表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

無味な私に花束を

作者: ちぃ

ドキドキしていた一年生。あの頃は、目に入る全ての世界がキラキラと輝いていた。小学校へ自分の足で通い、仲の良かった友達の姿が、制服から私服になり、遊ぶことから勉強することが仕事になった。久しぶりに会った誰かから『大きくなったね』って喜ばれたら、こっちまで嬉しくてたまらなくなって……。

でも、一年も経過すると

自分の背中よりちょっとだけ大きなランドセルが慣れてちょっとだけお姉さん気分の二年生。でも、そんなのはずっとずっと昔のこと。

思春期にちょっぴり足をいれた私の背中にはランドセルだってもう小さいのだから。

もうすぐ並木道の桜が満開になる。それは小学校最後の年がはじまる合図。大人でもない子どもでもない小学六年生が幕を開ける。


ーー


私は帰り道の交差点に差しかかる直前で突如足を止めた。


「どうしたの?」


一緒に帰っていた友達の麻友が聞いた。


「決めた! ここの曲がり角を曲がって、最初に出逢った人と恋をする!」

「なにそれ?」

「無謀……」


麻友と結愛の視線が一気に私に注がれた。二人は驚いたような、『またバカみたいな発言して』と半ば呆れたような、はたまたそれの入り交じった表情を浮かべている。私もこんな発言、無謀だし意味がないのはわかっている。でも、運命的な出会いでて偶然の重なりに過ぎず、それを頭がグラデーションで色づけしているだけなのではないかと個人的に感じていて、人を好きになるってどういう事だろう。今一緒にいる二人とはどう違うのだろう。考えれば考えるだけ答えから遠ざかっていて、気持ちまでもが暗い筒の中に放り込まれ、ゴール付近に誰かの陰が見える気がするも、ただひたすらにその誰かを追いかけている。


「そもそも、恋が実ったとして何をするかわかってる?」

「それはキスとか……」


私は恋をしたら何をするのか最大限の知識を振り絞り麻友の質問に応える。すると、麻友は呆れたという面持ちでため息をついた。

助けを求めるため、隣を歩く結愛の方に涙目で訴えるも、『それじゃダメじゃん』といいたげに首を左右に振っている。


「仮にだよ。お年寄りの人が犬の散歩とかで歩いていても恋するの? 好みじゃなくても? そもそも誰もいなかったら寂しくない?」


麻友が聞いてきた。


「うぅーん。それは困る。でも、いいの。いないことが前提なんだから」


あっけらかんと応える私に、今度は結愛が口を開いた。


「だったら何で?」

「運命の出逢い? って本当にあるのかなって思ってさ……」


『運命の出逢い』あたりで麻友と結愛の口がポカーンと開いた。不純な動機なのはわかる。でも、漫画本等では女の子と男の子が出会って恋をするというのが王道のパターンである。実際、現実の私たちの世界で、本当に運命の出会いが起きるのか検証してみたいという気持ちが頭の大半を占めている。

でも、それ以外にも刺激がほしいから。それとも不満から。いや違う。上手く説明できない部分で恋という現象にあこがれを抱いていた。


「あそこの公園に砂場があったよね。試しに、恋って漢字で書いてみて」

「わかった」


麻友が下校中にいつもなら素通りする名もない公園を指差した。麻友に引っ張られるように中に入るや否や、落ちている木の枝を鉛筆変わりに持たせられ、漢字をかかされた。


「そもそも恋って漢字わかってる?」

「変ならわかってる」

「それは変。恋はこっち」


早速、漢字の間違いを指摘された。漢字は比較的得意な方なのだが、漢字すら書けない私に麻友が注意すると、ため息を溢した。偉そうな事いってみたけれど、恋なんてやっぱり早いんだと自覚し。『ふぅ』と軽く息をはく。すると、緊張とも違う力がすっと抜けていき、体が軽くなった。自分で言った言葉だったけど取り消そうと心に決めた。もともとが無謀な話なのだ。

