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第40話 貧民街の視線

 「まあ、とりあえず飯やな、飯!」

 自動昇降機でエルタワーの展望室から再び地上へと降り立つと、ナウルは空のボトルを片手で弄びながら言った。ナウルが弄んでいるそのボトルは、イニスがアスティとキーロに譲ったマリイヤジュースではなく、イニスの跳び蹴りを食らったナウルがその後、展望室にあった自動販売機——東側の壁際にあった飲み物の並んだ箱をそう呼ぶらしい——で自ら買ったものだ。

 展望室を降りる前に、ナウルはそれを買いながら、自動販売機と呼ばれる王都の発明品について一通りの説明をしてくれた。コインを入れてボタンを押すと選んだ商品が出てくるという仕組みは、飲み物のボトルの他にも様々な商品を扱ったものがあるらしい。

 そして、この時ナウルが買った「ミルキーミックスマックス」は、様々な果物の果汁と牛乳を混ぜた飲み物だと言う。僅かにマリイヤ色を帯びた乳白色の飲み物の入ったボトルには、白地に黒一色の極太の書体で「ミルキーミックスマックス」と書かれた地味なようで派手なラベルが付されていた。イニスには「甘過ぎる」飲み物だそうだが、滑らかな果物入り粥のような見た目は、アスティにはおいしそうに思えた。ナウルに「一口飲んでみぃひん?」と勧められ、ぜひ飲んでみたいと思ったのだが、アスティが答える前にナウルがイニスに二度目の跳び蹴りを食らわされてしまい、結局、味見をさせてもらうことはできなかった。イニス曰く、一度口を付けた飲み物を他人に勧めることは王都において極めて失礼な行為になるらしい。東の森では、神事の際に、一つの杯で酒を回し飲み、相互信頼の証とするのだが、この点はだいぶ感覚が違うようだ。イニスがキーロのために差し出したボトルのマリイヤジュースをアスティが飲んでしまったことに驚いたのも、そういう理由なのだろう。アスティはナウルがおいしそうに飲んでいた「ミルキーミックスマックス」を、いつか自分で買おうと心に決めた。

「アスティちゃんは何か食べたいもんある?」

 規則正しく街路樹が並んだ通りを歩きながら、くるりと振り向いたナウルに問われ、アスティは唸った。飲みたいものなら「ミルキーミックスマックス」なのだが、今ここでその名を挙げることはイニスに対してもナウルに対しても失礼になりそうだ。

「特にこれというものは……。」

 昨晩の宴席で様々な御馳走を食べ、大概のものは昨日食べてしまったような気がするから、咄嗟には食べたいものが浮かばない。うっかり王都では入手しづらい食材などを挙げてしまうとナウルを困らせることにもなりそうだ。

「ほんなら、俺のおすすめのお店でええか? この先にめっちゃうまい店があんねん!」

 ナウルが言い、アスティはほっとしながら頷いた。

「その、お前のおすすめってのは、真っ当な店なんだろうな?」

 イニスが眉間にしわを寄せながらナウルに念を押し、ナウルは「当ったり前やん!」と言って軽い足取りで先を行く。

 イニスがアスティの傍らでため息を吐き、アスティは苦笑しながらイニスと並んでナウルを追いかけた。

 一行は、しばらく鏡のような外壁の建物の間を歩いていたが、ナウルについて左に右にと度々角を曲がりながら歩くうち、次第に周囲の景色が変わってきた。両脇の建物の高さが少しずつ低くなって、外壁の鏡のような輝きも失われ、元はもっと白かったのではないかと思われる茶色とも灰色とも言い難い薄汚れた色の壁が並ぶようになった。整然と並んだ街路樹や色鮮やかな花の咲く植え込みも姿を消し、路面の舗装もだいぶ痛んで、路肩にはゴミが投げ捨ててある。美しい街並みはどこへやら、周囲には何かが腐ったような臭いと共に何とも不穏な空気が漂い始めた。

「おい、ナウル! 一体どこに連れて行くつもりなんだ。この辺りにレストランなんかないだろう?」

 イニスがいくらか怒気を含んだ声でナウルを呼び止めた。

「お前は知らんやろけどな、小洒落た店構えの高そうな店がうまい店とはちゃうんやで? ま、ナウル様御用達のとっておきの店に案内したるから、アスティちゃんは安心してついて来てや!」

