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第22話 闇色の瞳と共に

 「イニスさん。」

 アスティはベンチの脇に立ち、イニスに声を掛けた。

 イニスはゆっくりと目を開き、顔を上げてぼんやりとアスティを見る。

「話はもう済んだのか?」

 妙に間延びしたゆったりとした声だったが、寝ぼけているという風ではない。

「はい。」

「じゃあ、とりあえず王宮に戻って荷物を取ってくるか。叔父さんとの待ち合わせ場所は決まってるのか? 家の場所が分かるなら誰かに送らせるが……。」

 イニスはすっとベンチから立ち上がると歩き出した。イニスはアスティがトールクの家へ行くものと思っているようだ。

「ま、待ってください!」

 アスティは慌ててイニスを呼び止めた。

「……どうした?」

 イニスが肩越しにアスティを振り返る。

「いえ……あの……。」

 アスティは俯いて言い淀む。そもそもイニスは、アスティに身寄りがないと思って王都での滞在先の提供を申し出てくれたのであり、頼れる親族がいるとなれば、アスティに王都での滞在先を提供する必要はないと考えるかもしれない。叔父の誘いを断ったものの、イニスが引き続きアスティに騎士団の宿所を貸すつもりがあるかどうかは分からない。

 アスティが地面を見つめて躊躇っていると、イニスはゆっくりと体ごとアスティに向き直った。

 アスティは意を決して顔を上げる。

「叔父の家には行かないつもりです。」

 アスティはイニスを見据えた。イニスは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにゆっくりと目を伏せ、静かに口を開いた。

「……それでどうするつもりだ?」

 端的な問いだったが、冷たさは感じない。

「騎士団の宿所に置いてください! ……その……御迷惑でなければ。」

 アスティはイニスに向かってはっきりと希望を述べ、それから遠慮がちに付け足した。

 短い沈黙の後、イニスが小さなため息を吐く。アスティは息を止めてイニスの答えを待った。

「元々お前を王都に誘ったのはこの俺だからな。滞在先と仕事の面倒を見ると約束した以上、その責任は持つつもりだ。」

 イニスが低い声で答えて、アスティはほっと息を吐いた。

「……だが、王宮内にあると言っても、王族の暮らす本宮と違って騎士団の宿所は特段豪華な設備が揃っているわけじゃない。そういうことを期待しているならやめた方がいい。」

 イニスは感情のない声で言い、硬い表情のままアスティを見下ろす。

「今の季節なら、雨風がしのげる場所で、毛布を一枚頂ければ十分です。東の森でもそうでしたから。」

 アスティは微笑んで返した。贅沢な暮らしに興味がないと言えば嘘になるが、それを目的に王宮に滞在しようと思ったわけではない。

「王宮に留まったところで、俺は国王に取り次ぐつもりはないぞ? ナウルに期待しているのかもしれないが、はっきり言って無駄だ。お前一人の意見で国王が考えを変えるようなら、こんな抗議活動デモなんて誰もしない。」

 イニスの口調に僅かに力がこもった。

 目的達成が容易でないことは分かっている。東の森の開発を進めたい政府の一員であるイニスの立場を考えれば、イニスの非協力的な態度は当然だろうし、イニスやナウルに頼めば何とかなるなどという甘い見通しは持っていない。

 しかし、きっとイニスが本当に気にしているのはそんなことではないのだろう。「責任は持つ」と言いながら、イニスがアスティが王宮に滞在することについて消極的な事実ばかり述べる理由は察しが付いた。

「やっぱり、反政府勢力の関係者の姪なんて、王宮に入れたくないですよね?」

 アスティは恐る恐る尋ねると、イニスはしばらくの沈黙した後、ゆっくりと息を吐いた。

「馬鹿らしい。それなら最初からお前を王都に連れて来たりなんかしない。森の民が政府を嫌ってることなんか百も承知だ。」

 イニスが呆れた声でアスティの懸念を一蹴した。

「ただ、面倒を見てくれる身内がいるなら、彼らと一緒に暮らす方がお前も気楽だろうと思っただけだ。……家族は、大事にした方がいい。」

 イニスが呟くように付け足した言葉に、アスティははっとした。

 イニスは、王宮騎士団の宿所に泊まると言ったアスティに対するトールクの激しい反対の主張を聞いている。あの後、トールクがあっさり前言を翻してアスティが騎士団の宿所に滞在することを認めたとは思わないだろう。アスティがトールクと喧嘩別れして来たと考えてもおかしくはない。