何も知らないあかの他人を好きになることなんて。


「やっぱり、自然が大事だよね」

「確かに」

「そうそう。らしくないこと言うからビックリしたじゃん」

「ありがとう。麻友。結愛」

「じゃあさ、これから桜田公園でお花見しようよ」


私がお花見に二人を誘うと、麻友と結愛はそれぞれ『さっきまでの言葉は何?』とニヤツキながら反撃してきた。ついでにツンツンあちこち指でさされ、くすぐったい。


「っていうか桜田公園の出店でしょ?」

「そうそう。だってあそこの焼きそば美味しいもん」

「花より団子だね……」


結愛にいたい所をさされた。でも、さっきまでの恋云々の話を忘れたく思い、わざとるんるん気分を装い、後ろ向きに歩いた。春の陽気がそうさせるのか、大好きな友達と一緒にいるからか、気分は次代と明るくなった。花びらが舞っていて、大好きな友達がいて。無理に大きな刺激がなくても幸せ絶好調である。


「きゃ‼」

「いて! 気を付けろよ‼」

「ごめんなさい」


後ろ向きで歩いていたのが悪かったのだが、背中が誰かとぶつかった。衝撃でバランスを崩し、しりもちをついてしまう。麻友と結愛がとっさに庇おうとしてくれるも、コンクリートにぶつけたお尻はとっても痛かった。こんな時、桜の花弁絨毯もまるでせんべい布団である。


「本当にごめんなさい」


謝るのと同時に思い切り硬く、目蓋を閉じた。

慌てて立ち上がり、もう一度きちんと謝った。瞑っていた瞼からゆっくり力を抜くと、年上の男性が目の前にいた。真新しい制服を着ている事から、おそらく高校一年生だろう。ぶつかったところを軽くおさき、かなり不機嫌な面持ちをこちらに向けている。


「謝ればいいから早くあっち行け。イヌっころ」

「はい‼」


大人びた声で罵声を浴びせられた。『謝ればいいから』までは爽やかな声で伸びやかで。正直かっこいいと思った。しかし『イヌっころ』で前言撤回である。犬なら犬らしくキャンキャン吠えてやりたくなった。それにしても、初対面の人を犬呼ばわりとは失礼な極まりない。お気に入りのツインテールが、怒りでアニメのように動くんじゃないかと錯覚するくらい怒りが込み上げた。


「確かにぶつかったのはすみませんでした。でも、イヌっころって初対面の相手に失礼じゃありませんか‼」

「気をつけろ。イヌっころ」


瞳にうつる私はきっと嫌な存在だろう。その証拠に彼の瞳は私の存在を完全に否定している。彼は、私を完全に相手にしていなかった。

彼は、ずれた眼鏡を正しい位置にあて私達が先いく道の方へと進んでいった。清々しいまでの冷静かつ、人を攻撃するきつい言葉。本気で噛みついてやろうとさえ頭をよぎるも、姿を見てもらえない方が悲しかった。

でも、なぜだろう。一瞬のうちにこんなに怒り悲しんだのに、どうしても本気で憎めない自分がいる。公園の焼きそばがどうとか、既にどうでもいい。ただただ彼の事が知りたいと本気で思った。そして、私の姿をいい方向に認識させてやりたい。

こうなってくると『やるぞー‼』と心の奥から元気が溢れだしてきた。それと同時に、初めて抱く気持ちにドキドキでもなく緊張でもない何がが体の中を暴れまわり、心の奥底が初めての感覚に包まれていた。


「大丈夫? 何あの人? 高校生だからって」

「麻友。結愛。私さっきの言葉訂正する。あの人に恋してみたい」

「えぇー‼」


二人が同じタイミングで叫んでいた。


ーー


次の日、学校の教室にて私達の作戦会議がヒソヒソと幕を開いた。朝の教室は賑やかで正直会議をするのはどうかと思うが、幸な事に、誰も私たちに話しかけてくる友達はいなかった。周りがうるさいおかげで作戦会議が熱をあげても誰一人騒ぎ立てるものはいない。

一番の要は、どうやったらもう一度会えるのか、再開できたとして、その先どうしたいのか。付き合う前提で友達になりたいのか。存在を認識させさえすれば満足できるのか。そんな小さな壁がいくつも存在した。