 ナウルはくるりと振り返るとイニスに素っ気ない答えを返し、直後、満面の笑みでアスティに微笑みかけた。不安がないと言えば嘘になるが、ここは信じてついて行くしかない。細い路地を何度も曲がったせいで、ここからアスティ独りで王宮へ戻ることは難しそうな気もした。

「待て! この状況でどう安心しろって言うんだ、この先は貧民街だぞ!?」

 イニスが再び進行方向を向き直って跳ねたナウルの腕を掴む。

「やから何や。王宮暮らしのエリート騎士団長様は貧乏人の暮らすような場所では食事もできまへんとでも言うんか? そら、ええ御身分やね。」

 つまらなそうに振り向いたナウルの挑発に、イニスがため息を吐く。

「そうじゃない。ただ、この辺は世間知らずの子供を連れて歩くような場所じゃないだろうが。」

「……子供?」

 アスティは、思わず聞き返してしまった。話の流れと状況からすれば、「世間知らずの子供」とはアスティのことだろう。確かに、ずっと森の中で暮らしてきて、王都のことはよく知らない。だから、世間知らずと言うのはその通りと認めざるを得ない。ただ、子供と言うのは納得し難い。イニスやナウルよりは年下かもしれないが、せいぜい数歳しか違わないはずだ。

「今のは失言やな。アスティちゃんは成人済みのレディやで。」

 ナウルがイニスの手を振り払い、ニヤリと笑う。アスティに視線を向けたイニスが、気まずそうに視線を逸らした。

「……どっちにしたって、この先はアスティを連れて行くような場所じゃない。」

 イニスが小さく漏らす。

 やはり「世間知らずの子供」というのはアスティのことらしい。確かに、騎士団で立派に仕事をしているイニスやナウルからすれば、世間知らずのアスティはまだ子供とそう変わらないように見えるのだろうし、子供扱いに腹を立てること自体が子供の証だという気さえする。それでも、心の奥に小さな暗雲が立ち昇り、何となく気分が晴れない。

「別にええやん。貧民街にだって女子供はぎょうさんおんねんで?」

「そういう問題じゃない。こんな治安が悪いところを通って何かあったら誰が責任を……。」

「治安の悪さなら王宮前広場かて同んなじや。こないだも人一人死んでんねんから。」

 ナウルが口にした不穏当な言葉に、アスティの心臓がどきりと跳ねた。ナウルの念頭にあるのは、政府への抗議デモの最中に酔って暴れ、警備兵に制圧されたという男のことだろうか。

「ま、何かあったらお前がその剣使こて助けてくれるんやろ? そういう時んために毎日アホみたいに体鍛えとるんやろからなぁ。」

 ナウルはイニスの腰の剣を指さしてケラケラと笑う。

「ささ、アスティちゃんも腹ぺこやろ? とっととうまい昼飯食いに行こや。貧乏人かてみんながみんな泥棒するわけやない。ましてや天下の王宮騎士団長に喧嘩売るようなアホはほとんどおらへん。アスティちゃんもこの国のことをちゃんと知りたいんやったら、王都のええとこと悪いとこ、両方しっかり見なあかんで。自分に都合のええことしか教えへんのは、卑怯もんや、なぁ?」

 ナウルはそう言ってにんまりと笑うと、アスティの手首を掴んで歩き始めた。

「あ、あの、イニスさん……。」

 アスティが慌ててイニスを振り返ると、イニスは諦めたように両肩を落とし、渋い表情を浮かべながらもゆっくりと二人の後をついて来る。アスティがほっとして笑顔を向けると、イニスはつまらなそうに視線を逸らしてしまったけれど。


 間もなくして、通りが少しずつ開け、人が行き交うようになった。ただ、通りの両脇に並ぶ建物には、あばら屋のような簡素な作りのものが増え、通りを行き交う人々のまとう服や雰囲気も、賑やかな商店街ともエルタワー近くのオフィス街とはだいぶ異なっていている。

