スノウの夢の終わり(三章までのネタバレあり)
※三章までのネタバレがありますのでご注意ください。
もしも、あの時――舞踏会の日。
カナミが私を受け入れ、共に生きることを選んでいれば――
そうしていれば、私は夢のような世界で、ずっと――
◆◆◆◆◆
いつから続き、どこまでも続くのかもわからない温もりの中に私はいた。
そこで私はまどろみと一緒に溶け合っていた。
しかし、いつまでもそこへは居られない。
私の名を呼ぶ声が聞こえる。
そして、シャっと鋭い音が鳴り、もっと暖かな温もりを頬に感じる。
私は重たい瞼を、薄っすらと開けた。
朝日が横になっていた私を照らしていた。
窓の外から見える空は青く、白い光で輝いている。
先ほどの鋭い音はカーテンを開ける音だった。
そして、そのカーテンを開けたのは私の夫だ
黒い髪に黒い目、少し頼りないけれど柔和な顔つきが愛おしい人。
私の英雄、カナミだ。
まだベッドから起き上がろうともしない私を見て、カナミは肩をすくませる。
「スノウ、起きてくれ。今日は義母様たちに挨拶しに行くんだぞ。早く準備しないと……」
「……んー、やだ。今日は寝る。寝るの」
起きようと思えば起きられる。
けれど、私はベッドから出ない。
「いいから、ほら」
カナミは呆れながら、私を腕に抱える。
「……えへへ。いいね、楽ちん。今日から毎日、これでギルドへ行こ?」
「サブマスターをお姫様抱っこして登場するギルドマスターとか……、僕が独り身だったら憤慨して脱退するな……」
その後、カナミに服の着替えと出かける準備を手伝ってもらい、私は抱えられたまま部屋を出る。
私が駄々をこねれば、優しいカナミは呆れながらも最後には甘やかしてくれる。
『エピックシーカー』本拠内を私たちが歩いてくると、向かいから盲目の少女が現れる。
少女は私たちの気配を察知して、小言を言う。
「兄さん……。またスノウ義姉さんを甘やかしてますね……」
「いや、こうしないと、いつまでも部屋から出てこないんだよ。こいつ」
カナミは言い訳するように答える。
少女マリアはカナミの妹であり、私の義妹だ。少しばかりブラコンの気があるためか、ことあるごとに私へ小言を繰り返す。
「兄さんが甘やかすから、そうなるんです」
「そうなのかな……。だとしたら、悪いのは僕だね。ごめん」
「そこで自分で謝るところが兄さんの悪いところです。ほら、スノウさん、立って。自分の足で歩いてください」
マリアちゃんはぐいぐいと私の服のすそを引っ張る。
仕方なく、私はカナミの腕の中から降りる。
「うん。ほら、立ったよ。だから、マリアちゃん、怒らないで?」
「別に怒ってません。ただ、サブマスターとして最低限の礼節は保って欲しいだけです」
これでも私とマリアちゃんの関係は良好だ。
身内以外に対しての場合、マリアちゃんはもっと厳しい。何より、彼女は私のためを思って言ってくれているのは間違いない。それがわかっているからこそ、私はマリアちゃんの言うことだけは聞く。
義理だとしても、姉妹としてやっていけていると思う。
勝手に私の身だしなみを整え始めるマリアちゃんに、カナミは口を出す。
「マリア、時間はいいのか? 今日も誘いがあったんだろ?」
「う……、そうでした。こんなことをしている場合じゃありません。急いで行ってきますね」
マリアちゃんは引く手数多の火炎魔法の専門家だ。
盲目というハンデをものともせずに、あらゆる状況に対応できる探索者として成長した。その火炎魔法の数々は、迷宮探索から雑事まで、広範囲で役に立っている。
慌てた様子でマリアちゃんは、私たちから離れていく。
そして、手を振りながら、最後に言い残す。
「それじゃあ、行ってきます。兄さん、私の見ていないところで義姉さんを甘やかさないでくださいよ」
「善処するよ」
私はマリアちゃんに手を振り返して見送る。
私とカナミは顔を見合わせて笑いあったあと、朝食を摂りに行く。二人で作ったサンドイッチをカナミの部屋で食べ合う。
カナミと一緒というだけで心が落ち着く。
かつて、独り無言で食べていた頃と比べれば、天と地の差だ。たとえ、この場に誰が入ってこようと、カナミがいれば安心だ。
