なら偶然だと言える。けれど、もう何十回も続いてる以上、彼にはそういう類の能力を持っていると判断するしかない。
「いや、『感応』を超える力ということは――!」
それはグレン・ウォーカーの能力も、『理』を抜けかけているということだった。
『ステータス』でも現せない領域へ、彼は一歩踏み込んでいる。
私と同じ方法で至ったのならば、彼も妄執にも似た願いをもって鍛錬に没頭したのだろう。
世界が与える苦難に耐え続け、グレン・ウォーカーも到達してしまったのなら、妙な親近感を抱いてしまう。自然と私の頬がほころぶ。
流石は全国の猛者の集まると言われる『舞闘大会』だ。
ライナー君に続き、もう一人。届きそうな人間を見つけてしまった。
「なるほどっ、『最強』と呼ばれるだけの理由はある! グレン・ウォーカー!!」
半刻も経ちながら、私はグレン・ウォーカーを詰めきれない。
その事実を前にして、グレン・ウォーカーは全力を尽くすに値する敵だと認定する。
秘奥中の秘奥を使わなければ、彼には届かないだろう。
それが私には嬉しかった。
試合前の一件のせいで、この試合への期待は薄かった。しかし、試合が始まってみれば、半刻も詰めきれない私がいる。
長い戦いは、私の気分を限界まで高揚させていた。
私は嬉々として、詠唱を唱える。
「――『私は世界を置いていく』!」
高揚感のままに唱える詠唱は隙だらけだった。
グレン・ウォーカーの短剣が私の四肢を貫く。
言い訳しようもない油断の負傷だ。詠唱は前半で中断されてしまう。
けれど、私はお構いなしに前へと進む。詠唱の前半部分だけでも、効果は発揮するからだ。
私は『理』を抜けかけた剣を携えて、グレン・ウォーカーへと肉薄する。
私の修練とグレン・ウォーカーの修練、どちらが上なのか。純粋に試してみたかった。
――しかし、それは叶わない。
グレン・ウォーカーは大きく口を開けて驚く。
「なっ!? あ、あなたは――!?」
そして、手に持った短刀まで落としてしまう。まるで亡霊に出会ったかのような表情だ。
私はグレン・ウォーカーの視線の先を確認する。
短剣の刺さった傷口が水晶化しかけていた。血が凍っていくかのように、透明の水晶へと変じている。
そのモンスター化を見て、彼は震える。
闇を恐れる子どものように、顔を青くして動きを止めてしまう。
グレン・ウォーカーは完全に硬直していた。
しかし、その無防備な身体に私の剣は吸い込まれていく。勢いをつけすぎて止まれない。このままでは、最も望まぬ形でグレン・ウォーカーが死んでしまう。
私は高揚した感情を抑えつけ、全身の筋肉を収縮させて剣を止めようとする。
――が、完全に剣を静止させることはできなかった。
ぴしゃっと鮮血が地面に打ちつけられる。
何とか致命傷は避けることはできた。けれど、グレン・ウォーカーの胴体は斜めに斬られ、彼は膝をつく。
「ど、どうしたんだ……! グレン・ウォーカー!?」
私はグレン・ウォーカーの隙の理由を問う。
けれど、彼は私の問いを無視して、傷口の水晶を見続けながら呟く。
「あぁ、そうか……。そういうことだったのか……。あなたは……――」
私は我に返り、傷口の水晶化を止めた。
観客は水晶化に気づくことはできなかっただろう。
しかし、至近距離で戦っていたグレン・ウォーカーは私がモンスターであることを見破ってしまった。
スキル『感応』が確信させる。私がモンスターであるということが、グレン・ウォーカーの戦意を失わせたのだ。
おそらく、彼は私が守護者であることにも気づいているだろう。それだけの知識と経験が彼にはあるはずだ。
「は、はははっ、嫌なことを思い出しちゃったな……」
グレン・ウォーカーは唐突に笑い出した。
私という守護者と出会い、彼は過去を懐かしみながら笑い続ける。
しかし、その笑みは悲愴で満ちていた。
「また僕は守護者に負けるのか……。あの日と同じだ……。何もかもが変わってしまった、あの日と……。あの日までは、みんなで世界を駆け回って、迷宮を探索して、とても楽しかった。楽しかったはずだったなのに、それすらもう何も思い出せない……。ははっ、あははははっ……」
グレン・ウォーカーは笑いながら、尋常でないほど震えていた。
おそらく、彼にとって守護者の存在は耐え難いトラウマなのだろう。
