6.仕事と男の子
「エリナ先生―! カロッテちゃんと一緒にお団子作ったの。あげるねー」
シャロンちゃんがカロッテちゃんとやってきて、私に泥で作った団子を手渡した。私が笑顔でお礼を言うと二人ともニコッと笑って去っていった。きっとまた砂場で遊ぶのだろう。
今日から、集幼園での仕事だった。朝早く起きた私は不安と期待の気持ちが入り交じったまま仕事場に向かった。うまく子供達と接することができるだろうか。この瞳が気になる子供たちはいないだろうか。
しかし、自己紹介が終わると、子供達は私の周りに集まってきた。
「エリナ先生、お姫様みたいだねー」
「私、赤い目なんて初めて見た。きれーい」
「髪、きらきらしてる。染めてるの?」
赤い瞳が綺麗という言葉をかけられ、驚く。そんなことを言われたのは、レンに次いで二度目だった。まだ慣れない褒め言葉だったが、子供の純粋な褒め言葉に嬉しくなる。ぎこちなくお礼を言っていると、クラスの隅の方で膝を抱えて座っている一人の男の子の姿が目に入った。様子を少し見ていると、その男の子はこちらをちらちらと見てすぐに目を逸らしてという動作を繰り返している。何回かその動作を繰り返した後は目の前のおもちゃに集中してしまったのか、一心不乱に積み木をガチャガチャとやり始めた。気になって近づいてみる。
「おはよう。ねえ、君の名前を教えてくれる? 私はエリナっていうの」
男の子はちらりと一瞬だけこちらを見たが、すぐに目を逸らして再び積み木でガチャガチャと音を鳴らす。
「積み木で遊んでるの? よかったら私も交ぜてくれるかな?」
めげずに再度男の子に話しかけてみたのだが、男の子はこちらに視線を合わせようとしないで不機嫌そうに口を開いた。
「うるせー」
「え?」
「自分がきれいだからって誰にでもちやほやされると思ったら大間違いだからな」
一瞬言われた内容を理解できずに、思考が止まってしまった。私は自分がきれいだなんて思ったことは一度もないが、この男の子にはそう見えて、何かが気に入らないのだろう。
「あーー、シンマくんがエリナ先生のこといじめてる!」
「え? いじめられてないよ! ちょっと話をしていただけ!」
女の子が私と男の子――どうやらシンマくんというらしい――が一緒にいるところを見てちょっと騒ぎだした。私は慌てて止めに入る。シンマ君も女の子の言葉に目を剥いて振り返ったから心外だと思ったのだろう。私はまだクラスにいる子供たちを外に連れて行き、クラスに戻り先ほどからと同じ場所に座っているシンマ君の前に座った。
「シンマ君は、何つくってるの?」
「おれに話しかけるな」
取り付く島もない様子に、どうしようかと悩むと、このクラスの担任の先生が私を手招いた。その先生のもとに行くと彼女は、声を潜めてシンマ君の事情について語ってくれた。
「実はシンマ君のご両親は、外国に行くことが多いお仕事で小さい頃から一人でいることが多かったようなの。彼が唯一心を許しているのが、小さい頃からお世話をしていたサクラバという女性だけみたい」
「そうだったんですか……」
私は一人でずっと膝を抱えて座っているシンマ君を見つめたのだった。
◆◇◆
「ただいまー」
家に帰ったら、どっと疲れが出た。
そのままベッドにダイブしたい気持ちを抑え、なんとか食事をとってお風呂に入る。
しかしそうしたら、シンマ君のことが気になってしまってなかなか眠れなくなってしまった。先ほどまで眠くて眠くて仕方なかったのにどうしたことか。
仕方がないので、いつかのように庭に出る。もしかしたら、レンがいるかもしれないなとちょっとの期待をして。
果たして、そこに先日と同じように月を見ているレンがいた。
「今、思ったんだけど、レンって寝ないで大丈夫なの?」
「幽霊に睡眠って必要なのか? 今のところずっと起きたままでいるが特に問題はないな。エリナは今日初仕事だったんだろ? まだ寝なくて平気なのか?」
「なんか目がさえちゃって……」
「そうか……」
沈黙が私達を包み込む。しかし、それは優しい静かさでずっとこのままでいたいなと思って、そう思ってしまった自分に驚く。レンと一緒にいると今まで知らなかった感情が発見できる。
「なにか、話したいことがあるのか?」
「……私、分かりやすい?」
「まあ、半分は俺の勘だが。どうしたんだ? 俺で力になれる事ならいいんだが」
部屋に戻らなかった私を気遣って聞いてくれたのだろう。シンマ君のことを相談しようと、私は要点を絞って話し出す。レンは、私が話している間、相槌を静かに打つくらいで遮ったりはしなかった。一通り話し終えると、レンはうーんと小さく呟いた。
