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第70話

 自室へ戻るなり、アスティはベッドの上に寝転がった。しばらくはごろごろと転がりながら、イニスの説明を反復し、法廷で陳述すべきか否か、陳述するとしたら何を話すべきなのかについて考えていたはずのだが、考えがまとまりきらぬうちに眠ってしまったようで、気が付いた時には、窓から朝日が射し込み、扉を激しく叩く音と共にマリアンヌがアスティの名前を呼んでいた。

「アスティ、アスティ! まだ寝ていますの!?」

 アスティは慌ててベッドから飛び起き、部屋の扉を開けた。

「おはようございます、マリアンヌ侍女長!」

「おはようございます、アスティ。あらあら、酷い寝癖ですわね。」

 アスティの顔を見るなり、マリアンヌがくすくすと笑った。言われて頭に手をやれば、髪の毛が頭の上でだいぶ派手に跳ねているのが分かる。

「す、すみません……。」

 アスティは跳ねた髪を手櫛で撫でつけながら恐縮した。

「いいえ。昨日は色々大変だったとイニス様から伺っておりますわ。今日は朝のお仕事は結構ですから、身支度を整えたらすぐにユミリエール姫のお部屋へ向かってくださるかしら。昨日のお話の続きがしたいとユミリエール姫がお待ちですのよ。」

 マリアンヌはそう言ってにこりと微笑むと、鼻歌交じりに宿所の食堂へと歩いていく。

 アスティは大急ぎで身支度を整え、キーロを連れてユミリエールの部屋へ向かった。アスティがユミリエールの部屋の扉を叩くと、すぐに中から「開いてるわ。」とユミリエールの声が返ってくる。

「失礼します。」

 そっと扉を開けると、部屋の中からおいしそうなパンの香りが流れ出してきた。香りの元を辿るように部屋の奥を覗けば、昨日、ユミリエールとお茶を共にした円卓の上に、かごに入ったパンが載っている。何種類かの卵料理と果物の盛り合わせももパンのかごを囲うように並べられていて、どうやらユミリエールの朝食はこれかららしい。マリアンヌに「急いで」と言われ、朝食をとらずにユミリエールの部屋へやって来たアスティとキーロには、魅力的過ぎる光景である。

「おはようございます、ユミリエール姫。」

 アスティは今にも泣き出しそうなお腹の虫を押さえ込みつつ、ユミリエールに挨拶した。肩の上のキーロも、テーブルの上の御馳走にそわそわと体を揺らしている。

「おはよう、アスティ、キーロ。今朝は随分としっかり眠りこけてたみたいね?」

「クエェ……。」

 ユミリエールの挨拶に対する答えのつもりなのか、肩の上のキーロが大きなくちばしを開けて欠伸をした。キーロも睡眠は十分に取ったはずだが、未だ寝ぼけ眼なのはお腹が空いているせいかもしれない。

「それで? 昨日は結局どうなったの? あなたとイニスが警察署に向かった後、東の森の事件についての報道はいくつか見たけど、どの記事も大きな密猟組織が壊滅したって話ばかりで、誤射事件の方は数行しか触れられてなかったから、よく分からないのよね。」

 ユミリエールに問われ、アスティは、まだぼんやりしていた頭を叩き起こし、事件の概要と捜査の状況を説明した。ムリクを撃った現場にいたらしい二人の男が捕まり、そのうちどちらかがムリクを撃ったことは間違いないが、二人の証言が食い違っていてどちらが撃ったか確定できていないこと、そして、警察署でアスティは事件の目撃者としてどちらが撃ったのかについての証言を求められたが、事件現場で犯人の姿を見たわけではなく、捜査の役に立つ証言はできなかったこと……。

