義理チョコはギリギリな感じでお願いします
煙草さん二十六歳、清酒さん三十歳の時のバレンタインです
「清酒さん、いつもお世話になっています。あのコチラ良かったらどうぞ。今日バレンタインですから」
清酒さんはチラリと、ハート模様の散った包装紙にくるまれた小さな包みをみて、苦笑する。
私の会社に珈琲サーバーを置いている会社マメゾンの営業である清酒さんにバレンタイン前後にチョコレートを贈るのはコレで三度目になると思う。
「義理チョコ有り難く頂きます」
去年までは、清酒さんはスマートに爽やかな笑顔でお礼を言い受け取ったのに、今年は苦笑いしながら『義理』という部分を強調して、その包みを受け取る。
「義理チョコではないですよ! 世話チョコです♪」
「……ほう」
清酒さんは疑わしげに眼を細めて私を見つめてくる。まあ、ぶっちゃけそのチョコは義理チョコなのだから、そんな眼をされても仕方ないだろう。
私の会社は、この時期にお付き合いのある相手には、こうしてチョコレートを渡している。そして去年も一昨年も私は清酒さんに義理チョコを渡してきた。
このチョコレートはお付き合いのある所から買い、それをお付き合いのある方に渡し誰にとってもプラスという筈のイベントな為、私の個人的な事情で止められる訳がない。コレは私からでなく、会社から清酒さんへの贈り物だから。
「清酒くん、本当の義理チョコは箱にも入ってなくて、こうしてバラの個包装で配られるモノだよ!
俺は悲しいよ~ちっちゃい義理だけで人情もないこの状況が!
それに比べ、君がくれた友チョコは、大きいし、立派だし感動したね! 確かな愛を感じる」
隣でやり取りを聞いていた編集長が会話に入ってくる。そして机の上に放り投げるように置かれたチョコから今貰ったばかりの大きい包みに視線を移動させ子供のように嬉しそうに笑う。その姿に清酒さんは吹き出す。
「私からのは『想い』は込めてありますから。皆さんで楽しんで下さい。コチラ面白いんですよ! ゴディさんとウチとなコラボしたもので、コーヒーボンボンでして――」
清酒さんも義理チョコ使いシッカリ自社製品をアピールしてくる所は流石である。社会人としてのバレンタインデーなんて笑顔とチョコを交わす営業活動もしくは宣伝活動である事が殆どである。
編集長が電話で呼ばれて離れた事で、私はいつものように清酒さんをコーヒーサーバーの置いてある給湯室へ誘う。そしてあえて珈琲の在庫状況や備品等についての業務的な内容を話す事にする。
清酒さんは、先程までの取り澄ました顔ではなく、切れ上がった眼を細め人の悪い表情で私を見ている。
「恋人であり、婚約者でもある相手から、義理チョコ貰うのって俺くらいだよな」
まだ公表はしていないが、私と清酒さんは一年程前からお付き合いを始め、年末年始にそれぞれの家族への挨拶を済ませて今は婚約者という間柄にある。それだけにこう言う公な場で向き合うと、どういう顔で接して良いか悩ましい。
「アレはウチの会社から、マメゾンの清酒さんへの贈り物であり、私からのはこんなショボくはないですよ」
この一個二百五十円のチョコを私の愛だと思われるのは悲しいモノがある。清酒さんは、意外そうに眼を見開く。
「朝、軽くスルーしていったから、忘れているのかと」
先月末から結婚準備の為と家賃節約の為という事で、親を説得して同棲を始めている。だから朝から顔を会わせていたのだが……。
「そう言うの、バタバタした時に渡すのもどうかと思って」
折角だから、ムードというのも考えたいものである。せめてシッカリ向き合って渡したい。
「成る程。ジックリ楽しむ方が良さそうだね。
『私がプレゼント♪』とか?」
サラリと清酒さんはかなり恥ずかしい事を言った。
(どういう恥ずかしいシチュエーションよ!)