それともうひとつ問題が。彼の名前を知らないというのが致命的なミスといえた。名前も、趣味も、家の場所も、全て知らない謎の高校生。ミステリアスといえば聞こえはいいが、ただ単に何も知らないのだ。

地元の高校生だと思うので、通っている場所は把握できているものの、彼にどう話しかけるのか。高校生だから部活だってあるだろうし、帰宅時間だっておそらく違う。だから、無理矢理作る接点がどこにもない。話が同じところで躓くと、どんよりと重たい空気がのしかかった。


「やっぱり高校に乗り込むしかないんじゃない?」

「でも、それ怖くない?」


私の手っ取り早い方法に結愛が反論した。


「小学生なんて敷地にすら入れて貰えないよ」

「でも名前も知らないし」

「……」


私達の会議は堂々巡りを辿っていた。『名前も知らない』あたりで三人のため息が重なる。

そうなのだ。手っ取り早く呼び出すのが一番簡単で確実な方法といえる。しかし、ほぼ初対面の人間との出逢いで、名前すら知らない人を呼び出すほど難しい事はない。一番簡単な方法が取れない以上、多少リスクがある方法しか私には思いつかなかった。

しかし、麻友と結愛は気乗りしないらしい。顔をしかめ、こちらを見つめている。二人をこれ以上巻き込むのは申し訳なかった。


「二人とも気乗りしないならいいよ。私一人で行く!」

「大丈夫?」


二人は気乗りこそしないものの私を心配してくれている。二人の優しさが心強く、逆に引くことが許されず『大丈夫』という事しか言えなくなったところで予鈴がなった。


「放課後、早速決行してみるね」

「頑張ってね」


私達は強制的に会議を終えると、それぞれの席につき授業の支度に取りかかった。


ーー


放課後。私は二人と別れると、昨日の高校生が着用していた制服の高校に足早に向かった。


「頑張って‼」

「私たち応援してるから‼」


二人の応援が背中を押してくれる。すれ違い様、彼に出会う事はなかったものの、誰に話しかけたらいいんだろう。名前も知らない高校生をずっと待てるのか。自問自答しているうちに頭がいっぱいになり、胸には不安が押しよせた。足取りだって軽かったものが鉛のようになっていく。

鉛のような足でたどり着いた高校。次の行動に移らなければならないが、何も出来ず、気づけばドキドキしながら校門の前に立っていた。


「あれ? どうしたの?」


校門の所でもじもじしていると、きれいな女子高生に出くわした。少しつり上がった目をしているものの、顔立ちの整った美人な人である。私の様子が気になって、見るに見かねて話しかけてくれたのかもしれない。彼女の二つの膨らみと髪の毛を耳にかける仕草に大人なんだと別の意味でドキドキしてしまう。そして、目線が合うように少ししゃがんでくれた。


「あの、昨日出逢った人にもう一度会いたくて」

「昨日、誰に会ったの?」

「名前がわからないんです」

「……」


やはり名前がわからないのは致命的だった。これには女子高生も困ったらしく、笑顔が一瞬のうちに顔をゆがませる。ところが、なにか閃いたらしくニッコリと微笑むと、彼女の暖かい温もりが私の手をとらえていた。


「私の妹って事でどうかな?」

「えっ……?」


彼女の言葉の意味が理解出来なかったので、手を繋がれた時は驚いた。どうやら敷地にいれてくれるらしい。もし、門前払いされていたらずっと校門でドキドキしながら彼を待っていたに違いない。ドキドキと不安に膨れる胸では、きっと何もできなかったであろう。


「私、彩香里っていうの。藤崎彩香里。本当はダメなんだけど、可愛いから特別ね。それで誰を探してるの?」


藤崎さんに昨日の出来事を全て話した。すると、なるほどなるほどと、ふむふむ。なんて鼻息を荒くし興奮ぎみに話を聞いてくれていた。昨日の話の何処に興奮するとこなんてあっただろうか。私はただ彼にちゃんと見てほしいって思っただけなのに。


