第五話 「S県の穏やかな日常」
特務隊の総隊長は壇上に上がると、晴れて候補から正式配属へと進んだ剛志達を見渡し、感慨深げに言った。
「諸君、よくぞここまで残ってくれた。諸君も知っての通り、大地震は百年から百五十年周期で起こると言われている。しかし、この地では前回の大地震から百五十年上経った今もなお、大地震は起こっていない。それは何故か? 何故ならば、それは我々特務が人知れず大地震を阻止してきたからに他ならない。我々はこれからも地震防災のプロフェッショナルとして、我々の愛するS県ならびにその近隣県の人々の幸せを守らなければならない。そして、世界に輝くS県の創造を目指していかねばならないのである。ここまで残ってくれた諸君らならば、これからの二年を立派に勤めあげてくれることだろう。いいか、これからの二年、全力でフィリップ君とラシアちゃんを寝かしつけてくれたまえ!」
仲間達が鬨の声を上げる中、剛志は溜息を盛大に吐いて頭を抱えた。プレートンに愛称をつけているだなんて、絶対におかしい。フィリップ君とラシアちゃんとは何だ。マスコットキャラか。
正式配属の式典が終わると、早速消防署代わりとなる潜水艦へと乗り込んだ。潜水艦は全部で三隻あり、二隻がフィリップ君とラシアちゃんの許にそれぞれ配備する。フィリップ君かラシアちゃんのどちらかに二か月間配備した後、一ヶ月間は休暇と地上勤務となり、再び二ヶ月間海底にて前回とは逆のプレートンの許に配備となる。
海底は気が落ち込みそうなほど暗く、そして辺りにあるのは休止中の海底火山くらいだった。音も光も何もない無とも思える海底での艦外巡回ほど、退屈なものはなかった。
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海底での勤務も慣れ毎日が退屈で仕方なくなった頃、剛志は〈S県民は揃いも揃って壮大な夢を見ているのだ〉と思うようになった。
何もない海底で県民の幸せを守ると称してこんな大掛かりな潜水艦や特殊な作業服を開発し、何もない海底で職務に従事することを幼少の頃から夢に描き、その職に就くことを許された人間に憧れ、スターとして扱う。そしてそのスターは当たり前のように過酷な訓練を受け、この何もない海底へとやってくる。これがS県の穏やかで平凡な日常の一部であり、非常に滑稽であると剛志は思った。
親の転勤についてこなければ、今頃東京で充実した選手生活を送っていたことだろう。何故なら、東京ならばこんな馬鹿馬鹿しい都市伝説に振り回されている人などいない。ルームメイトが言っていたトチョーンだって都市伝説であり、幻なのだ。
貴重な三年をこんな壮大な夢幻に付き合わされるのは癪だが、適当に残り二年を勤めあげて、ありがたく特別待遇を利用して選手生活に戻ろう。嗚呼、早く、地上での普通の生活に戻りたい。――そう思いながら、見えるはずのない海上をふと見上げると、微かに地響きが聞こえた。
何となく、嫌な予感がした。海上へと送っていた視線を恐る恐る元へ戻すと、視界の中に今まで見たことのないものが写り込んだ。見ないふりを決め込みたかったが、そうもいかない。視線だけをそろそろと〈何か〉のほうへと動かして、そして剛志は絶句した。
休止中の海底火山と思っていたものが、ぎょろりとした目を見開き、こちらを見ているではないか! 剛志が後ずさりすると、大きな地響きと揺れを伴いながら〈何か〉は口をぱっくりと開いた。剛志はかつてないほどの叫び声をあげると一心不乱に銃を撃った。
「どうした、飯田! ラシアちゃんが起きたのか!?」
ヘルメットの中で隊長の通信がこだましたが、剛志は叫ぶことをやめられず、そのまま銃を撃ち続けた。
「総員、戦闘配備! これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない! 飯田は一旦帰還して弾薬を補給しろ! 飯田、落ち着け、落ち着くんだ!」
弾が尽きて取り乱す剛志の背後から、迫撃砲がプレートンめがけて飛んで行った。仲間達が応戦する中、潜水艦では最悪の事態に備えて魚雷の準備が進められているようだった。剛志は仲間達の存在に気を落ち着かせると、プレートンを背にして走り始めた。