4 夢のまた夢 父、秀吉
さきほどまでは、いささか激した勢いで喋っておられた上様が、静かで穏やかな表情になられている。
信長様は、どうやら、最も語られたかったことは、語り終えられたらしい。
秀吉は、そう思った。
頼み、が何なのかは、まだおっしゃられていないが。
「秀吉」
「は」
「儂のことばかり語ってしまったな。本能寺のこと、残念に思っておったし、色々と知りたいこともあったのでな。だが、今、この時期に、お前の前に、生身の体をもって現れたのだ。本当であれば、最初に言わねばならないことだった。」
信長は、居住まいを正した。
「秀吉、いや秀吉殿」
「は」
「お拾いのこと、残念であったな。」
その言葉を聴いた秀吉が、また涙にくれた。
「信長様、あの世がはっきりとあるということでございましたら、鶴松も、お拾いも、そちらに行ったのでございましょう。ふたりは、あの世で、大きくなり、少年となり、立派な若者に成長してくれるのでございましょうか」
信長は、何も答えなかった。
「分かりました。あなた様の今のお姿を拝見しても分かります。あの世では、死んだ、そのときのままの姿なのですね。であれば、ふたりは、あの世でも物心もつかないまま、それが
変わることはない」
「秀吉よ。あの世はひとつではない。儂が今いるあの世は、この世と濃密に関わっているあの世だ。
この世がどううつり変わっているか、見守ることもできるしな。儂は、今、自分がいるあの世が面白くて仕方ないのでな。別のあの世に行く気はない。
が、鶴松や、お拾いのように、物心もつかない年齢で、その生を終えた者は、あらためて、尊いお方が迎えにきて、別のあの世に導かれるそうだ。そこが、どのようなあの世なのかは、儂にも分からぬ。だが、ふたりは、そのあの世で、きっと救われているはずだ」
「そうなのですか」
上様は、儂をいたわって下さっている。
恐ろしい上様。時に、雷鳴のように癇癪を飛ばされた上様。
だが、信長様は、それと同時に、とてもお優しい方でもある。
いつか、寧々が、儂の浮気を訴えに、信長様に会いに行ったことがある。
そんなことをした寧々にも驚いたが、儂は、寧々に見せられた、信長様の、その時のことに関して、寧々に出された手紙にもっと驚いた。
歳を取っても益々美しい、と寧々の美貌を讃え、
そなたは、秀吉には過ぎた女房。そなたのような女房を持ちながら、浮気に走る秀吉は、仕方のないやつだ。
だが、そなたは正室なのだからどっしりと構えていろ、この返書は、秀吉にも見せろ、と。
最後に、ご丁寧に、天下布武の印を押し、この手紙が、公文書である、と示された。
あの手紙で、寧々は、上様にメロメロになってしもうた。
「秀吉よ、今からお前に残酷なことを言う」
「はっ」
「あのような幼さで、この世を去らねばならなかった鶴松と、お拾いのことは可哀想だと思う。が、このこと、お前にとっては、かえって幸いなことであったと思うぞ」
「何を、何を、おっしゃいます、信長様」
「お前は、身内に対する愛情が極めて強い男だ。母、姉、弟、その子たち、そしてお前の子飼いの郎党たち。
そのことは、悪いことではない。それがためにお前の身内は、お前を慕い、お前のために、その身をあげて忠節を尽くす。が、歳を取ってからできた我が子というのは、また格別のものなのだな。
鶴松に対して、そして、お拾いに対して、お前は、身内に対して広く注いでいたはずの愛情を、全てひとつに集めたかのような愛し方をしておった。それは、偏愛、盲執とでも表現したくなるような愛し方だった。
儂は、実は、鶴松が亡くなった時に、一度、今日あるように、生身の体を持ち、お前の前に現れようかと思った。だが、その時ではだめだったな。お前は、まだ諦めていなかった。自分にはまた子ができると、その望みを捨ててはいなかった」
その通りだ。
「だが、お拾いも死んだ。二度、同じことが起こった。これは天のお告げであろう、それともお前はまだ、望みを捨てぬか」
「いえ、もう十分でございます。儂は、子は持てぬ。それが定めと思い知りました。しかし、信長様、何故、それが、この秀吉にとって幸いなのでございましょう」
「もし、お拾いが、無事に育っていたら、お前は、もうお拾いしか見えなくなっていたであろう。お拾いへの偏愛により、お前は正常な思考のできない、無惨な年寄りになり、老醜を、さらしたであろうよ。それでは、お前に、儂の望みを託すことはできぬのでな」
今の、秀吉には、信長の言うことは、はっきりとは判断できなかった。だが、信長様は、正しいことをおっしゃておられるのであろう、今の悲しみが薄れた時、儂にもそれが分かるのであろう。
秀吉は、そう思った。
「信長様の頼みとは何なのでございましょう。今までのお話で、だいたいの見当はつきますが」
「ああ、察しはつくであろうな。儂の頼み、だが、それを言う前に、もうひとつだけ、お前に言わなければならないことがある」
「何でございましょう」
「あの世で、儂が何をしているか。それをお前に語ろう」
お読みいただきありがとうございます。
これまで、投稿してきた小説で、連載が完結となった当日に、PV が、100を超えたことはありましたが、そこそこの回数を重ねた連載小説でも、トータルのPV は、数百どまり。
それが、この「太閤秀吉」は、連載第一回と二回を投稿した昨日がPV 266。現時点で第三回を投稿しているだけの本日がPV 498
トータルで、既に、作者がこれまで投稿した小説の全てを超えました。
これは、私の小説が、というよりは、戦国ファンがそれだけ多いということなのだろうな、と思っております。
これまで投稿した小説に比べて、遊び感覚で、気楽な姿勢で書き始めたのですが、目の肥えた戦国ファンの方たちにも読み続けるに耐えるだけのものを書いていければ、とは思っております。
細かい時代考証も行ってはいませんし、あまり自信はないのですが。