 狭い路地をのぞき込むと薄手の毛布に身を包んだまま倒れている人がいて、アスティが驚いて声を掛けようとしたら、イニスに「寝てるだけだから大丈夫。」と制止された。ボサボサの髪にボロ切れのようなを服を着た老人が酒瓶を片手にふらつきながら歩いていたり、イニスが「この先は貧民街だ」と言ったことの意味を悟る。

「おっちゃん、また昼間っから飲んどるん? ええ加減にしいよ。」

 ナウルが酒瓶を手にした老人に親しげに声を掛けた。

「相変わらずうっさいガキやのう。こいつは俺にとっちゃ大事な薬やねん。やぶ医者がくれる薬よかずーっと効くんやからなぁ!」

 老人は手にしていた酒瓶を呷って酒を口に含むと、自分の傷だらけの腕に向かって勢いよく吐き出した。

「擦り傷も切り傷もこれであっちゅう間によくなるねん! すごいやろ?」

 老人はへらへらと笑いながら道端に座り込むと、得意げな表情でナウルを見上げる。

「あーあー、もう好きにしぃや。けど、またぶっ倒れて大嫌いなお役所病院の世話になるんは自分やからなぁ。気ぃつけやー。」

 ナウルが呆れたように笑って手を振ると、老人もひらひらと手を振り返した。アスティもナウルの知人らしき老人に向かって軽く会釈したが、老人はアスティとイニスを見留めると、居心地悪そうに立ち上がって狭い路地裏へと入って行く。

 その後もナウルはすれ違う人々と親しげに挨拶を交わすのだが、なぜかアスティやイニスに対する人々の反応は素っ気ない。アスティは、もしかしたら自分の格好や行動が王都では失礼に当たるものなのではないかと不安になったが、ナウルやイニスが特段の指摘をしないのは、アスティの側に問題はないと考えてもいいのだろうか。

「ほれ、着いたで! ここがナウル様一押しのお好み屋や!」

 突然、ナウルが足を止め、くるりと九十度左を向いて仁王立ちで宣言した。

 アスティはナウルの隣に並んでその視線の先を追い、思わず首を傾げてしまった。目の前にあったのは、黄色の地に赤色の文字で「おこのみや」と書かれた看板なのだが、店の入り口らしき扉の上に掲げられたそれは、明らかに右に傾いていた。所々塗装が剥げ落ち、年季の入った看板らしいことは分かる。看板同様、店構えも何だかずいぶんくたびれた風だが、店から漂ってくるらしい鼻孔をくすぐる香ばしい匂いが不安を期待に変えていく。

「大丈夫なのか、この店……。」

 アスティの背後でイニスが不安そうに漏らした。

「ふんっ! 店構えが立派な店がうまいもん出すとは限らへんねんで! ここのお好みの味は王都一や!」

 ナウルはむすっとした表情でイニスに言い返しながら、店の扉に手を掛けた。

「あっ、待ってください!」

 アスティは慌ててナウルを呼び止める。

「ん?」

「あ、あの、キーロが一緒でも大丈夫でしょうか?」

 アスティは肩の上のキーロを指さしながらナウルに尋ねた。食事の場所で羽を広げてばさばさと飛び回れば迷惑になることは間違いない。昨日、ナディとジヴルのパン屋に寄った時もイニスに入店を止められた。宿所の食堂へ立ち入ることは止められなかったけれど。

「……まあ、派手に飛び回らへんかったらええんちゃう? キーロだけ昼飯抜きっちゅうわけにもいかへんやろし。」

 ナウルは一瞬きょとんとしてキーロを見つめた後、にこりと微笑んで言った。

「クエッ!」

 入店の許可を得られたことが嬉しいのか、店の中ではおとなしくするという意思表示なのか、キーロが片翼を広げて小さく鳴いた。

「こんにちはー!」

 ナウルが元気よく店の中へ声を掛けると同時に、扉が左に滑るように動く。香ばしい匂いがいっそう強く漂い、アスティは思わず笑顔になった。

「おお、ナウルやないか! 久しぶりやなぁ。最近なかなか顔を見せへんから、死んでもうたんかと思うとったわ!」

 ナウルが店に入ると、店の奥から明るい男の声が返って来る。どうやらナウルはこの店の主人とも顔見知りらしい。

 アスティもナウルに続いて店に入り、ナウルの背後からひょこりを顔を出して店内を覗いた。店内は王宮騎士団の宿所の食堂よりも狭く、左右に四人掛けのテーブルが三つずつ並んでおり、既に数組の客がやや窮屈そうに食事をしている。