しなきゃ良いのに、色っぽい格好して大きなリボンをつけて清酒さんに迫っている自分を想像してみて、顔が赤くなる。
「……ドスケベ……」
恥ずかしくてモゴモゴする私に清酒さんは不思議そうに首を傾げる。
「どういう想像したのやら」
心外だという顔でそんな言葉を返してくる。顔は真面目っポイが眼だけが笑っているように見える。
「まあ、君がそういう感じで楽しみたいと言うならば、喜んで協力はするけど」
ニヤリ笑う清酒さんの表情からも、明らかに最初からそう言うヤラシイ雰囲気の意味で言ってきた筈なのに、何故か私発信かのような状態にされている。私が考えるロマンチックと清酒さんの考えるロマンチックにはややズレがあるように感じた。
「まあ、どうするかは置いといて、楽しもうね♪
今日は遅くならないと思う。八時くらいには終わりそうだから、外で食べて帰る?」
ここで『お家で食べよう』というと、完全清酒さんのホームの状況だけに、またしても彼のペースで物事が進みそうだ。寒い外で程よくクールダウンした中でデートも良さげに感じ私は頷いた。
もう馴れた事なので、何処で待ち合わせてという会話もなく約束が決まる。
ふと顔を動かしたときに清酒さんが持ってきていた鞄の中が眼にはいる。いつもはコーヒーやフィルター等の備品だけが整然と入っているのだが、そこに幾つかのピンクの包みが無造作に放りまれているのを確認する。義理チョコを配るのはウチだけでないようだ。
「色々貰ったんだ」
私の視線に気が付いたのか、何でもないような口調でそんな事言ってくるので私は頷く。
「こういうチョコなら、いくら貰っても良いけど、千円越えている感じのチョコには気を付けてね」
私の言葉に清酒さんはキョトンとするが、笑い出す。
「この歳になると、自爆テロ的な本命チョコは貰う事ないよ」
言いたい事はわかる。学生時代なら玉砕覚悟の告白で本命チョコを渡す事出来ても、社会人は今後の人間関係に支障をきたす事もあり、そういう事で非常にやりにくい。とはいえ千円以上のチョコとなると、義理の範疇をやや越えている微妙なラインである。
「そうだけどね、単なる義理チョコに千円以上は普通出さないよ。ソコに義理以上の意志を感じるのよね」
私の言葉に清酒さんは苦笑する。
「あのさ、さっき俺が編集長に渡したのも市場価格は千二百五十円だよ、でもそんな熱い感情を編集長に感じてないし」
冗談ぽく言う清酒さんだけど、あの包みが清酒さんなりの今までの編集長に対する強い感謝の気持ちの表れの気がする。近い次期にくるかもしれない配属移動を予感しての。それが愛でないが、強めの想いが込められている。
「わかった、気を付けるよ」
私の表情で、『気の回し過ぎだよ』という言葉を言っても通じないと感じたのだろう。そんな言葉だけを返して頭をポンポンと撫でてくれた。
やさしい笑顔と落ち着いた言葉、それでホッとしてしまう私も、つくづく単純で子供だと思う。
「そう言う君もさ、無邪気な笑顔で『バレンタインチョコです~♪ 私の愛、受け取って下さい♪』なんて言いながら配らないように。男は結構馬鹿だし、勘違いする奴もいるから」
逆に釘刺されてしまった。去年までそんな感じで単なる知り合いであった清酒さんに義理チョコ渡していたので、反論できず私は素直に頷く。
(ビジネスライクなバレンタインか……)
恋人なりがいない時の方が、何も考えず無邪気に楽しめていたというのも不思議なモノである。ふと視線を上げると此方を見つめていた清酒さんと眼があいその眼差しに、ドキリとする。
「じゃあ、そろそろ帰りますね」
ビジネス口調で知的でクールな感じで話している筈なのに、その眼はなんかエロい。基、色気がある。その眼差しに体温が何度か上昇するのを感じた。目が愉しげに細められる。
「また、後程」
耳たぶにキスするかのように唇を近付けて、そう囁いて清酒さんは去っていった。暫くその後ろ姿をボウっと見送ってしまうが、清酒さんの姿が見えなくなった事で我に返る。私は顔をブルブルと降り、邪気を振り払い仕事に戻る事にした。
以前短編としてコチラに掲載していたものをコチラ再掲載をさせてもらいました。