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第5話 温もりを囲んで

 日は既に西に落ちている。木々の合間から覗く夜空は、夕方から増え始めた雲に覆われている。

 アスティは、いつも通りテントの脇で火をたき始めた。日没前に戻ると言っていたイニスとナウルは戻ってこない。小鳥たちも眠り始め、森は静かになった。先ほどまで夕食として好物のマリイヤの実をつついていたキーロも、テントの支柱に作った巣で体を丸くしている。

 アスティは雑穀と乾燥果物の欠片を入れた鍋に水をひたひたに注ぎ、火に掛けた。たき火の前に腰を下ろし、揺れる炎を見つめながら鍋がぐつぐつと音を立てるのを待つ。夕食前のこの時間は、いつもムリクが森に暮らす様々な生き物の話をしてくれていた。しかし、彼が口を開くことはもう二度とない。

 アスティはぎゅっと膝を抱え、両腕の間に顔を埋めた。


 ふと、森の木々が騒いだ。アスティは顔を上げ、警戒した。夜風は穏やかに通り過ぎていく。木々のざわめきが激しくなる。

 何かが来る——。

 アスティが立ち上がると同時に、アスティが予感したとおりに何かが木立から飛び出してきた。

「いやっほーい! 到着やー!」

 奇妙な叫び声を上げて現れた人物には見覚えがあった。

「……な、ナウルさん!?」

 木立から飛び出してきたのは、紛れもなく、昼間、お茶をごちそうした金髪の男、ナウルだった。昼間会った時と違うのは、彼が、空中に浮かぶ不思議な円盤型の板の上に乗っていることだ。

「おお、アスティちゃん! わざわざ出迎えてくれるなんて感激や!」

 ナウルはくるりと宙返りをして、円盤型の板から飛び降りた。

「ナウル! 飛ばし過ぎだ! この森には貴重な動植物が多いから気を付けろと言ったのはお前だろうが!」

 木立の奥から響いた声にアスティが振り返ると、現れたのはイニスだ。彼もまた、ナウルと同様の空飛ぶ円盤に乗っている。

「そやかて、お前がつまらへん仕事が残ってるとか言ってなかなか出発せえへんから、日没過ぎてもうたんやで? アスティちゃんが寂しがっとるはずや思て、全速力で駆けつけるんは当然やろ?」

 ナウルが早口でイニスに返すと、イニスは反論するのも面倒だと言わんばかりの表情でため息を吐く。

 二人のやりとりを眺めながら、アスティはただ呆然としていた。

 二人が乗っていた円盤型の板がどういう仕組みで中に浮いているのか分からなかった。ガラスの板以上の発明品に、ただただ感嘆した。

 そして、二人が約束通り戻って来てくれたことが——。

「ん? アスティちゃん? どうしたん?」

 ナウルが呆然としているアスティの顔を覗き込んだ。

「悪かったな、遅くなって。半日留守にしてる間に仕事がたまってて……。」

 イニスが言い終わらぬうちに、アスティは左右にぶんぶんと首を振った。

「……ありがとう!」

 アスティは二人に向かって微笑んだ——つもりだった。頬を生温かい液体が伝っていることに気づき、慌てて左手で拭う。

「……?」

 イニスが一瞬、不思議そうな顔をして首を傾げたが、イニスが問いを口にするよりも早く、ナウルが叫んだ。

「……おお! なんかええ匂いがするで!」

 ナウルの視線はアスティがたき火に掛けた鍋に向いている。

「少しでも早く着こ思て、食事もせずに出てきたもんやから、俺ら、はらぺこやねん! ご飯にしよ、ご飯!」

 ナウルはそういってたき火の脇に腰を下ろす。

「他人の食事にたかるな。俺たちの分はちゃんとこっちに携帯食を持ってきてるんだ。」

 イニスはナウルをたしなめ、肩に下げていた荷物を地面に下ろす。

「いややー! 携帯食なんてまっずい飯より、俺はアスティちゃんの手料理のがええ!」

 ナウルが両手の拳を握り締めて抗議する。

「お前は人の飯を横取りする気か……。」

 イニスが呆れたようにため息を吐くが、アスティは笑った。

「大丈夫ですよ! 少し多めに作ってありますから。お口に合うか分かりませんけど、よろしければイニスさんも……。」

 アスティがイニスを振り返ると、イニスは驚いたような表情を見せ、それから俯きがちに小さく「悪いな……。」と呟いた。

「とんでもない! 食事は大勢の方が楽しいですから。」

 アスティはそう答えると、急いで食事の支度に取り掛かることにした。お腹を空かせたナウルが涎を垂らしながら、ぐつぐつと煮え立つ鍋を見つめている。アスティはうきうきとしてテントの中に三人分の食器を取りに行った。

