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走る男

作者: 本栖川かおる

 その男は走っていた。ずっと、ずっと。

 平和なこの国で、何の問題もなさそうなこの国で、男は歩いたり休んだりすることが許されない理不尽さを感じながらも、止まることなく走り続けている。


「みんな、すまん」それが最後の言葉だった。

 男が勤めていた会社が倒産した。大きい会社ではない。企業の下請けとして小さな仕事をもらい、十数名で頑張ってきた。しかし、不景気が長すぎた。次の職のあてもなくその日のうちに全員が解雇され散っていった。

「もう、学歴ではなく実力がものをいう社会になったんだ」

 まだ会社員だった男が、そんな話を聞いて十数年が経っている。男には大した学歴などない。裕福な家庭でもなく、一般的な家庭でもなく、父親は酒におぼれ母親は蒸発した。生活費を稼ぐ為に夜学校に行きながら働いた。

 そして今も裕福ではなく質素な生活ではあったが、男にとっては幸せな時だった。


「うちは大学卒業してないと雇用しないんだよね」

 職業安定所でもらった求人票には、学歴不問と書いてあった。男はそれを盾に食い下がったが、担当者は一蹴する。

 学歴が全てではないので学歴不問とは書いてあるが、実際は学歴を重視し極々稀に大卒ではなくても優秀であれば雇用すると。それは、男が夜学を出て就職したときと何ひとつ変わっていなかった。まずは学歴で選別され、そこで蹴落とされるのだ。変わっていない……なにも。

 

 やっと就職した薄汚い小さな事務所で、血色が良く肉付きも良い政治家がテレビに映っている。それを見た男は手製のお弁当を仕舞い、そそくさと部屋を出た。

 理念を貫く為に政策を掲げ人気を得ることが、いつしか人気を得る為にマヤカシの政策を語り理念に酔っている。テレビで饒舌に語る姿が、男にはそう見えて聞くに堪えなかったのかもしれない。

 男は、通信代で百万貰えなくても、先生と呼ばれなくても、マヤカシによって自分を守り、何かの化身として生きていくよりも、自分は人間として生きていたい。そう思っていた。


 男は走って来た。いままで止まることなくずっと。ずっと。

 せんべいになった敷布団に男は横たわっている。その傍らで大学卒業を間近に控えた息子が座っていた。

「おやじ。今日内定が出たよ。大きい会社だ。そこで頑張るよ」

 男の耳元で息子が言った。

「そうか。なら俺は休んでいいんだな。その辺の原っぱに大の字に寝て、土の香り、草の香り、風の香りを楽しんでもいいんだな」

 男は小さな声でそう言った。


「ああ。もう走らなくていいんだ。これからゆっくりと楽しんでいいんだ」


「そうか……」と言い、男は眠りについた。


 にっこりと笑っていた。

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