 ——やっぱり、この人は優しい。

 気まずそうに視線を逸らすイニスの横顔を眺めながら、アスティは微笑んだ。

「叔父にはちゃんと説明して納得してもらいました。連絡先のメモも貰いましたし、今度遊びに行くつもりです。」

 アスティはイニスにトールクから受け取ったメモを示した。

「そう……。」

 イニスは微かに相槌を打ったが、俯きがちの表情はまだ納得しきってはいないようで暗い。

「あ、王宮には音声通信機ってありますか? 後で叔父の家に連絡したいんです。叔母やいとことも話したいですし……。」

 アスティは努めて明るく言った。

「ああ。宿所の食堂に備え付けてある奴なら自由に使える。」

 アスティの問いにイニスは端的に答える。

「良かった。私、音声通信機って使ったことないんです。遠くの人と話せるなんて、どんな風になるのか楽しみです。」

 アスティが笑うと、イニスも微かに笑みを浮かべたが、その表情はすぐに真剣なものに変わった。

「本当に……いいんだな?」

 イニスの問いに、アスティは力強く頷く。

「はい、大丈夫です。また国王陛下とお話するためにも、王宮にいたいんです。」

 アスティがはっきりと宣言すると、イニスが顔をしかめた。

 アスティと国王が話すことをイニスが好ましく思わないことは分かっている。アスティが王宮に留まる目的を告げれば、イニスはアスティを王宮騎士団の宿所に滞在させるという考えを翻すかもしれない。それはアスティにとって望ましくない展開だが、それならそれで仕方がないとも思っていた。目的を隠したまま、イニスの親切心を利用することはしたくなかった。

「俺は取り次がないと言ったはずだが……。」

 イニスが不愉快そうな声で言う。当然だ。

「構いません。機会は自分で作ります。」

 アスティが怯まず答えると、イニスは俯いて頭を掻いた。

「それに、ギムニクさんのお話もまだちゃんと聞いていませんし……。お話を聞きに行くと、約束していますから。」

 アスティがそう続けてにこりと微笑むと、イニスは大きなため息を吐き、「勝手にしてくれ。」と呟いてきびすをかえした。勝手にしてくれと言うことは、国王との面会も含めて勝手にしていいということだろうか。いきなり国王の部屋を訪ねて行って会ってもらえるとも思えないが、それを試みること自体は許可されたと思ってもいいのだろうか。

 甘い見通しだと思いつつも、アスティは少しだけ軽い足取りでイニスを追いかけた。

「あの……イニスさん?」

 アスティは黙って歩くイニスに並び、イニスの顔をのぞき込むように見上げた。

「何だ?」

 イニスは真っ直ぐ前を見据えたまま、早足で歩く。

 いつの間にか、広場へやってくる人の流れも落ち着いてきており、抗議活動に集まってきた人々はほとんどが広場の中央に納まったようだ。広場の入り口付近はだいぶゆとりができて、特に気を付けなくともイニスとはぐれることなく歩くことができた。

「あの……ごめんなさい!」

 アスティはイニスの前に回り込み、イニスに向かって頭を下げた。

「何のことだ……?」

 イニスが足を止め、怪訝そうに眉を顰める。

「叔父が、イニスさんに失礼なことを言いました。叔父は昔から思い込みが激しくて……悪い人ではないんです。でも、イニスさんのことも騎士団の人たちのことも誤解してて……叔父に代わって謝ります。本当に、ごめんなさい。」

 今更蒸し返すのもどうかとは思ったが、それでもやはり、ちゃんと謝っておきたかった。悪魔の犬だとか、黒い髪と瞳が悪魔と契約している証拠だとか、あまりにも酷すぎる。外見で人を判断してはいけないとアスティの父は生前よく言っていた。叔父の誤解が誤った新聞記事によるものだとしても、外見を引き合いに出して非難することがそもそも間違っている。

「ああ……あれか。別に構わない。あの程度のことは言われ慣れてる。何しろこんな色だからな。」

 イニスは前髪をいじりながら笑ったが、その自嘲的な笑みがアスティにはひどく寂しげに見えた。

「行こう。」

 アスティが黙っていると、イニスがアスティの脇を通り抜け、広場の入り口へと向かう。

 すれ違いざまに見たイニスの横顔から表情が消えていて、アスティは慌ててイニスを追いかけた。

「イニスさん!」

 アスティは声を掛けると同時に、イニスの左腕を掴んだ。イニスが驚いた表情で振り向き、アスティを見下ろす。

「あのっ……私、イニスさんの髪の色、好きです!」

 アスティが叫ぶと、イニスは戸惑いの表情を浮かべた。

「とても……素敵な色だと思います。」

 本心を述べたつもりだった。死を暗示する黒色を不吉だと思ったことがないわけではない。けれど、イニスの艶やかな黒髪は、日の光の下で虹色の輝きを生み、月明かりの下では銀色の布を纏うように柔らかく風に流れた。

 吸い込まれそうな闇色の瞳も、柔らかな光を宿していることをアスティは知っている。

「……ありがとう。」

 そう返したイニスの表情は硬かったが、声音は優しかった。

 アスティが微笑むと、イニスの口元に微かな笑みが浮かんだ。

「行こう。夕食に遅れるとマリアンヌに叱られる。」

 イニスがきびすをかえして歩き出し、アスティは「はい!」と返事をしてイニスを追いかけた。

「クエッ!」

 キーロがアスティの肩で短く鳴く。お腹が空いたと食事をねだる時の声だ。

「マリアンヌさん、御馳走を用意してくれるって言ってましたよね? 楽しみですね!」

 アスティが明るい声をイニスに向ける。

「ああ、そうだな。」

 イニスがやっと柔らかな笑みを見せた。

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