3 神皇 信長
「猿」
「は」
「俺もあの世にいってから、色々と考えた。考える時間はたっぷりあるのでな。
お前や、光秀が思っているように、帝はたしかに、この国の根幹をなす存在だ。帝という中心があるからこそ、この国はいかに乱れても、とことんまで乱れ尽くすことはない。
それが、今の明に至るまで、易姓革命の国となっている中華とは、異なるところだ。
天下を取った源頼朝も、足利尊氏も、征夷大将軍。帝の臣下としての立場を超えることはしなかった。
藤原以来、帝を上一人として、崇め奉り、実際の政治は、その時代、時代に応じて権力を握った臣下が行う。
それが、この国の形。この日の本の歴史だ。
だがな、それが通用するのは、この国の中だけでのことだ。そのような、権威と権力が並立したような形では、世界にうってでることはできぬ。ただひとりの男が、絶対的な権威と権力を併せ持つ。そうする必要があったのだ」
「上様は、やはり、この日の本を統一したあと、この国を超えて、世界にうってでるおつもりだったのてですか」
「ああ、そうした」
可能だったのだろうか。
秀吉は、思った。
この方が本能寺の変で、その生命を終えられたのは、49歳のとき、その時点で、この方は、まだ、この日の本の中枢部を治めていただけ。関東以北と、中国以西は、まだ領土となっていなかった。
「猿、お前が、今、何を考えているかは、分かる。だがな、猿。儂が死んだとき、お前は、儂の領土をそのまま受け継いだ訳ではない。
光秀だけではない。勝家もいたし、儂の息子、信雄と信孝もいた。
その中でお前は勝ち抜き、十年経つか経たないかの内に、この日の本を統一した。
そう、ひとたび、他に抜きん出た力を持てばあとは早い。お前が十年でやったことだ。
この俺なら五年でやっただろう。この日の本の統一を。
関東は滝川。
北陸は柴田。
東海は徳川。
四国は、信孝と丹羽。
そして、中国を傘下に収めたあと、九州は明智。
儂の号令のもと、全てを同時に征伐するつもりだったしな。」
そのとき、儂はどう使われたのだろう、秀吉は、ふと思った。
「日の本を統一したとき、儂は五十の半ば。
それから、まだ二十年は生きたろう。
明、天竺、そして、この日の本の南に広がる海の果てにある国々、そこら辺りまでは、領土とできたろうな。
そして、我が領土では、自由に商いを行わせる。
お前と違って、耶蘇の教えを禁じるつもりもない。
この世界の全てを取り込む。そういう国を作るつもりだった。」
この方は、やはり、そのようなことまで考えておられたのか。
「秀吉よ、分かるか。儂は、この日の本の歴史の中で、唯一無二、ただひとりの男だった。
俺より前に、俺と同じようなことを考えた奴はいなかった。これからも、この日の本に、そういう人物は現れないだろう。
分かるか、秀吉。お前と光秀は、この日の本が生んだであろう、ただひとりの世界史的な英雄を、その業半ばにして倒したのだぞ」
秀吉は、頭を下げた。何も言えなかった。
信長も、もう何も語ろうとはしない。
しばらく、時が経過した。
沈黙に耐えられず、秀吉は、ふと思ったことを口にした。
「上様は、朝廷よりの、関白、太政大臣、征夷大将軍、いずれでも、とのお言葉をお受けにはならなかった。臣下ではなく、やはり帝を廃され、ご自身が帝となられるおつもりだったのですか」
「帝は、この日の本における、古くからの伝統の体現者として、それなりに遇するつもりだった。ただ、天皇という称号を、そのままにするつもりはなかったな。大君という称号を考えておった。」
「では、おん自らが天皇に」
「既存の称号を名乗るつもりはなかった。
あの中華を初めて統一した贏政が、それまでの王を超えた存在として、皇帝という称号を名乗ったようにな。
天皇は、大海人皇子が、創った称号だ。それ以来、どれだけ多くの天皇がいることか。そういう称号を名乗るつもりはなかった。」
「大海人皇子、おお天武天皇ですな。天智天皇の弟君」
「実際は、弟ではないがな。大海人。いくさと、まつりごと。そのふたつの才を持つという点では、この儂以外では、大海人が一番であろう。もっとも、この日の本の中だけでの英雄でしかない、という点では同じだがな」
「では、上様は、どのような称号を名乗られるおつもりだったのですか」
「うむ、いざ考えてみると、天皇というのは、字面をみれば、天の皇帝。あの中華の皇帝をも超えるような称号だ。この島国のみの王にしては、なかなかに凄い、分を超えた称号だ。これ以上の称号を考えることは、難しかったがな。」
「・・・」
「「神皇」。神の皇帝だ。生きながらにして神となった男には、これ以外の称号はあるまい」