どさくさに紛れて
彼らの激闘を全くもって見ることの叶わなかったミュールは、二人を交互に見回して、言葉をかけようとしました。
「あ、あの、もうおわ、」
「グフッ!」
前触れもなく、勇者の体中に痣が浮かび、彼はうめき声を一つ上げます。
そして、膝から崩れ落ち、口より血を吐き出しました。
慌ててミュールは彼へ声を掛けます。
「ゆ、勇者さんっ? アスカさん、これはっ?」
「ふむ。こやつの傍を通り抜けるときにの、ぼっこぼっこに殴ってやったのじゃ」
「ぼこぼこって……」
「まぁ、軽めのを数十発くらいかの? それでも並みの者なら命を失っておるが……さすが勇者じゃ。死んでおらぬ」
「死んでって。勇者さん大丈夫ですか?」
勇者は膝を折り、剣を地に突き刺し、辛うじて地面に伏せることを拒否します。
ミュールは彼の前に回りました。
か細い呼吸を漏らし、小さく上下する彼の姿を見て、ミュールは絶句します。
「そんな……」
彼は口元から血を流し、露出された肌の部分には、アスカの小さな拳の跡が大量についていました。
それらは全て紫に変色し、皮膚の内側に血を産んでいます。
おそらく、服の中も彼女の凄烈な拳の跡がついていることでしょう。
ボロボロの勇者の姿を見て、ミュールはちょっとだけ後悔します。
「申し訳ありません。まさか、アスカさんがここまで強いとは……勇者さんに無茶をさせてしまいました」
「い、いや、お気になさらぬともよい。この戦いは何も君のためだけではない。私自身がアスカ殿の強さを見たかったのだ」
「勇者さん……」
「はは、戦士とは阿呆ばかりだからな。だから、ミュール殿が気に病む必要はない」
「そう、ですか……ふふ、勇者さんは優しい方ですね」
ミュールはポーチよりハンカチを取り出して、彼の口元の血を拭います。
その行為に勇者はすぐさま背を仰け反らせました。
「それはいかぬ。綺麗なハンカチを私の血で汚してしまうとは」
「大丈夫ですよ、別に。私は日常的に血を扱っていて、いつも血に塗れてますから」
「それは……?」
「とにかく、傷を癒さないと」
「いや、これしき。私は勇者。勇者の血が回復力を高め、力を増幅し、すぐに傷など癒えてしまいますから」
「力を増幅、勇者の血……」
ミュールの瞳がキラリと輝きました。
彼女はポーチより、治療用の道具と……注射器を取り出します。
「だめですよ。すぐに治療しましょう。腕を出してください」
「し、しかし」
「勇者さん!」
ミュールに強く睨みつけられ、勇者は小さな戸惑いを見せながらも腕を前に出した。
彼女は彼の腕を握り、静脈を確認して、ぷすりと注射器を突き刺し、血を抜き取ります。
「あちらこちらに傷があって、普通の治療では追いつきませんね。よろしければ、我が家のお風呂を利用してください」
「風呂?」
「はい。私の家にはお風呂があります。錬金術士の誇る薬湯ですので、傷にとても良く、治りが早いと思います。そこに勇者さんの回復力と合わされば、あっという間に元気です」
「だが、女性宅の風呂に男の私が……」
「そんなこと気にしませんから。それに、清潔にしておかないと黴菌が入っては大変です。これは薬を扱う、治療を重きとする錬金術士の私からのお願いです」
「ミュール殿……そうまで言われては断る術がない。相伴与ろう」
「ええ、どうぞ。お風呂は家に入って、廊下をまっすぐ行ったところにあります。あの、一人で歩けますか?」
「ん? ああ、大丈夫だが」
「私はこれからちょっと用事がありまして、申し訳ありませんが」
「はは、そうであるか。大丈夫だ、気にする必要はない」
「すみません、では……」
ミュールは一度も使わなかった治療用の道具をテキパキとポーチに納め終えると、注射器を大事そうに両手で抱えて、そそくさと家に戻っていきました。
その注射器を目にして、勇者は疑問に思います。
「そういえば、私はなぜ、血を抜かれたのだ?」
一連のやり取りを横で見ていたアスカは、ミュールの後姿に戦慄を覚えます。
(あやつ、どさくさに紛れて勇者の血を抜き取りおった。なんちゅー、女じゃ……)
彼女は視線を勇者へ戻します。
(じゃが、風呂とはの……ちょっと、面白くなりそうじゃの。くひひひひ)