「じゃあ、まず。運動部から見ようか。体育館で練習してるバスケ部とバレー部なんだけど……」 

「いました」


たまたま入り口の方で練習していたのもあるが、彼がバスケの練習に勤しんでいた。昨日は眼鏡をかけていたにも関わらず、今日は眼鏡を外していて、流れた汗が丁度光に反射してキレイにみえた。しかも、離れたところからシュートを決めたのである。


「今、三ポイント決めた人?」

「はい……」


私はコックリと頷いた。小学生のバスケとはやはり迫力が違う。一つ一つの動きに無駄もなく、隙もない。人と人。或いはチームで連携してボールを取りいゴールを狙う姿はみていて面白い。


「藤崎珍しいな。どうした?」

「岡本君。実はこの子が由紀君に会いたかったんだって」


私の後ろから声がした。彼は背は高いものの、筋肉質というわけでもなく、ひょろひょろと背が高いと表現した方が正しい人。バスケ部の人達はみんな練習しているのに彼だけ。不思議と外にいた。


「岡本君。またさぼり? レギュラーとれないぞぅ~。お願いがあるんだけど、由紀君呼んでくれる?」

「どうせ俺は補欠組ですから。余計なお世話ですぅ~。由紀~。妹さんが会いに来たぞ」

「妹? 俺そんなの……。ってイヌっころ」


岡本さんに呼ばれた由紀君がこちらにやってくる。昨日会った時と違って彼は眼鏡をしていない。あとは、不思議そうな顔をしてなければ、裸眼の方が格好いいと素直に思えたはずだ。私と目が合う彼。彼の本当に嫌そうな表情。彼の目に私の姿は映っていると思う。けれど、もっとこう、素敵な笑顔が見たかった。


「こっこんにちは。眼鏡部活の時はかけてないんですか。そっちの方が格好いいですね」

「あっあぁ……」


私は思っていたことをそのまま口にした。愛想のない生返事を彼は返してくる。

再びイヌっころと言われるも完全に無視した。例え、どんな悪口を言われたってムキにならないのが大人といえる。しかし、胸の内は、足の先から頭のてっぺんまで怒りがこみ上げていた。トレードマークのツインテールにも、波打たないかと力を加えてみるも無理だった。彼はどうして私が嫌なのか不思議と悲しくなる。


「えっ? 何々? 由紀ったら年下の子にまで手を出すようになったの?」

「たまたまぶっかっただけだ‼」


由紀君が苦虫を噛み潰したような表情に変貌させ訂正する。

でも、岡本さんに随分珍しそうに頭の先から足の先まで何度も私を見つめられ、正直恥ずかしい。見られていると意識するだけで顔が火照った。


「ごめんね。多分、由紀は君のこと好きにはならないよ。由紀はね年上好みで眼鏡かけてるんだ」

「はぁ……」


今度は私が生返事をしていた。どうやら私が特別嫌われてないのだとわかると、強張っていた体も柔らかくなる。


「岡本。また余計な事‼」

「へっへ~ん。本当の事じゃん」


岡本さんと由紀君がじゃれあっている姿は小学生男子がじゃれあう姿とさほど変わらない。眼鏡外している時の由紀君は、弾けている感じの雰囲気で、眼鏡の時のよりあか抜けているように感じた。そんな二人を見ているとクスリと笑みを溢してしまう。

岡本さんが何か閃いたかのようで、パッと一瞬だけ表情を変えると私に耳打ちしてくれた。


「ないしょの話、イヌっころっていうのは彼なりの照れ隠しだよ。可愛いから自信もって!」


最後には、慣れているようにウインクなんてしてくる岡本さん。『自信もって』って何にだ。私はことの真相がしりたくて岡本さんにすがろうとするも、顔が完全に火照り熱くなっていた。


「私、そんなんじゃありませんから!」


私は、高校生達に精一杯の強がりを見せて逃げていた。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう……)


帰りは由紀君の事で頭が一杯だった。恋をしたらその人の事で頭が一杯になると話では聞いたことがあるが、私のは絶対別の意味だ。

由紀君が眼鏡をかけていたのは、他の女子生徒。しかも年上の人に話すきっかけを作りたいから。私を動物としか見ていないのも、姿を見て嫌そうにするのも子どもとしてみてるから。でも、藤崎さんと岡本さんには可愛いって言われた。『自信もって』なんて言われても、私は由紀君に姿を見てほしかったに過ぎない。

