ぐーたらな龍少女
――地球
かつてはこの星にも、多くの神や精霊や龍と呼ばれる存在がいました。
しかし、神話の時は過ぎ去り、彼らは人を置いて、地球より何処かへ消え去った……はずなのですが、どういうわけか一匹の龍が地球に残り、今も日本で過ごしています。
それはもう、ゴロゴロと……。
「ふふ~ん、そろそろ鍋ができあがるのぉ」
幼い顔立ちに全く似合わない老人のような口調を漏らし、茶色のブランケットにくるまった少女が鍋の前で体を左右に振っています。
彼女がいる場所は、築四十年を超える木造のボロアパートの二階。
その四畳半一間の一室で少女は温かいぬくぬくこたつに。
こたつの上にはネット通販で購入した低価格カセットコンロ。
コンロの上には土鍋。
少女は箸を片手に握りしめて、鍋が煮え立つのを今か今かとじゅるりと待つ。
「あと少しじゃの~」
完成間近の鍋を、少女は黄金の瞳をきらりと輝かせじっと見つめます。
その瞳の端に鏡が映ります。
少女は鏡に映る自分の姿を見て、ニコリと微笑む。
「ふふ~ん、ワシは可愛いのぉ。まぁ、そういう姿を取っておるだけじゃが」
絹糸のように艶やかで美しい桃色の髪を手ですくい、さらりと流す。
髪の隙間からは、ヤギのようなくるんと巻いた角が飛び出しています。
「しっとりとした髪に艶々の白い肌。十一歳固定の少女の姿。どこからどう見ても、幾星霜を重ねた龍には見えまい。我ながらマニアックな姿なのじゃ」
少女の正体は、人の時間では語ることのできない太古より存在する龍。
ですが、今は日本の片隅で少女の姿をとり、鍋をつつこうとしている。
「どれ、もうええじゃろ」
鍋の蓋をぱかっと開ける。
湯気が立ち上り、昆布出汁の美味しそうな匂いが部屋を満たしていく。
お鍋の中には骨付き鶏肉をメインに、豆腐、しらたき、白菜、キノコ類が仲良くぐつぐつと煮込まれています。
「鍋と言えば水炊きじゃの。水炊きは素晴らしい。ここから色んな鍋に変化するからのぉ。次の日は醤油を足して、次の日は味噌を足して、次の日は豚骨味にして、最後はカレー鍋になる。野菜や肉の出汁がたっぷり出て、実に美味い! まぁ、この鍋は、あとで味噌汁にする予定じゃが」
少女は小皿と箸を手に取り、いざ鍋に向かいます。
「さて、ポン酢でいただくか。もちろん、肉から。ポン酢につけて……ホフホフ、もぐもぐ、美味い! 特に鳥皮の部分がたまらないのじゃっ。さてと、お次はエノキをいっとくか」
少女は肉、その他、肉、その他の順番で鍋をつついてく。
時折、ぬる燗を挟んで口と胃に軽い刺激と清涼感を与えます。
「うむ~、満足なのじゃ。この満腹感と酒の刺激は、人間の姿ならではの感覚じゃのぉ」
少女の見た目は十一歳ですが、肉体は人っぽいだけ。
中身もババアなので、飲酒に問題はありません。
「へっくしゅん。うぬ? 何やら悪意じみた波動を感じたが……気のせいか。風邪かの? 火力マックスで、部屋は暖かいんじゃが」
そう言いながら、窓の傍にある石油ストーブに目をやります。
古めかしいストーブの上にはヤカン。中にはたっぷりのお湯が満たされています。
「石油ストーブは着け始めと終わりが灯油クサいのが難点じゃが、色んなことが同時にできる優れモノじゃ。加湿ができる。餅も焼けるし、干し芋も焼ける。アルミで巻いた芋を置けば、焼き芋、じゃがバターと作れてしまう。中にはみかんを焼く輩もおるらしいが、ワシは冷たい方が好きじゃ」
少女はぱたりと倒れ、ぐぐぐっと背を伸ばして頭の上にある段ボールに手を伸ばそうとします。
「あとちょっと、クッ、ミカンの箱に……ぷぎぃぃぃっ、こたつからは出たくないのじゃ~」
指先を掛けて、ミカンの箱を倒す。
ころころと転がり出てくるミカンたち。
その中で二つを手に持ち、こたつへ体を引っ込ませていきます。
「ふっふっふ、食後のデザート。いや、スイーツか。お嬢様の気分じゃな。冬に冷たいものを遠慮なく食べる。これは大変な贅沢なのじゃ」