 そんなアスティの背を見つめながらイニスは微笑んだが、その笑みを視界に捉えていたのは、テントの上の支柱の上で、うたた寝から目覚めたキーロだけだった。


 三人で囲んだ食事の席は、賑やかだった。賑やかさの発生源は九割方ナウルで、アスティはナウルのせりふの僅かな合間に相づちを打つのが精一杯だった。

「それから、ムケイっちゅう木には雄の木と雌の木があって、雄と雌とで樹液の成分が微妙に違うんやけどな、ムケイチョウっちゅう蝶は、その樹液の違いが分かっとるみたいなんや。しかも! しかもやで! 東の森のムケイチョウは雌のムケイの木の樹液に集まるんやけど、西の森のムケイチョウは雄のムケイの木の樹液にしか集まらへんねん! 東と西で味の好みが違うんや! 驚きやろ?」

 ナウルの話は面白かった。森の生き物に関するナウルの知識は王都の人間とは思えぬほど深く、森の民であるアスティも知らない話がたくさんあった。東の森にとどまらず、エウレール全土にわたって幅広い知識を身につけているらしいナウルは、森の守護者であったムリクよりも森のことを詳しく知っているのではないかと思えるほどだった。

「おかわり!」

 話が一段落したところで、ナウルが空の器をアスティの眼前に差し出した。ナウルの「おかわり!」は、これで二回目だ。

「ごめんなさい、もうこれでおしまいなんです。」

 アスティは空の鍋を覗き込んで言った。元々今夜の夕食は一人で食べる予定だった。いつもの癖でムリクの分を含めた分量で用意してしまったから、実質的には二人分の夕食を用意したことになるが、腹ぺこの青年を含む三人分の食事としては、少々少なかったことは否めない。途中で、乾燥果物を少し足して嵩増ししたのだが、二回目の「おかわり!」は想定外だった。

「えー!」

「……やるよ。」

 心底残念そうな顔で叫んだナウルに、イニスが自分の器を差し出した。器の中身はほとんど手を付けられていないように見える。

「お口に合いませんでしたか?」

 アスティは遠慮がちに尋ねた。

「……いや、そんなことは……。」

 イニスの答えは曖昧だったが、食事中のイニスの表情から好みの味ではないらしいことは明らかだった。

「アスティちゃんの手料理をまずい言うなんて、けしからんやっちゃ! 罰が当たるで。」

 ナウルがそう言ってイニスの手から粥の入った器を奪い取り、がつがつと口に運ぶ。

「俺はまずいだなんて一言も言ってないだろうが!」

 イニスが反論するが、ナウルは聞こえていながら無視するつもりなのか、夢中で粥を食べている。

「……ただ、粥に果物を入れるという発想がなかっただけだ。」

 イニスが申し訳なさそうに付け足し、アスティは驚いた。

「王都の人は、お粥に果物を入れないんですか?」

 東の森では——少なくともアスティが暮らしていた集落では、粥には果物を入れるのが当たり前だった。果物が手に入らない時には、雑穀だけの粥になることもないわけではなかったが、旬の果物が少ない真冬でさえ、保存用に乾燥させた果物を入れるのが普通だ。

「……森の民は、みんな粥に果物を入れるのか?」

 驚いた表情のイニスに問い返され、アスティは頷いた。

「……かわってるな……。」

 イニスが言われ、アスティは首を傾げた。

「それじゃあ、王都の人はお粥には何も入れないんですか?」

「いや……卵や野菜なら入れる。」

「卵や野菜……でも、それじゃあ甘くならないですよね?」

「……粥ってのは、普通、甘くないものじゃないのか?」

 アスティとイニスは顔を見合わせてしばし無言で見つめ合った。どうも王都というところは、東の森とはだいぶ違うところらしい。

「うまー! この素朴な味わい、まさにお袋の味や! 」

 イニスから奪った粥を完食したナウルが、きれいに空っぽにした器を地面に置いて叫んだ。アスティが作った粥を先ほどから既に何度も手放しに褒めてくれるのだが、その食べっぷりを見れば、それが決して単なるお世辞ではなく、本当に今日の夕食を気に入ってくれてのものなのだと分かる。

「お袋の味って、お前ん家の粥は果物なんか入れないだろうが。」

 イニスが突っ込みを入れると、ナウルはきょとんとした。

「何言ってんねん! 粥に果物入れるんは当然やろ! エウレールの伝統的家庭料理やで!」

「嘘を吐くな! 俺は王都で果物入りの粥を食ったことなんか一度もないぞ!」

「うちのおかんはいつも果物入れとったで!」

「それはお前の家だけだろう!」

「ちゃうわ! お前は王宮で御馳走ばっか食べとるから知らへんねん!」

 アスティが今日何度目かの彼らの口論を止めるべきか悩んでいるうちに、イニスが押し黙って口論は終了した。基本的に彼らの口論は、イニスが黙るか、ナウルがイニスに睨み付けられてひるむかで終了するらしい。

 彼らが激しく言い争いながらも取っ組み合いの喧嘩を始めることはないということにアスティはほっとしたが、ナウルの攻撃に口を閉ざしたイニスの表情が悲しげに沈んだことが気になった。

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