それが嬉しくて堪らない。
私のその気持ちを言葉に変えていく。
「カナミ。あーん、して」
「はあ、仕方がないな……」
恥ずかしそうにしながらも、カナミは渋々とやってくれる。
「えへへ……!」
幸福が絶頂に達し、私は満面の笑顔になる。
そして、私は幸福の中、ある言葉を言おうと思った。
その言葉を、勇気のない私は言えなかった。
ずっと気付かない振りをして、遠回りをしてきた。
けれど、今なら確信を持って言える。
「――カナミ、大好き。大好きだよ」
「な、なんだよ、いきなり……」
突然の告白にカナミはうろたえる。
「今、言わないといけないって……。なんとなく、そう想ったんだ……」
私は真剣な顔で、カナミに言う。
たとえ、この世界が夢の中だとしても私は伝えないといけない。
「よく考えたら私、カナミにちゃんと「愛してる」って言ったことがなかったと思ったんだ」
「……そうだな。そういえばそうだ」
私たちの結婚は決まり、夫婦同然の生活を送りながらも、「愛してる」という言葉はなかった。
それは私の弱さの証であり、ここが造られた幸せの世界である証だ。
私は震える体の底から、本心を吐き出す。
「うん……。私はカナミが好きだったんだ……。きっと、出会ったときから一目惚れだったんだ。フランをモンスターから颯爽と助ける姿を見て、私はカナミを好きになったんだ。ようやく、気付けた――」
そして、本気の告白をする。
「――私はカナミを愛してる」
けれど、その告白に意味はない。
もう何もかもが手遅れだから。
それでもカナミは笑って応えてくれる。
「僕もだよ……」
偽りだけの世界で、カナミは頷いてくれた。
それが嬉しくて悲しくて、涙が一粒零れる。
「気づけてよかった……。ほんとに、よかった……」
私は幸せの味を噛み締めながら、言葉を繰り返す。
涙を零した私を心配して、カナミが手を伸ばそうとする。
しかし、それは扉を開けるけたたましい音によって邪魔されてしまう。
「やあ、カナミ君! 君の最愛の兄、グレンだよ!」
愚兄グレン・ウォーカーが、いつもどおり、間の悪いタイミングで入ってくる。
私は涙を拭いて、グレン兄さんに悟られぬようにする。
「いやぁ、ようやく、二人の結婚がウォーカー家に認められて、少し興奮しちゃってね。今日はこの僕がウォーカー家までの案内を務めるよ!」
能天気な兄さんは、私たちの作ったサンドイッチをつまみ食いする。
そして、新しい弟であるカナミの横で、楽しそうに今日の予定を詳しく聞き始める。兄さんはカナミのことを気に入っている。隙あらばべたべたと過剰なスキンシップをするくらい気に入っている。
正直、少し邪魔だ。
カナミのほうは苦笑いを浮かべたままだ。
そんなに長い付き合いでもないのに、どうしてこんなに好かれているのか不思議なようだ。
義兄という立場である兄さんに、懇切丁寧に説明している。
「――で、『エピックシーカー』で挨拶をしたあと、ウォーカー家へ行くつもりです」
「なるほど。わかったよ! それじゃあ、今日は丸一日、君たちの手伝いをするよ! たまたま、今日は暇なんだ!」
「ありがとうございます……」
絶対に嘘だ。
結婚が決まってから兄さんは、ことあるごとに休みを作ってカナミと行動を共にしようとする。今回も前もってスケジュールを調整したのだろう。
「よーし、何もかも順調だ。『舞闘大会』では僕を打ち倒しての優勝で、今や、カナミ君は連合国の英雄だ。ギルドマスターとしても有名になって、ウォーカー家にも認められた。婚約者はカナミ君一人に絞られ、あとは結婚式を待つばかり! ――あっ、子供はまだなのかい!?」
「こ、子どもって、何言ってるんですか! まだですよ!」
カナミは顔を赤くして否定する。
「子供か。たくさん欲しいな……」
たまにはいいことを言うと思いつつ、私は兄さんの発言に乗っかる。
隣ではカナミが妙に照れていた。相変わらず、私の英雄は変なところでストップがかかる。
その間も兄さんは調子に乗る。
「ふふふ、気にすることはないよ。たくさん作ってくれていい。私とカナミ君がいればウォーカー家の乗っ取りも夢じゃない。そして、君たちの子供は次代のウォーカー家当主となるんだ!」