「ふーん、なるほどね。嘘か本当か知らないけど、サルと間違えて人を撃って、怖くなったから逃げたなんて、いかにも小物感溢れる弁明ね。」

 アスティの説明を聞き、ユミリエールはつまらなそうにこぼす。

「まあ、片田舎の自治警察じゃ捜査能力に不安があるけど、今回の事件は過去最大級の密猟組織の摘発ってことでイニスも騎士団員を送り込んで口出ししてるみたいだから、どっちが撃ったのかは遠からず明らかになるんじゃないかしら。心配要らないわよ。」

 言いながら、ユミリエールは、昨日お茶を共にした円卓へ寄り、椅子を引き出すと腰掛けた。円卓の上には香ばしい香りの立つパンと、何種類かの卵料理がお皿に載って並べられている。どうやらユミリエールの朝食はこれかららしいが、一人分の朝食としてはだいぶ多い。

「……と言っても、まだ顔に『不安です。』って書いてあるわね。私で良ければ話は聞くわよ? 朝食、あなたたちもまだなんでしょう? 食べながらにしない? あなたたちの分も用意させたから。」

 そう言ってユミリエールが円卓の上の食事を指し示すと、キーロがパッとアスティの肩から飛び上がって「クエッ!」と嬉しそうに鳴いた。着地した先はもちろん、キーロの大好物であるマリイヤを含む果物の盛り合わせの目の前だ。アスティもユミリエールの向かいの席に腰を下ろし、ポットのお茶をカップに注ぎながら、イニスから被害者遺族として法廷で証言をする機会があると説明され、どうすべきか迷っていることを話した。

「まあ、せっかく言いたいことを言える機会を与えられたんだから、思う存分、有効活用したらいいんじゃないの?」

「有効活用……と言うと?」

「もし私が大事な家族を殺されたら犯人のことは絶対に許せないわ。一刻も早く死刑にしてくださいって訴えるわね。」

「そ、そんな……。」

「他人の命を奪った罪は、自分の命をもって償えってことよ。理に適ってると思うけど?」

「でも……。」

 ユミリエールの理屈は分からないではないものの、アスティにはどうしても受け入れ難い。反論しようと口を開き掛けたが、その先をどう続けていいか分からず、アスティは再び口を噤んで俯いた。

「……はぁ。」

 目玉焼きを切り分けていたユミリエールがあからさまなため息を吐いてナイフを置いた。

「これはイニスの説明とは違う話になるけど、はっきり言って、あなたの意見一つくらいじゃ判決の内容なんて大して変わらないと思うわよ? 確かに、一般人である参審員の判断が感情に影響されやすいのは事実だけど、まともに考えて今回の誤射事件を故意殺人と認定して死刑判決を出す馬鹿はまずいないわ。無差別連続殺人犯とかならともかく、今回は、高齢の老人が一人亡くなっただけだし、状況からして誤射なのは明らか。密猟の余罪はだいぶあるみたいだけど、いずれにしても死刑判決が出るレベルの事件じゃないわ。」

「そ、そうなんですか?」

「ええ。まあ、あなたがどうしても犯人を許せなくて、何が何でも死刑にしたいって言うなら、被告人の弁護人を抱き込んで工作できないこともないだろうけど。」

「工作……?」

 ユミリエールの言葉でアスティの脳裏に浮かんだのはかつて東の森でティムが作っていた木の枝を集めて組み立てたお城だったが、それが犯人を死刑にすることにどう繋がるのかさっぱり分からず、アスティは首を傾げた。

「分からないならそれで良いわ。あまりきれいなやり方じゃないし……私も嫌いよ。」

 ユミリエールは笑みを浮かべて言ったが、最後に「私も嫌いよ」と言い添えた時、その笑みは完全に消えていた。「分からないならそれで良い」とユミリエールは言ったが、分からないこと、知らないことだらけの王都に来て、「知ること」の重要性をイニスに説かれた身としては、本当に「それで良い」のか疑問が残る。しかし、アスティが問い掛けようと声を発するよりも早く、ユミリエールが言葉を続けた。

