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第33話 穏やかな朝

 薄暗い部屋で目覚めたアスティは、見慣れない景色に驚き、体を起こすと同時に慌てて辺りを見回した。

 ベッドの脇のテーブルの上で、キーロが白いタオルに包まれて寝息を立てている。その幸せそうな姿を見てやっと、アスティは自分が王都へ来たのだということを思い出した。

 窓に掛かったカーテンの隙間から、明るい日差しが一筋差し込んでいる。

 アスティはふんわりと軽い布団をめくってベッドから這い出すと、窓に近付いて一気にカーテンを開いた。

 強い日差しに、思わず一度目を閉じる。再びうっすらと目を開けて窓の外を見ると、既に日はだいぶ高く昇っているようだ。

 窓の外には緑の芝に覆われた庭が広がり、妙に形の整った木々が日の光を反射しながら風に揺れている。

「……クェ?」

 背後でキーロが寝ぼけた声を上げた。明るい日差しで、朝が来たことに気付いたらしい。

「おはよう、キーロ!」

 アスティが笑顔で声を掛けると、キーロは一瞬きょとんと首を傾げた。キーロもまた、森を出て王都へ来たことを忘れていたようだ。

 アスティは服を着替えて手早く身支度を整えると、キーロを肩に乗せて部屋を出た。中庭を通って食堂へと向かう。

 アスティは、昨晩のようにクラッカーが破裂しはしないかと警戒しながら食堂の扉を開いたが、辺りはシンと静まりかえったままで、テーブルの上には御馳走も見当たらない。がらんとした食堂の中をのぞき込むように奥へ進むと、食堂の隅でマリアンヌがせっせとテーブルを拭いていた。その傍らには食事が済んだ後らしき食器が数枚重ねて置かれており、どうやら既に朝食の時間は終わって彼女は片付けの真っ最中らしい。

「あら、おはようございます、アスティ様。」

 アスティがマリアンヌに声を掛けようと歩み寄ると同時にマリアンヌが顔を上げ、先に挨拶を述べた。

「おはようございます、マリアンヌさん。」

 アスティはぺこりと頭を下げ、キーロもアスティの肩で鳴いた。

「昨晩はよく眠れましたか?」

 マリアンヌは掃除の手を止め、アスティに向き直って微笑んだ。

「はい、とても。よく眠れ過ぎて、今朝は少し寝坊を……。」

 アスティは照れながら俯いた。

「きっと慣れない環境で疲れが溜まっていたのですわ。キーロ様も私のお手製ベッドは気に入っていただけまして?」

 マリアンヌは優しく言い、アスティの肩に乗ったキーロに微笑み掛ける。

「クエッ!」

 キーロは「もちろん!」とでも言うように元気良く片翼を広げ、アスティはマリアンヌと微笑み合った。

「これから御朝食になさいますか?」

 マリアンヌがアスティに尋ねる。

「できれば……。」

 アスティは遠慮がちに答えた。がらんとした食堂を見れば、既に朝食の時間が終了していることは明らかで、やっと片付けが終わろうと言うところで食事を用意してもらうのは気が引ける。とは言え、このまま朝食抜きと言うのもお腹の空き具合を鑑みるとなかなか厳しいところではあるのだが。

「では、すぐに御用意いたしますわ。お好きな席に座ってお待ちくださいな。」

 マリアンヌは快く答えてテーブルの端に積まれていた食器を抱えて奥の部屋へと向かう。

「すみません、こんな時間に……。」

 アスティは恐縮しながら、マリアンヌの背に向けて言った。

「いいえ。皆様、お休みの日のお食事はまちまちですのよ。朝食をとらずに眠り込んでいる方や昼食とまとめてとられる方もいらっしゃいますから。」

 マリアンヌは首から上だけアスティを振り返り、笑顔でそう言うと奥の部屋へ消えた。

 アスティが手近な席に腰を下ろして待っていると、食堂の奥からほんのりと香ばしい匂いが漂ってきた。キーロがそわそわと翼を動かし始め、間もなくして、マリアンヌが戻ってくると、香ばしい匂いが一気に広がった。マリアンヌが手にしているトレイには、腸詰め肉と黄色の炒り卵の載った平皿に、果物が山盛りになった深皿が大小二つ、そして丸い豆パンと赤目のウサギ——ふわふわうさぎのミルクパンが入ったかごが載っていた。