調子に乗りすぎだった。
抑圧された生活が長かったせいか、カナミの前だと兄さんのテンションがおかしい。
「グレンさん、そんな野心はいりませんからね」
カナミは子どもの話になると、少しだけ真剣になる。
それを見た兄さんは、すぐに日和る。
「あ、ああっ、言ってみただけだよ? 気を悪くしたなら謝るよ。怒ってる? 怒ってないよね?」
「ただ平和で、幸せであれば、僕たちはそれでいいんです。それ以上は望んだらいけないって、僕たちは気付いたから……」
「そうだね、カナミ」
私たちはここから出るつもりはない。
この優しい偽りの世界で幸せになると決めたのだ。だから、これ以上の戦いは必要ない。
そこへ、更なる闖入者たちが小さく拍手をしながら窓から入ってくる。
「――その通りだ、カナミにスノウ君。人はささやかな幸福だけで生きていける。過度な願いは身を滅ぼすだけだ」
「お兄ちゃん、お祝いにきたよっ!」
器用に外側から窓を開け、ローウェンとリーパーがダイナミックに入室してくる。
いつまで経っても、この二人は窓を出入り口として使うのを止めない。
カナミは親友の登場に顔を明るくする。
「ローウェン、リーパー! 『エピックシーカー』のほうはいいのか?」
今、二人は正式に『エピックシーカー』の一員となっている。私たちの抜けた穴を埋めようと、二人とも懸命になって働いてくれている。
「ああ、今日はカナミたちの大事な日と聞いて、グレンさんと同じく予定を空けた。後方で控えさせてもらうよ」
「アタシの魔法で邪魔者がいないか、見張ってるね。あと、ウォーカー家のおばちゃんがごちゃごちゃ言ってきたら、アタシが乗り込むよ! 安心してね、スノウお姉ちゃん!」
「未だ、カナミたちに敵は多い。用心に越したことはないだろう?」
「アタシがいれば何もかも大丈夫だよー!」
私は腰へ突進してくる親友リーパーを受け止める。
そして、彼女の頭を撫でながらお礼を言う。心強い増援だ。
カナミもローウェンにお礼を言う。
その後、視線をずらして入り口のほうへと目を向けて言う。
「それで、テイリさんたちも同じなの?」
すると、入り口からテイリさんとヴォルザークさんが出てくる。どうやら、入るタイミングを窺っていた様だ。
「だ、だって、ウォーカー家に行って、うちのスノウが苛められないか心配で……」
「俺は違うぞ。マスターたちなら大丈夫だって信じてる。ただ、テイリのやつに引っ張られただけだ」
ヴォルザークさんはテイリさんに首根っこを掴まれて登場した。
大男の滑稽な姿に、全員が暖かく笑う。
誰もが皆、笑い合っていた。
私たち『エピックシーカー』は何もかも上手く行っていた。
とても幸せなことだ。
ひとしきり笑いあったあと、私は誰にも聞こえない小さな声で呟く。
「――……ああ、私は今、こんなにも幸せ」
なにより、安心できる。
ここにいる皆が私の味方だからだ。
そして、ここにいるカナミとローウェンは世界最高の戦力だ。もうどんな存在にも脅かされることはない。
「よかった……。やっと報われた、報われたよ……。ありがとう、みんな……」
ここにいるみんなだけではない。
今日まで生きてきて出会った全員へお礼を言う。
結局、誰にも報いることはできなかった。けれど、無駄にはならなかった。
ささやかなことはであるが、私にはとても大事なことだ。
そして、今でも一番尊敬している兄にお礼を言う。
「ウィルさん、あなたの言ってた通りだった。『本当の英雄』はいるんだ。みんなのための『英雄』じゃない、私のためのカナミこそが『本当の英雄』だったよ……」
彼の望む結末でないことは解っている。
けれど、ここが私の出した答えで、辿りついた世界だ。
私は報告する。
「私は見つけたよ……、ウィルさん……」
たとえ、いつか崩れ落ちる世界だとしても、これが私の願いの叶うところだと胸を張って言う。
視界がにじむ。
笑い合うみんなの姿を直視できない。
まるで夢のように、世界を曖昧に感じる。
どこか遠い世界。だけど、その世界に私は生きる。
その世界は嘘だらけ。
けれど、間違いなく、今の私は幸せだ。
幸せだ――
END