「俺には自分のことを覚えていないから、自分のことと重ねるとかそんなことはできないが、そのシンマ君はエリナが話しかけてくれるのを心底嫌がっているわけではないと思う。寂しいんじゃないか? エリナはどう思う?」
そう言われて、私は自分でちゃんと考えていなかったことに思い至った。今、レンに言われてというところが情けないが、きちんと想像してみる。
シンマ君の事情は、なんとなく自分に重ね合わせてしまう。私の場合は両親の仕事という理由ではなかったが、小さい頃から一緒にいられなかったという点では同じだ。小さい頃の私は誕生日を一人で過ごすことに耐えられなかったので、突然やってきたシルクハットの男に、人形やペンと話ができるようになりたいと願ったのだった。そして寂しさは少しだけ柔らいだが、シンマ君には話し相手が世話をしてくれているサクラバさんくらいしかいないのだろう。
そうだとしたら、レンの言った私が話しかける事が心底嫌というわけではないというのも信じることがちょっとだけ出来る気がした。こちらをちらちらと見ていた視線も気になる。
そう言ったら、レンは、
「明日も行くんだろ?」
と聞いてきた。
「もちろん。シンマ君にも今日みたいに接することにするわ。ありがとう。自分がどうすればいいか決まったわ」
「そうか。俺は何もしてないが。でもあまり無理はするなよ?」
「ええ」
きっと友達になるにはおこがましいが、私が新しい話し相手になれるかもしれない。そう思って、これからもシンマ君に冷たくされても諦めずに接していこうと決意した。
◆◇◆
それから、何日間かは怒濤の日々だった。私は、子供達と接してくれればいいといわれているが、園の掃除などは手伝っていた。それにしても子供たちの相手というのがこんなにも疲れるとは思わなかった。元気だなぁとどこか他人事のように思った初日が懐かしい。一緒になって遊んでみると、今まで体力をつけてこなかったのが裏目に出てすぐに疲れてしまう。
家に帰るとへとへとで初日は、レンにシンマ君のことを相談したりもしたのだが、そんな余裕はなくなってしまった。夜に外に出るなんて体力は残っていなくて、すぐに眠ってしまう。
それでも、初日に決めたシンマ君に諦めずに接していこうという行動はずっとやってきている。シンマ君はいつ見ても常にひとりで、そんな彼に「私も一緒に遊んでいい?」とか楽しいと思った話を聞いてもらったり、時には花をあげたりもしたのだが、シンマ君はどんなときもすげなかった。いつも「近づくな」「かまうな」「あっちへ行け」と言って、ぷいっとあらぬ方へ向いてしまう。それでも、最近話しかけたときのシンマ君の「また来たのか」という呆れたような表情がなんとなく「仕方ないな」と温かく思われているような気がして、ちょっとは進展したのではと感じる今日この頃なのであった。
◆◇◆
そんなある日、おやつの時間に私が買ってきたスポンジケーキにデコレーションをするということをしたのだが、子供達は楽しそうに手をべとべとにしながらデコレーションしていた。
そんな中、また離れた所でシンマ君が一人でいたので、私は誘ってみることにした。
「シンマ君も一緒にしよう」
そのとき、今まではいくら誘ってもすげなく断ってきたシンマ君が、瞳を揺らし口を開いたり閉じたりを繰り返して迷っている様子が見て取れた。それを見た私は、もうひと押し、こそっとシンマ君にしか聞こえないくらいの声で囁いた。
「実はね、デコレート用の生クリームは一人一回はできるくらいの分量があるの。だからシンマ君も絞ってみて。どうしても気が進まないなら、飾りつけをするのでもいいからね」
すると、それまで迷っていた様子だったシンマ君はそろそろとみんながデコレートしている場所に近づいていった。
それにいち早く気づいた女の子がシンマ君に場所を譲ってくれる。
「はい。これで絞ってね」
ケーキの前に立ったシンマ君に生クリームの絞り袋を渡す。
シンマ君はごくりと唾を呑み込むと、震える手でにゅっと生クリームを絞り出した。
「……ぁ……!」
「上手上手、シンマ君!」
「も、もう一回やっていい、か?」
シンマ君は頬をわずかに紅潮させて上擦った声で聞いた。周りにいた子供たちはもう何度も絞って満足していたのか、いいよーと快く頷いていた。
シンマ君は、言った通りもう一回生クリームを絞って、目を瞑ったと思ったら、絞り袋を私に返した。
「もういいの?」
「ああ」
シンマ君は、その後また一人になったが、この体験が彼にとって楽しいものだったのだろうなと思うと良かったと思った。
シンマ君だけではなく、子供たちにも大好評に終わり、ケーキも店で売っている倍以上に生クリームが盛っているものに仕上がったが、みんなで楽しく食べたのだった。