こんな私に何が出来るっていうんだろう。でも、由紀君が年上好きと知って一瞬胸がチクンと痛んだのは確かだ。そして、どうしてあの時、妙に恥ずかしくなったんだろう。

私は訳のわからなくなった自分から逃げるよう、足早に家路についた。


ーー


次の日の朝、麻友と結愛と私は登校していた。勿論、話題は昨日の結果である。昨日知ったことを話さなければいけないのだが、どうしても口が重たかった。


「ねぇ、どうだった? 高校いってみたんでしょ?」


結愛が興味深げに顔を覗きこんでくる。私としてはあまり話したくない話題であったが、二人は応援してくれたわけだし、話さない訳にもいかない。

重たい口で言葉を選び紡いだ。


「うん。でも、私恥ずかしいっていうかよくわからなくなって逃げてきちゃった。またイヌっころって呼ばれちゃった」

「そうなんだ。脈はなさそうだね」

「うん……」


一人の人を知ることが、こんなに難しいとは思わなかった。知るためには努力をしなければいけないのだが、今が一番苦労している。自分と全く接点のない人を知るのは、友達になることすら難しい。麻友と結愛にはこんなどんよりとした感情を抱いたことすらないのに。

足取りも気持ちに左右され、小学校に向かっているのに重たかった。きっと由紀君の事は無理しないのが一番なのだ。忘れる事も選択肢の一つかもしれない。


「あっ……」


由紀君と突如目があった。彼は誰かを待っていたのかもしれない。でも、昨日や、一昨日のように嫌そうな顔は浮かべておらずちょっぴり嬉しくなった。

だったら、勇気を振り絞って一声かけたってバチはあたらないかもしれない。とにかく話さなければ何も始まらない、と思った。私は緊張で絡んだ唾を喉の奥に押し込む。


「おはようございます。由紀君」

「あっあぁ……」


やっぱり。由紀君のその返事に愛想はなかった。全てを忘れなければいけない。由紀君の事を。昨日の出来事全てを。でも、どうしてだろう。胸の奥底で何かが悲しんでいる。でも、伝えなければ。その旨を伝える為に、私は彼に一つ一つ言葉を選び、紡いでいた。


「あの……。私、由紀君の事忘れる事にします。昨日は高校まで押し掛けてすみませんでした。失礼します」

「ちょっと待て。イヌ……」


言えることは全て言った。背中から由紀君の声が聞こえた気がしたが、気にしてなんかいられない。元々、無茶な私の言葉で巻き込んでしまった不幸な人なのだから。忘れてしまえばきっと。

でも、どうしてだろう。すっきりしたはずなのに、寂しいより、もっと辛い感情が胸の中で渦巻いていた。


「ちょっ。ちょっと待て‼」


由紀君が私を引き留めていた。男の人に手首を掴まれたのは始めてなのでドキドキする。私の熱が由紀君に伝わってしまわないかと不安になる。

 

「あの……」


私は掴まれた腕と由紀君を交互に見つめる。由紀君の顔も真っ赤に染まっているのがわかると、私の顔も赤く染まってしまったので俯いた。


「イヌっころっていったのは悪かった。格好いいとか言われた事もなかったし嬉しかった。せめて名前くらい聞いとこうかと……」


その後の言葉は側にいるのに聞き取れなかった。高校生なのに、私より大人なのに。女性に不慣れなのがみてとれた。


「だから、その名前を……」

「さくら」


私は即答していた。趣味も家も。何も知らない高校生を可愛く愛しく思えたから。もう少し歩みよってみたい。もう少し私の近くに。


「さくら。俺と友達になってくれ」


何だかドキドキした。名前を呼ばれただけ。友達になってもらえただけ。嬉しい事は嬉しいが初めての嬉しさにドキドキが収まらない。


「はい。よろしくお願いします」


私は最高の笑顔を由紀君に見せていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