「とにかく、気楽に言いたいこと全部言ってやったら良いのよ。法廷には罪に問われている男たち本人もいるはずなんだから。恨み節の一つや二つぶつけてやったって罰は当たらないわ。」

 そう言うと、ユミリエールは丁寧に切り分けた目玉焼きを口へ運ぶ。

「言いたいこと……かぁ。」

 アスティはぽつりと呟き考えた。ユミリエールは恨み節の一つや二つぶつけても罰は当たらないと言い、イニスも唯一の家族を亡くした苦しみや悲しみを訴える権利があるとアスティに言った。確かに、ムリクの死はアスティに大きな悲しみをもたらしたし、叶うものなら再び東の森でムリクのうんざりするほどの長話を聞きたい。でも、それは叶わぬ願いだし、何より、アスティはムリクの死を契機として王都へ来ることとなり、悲しみに代わる楽しいこともたくさん経験してしまった。王都の驚くべき発明品を知り、王宮騎士団の面々と出会い、そしてユミリエールと友達になれたのは、ムリクに死をもたらした事件があったからだ。ムリクの死がアスティにとって「良かったこと」であるはずもなく、思い出せば今でも涙と共に悲しみは込み上げてくるけれど、それを人前で声高に訴えるのは躊躇われた。今のアスティが「言いたいこと」は、きっと、もっと別の……。

「食べないの? 冷めるとおいしくなくなるわよ。」

 ぼんやりと考え込んでいたアスティに、ユミリエールが怪訝そうな表情で声を掛けた。思考が中断されると同時に、我に返ったお腹の虫が「きゅうぅ。」と鳴く。

「あ、食べますっ。ありがとうございます。」

 アスティは慌ててユミリエールに応え、円卓の上のフォークを手に取った。果物の盛り合わせに早々にくちばしを突っ込んでいたキーロは、用意された果物のほとんどを既に平らげている。ぼんやりしていると、アスティの目の前の卵焼きもキーロに横取りされてしまうかもしれない。


 数日後、アスティは思いの外早くに決断を迫られることになった。ムリクを撃ったと疑われていた二人の男のうちの一人が、自分が撃ったことを認めて訴追され、正式に裁判が始まることになったのだ。

 ムリクを撃ったのは、途中で連れの男とはぐれたと証言していた男の方。イニスから伝え聞いた話によると、いかにも気の弱そうな男らしいのだが、その男が使っていた通信機を解析した結果、事件後、その男が連れの男に「俺、人殺しになるのかな?」と不安を吐露する連絡をしていたことが分かったらしい。問題のやり取りは逮捕前に端末から消されていたらしいが、最新の技術を使って復元することができ、自ら罪を告白している記録を突き付けられ、事件の経緯を全て自白したそうだ。

 そして、再びイニスの私室に呼ばれて捜査状況について報告を受けたアスティは、改めて、イニスから法廷で被害者遺族として意見陳述をするか否かを問われていた。

「その、法廷での意見陳述では、私は何でも言いたいことを言って良いんですよね?」

「……まあ、さすがにあからさまな罵詈雑言や法廷の秩序を乱すような言動は許されないが、被害者の遺族として裁判官や参審員、あるいは今回罪に問われている被告人に対して被害者感情を表明する場だ。陳述内容について特段の制約はない。専門的な助言が必要なら、専門家を紹介するが……。」

「い、いえ、言いたいことはもう決まっているので。」

 アスティは慌てて顔の正面で両手を振った。専門家の助言を受けた方がより多くの人の心に響く効果的な話ができるのかもしれないが、できることなら、ここ数日精一杯考えたことをそのまま自分の言葉で伝えたかった。

「そうか。ちなみに、法廷には裁判官や参審員のほかにも、傍聴人や被告人——つまり、犯人の男もいる。もし犯人と顔を合わせたくないなら、犯人との間に衝立を置いたり、カメラシステムを使って別室で陳述することもできるらしいが……。」