 二つのパンは昨日、ジヴルとナディの店で貰い、朝食用にとマリアンヌに預けていたものだろう。

「ちゃんと残しておきましたのよ。」

 マリアンヌは微笑んで言い、パンの入ったかごを真っ先にアスティの目の前に置いた。

「ありがとうございます。」

 アスティはマリアンヌに向かって言った後、ふわふわうさぎと見つめ合った。温め直されたのか、ほんのり焼き色のついたうさぎは香ばしい香りを放っており、その愛らしい顔とおいしそうな匂いに、アスティは思わず微笑んでしまう。

「キーロ様は果物がお好きでしたよね?」

 キーロが嬉しそうにアスティの肩からテーブルの上へ跳び移ると、マリアンヌはトレイに乗せてきた果物の盛られた深皿のうち、大きい方をキーロの前に置いた。色とりどりの果物の中にはキーロの大好物であるマリイヤもしっかり入っていていて、キーロは嬉しそうに両翼を広げて鳴く。

「イニスさんたちはもう朝食は済まされたんですよね?」

 アスティはうさぎを見つめながら、それを好物としている彼の人を思い出した。

「どうかしら? イニス様は今朝は食堂にはお見えになりませんでしたし、ジェイスやゴートン様の姿も見ておりませんわ。ナウル様は朝一でお越しになってたっぷりお召し上がりになりましたけど。」

 そう言ってマリアンヌはくすりと笑った。

「じゃあ、イニスさんもまだお部屋で寝て……?」

 アスティが問い返すと、マリアンヌは「まさか。」と声を上げて笑った。アスティは、イニスも自分と同じように寝坊しているのかと同類の存在にほっとし掛けたところだったのだが、マリアンヌの反応からすると、王宮騎士団長のイニスがのんきに寝坊などするはずがないということなのだろう。見事に寝坊をした身としては、微妙な恥ずかしさがこみ上げてくる。

「ジェイスはきっと二日酔いでしょうけど、イニス様は朝早くから宿所の裏手で体を鍛えていらっしゃいましたから。朝食はたぶんお部屋で何かお召し上がりになられたんじゃないかしら。イニス様のお部屋には小さな調理場も備え付けてありますから。」

 マリアンヌが最後に言い添えた言葉は、アスティには意外だった。確かに、アスティの部屋の隣室になるイニスの部屋は扉の造りも立派だったし、その扉の位置からして他の部屋よりも広そうな気はしたが、アスティの部屋はもちろん、ナウルの部屋にも調理場はなかった。騎士団長の部屋だけは特別と言うことなのだろう。

 とは言え、なぜ騎士団長の部屋に調理場までもが必要なのかは想像が付かない。アスティからすれば独特の味覚の持ち主にも思われるイニスは、料理を趣味でもしているのだろうか。

「イニスさんは御自分でお料理をされるんですか?」

 湧いた疑問をそのままに、アスティはマリアンヌに尋ねてしまった。東の森での三日間、ナウルは何度か森で集めた果物や茸に様々な薬草を加えて珍しい料理を振る舞ってくれたが、イニスに料理をしようとする気配はなかった。川で魚を捕ってきたり、食材集めには協力してくれたが、積極的に調理に参加することはなかったように思う。

「さあ、どうかしら? 果物の皮を剥くくらいはされているんじゃないかしら。」

 マリアンヌの答えからすると、アスティの印象はおおよそ間違ってはいないようだ。そうだとすれば、何のために調理場があるのか益々疑問に思われるが、アスティの疑問を察したのか、マリアンヌが説明を続けた。

