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第68話

 ユミリエールの部屋の掃除をひととおり終え、アスティはぐるりと部屋を見回した。

 棚の上の埃は払い落とし、棚に置かれた小物たちも一つ一つ丁寧に乾いた布で拭いた。床の埃も綺麗に掃いたし、ベッドシーツも新しいものをピシッとセットできている。

 先輩侍女たち曰く、王都の一般家庭では、掃除も洗濯と同様に機械に任せることの方が多いそうなのだが、ここ王宮では、機械を使わず一部屋ずつ侍女たちが掃除をする。その理由は、機械よりも人の手の方が隅々まで気配りができてより部屋を綺麗にできるということと、歴史的建造物でもある王宮の床や壁を傷めないためということらしいのだが、それに加えて、定期的に人が立ち入らないと魔窟になってしまう部屋があるからという理由もあるらしい。どういう魔法が働いて部屋が魔窟化するのかは聞き損ねてしまったが、魔窟化現象は騎士団の宿所で特によく起こると先輩侍女たちが憂鬱げにこぼしていたから、もしかしたら、数日前に見たナウルの部屋の惨状は「魔窟化」の兆候だったのかもしれない。

 幸い、ユミリエールの部屋に魔窟化の兆候はなく、騎士団の宿所の各室よりも広い部屋ながら掃除は順調に終了した。

「うん、完璧!」

 アスティは掃除用具を部屋の隅にまとめ、ぐるりと部屋の中を見渡しながら宣言した。

「クエッ!」

 途中、天井の照明の埃を払うのを手伝ってくれたキーロも、アスティの肩で胸を張る。

 掃除が終われば、後は、ユミリエールが部屋に戻って来るのを待つだけだ。果たして、マリアンヌが期待しているとおりの楽しいお茶会にできるだろうかと思いながら、アスティは腕を組んで考え込んだ。楽しくお喋りをするようマリアンヌは言っていたが、何について話せばユミリエールは楽しんでくれるだろう。

 次期女王と一対一で話せるというのは、アスティにとっては、東の森の開発を止めるために王女の協力を仰ぐ絶好の機会でもあるのだが、楽しくお喋りをするのにこれが相応しい話題であるとは思えない。まずはユミリエールと仲良しにならないことには、話をする前に部屋を追い出されてしまうような気がする。

「ユミリエール姫の好きなものって何だろうね?」

 肩の上のキーロに問いながら、アスティはぐるぐると部屋の中を手持ち無沙汰に歩き回っていたアスティは、ふと、鏡台の隣に飾られた飾り枠の隅に、見覚えのあるものを見つけた。

 アスティが王宮に着いた最初の日、ナウルがユミリエールに東の森のお土産として贈った藁人形である。あの時、ユミリエールは「後で捨てる」とか何とか呟いていた気もするが、こうして飾ってあるのは、ちゃんと大事しているということだろう。アスティは少しほっとした。ただ、心臓を貫くようにピンで突き刺されていることは、見ようによっては些か残酷なようにも見え、少なくとも、綺麗な金色の飾り枠と薄汚れた人形との取り合わせには、かなりの違和感を覚えるところではあるのだけれど……。

 金縁の飾り額と薄汚れた藁人形との奇妙な取り合わせに苦笑いを浮かべつつ、アスティは飾り額に飾られた他のものへと視線を移した。ピンに掛けて飾られた薄紅色の石の付いたペンダントに、細かな銀細工の髪飾り、そして何枚かの写真。よく見ると、飾られている写真はどれも少し古いもののようでやや色褪せており、全てに同じ女性が写っていた。青い瞳にブロンドの髪、ユミリエールに似てはいるが、ユミリエールやアスティよりも少し年長の大人の女性だ。飾られた写真のうち何枚かには、若き日の国王と思しき男性の姿もあり、その隣に並ぶ写真の女性が誰かは明らかだった。

 国王と並び立つことを許され、ユミリエールによく似た女性となれば、それはきっと、ユミリエールの母である亡き王妃に違いない。産着にくるまれた赤ん坊を抱いている写真もあり、たぶん、この赤ん坊の方がユミリエールだろう。

 亡き王妃のことは、侍女控え室での昼食会で、一度話題になったことがある。先輩侍女たち曰く、とても美しい、そして心の優しい人だったらしい。確かに、写真の中の王妃はどれも穏やかな微笑みを浮かべている。どの写真もとても幸せそうで、アスティも思わず笑顔になった。