「いえ、私はむしろ、犯人の人がどんな人がお会いしてみたいです!」

 アスティが慌てて口を挟むと、イニスは一瞬驚いたようにアスティを見たが、すぐに手元の書類に視線を落として頷いた。

「それなら遮蔽措置は必要ないと伝えておく。当日は俺が裁判所まで送るよ。陳述の日時は追って連絡があるはずだ。」

「はい、よろしくお願いします。」

「クエッ!?」

 アスティがぺこりと頭を下げると、アスティの肩の上でアスティと一緒に話を聞いていたキーロが、アスティの肩の上でうとうとしていたのか、アスティが身を傾けると同時に肩から滑り落ちかけて慌てて空中へ羽ばたいた。

「……あの、裁判所にはキーロも連れて行っても大丈夫でしょうか?」

 思い立って、アスティはイニスに問う。

「大人しくしているなら問題ないとは思うが、確認しておくよ。」

「クエッ!」

 イニスの答えに、キーロは再びアスティの肩に舞い戻ってくると、「よろしく頼むよ。」とでも言わんばかりに気取ったポーズを取って鳴いた。


 裁判当日、アスティはイニスの移動用円盤ディスク・ボードに便乗して、裁判所へやって来た。もちろん、キーロも一緒である。受付で名乗ると、係りの女性がアスティが陳述する事件の審理をする法廷まで案内してくれ、一旦イニスと別れた。「後ろで見ている」と言っていたから、たぶん、法廷の後方の傍聴席にいてくれるはずだが、ユミリエールが言っていたとおり、法廷には大勢の傍聴人が集まっていて、廊下にも人が溢れていた。

 アスティは法廷の端の用意された席に座り、出番を待った。既に、アスティの斜向かいの席には、今回罪に問われている男が、屈強そうな制服姿の男二人に挟まれて座っている。背中を丸めて俯きがちで、男の表情は見えない。

「御起立ください。」

 突然の声と共に、傍聴人を含む法廷内の人々ががたがたと席を立ち、アスティもそれに倣って立ち上がった。同時に、法廷の奥の扉が開き、黒い服の男が三人、姿を現した。正面の大きな段の上の席に一列に並んで座ると、その後から年齢も格好もまちまちの男女がぞろぞろと入ってきて、三人の男たちの左右に並んで座った。法廷まで案内してきてくれた女性が最初に説明してくれたことによれば、最初に入ってきた三人の男が裁判官で、後から来た人々が参審員だろう。

「御着席ください。」

 再び掛かった声に、傍聴人たちががたがたと席に着く。

「それでは、これより甲種第五四八号事件の第三回公判を開始いたします。」

 中央に座った男が口を開き、裁判が始まった……ようである。

 アスティの傍らに座っていた男——公訴人と呼ばれていた——が、何やら長々と書面を読み上げ、大げさな身振り手振りを交えて語り始め、内容はどうやら密猟組織において被告人の男がいかに重要な役割を担っていたかということらしい。