ミカンの皮を丁寧に剥いていき、白い繊維をちょっと取って、一粒パクリ。
「うう~ん、甘酸っぱくて冷たくて最高なのじゃ。こたつで食べるミカン。日本人でよかった~……北米出身の龍じゃがの」
少女の名はケツァルコアトル。
北米に伝わるアステカ神話において、文化・農耕・風の神。
さらには太陽の神だったり、水の神だったり、金星の神だったりします。
何だかよくわからない存在です。
なぜ、そのような妙ちくりんな存在が日本にいるかというと……。
「テスカトリポカのせいで行く当てもなく彷徨っておったが、この国の神がいい加減……もとい、寛容でよかった。おかげでゆっくりと休める場所ができたわい」
北米の龍は、同じアステカの神なる存在に追われ、日本に流れ着いたというわけです。
食事を終えて、少女はぱたんと横になります。
「ああ~、だめなのじゃ~。腹を満たしても力が湧かぬ。千年は粘ったが、いよいよをもって、地球から離れなければならぬのぉ」
神話の存在は地球を去った。その大きな理由は、彼らの力の源となるモノの枯渇。
称するなら、魔力・霊力・気――そういったもの。
地球からそれらの力が消え失せ、神や龍などは存在できなくなってしまいました。
このまま力の源のない地球にいては、少女は死んでしまいます。
「しかしのぉ、離れたくない……せっかく、ネットが普及して家から一歩も出ずによい時代が来たというのに……」
少女はどうしようもなく、ぐーたらです。
コロンと寝返りを打って、力なく前を見つめる。
見つめた先にあるのは最新のゲーム機本体。
「あ~、追ってるシリーズもあるしのぉ。シリーズといえば水滸伝の続きはもう絶望的なんじゃろうか? 作る気がないなら版権とやらを他に売ってほしいのじゃ、〇ナミさん」
少女は起き上がり、あごをこたつの上に置いて、餅のように顔をだらしなく伸ばします。
「ま、ゲームにしろネットにしろ、他の星に渡ってもできるよう、龍の力でまるっと解決なのじゃ。ただ、Wifiだと次元の干渉で妨害されるからちょいときついか。そこはLANケーブルを伸ばせば大丈夫じゃろ」
少女が壁の隅をチラリと見ると、ぽっかりと穴が開きます。
穴は別の惑星へと通じるワームホール。
中は青白い光で満たされています。
少女は角の部分をそっと押さえます。
「ちょっと空間を弄るだけで、気分が悪くなるのぉ。知り合いの宇宙人に船で送ってもらうのも良いんじゃが、代金が地球全ての石油で高いしのぉ。それにしても、ここまで弱っておるとは。早めに引っ越すかの。じゃが……」
星のように輝く黄金の瞳で、部屋を見回す。
部屋には漫画や雑誌、ゲーム、段ボール、人形、アニメグッズなどが散乱しており、足の踏み場もないゴミ屋敷状態です。
「全部段ボールに入れて、掃除して……面倒じゃな。また、今度…………いや、死ぬしな。よ~し、やるかぁ」
龍の女の子は魅惑的なこたつの誘惑を断ち切り、ブランケットを脱ぎ去ります。
現れた姿は真っ白なワンピースに、腰の部分から飛び出している七色の翼。
この翼は彼女が人ではなく、龍である証。
「ふっふっふ、外は血も凍る寒さ。じゃが、家の中はこのような薄手でもさほど寒くない。この背徳的満足感がたまらんのじゃ。そして……」
少女は窓の近くに来て、ぺったりとほっぺをガラスにくっつけます。
「冷たい。窓から僅かに漏れ出る隙間風。鍋と酒で火照った体に心地よい。暖かい部屋で感じる、ちょっとした幸せっと、いかんいかん。引っ越しじゃ」
少女は部屋全体にきらりと視線を飛ばす。
こたつを中心に広がる、乱雑と置かれたテレビのリモコンなどの小物たち。
こたつの上には出しっぱなしのカセットコンロに土鍋。
食べ終えたミカンの皮。
「…………やっぱり、また今度に。いや、さすがに死ぬし。くぅぅぅぅ~、行くか! 新たな星へ!!」