「あなた、何しているの?」

 突然、背後から掛かった声に振り返ると、部屋の入り口にユミリエールが立っていた。ノックの音は聞こえなかったが、そもそも自分の部屋に立ち入るのに一々ノックをする人間もいないだろう。

「あ、ええと、私、先週から侍女見習いとして働かせていただくことになりまして……。」

 アスティは真っ直ぐユミリエールに向き直り、挨拶をした。

「そんなことはとっくに知ってるわ。私が聞いたのは、そこで何をしているのかってことよ。掃除はもう終わったの?」

 ユミリエールはアスティが部屋の入り口のまとめて置いた掃除用具を横目に問う。

「あ、はい。さきほど。」

「ふーん。じゃあ、掃除のついでに綺麗な宝石でも二、三個でも貰っていこうとか思ってたところかしら?」

「え、これは頂いてもいいものなんですか? 東の森では、勝手に人のものを盗ったら泥棒になっちゃうんですけど……。」

 アスティは驚いて問い返し、鏡台周りに飾られた宝石たちを振り返った。

「……王都でもそれは泥棒よ。勝手に触ったら怒るわよ。」

 背後から呆れたようなため息が聞こえてアスティが再びユミリエールに向き直ると、ユミリエールは訝しげに眉根を寄せてアスティを睨んでいる。

「あ、あの、私はここの写真を見ていたんです。この写真の女性、全部ユミリエール姫のお母様ですよね?」

 アスティは壁の飾り額を指差しながら、ユミリエールに問う。

「……そうよ。どうせ、母親の写真ばかり飾って子供っぽいって言うんでしょう?」

 ユミリエールはアスティに——と言うより、飾り額の付いた壁に歩み寄りながら答える。

「いえ、お母さんの写真がいっぱいあっていいなって思いました。私の両親の写真は一枚だけなので……。」

 アスティは飾り額に向き直り、飾られた写真を眺めながら感想を述べた。

「写真しかないもの。」

 アスティの傍らで、ぽつりとユミリエールがこぼした。

「え?」

「私のお母様は私を産んですぐに亡くなったから、私はお母様の顔も覚えてないわ。たったこれだけの写真しかないのよ。」

 ユミリエールはふっと寂しげに微笑み、愛おしげに母の写真に触れた。その表情が、写真の中の赤ん坊を抱く王妃にそっくりで、アスティは思わず息を飲む。

 アスティも幼い頃に両親を亡くしたが、それはアスティが物心付いた後のこと。優しかった両親との思い出はちゃんと記憶の中に残っている。それは、写真よりもずっと確かなものとしてアスティの中にあるのだ。

「ええと、あの……。」

「いいわよ、別に気を使わなくて。」

 何か慰めの言葉を掛けようとしたアスティの言葉を遮って、ユミリエールは睨みつけるようにアスティを振り返った。そこに寂しげな微笑みはもう存在しない。

「私、あなたなんかに同情されたくないし。」

 そう言うなり、ユミリエールはぷいっと横を向き、部屋の中央に置かれた白い円卓へと歩き出した。アスティは呆気にとられて、ぼんやりと立ち尽くしたままその後ろ姿を見送る。

「それに、私にはお父様がいるもの。独りぼっちのあなたよりマシだわ。」

 独りぼっち——ユミリエールが発した言葉に、アスティはきゅっと心臓を掴まれたような気がした。

 アスティの両親は六歳の時に亡くなった。以来、唯一の家族であった祖父も先日凶弾に倒れ、今、アスティは……。

「クエッ?」

 アスティが思わず俯くと、キーロが不思議そうにアスティの顔を覗き込んできて、アスティはっとした。

「わ、私は独りぼっちじゃないですよ! キーロがいますし、騎士団の皆さんや侍女の先輩方も良くしてくださいます。王都にも叔父や従兄弟が……。」

「そう。いいわね、お友達がいっぱいいて。」

 アスティが声を上げると、振り返ったユミリエールはつまらなそうに返し、テーブルの椅子を引いて腰掛ける。

「それに、ユミリエール姫だって、国王陛下だけじゃないですよね。侍女のジェーンさんやサラさんもユミリエール姫の大事なお友達なんですよね?」

「……何よそれ、嫌みのつもり?」

 ユミリエールが不機嫌そうにアスティを睨みつけてきて、アスティは戸惑った。アスティとしては、数日前にユミリエールには友達がいないと言ったナウルへの反論としてユミリエール自身が述べた事実を確認しただけのつもりなのだが……。

 ——ドドーンッ、ダンッ!