 その後、何人かの人物が交代で証言台に立ち、ついにアスティが呼ばれた。

 中央の証言台に立つと、部屋中の視線が集まっているような気がした。目の前の一段高いところに座っている裁判官たちが、真っ直ぐにアスティを見下ろしている。

 話すことは決めてきた。何度か部屋でこっそり練習もした。だから、大丈夫。ちゃんと話せる……はず。

 握り締めた拳は、小刻みに震えていた。

「クエッ。」

 肩の上のキーロがアスティを励ますように小さく鳴いた。アスティは深呼吸をして、最初の言葉をゆっくりと吐き出した。

「ムリクおじいちゃんを撃った人は、猿と間違えておじいちゃんを撃ってしまったのだと聞きました。でも、猿でも人間でも同じ命です。もしあなたがまだ『猿なら撃ち殺していい』と思っているなら、考え直してほしいと思います。おじいちゃんは『森の守護者』でした。森の守護者は、森の命を守るのが仕事です。おじいちゃんは、森の生き物をペットにしたり剥製にしたりするために捕まえようとする人が増えていることをとても嘆いていて、あの日も、銃声を聞いて飛び出して行きました。森の命が無闇に奪われることを防ぐためです。森に暮らす動物や植物は、みんな生きています。家族がいて、友人がいて、その人を大切に思っている誰かがいます。みんな大切な命だから、無闇に傷つけてはいけないと、生前、おじいちゃんは私に教えてくれました。人も、猿も、鳥も、木も花も、全て大切な命で、それぞれの暮らしがあります。その暮らしを侵し、無闇に命を奪うことは誰にも許されません。だから私は……おじいちゃんを撃った人が厳罰を受けることを望みません!」

 アスティが意志を込めた言葉は思いの外大きく響き、一瞬室内がどよめいたが、アスティは落ち着いて言葉を続けた。

「おじいちゃんを撃った人がどんな罰を受けたとしても、おじいちゃんが生き返るわけじゃないから……死刑にしてほしいとか、一生牢屋から出られないようにしてほしいとかは思いません。おじいちゃんも、そんなことは望んでいないと思います。私は、おじいちゃんを撃った人にも家族や友人がいて、その人を大切に思う誰かがいるはずだと信じています。彼の命も、森の生き物たちと同じ大切な命です。だから私は、彼にもちゃんと生きていてほしいと思います。生きて自分のしたことを反省して、そして、おじいちゃんが守ろうとしていた森のことをもっと知ってもらいたいと思っています。」

 一度話し始めてしまったら、言葉は滝のように流れ出してきた。もう手も震えていない。

「森のこと?」

 怪訝そうな問い掛けが、アスティの前に並ぶ参審員の女性の口から漏れた。女性と目が合い、アスティは小さく頷いて続ける。

「七色の尾を持つ七色鳥、赤い艶やかな毛並みと大きな立派な角を持つ鹿、甘い樹液を出すムケイの木、特有の香りと苦味を持つフロウリーの葉、それから、大きなくちばしの黒い鳥……森にはたくさんの素晴らしい生き物が暮らしています。」

 途中でちらりと肩の上のキーロを見やると、キーロは「クエッ?」と小さく鳴いて首を傾げた。

「単に見た目が立派なだけではなくて、それぞれの暮らしが他の生き物の暮らしを支えています。私たち森の民の暮らしも、森の恵みに支えられて来ました。草木の実りを動物たちが食べ、動物たちの排泄物が土を豊かにして草木の成長を促します。蜜を求めて花に集まる虫たちは、草木の種作りを助け、果実を食べる鳥たちは、種子を新たな土地へ運びます。森の生き物は、大きな助け合いの環の中で暮らしています。どの生き物が欠けても、森の暮らしは保てません。ムケイの木が切り倒されてしまったら、その樹液を食料としていたムケイチョウも生きていけなくなってしまいます。森の営みは複雑で、一度崩してしまったら元に戻すことは難しいとおじいちゃんは言ってました。そういうことを、私は王都の人にももっと知ってもらいたいと思っています。」

 アスティはそこで一旦言葉を切り、大きく息を吸った。一番言いたいことを、一気に言い切るために。

「今、東の森では新しいエネルギープラントを建設するための開発計画が進められています。でも、政府の計画通りにプラントが作られたら、多くの森の生き物が生きる場所を失ってしまいます。おじいちゃんは、森の生き物たちのために、ずっと政府の計画に反対してきました。王都の人たちにとって、プラントが必要なものだということは知っています。でも、森の生き物にとっては、今のままの森が必要なんです! 私には、どうすれば王都の人が暮らしに困ることなく森を守れるのか分かりません。でも、みんなで考えれば、きっと何か良い方法が見つかるはずです。おじいちゃんが命懸けで守ろうとした東の森を守る方法を一緒に考えてください。私が、死んだおじいちゃんに代わって皆さんにお願いしたいことはそれだけです!」