「あれ、なんや今日はデートかいな?」

 店の奥の店主らしき男と目が合い、男が驚いたように声を上げた。

「ああ、そのつもりやったんやけどな……ちょっと邪魔が入ってもうて。」

 ナウルは苦笑いをしながら答え、イニスが店の中へ入ってくる。

「そらまたとんだ災難……やね。」

 そうナウルに返しながら、男の表情が強ばった。店内の先客の何人かも驚いたような表情を見せ、その視線は、いずれもイニスを向いている。

「あ、心配せんでええよ。今日は単に昼飯食いに来ただけやねん。」

 ナウルの言葉に、男は僅かに表情を緩めたが、男の視線はなおも訝るようにイニスを見つめていた。アスティが振り返ると、イニスは前髪の先を触りながら、何もない店の隅に視線を落としている。

「ここ、ええやろ?」

 ナウルが入り口に背を向けて一番手前の席に腰掛けた。

「あ、ああ……もちろん。」

 男が答えると、イニスがナウルと向かい合って同じテーブルに腰を下ろす。アスティもイニスの隣に腰掛けた。

「注文は?」

 男が店の奥から水の入ったグラスを三つ持って来て、テーブルの端に置きながらナウルに問う。

「まあ、とりあえず、ブタ玉、イカ玉、それからミックス玉を一つずつ! あと、お水はもう一つやね。」

 ナウルが答えると、男は「もう一つ?」と怪訝そうに首を傾げ、「一、二、三……。」とナウル、アスティ、イニスを順番に指さして数える。

「クエッ!」

 自分の分が足りないとでも言うかのようにキーロが鳴くと、「おおぅ!?」と男は驚きの声を上げて後じさった。

「……あぁ、なんや、ぬいぐるみや思たわぁ。」

 男は落ち着きを取り戻すと、まじまじとキーロを見つめる。

「す、すみません……おとなしくさせますから……。」

「ああ、平気や平気。しっかし、こいつは鳥なんか? けったいなくちばししとるのぅ。」

 男が面白そうにキーロのくちばしに手を伸ばすと、キーロが「グエッ!」と不機嫌そうに鳴いた。

「あれ、嫌われてもうたやろか?」

「悪口言いよるからやで。御機嫌取りに大急ぎでお水を用意したってや。」

 ナウルが言うと、男は笑いながら「はいはい、お鳥様用のお水やね!」と答え、すぐに追加のグラスを持って来ると、再び店の奥へと引っ込んで行った。

「あの……ブタタマとかイカタマと言うのはどういうお料理なんですか?」

 アスティはナウルに尋ねながら、テーブルの端に置かれたグラスをそれぞれの目の前に配って行く。

「どういう料理かっちゅうたら、そらまあ、『お好み焼き』の種類やね。」

「お好み焼き?」

 アスティが聞き返しながら、ナウルの目の前にグラスを置こうとすると、不意にイニスがアスティの手首を掴んで持ち上げた。

「肘……。」

「え……?」

「このテーブルの中央の黒い部分は調理用の鉄板だ。気を付けないと火傷するぞ。」

 イニスが言い、そっとアスティの手首を離す。

「あ、ああ……ありがとうございます。」

 妙に熱気を感じると思ったら、どうやらテーブルにはめ込まれた鉄板は下から燃されているらしい。テーブルの下でたき火をしているわけではないようだが、きっと王都の便利な発明品が働いているのだろう。アスティは黒い鉄板に触れないよう気を付けながら、ナウルの前にそっとグラスを置いた。

「もしかして……ここでお料理するんですか?」

 アスティは改めて周囲のテーブルを見回し、それぞれの客のテーブルにはめ込まれた鉄板の上で焼かれているらしい何かを見つめながら、ナウルに尋ねた。あれが「お好み焼き」なのだろうか。

「そ。この店では全部自分たちで焼くんやで!」

 ナウルがにこりと笑うと同時に、店の奥から男が戻って来て、「ほい、先にブタ玉な!」とテーブルの端に半球状型の深皿と平皿を並べ置いた。

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