「お待たせいたしましたわー!」

 ノックの音と言うよりは扉に体当たりするような音と共に、甲高い声と侍女長マリアンヌが飛び込んで来た。

 アスティは、ユミリエールと共に呆気にとられてマリアンヌを見つめる。

 マリアンヌの片手には、銀色の大きなトレイが載っていて、そこにはティーポットと二人分のカップ、そして色鮮やかな丸いクッキーのようなものが山のように積み上げられたお皿が並んでいた。

「お茶とお菓子をお持ちいたしましたわ。お喋りは弾んでいらっしゃいます?」

 マリアンヌは楽しそうに問うが、ユミリエールは不機嫌そうに視線を逸らし、押し黙っている。

「あら、お邪魔だったかしら? そうですわよね、せっかくの女子会ですものね。秘密のお話もありますわよね。私、お茶をいれましたらすぐに失礼いたしますわ。あ、お茶もお菓子も、お替わりが必要な時は呼び鈴でお呼びくださいね。侍女の誰かがすぐに持って参りますわ。あ、こちらのお掃除用具は私が片付けておきますわね!」

 マリアンヌは持ってきたトレイを円卓に置き、手早くテーブルにカップを並べてお茶を注ぐと、アスティが部屋の入り口にまとめておいた掃除用具を抱え上げた。

「あ、ありがとうございます!」

「どういたしまして。どうぞごゆっくり。楽しいお茶会を。」

 アスティがお礼を述べると、マリアンヌは掃除用具を抱えて風のように去っていった。

 再び、部屋の中に静寂が訪れる。

「座ったら?」

 先に口を開いたのは、ユミリエールだった。

「せっかくいれてくれたんだし、残すと口に合わなかったのかとか、何か問題があったのかとか後でうるさく詰問されるわよ?」

 言いながら、ユミリエールは自分の目の前に置かれたカップを手に取り、口元へ運ぶ。

 アスティも、ユミリエールの向かいに腰を下ろし、そっとカップを手に取った。宿所の食堂で使っているものとは異なる繊細なカップには、花の模様が描かれている。丁寧に扱わないと、うっかり壊してしまいそうだ。

「ねえ、この際だから聞くけど、あなた、イニスのことどう思ってるの?」

 アスティが静かにお茶を飲んでいると、唐突にユミリエールが切り出した。

「イニスさんのこと……ですか?」

 アスティがきょとんとして聞き返すと、ユミリエールは黙って頷き、先を促す。

「ええと、とても優しい方ですよね。騎士団の宿所のお部屋を貸してくださって、こうして侍女見習いとしてのお仕事もくださいましたし。」

 アスティは素直にイニスに対する印象を述べた。

「それだけ?」

 不満げなユミリエールに重ねて問われ、アスティは考えた。

「ええと、それから……イニスさんは東の森でも祖父の埋葬を手伝ってくださいましたし……あ、それは、ナウルさんもですけど。」

 ユミリエールの問いに答えながら、アスティは自分の答えに違和感を覚えていた。祖父ムリクの埋葬を手伝ってくれたのは、実際にどれほど労働力を提供したかという点は別にして、ナウルも一緒だった。王都へ来ることに関して言えば、ナウルはアスティの立場に立ってより実践的なアドバイスをくれたし、王都の案内までも自ら買って出てくれた。王宮内を案内してくれたジェイスやヨルンも親切だった。「優しい」のは決してイニスだけではないはずなのに、アスティはイニスに大して特別に「優しい人」だという印象を持っている。

 ——どうしてなんだろう?