「調理場は先代のリスティア様が薬草の調合に用いるためにお設えになったのですけど、普段のお食事はお部屋にお持ちしておりますから。」

「イニスさんは食堂では食べないんですか?」

「ええ、騎士団長のお食事は国王陛下と同じものをお出しするのが通例ですし、騎士団長にお就きになってからは、お部屋でお召し上がりになることの方が多いですわ。上司が近くにいたら部下は気が休まらないだろうからとおっしゃって。」

 マリアンヌの説明に、アスティは確かにそうかもしれない、と思った。東の森でのナウルとのやり取りや、昨晩の歓迎会でのゴートンやカーディアルとの打ち解けた雰囲気を思い出すと、どうにもイニスが彼らの上司という気がしないのだが、ヨルンやジェイスから聞いたところによれば、王宮騎士団長であるイニスの地位は絶対的なもののようだから、騎士団員の人々にとっては側にいるだけでも気を遣うべき相手に違いない。実際には、イニスの方が彼らに気を遣っているのだとしても。

「お食事がお済みになったらイニス様に会いに行かれますの? この時間なら、たぶん本宮の執務室にいらっしゃいますわよ。お尋ねになるなら場所を御案内いたしましょうか?」

「あ、いえ、特に用事があるわけではないので……。」

 マリアンヌの申し出に、アスティは慌てて両手を振った。執務室にいるということは仕事をしているのだろうし、イニスの仕事の邪魔をすることは本意ではない。

「それよりも、図書室の場所を教えていただけますか?」

 アスティは改めて、マリアンヌに尋ねた。

「図書室……でございますか?」

 マリアンヌがきょとんと首を傾げ、アスティは頷いた。

「はい。王立図書館の分室が王宮内にもあるとイニスさんから聞いて……。」

「ええ、ありますわ、本宮の三階、北側に。食堂を出てちょうど中庭から見える大きな窓のある部屋がそれですのよ。中庭から真っ直ぐ本宮に向かって来た玄関を入ったら、左手の階段を三階まで上ればその正面が図書室の入り口ですわ。」

 マリアンヌはアスティが知りたかったことを淀みなく説明してくれて、アスティは慌てて頭の中のノートにマリアンヌの説明を書き付けた。

「お勉強ですか?」

「はい。ずっと森の中で暮らして来て、私は王都のこと、この国のことを何も知らないので……。」

 アスティは恥じらいながら答えた。

「立派ですわね。何を成すにも、探求心は不可欠ですわ。」

 マリアンヌがにこりと微笑み、アスティは照れくさくも確かな励ましの言葉に勇気付けられた。昨晩の歓迎会でのゴートンとのやり取りから、アスティが何のために王都へやって来たかはマリアンヌも知っているはずだ。マリアンヌがアスティと主張を同じくしているとは思わないが、それでも彼女は決してアスティを邪険にすることなく受け入れてくれた。マリアンヌだけではない。昨晩食事を共にした人々は皆そうだ。

「ありがとうございます。」

 アスティはほっとしてマリアンヌに答えた。

「たぶん今なら、図書室にはちょうどいい先生もいらっしゃると思いますわよ。」

「先生?」

「気まぐれな先生ですけど、知識は確かな方ですわ。」

 アスティの問いにマリアンヌはウィンクして答え、アスティは首を傾げた。

「では、私はこれで失礼いたしますね。しばらくしたら係の者が食後のお茶をお持ちいたします。どうぞごゆっくり。」

「ありがとうございます。」

 マリアンヌが軽くお辞儀をし、アスティは謎多き先生について疑問を残しつつも、改めてお礼を述べた。

 マリアンヌが食堂の奥へと姿を消し、アスティは、既にがつがつと果物をついばんでいるキーロの隣で、遅い朝食をとり始めた。

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