独白が私に全ての事情を理解させた。
彼は『最強』の『英雄』として、迷宮の守護者と戦った経験がある。そのとき、モンスター相手の戦闘が不可能になるほどのトラウマを植えつけられてしまった。
ゆえに、私が守護者であるとわかった瞬間、身体が動かなくなったのだろう。
私は納得のできない決着に歯噛みする。
しかし、負けたグレン・ウォーカーは納得していた。
「僕の負けだね……」
「ち、違う……! あなたは負けていない……!」
「いいや、最初から勝てるわけがなかったんだ。僕は『人造の英雄』だから……。あなたに勝てるのは一人しかいない……」
「一人……」
名前を出されずとも、私はその「一人」の名がわかった。
グレン・ウォーカーは私を置いて、独白し続ける。
「僕は空っぽの英雄だ……。何をしたかったのか、何のために戦っていたのかも、もうわからない。残ったのは呪いのような重荷だけ。大貴族ウォーカー家のために生きるグレン・ウォーカーという奴隷。――ローウェン、『栄光』を得るとはそういうことなんだ」
自身の敗北の理由と共に、彼は私へ『栄光』の正体を伝えようとする。
この時代で最も『栄光』を浴びたであろう人物の言葉を、私は黙って聞く。
「『英雄』になれば、誰も裏切れなくなる。子どもたちの無垢な笑顔が、僕を責め立てているかのようにしか見えなくなる。僕が逃げ出すことで多くの笑顔が失われるとわかってしまえば、もうお仕舞いだ。――自由のない檻の中で、死ぬまで使い潰されるしかない」
その独白は他人事のように聞こえなかった。
彼の言った苦しみは、生前の私も心の隅で感じていた。
その苦しみが嫌だったから、私は『英雄』を目指していた。けれど、目の前の男は『英雄』になっても同じだと言う。
「――だけど、幸いなことに、僕には家族であり戦友であるスノウさんがいてくれた。それだけが僕の希望なんだ」
私と同じ苦しみを抱えながらも、グレン・ウォーカーは微笑んだ。
彼は私にないものを持っていた。その大切なもののために、誇りを持って戦っていることが見て取れた。
ゆえに彼は自分の願いを見失わない。どんな最期を迎えようと、きっと未練はない。
心の底から羨ましく思う。
私には家族と言葉を交わしたことすらない。もちろん、戦友どころか、友人もいなかった。
「スノウさんだけにはささやかな幸福の中を生きて欲しい。兄と約束したんだ。……だから、この『称号』をしっかりと決勝まで持っていって欲しい。『彼』に『最強』を渡してくれ。それで僕たちの望みが叶うかもしれないんだ」
グレン・ウォーカーが眩しく見えた。
彼は地獄に居ようとも、私のように狂っていない。
大切な人のささやかな幸福。それだけあれば、彼は満足なのだろう。それ自体が彼にとってのささやかな幸福となっているのだ。
私は自分よりも強い男を前に敬意を表す。そして、剣を正眼に構えて誓う。
「決勝まで残るとは誓おう……。しかし、カナミに称号を渡すとまでは約束できない。私は『舞闘大会』を優勝するつもりでいる」
「それでいい……。あとはカナミ君次第だ……。スノウさんは彼に救われたがっている。僕はその手伝いを限界までするだけさ」
グレン・ウォーカーは頷き、ゆっくりと私から離れていく。そして、試合の司会へ降参の意思を伝えた。
観客席が沸く。
『最強の英雄』グレン・ウォーカーの敗北は、全ての観客の期待を裏切った。それは良い意味でも悪い意味でも、会場内を白熱させる。
そして、新たに現れた『英雄』である私の名が会場内へ響き渡る。
新たな『英雄』ローウェン、と。
ずっと求めていた歓声だ。しかし、私の頭の中に入ってこない。
見事、『無名の剣士』は『最強の英雄』を打ち倒したが、まるで勝った気がしない。ただ、教わっただけだ。
私は闘技場から去っていくグレン・ウォーカーの背中から目を離すことができなかった。
歓声に応えるよりも先に、多くのことを考えざる得なかった。
この時代の『英雄』を私は見送る。
おそらく、あと少しで私は『英雄』に至る。その果てであるグレン・ウォーカーの言葉を反芻し続ける。そして、自問自答を繰り返す。
私が本当に望むものを見つけるために――。
そして、『舞闘大会』の3試合目を終え、3日目へと向かう。
次の対戦相手も『英雄』。
末裔、『剣聖』フェンリル・アレイスとの試合の日だ。