「そうじゃなくて。」

 ユミリエールが苛立たしげに口を挟み、アスティは慌てて思考を切り替える。問われていることがイニスを「優しい」と思う理由でないのなら、ユミリエールの「それだけ?」はイニスについて他に思うことはないのかということだ。

「あ、イニスさんは数学がお得意だと聞きました! 私は、数学はあまり得意じゃないんですけど、すごく難しい問題を解いたって……。」

「四次元定理のこと?」

「そうです、それです! それから、剣術の腕前も王国一だって聞きました! 優しくて、強くて、頭も良くて……すごいですよねぇ。」

 アスティがにっこりと微笑むと、ユミリエールは不機嫌そうにアスティを睨んだ。

「もういいわ。」

「え?」

「もういいって言ったのよ。そういう話が聞きたかったわけじゃないから。」

 ユミリエールはテーブルに頬杖を突き、ため息を吐いた。どうやらアスティの答えはユミリエールの期待するものではなかったらしいが、何がいけなかったのかアスティにはよく分からない。四次元定理の内容をきちんと説明できなかったのがいけなかったのだろうか。

「……あなた、イニスが『悪魔の犬』って呼ばれているのは知ってる?」

 不意にユミリエールが切り出した。

「はい。イニスさんが、金曜日に王宮前広場でデモをしている人たちや貧民街の人たちから嫌われているということは……。」

 アスティは手元のカップに視線を落としながら答える。

「それでも、あなたはイニスを優しい人だって言えるの?」

 ユミリエールがテーブルに両肘をついて身を乗り出し、射るような視線をアスティに向けた。思わず身を退きそうになったが、アスティはカップを握る手に力を込めて、真っ直ぐにユミリエールを見つめ返す。

「はい。他の人が何と言おうと、私はイニスさんは優しい人だと思います。」

 はっきりとそう告げると、ユミリエールは「ふんっ。」と鼻を鳴らし、強ばった空気が一瞬緩んだ。

「でも、あなただって結局、政府の決定が気に食わないって騒ぎ立てるんでしょう?」

 ユミリエールは腕を組んで椅子の背にもたれ、なおも不信感に満ちた視線をアスティに向ける。

「確かに、東の森の開発を止めてほしいという点は私も彼らと同じです。でも、私は、イニスさんのことを『悪魔の犬』なんて言ったり、そういうのは違うと思っています。抗議活動デモをしている人たちは、イニスさんのことをちゃんと知らないからで……イニスさんが『悪魔の犬』なんて呼ばれているのも、きっと色々な誤解があるせいだと思うんです。だから、本当のイニスさんは……。」

「甘いわね。例え全てが誤解でも、その誤解が解けない限り、当事者にとってそれは事実と変わらないわ。」

 アスティの言葉を遮って、ユミリエールが冷ややかな口調で言う。

「でも、誤解が解ければきっと分かり合えるはずです。ちゃんと話せば……。」

「話してるわよ、何度も! 新プラントの必要性は折に触れて政府が広報しているし、市民団体の代表を王宮に招いて個別に説明までしたわ。それでも、彼らは聞く耳を持たない。そもそも、彼らが批判する失政の責任者はイニスじゃなくて、ほとんどあのぼんくら首相なのよ。それをあのなすび顔、自分への批判をかわすためにイニスに矛先が向くよう馬鹿な連中を裏で焚きつけてるのよ……私、あのなすびも市民団体の連中も無教養で大嫌いだわ。私が王位を継承したら、全員死刑にしてやるんだから!」

 ユミリエールの口から出た究極の言葉に、アスティは絶句した。

「……だ、ダメですよ。そんな死刑だなんて、ちゃんと話し合わないと……!」

 震える声で窘めると、ユミリエールは「分かってるわよ、そんなこと!」と叫び返してきた。

「国王の気分一つで刑罰が決められたのなんて、もはや大昔の伝説。今は、犯罪者は議会を経て制定された法律に基づいて裁かれ、国王が刑の執行命令書に署名するのもほとんど形式上のことに過ぎなくなってる。それでも……話し合いが無駄なら、力ずくで黙らせるしかないじゃない。私は約束したのよ、イニスのことを守ってあげるって。」

 強い口調で語っていたユミリエールが最後にぽつりと呟くようにこぼした一言に違和感を覚え、アスティは思わず「え?」と聞き返した。

「ユミリエール姫がイニスさんを守るんですか?」

 国王の護衛を任務とする王宮騎士団の長であるイニスが、次の国王であるユミリエールを守るのなら分かるが、ユミリエールの方がイニスを守るというのは不自然に思える。

「そうよ。今でこそ王宮騎士団長なんて立派な肩書き付けて偉そうにしてるけど、初めて会った時のイニスは私より背も小さかったし、言葉も舌足らずだったんだから。いかにも弱そうって感じで捨てられた子犬みたいな顔してるし、かわいそうだったから、私が守ってあげることにしたの。」