 最後、アスティが叫ぶように言い終えると、法廷はしんと静まりかえった。

「……え、ええと、御発言は以上でよろしいですかな?」

 アスティの正面に座った初老の男——裁判官が、眼鏡の縁に手を掛けながら、柔らかな声音で問い、アスティはこくりと頷いた。

「それでは、本日はこれにて閉廷いたします。」

 裁判官がそう宣告して立ち上がると、アスティの後ろに座っていた人々も席を立ち、室内は一気にざわつき始めた。

 辺りを見回していると、ふと被告人の男と目が合った。両隣の屈強な男たちに促されて立ち上がった男が、軽くアスティに会釈したように見え、反射的にアスティも頭を下げたが、もしかしたら、ただ俯いただけだったのかもしれない。アスティが証言台に立って陳述している間、彼はほとんどずっと足元に視線を落としていた。アスティが厳罰を望まないと述べてどよめきが起こった時には、彼もハッと顔を上げたような気がしたが、アスティが視線を向けると同時に再び彼は俯いてしまい、その一瞬の表情が何を意味していたのかはっきりとは分からない。ただ、アスティの発した言葉が彼の心に届いていればいいと思った。

「お疲れ様でした。今日の審理はこれで終わりですので、お帰りいただいて結構ですよ。」

 受付から法廷までアスティを案内してくれた女性が側へ寄って来て、アスティに声を掛けた。

「この部屋ではすぐに別の事件の審理が始まりますから、どうぞあちらからの扉から御退出ください。」

 そう言って女性が示したのは、最初、法廷に案内された時にも通った裁判官と参審員の席に近い出入り口である。裁判が始まった時、傍聴席の後ろの方に立っていたはずのイニスを振り返ったが、後方の出入り口周辺には部屋を出ようとする傍聴人が集まってごった返しており、イニスの姿は見当たらない。とりあえず、一度廊下に出てイニスを待つのが良さそうだと判断し、アスティは前方の入り口から法廷を出た。

「あ、ちょ、ちょっとすみません! 今、法廷で陳述してた遺族の方ですよね?」

 廊下に出ると、人混みの中で誰かがアスティの肩を掴んだ。

「あ、私、週刊エウレール・スクープの記者で、リークという者です。」

 振り返ると、ペンとメモを片手に掲げた若い男——リークが親しげな笑みを浮かべていた。

「先ほどの法廷でのお話に関してもう少し詳しくお伺いしたいんですけど、この後お時間をいただけませんか? いや、実は私も今の政府のプラント計画については疑問を持っておりましてですね……。」

 リークは早口にまくし立てていたが、アスティが聞き返すよりも早く、男の顔に影が差し、何者かがリークの肩を掴んだ。

「悪いが、先約があるんだ。日を改めてくれないか?」

 見上げれば、傍らに立っていたのは馴染みの黒制服に身を包んだイニスである。

「え? 何であんたが……。」

 リークと名乗った若い男も戸惑いの表情でイニスを見上げている。

「聞こえなかったか? 先約があるんだ、取材の申し込みなら日を改めてくれないか。」

 イニスが感情の読みとれない表情でリークに重ねて告げる。

「……あ、ああ、改めるよ。」

 リークはすうっと腰を屈め、後じさるように人混みの中に姿を消した。

「お前が取材を受けたいと言うなら止めはしないが、あの記者は勧めない。色々と悪い噂もある奴だからな。」

 リークの姿が完全に見えなくなった後、イニスがぼそりとこぼした。

「とにかく、事は済んだ。次の事件もマスコミの注目事件だ。騒がしくなる前に出よう。」

 そう言って、イニスは廊下を歩き出し、アスティは慌ててその後を追った。

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