 懐かしそうに語るユミリエールの話を聞きながら、アスティは想像した。

 今のイニスは、アスティやユミリエールよりもだいぶ背も高いし、ゴートンほどの逞しさはないにしても決してひ弱には見えないが、イニスだって生まれた時から今の大きさだったはずはないし、数学や剣術が得意だったはずもない。イニスにだってアスティの従弟であるティムのように幼い少年時代はあったはずだ。アスティはかつて東の森で自分の後をよちよちと追いかけていたティムの姿を脳裏に描いた小さなイニスの姿と重ねてみた。今のイニスも決して口数の多い方ではないし、どちらかと言うと物静かなおとなしい少年だったのではないかという気はするから、ユミリエールの話にも一応の信憑性はありそうだ。

「それからずっーと、私がイニスを守ってあげてるのよ。」

 そう言ってユミリエールは得意げに胸を張った。

「ずーっと、ですか。」

 アスティはユミリエールの言葉を繰り返し、考える。「ずっと」と言うことは、即ち「今も」ということだ。幼い頃ならともかく、王一番の剣士とまで呼ばれるようになったイニスを「守ってあげてる」とは、もしかしたらユミリエールもヨルンやキュエリのような古武術の使い手だったりするのだろうかとアスティは疑った。確かに、以前、赤絨毯の廊下でユミリエールがナウルの背に食らわせたらしい蹴りはなかなか強烈だった。

「もしかして、ユミリエール姫は、イニスさんよりもお強いんですか?」

 アスティが恐る恐る尋ねると、ユミリエールは鼻を鳴らした。

「当然でしょう? 私はいずれこの国の女王になるんだから。その気になればあんただってすぐに追い出してやれるのよ?」

 ユミリエールの挑発的な言葉に、アスティはユミリエールの言う「強い」の意味を理解した。アスティが王宮住まいを許されたのは、ほとんどイニスの一存だ。それを覆せるということは、例え剣の腕や体力において劣るとしても、確かに、ユミリエールはイニスよりも強いのかもしれない。

「ま、まあ、わざわざイニスが連れて来たってことは、あなたにも何かしら役に立つのかもしれないし、少なくともマリアンヌはあなたが見習いとして手伝ってくれて助かってるって言ってるし、王都で一人で野垂れ死にされても困るから、別に今すぐ出て行けなんて言わないけど……!」

 アスティが黙っているとユミリエールは腕を組み、ぶつぶつと言い漏らした。

「ユミリエール姫はお優しいんですね。」

 アスティは思わず微笑み、ユミリエールに告げる。自分を王宮から追い出さずにいてくれるからだけではない。ユミリエールの言葉の端々に、イニスや侍女長マリアンヌへの気遣いが見えたからだ。森の民や反政府を掲げる市民団体への憤りも幼い頃に「守る」と約束したイニスのためで、アスティに対する厳しい態度もアスティをイニスを不当に攻撃している彼らの仲間と見たのならやむを得ないことなのかもしれない。

「な、何よ、いきなり。褒めたって別に何も出ないわよ?」

 ユミリエールは不満げに言ってそっぽを向いたが、その頬は照れたように薄紅色に染まっている。

「はい。分かっています。」

 アスティが笑顔で答えると、ユミリエールの頬が益々紅潮した。

「新しいものを出す気は全くないけど、そこにあるお菓子は食べたら? こんなにたくさん、一人じゃ食べきれないし。」

 そう言って、ユミリエールは円卓の中央に置かれていたお菓子の載ったお皿をアスティの方へ押した。

「はい、ありがとうございます。」

「クエッ!」

 アスティが微笑んで礼を述べ、お皿の上に積み上がったお菓子に手を伸ばすと、キーロもアスティの肩から円卓の中央へと飛び移り、大きなくちばしをカパッと開けて、お皿の上のお菓子の山に突っ込んだ。

「……え?」

 アスティとユミリエールの声が重なると同時に色鮮やかなお菓子はキーロの大きなくちばしになだれ込み、一瞬にして姿を消した。

 ——ごっくん。

 キーロはお菓子の山のほとんどを一飲みにして、くちばしからこぼれ落ちた残りのお菓子を一つずつくちばしの先で拾い、喉の奥へと送り込んでいく。アスティとユミリエールが呆然としている間に、お皿の上のお菓子はきれいさっぱり姿を消した。

「あ、あの、これ、最後の一つ……。」

 アスティは自分の手に残った最後の一個であるお菓子を、おずおずとユミリエールに差し出す。このお菓子は、本来、ユミリエールのために用意されたものなのだ。

「良いわよ、私は。マカロンくらい、いつでも食べられるし。」

 ユミリエールは頬杖を突き、そっぽを向きながら言った。申し訳ない気はしつつも、ここはユミリエールの厚意をありがたく受け取るべきなのだろう。何より、キーロが一山を一気に食べてしまった可愛らしいお菓子をアスティも食べてみたかった。

「マカロンって言うんですか、このお菓子。可愛いですね、見た目も名前も。」

 アスティは感心しながら手にしていた薄紅色のお菓子——マカロンを一口かじった。さくりとした食感の後、滑らかなクリームの舌触りとチェルベリーの香りが口いっぱいに広がる。

「……これ、すっごくおいしいです!」

 アスティは感激して声を上げた。金曜日の宴席で出されたチェルベリーパイもとてもおいしかったが、このマカロンは見た目の可愛らしさも相まって、それに劣らぬ味だ。さっくりと軽いクッキーに挟まれたクリームの中にチェルベリーの実は見えないが、口の中にははっきりとチェルベリーの甘酸っぱい香りと味わいが広がる。

「気に入ったなら、おかわりを貰う?」

「クエッ、クエッ!」

 ユミリエールの提案に、キーロが嬉しそうに声を上げた。

「良いんですか? 新しいものを出す気はないっておっしゃっていたのに……。」

 アスティが驚いて聞き返すと、ユミリエールが一瞬不愉快そうな表情を浮かべ、それからその不快感を吐き出すように大きなため息を吐く。

「……本当に、あなたと話していると、自分がすごく馬鹿みたいに思えてくるわね。」

 ユミリエールは頬杖を突き、視線を外しながら吐き捨てるように言った。

「そんな……私には、ユミリエール姫は私よりもずっと賢いように見えます。」

「当たり前でしょ! あなたより馬鹿な人間なんてこの王宮内に一人もいないわよ!」

 ユミリエールが立ち上がって円卓を叩き、お茶のカップがぴょんっと飛び跳ねる。幸い、中身は既に飲み干した後で、お茶はこぼれずに済んだ。

「す、すみません……。」

 ユミリエールの剣幕に気圧され、アスティはどうしてユミリエールが怒ったのかいまいちよくわからないまま、反射的に謝罪の言葉を吐き出した。

 ユミリエールの言葉は、即ち、この王宮内でアスティが一番馬鹿だということだ。アスティにとっては些か衝撃的な言葉だが、確かに、イニスを始め王宮騎士団の面々は様々な分野の専門家でアスティよりもずっと頭が良いことは間違いないし、侍女の先輩たちもアスティよりずっとてきぱきと仕事をこなしていて優秀だ。アスティに彼らより優れたところが一つもないとまでは思わないが、あえて順位付けをすれば、アスティが最下位になるのもやむを得ない気はする。

「クエッ、クエッ!」

 キーロが空のお皿の端をくわえて、お菓子のおかわりを催促する。

「あなたが食べたいならおかわりを貰ってもいいけど、この鳥にこれ以上食べさせるのは危険じゃない? お腹壊すわよ?」

「そうですね……。」

 ユミリエールがキーロを指さしながら呆れた表情で言い、アスティもそれに同意した。毎度のことではあるが、キーロの食べたものがどうやってその小さな身体に収まっているのか、全くもって不思議である。

「お茶の方は、まだ少しポットに残ってるけど、もう一杯飲む?」

 ユミリエールがポットの蓋を開けて中を覗き込み、アスティに問う。

「はい、いただきます。」

「クエェ……。」

 笑顔で答えたアスティの傍らで不満げに鳴いたキーロを、ユミリエールが「あなたは食べ過ぎ! 我慢しなさい!」と窘めた。

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