第21話 同志〜トールクの誘い
「アスティ! あいつに何を吹き込まれたか知らないが、あいつと一緒にいるのは危険なんだ。」
ぼんやりとイニスの背中を見送っていたアスティの両肩をトールクが掴み、アスティはため息を返した。
「叔父さん……。」
トールクのイニスに対する嫌悪感には相当なものがあるようで、アスティが何を言っても聞き入れてくれそうにない。世界一思い込みが激しいというメリルの評を思い出すまでもなく、トールクの誤解を解くことは極めて困難と思われた。
「お前は王都に来たばかりで知らないだろうが、あいつは本当に危険なんだ。俺たちの仲間はもちろん、政府の中でもあいつの動きを警戒している奴がいるくらいだ。」
「仲間?」
トールクの説明に、アスティはきょとんとして聞き返した。まさかトールクの家族のことではあるまい。東の森にいた頃の仲間のことかとも思ったが、トールク一家が東の森を出た時点で森に残っていたのはアスティとムリクだけだったし、ムリクの方針もあって、トールク一家も先に森を出た仲間とはほとんど連絡を取っていなかったのではないかと思う。森を出て再会したのだろうか。
「ここに集まってる同志たちさ。」
トールクは振り返り、広場を見下ろして得意げに言った。
「俺も森にいた頃は、都市の連中なんてみんな役人か密猟者のような考えの連中ばかりだと思ってた。けど、違うんだ。王都にも森のことを考えてる連中はいる! こうして政府の政策に反対を唱えて、何とか森を守ろうとしてる。俺には難しいことは分からんが、森の存在は都市の生活にも影響を及ぼしてるんだとさ。科学者の偉え先生が、森がなくなると空気が汚れて生き物は人間も含めてみんな生きていけなくなるんだって教えてくれた。政府や大企業の連中は、目先の利益にとらわれて森の重要性に気づいてねえ。けど、ちゃんと分かってる奴はいるんだ! こんなに!」
トールクの説明は次第に熱を帯び、最後は声を張り上げて叫んだが、その声は広場に集まった人々の歓声と太鼓の音に紛れ、その声を言葉として聞き取ったのはアスティとキーロだけのようだ。
アスティはトールクの熱狂を前に、説明し難い違和感を覚えた。
森を守りたいという気持ちを持った人がこんなにも大勢いると言うことはアスティにも嬉しいことだったし、まさにそのことを国王に訴えようと王都へ出てきたアスティを勇気づけもした。しかし、アスティには、トールクを含めた目の前の人々の熱狂が自分とはあまりにも異なるもののように思えた。
広場を埋め尽くす人々の歓声は、相変わらず激しく、当初よりも一層力強いものとなっていたが、アスティにはその声がどこか遠くから響いてくるように聞こえた。
「アスティ、お前も森を守りたいと思っているんだろう?」
トールクに問われ、アスティは一瞬の間を置いてから頷いた。
森を守りたいという気持ちは紛れもないアスティの本心だ。
「なら、俺たちと一緒に活動しよう!」
トールクに両肩を掴まれ、アスティは困惑して瞬いた。
「俺は王都に来てから、あそこにいるリーダーと一緒に活動してる。」
そう言ってトールクは車の屋根に乗って広場の人々に呼びかけている若い男を指さした。
「リーダーは年は若いが、優秀な人だ。王立大学を出て、俺なんかよりもずっと物事をよく知ってる。教養があるんだ。」
トールクは微笑を浮かべ、嬉しそうに《リーダー》を見つめている。
「アスティ、後でお前にリーダーを紹介しよう。本当に立派な人なんだ。」
トールクは言うが、アスティは車の上で声を張り上げて人々を煽る《リーダー》の姿とトールクの言葉を上手く繋げることができなかった。
「王宮騎士団長は辞めろ!」
「辞めろー!」
「悪魔の蛮行を許すな!」
「許すなー!」
激しさを増す彼らの言葉は、真実として受け入れるにはあまりにもアスティの実感とかけ離れている。
ムリクの埋葬を手伝い、両親の墓前で祈りを捧げてくれた青年は、本当にこんなにも大勢の人々の批判を受けるような悪事を働いたのだろうか。
アスティは広場の片隅に置かれたベンチを振り返った。
イニスはベンチに腰を下ろし、目を閉じて微動だにしない。何を考えているのだろう——。
「とにかく、集会が終わったらリーダーに挨拶をして、それから一緒にうちへ行こう。」
トールクはそう言って嬉しそうにアスティに微笑みかけたが、アスティは微笑み返すことができなかった。
トールクの話とイニスの話は、どちらも正しいと言うにはあまりにも違いすぎている。
それゆえに、アスティは、ここでトールクについて行けば、二度とイニスには会えなくなるような気がした。ここでトールクと一緒に行くことを選べば、それは、イニスを「悪魔の犬」と罵ったトールクの話を暗に肯定することになる。それは、祖父を亡くして身寄りのないアスティに王都での滞在先を提供してくれると言ったイニスの好意に対する裏切りだ。
イニスはトールクの主張に何ら反論しなかった。理不尽な攻撃を聞き流して開き直るわけでもなく、ただ無抵抗にそれを受け止め続けていた。イニスが反論の仕方を知らなかったとは思えない。ユミリエールの話からすれば、イニスはかなり頭のいい人物のようだし、突然の批判に戸惑って適切な反論が思い浮かばなかったというわけでもないだろう。いくらでも反論できたはずなのにしなかった——それはきっと、そんなことをしても無駄だということを知っていたからだ。
そう悟るまで、彼はどれほど傷付けられてきたのだろう。
「私は……いいです。」
アスティは掠れた声で吐き出した。
「……何だって?」
アスティの声は広場の喧噪にかき消されてトールクの耳にはっきりとは届かなかったようで、トールクがアスティの顔をのぞき込むようにして聞き返した。
「私は、イニスさんと一緒に王宮に戻ります。今夜は、騎士団の宿所に泊めてもらいます。」
アスティは小さく息を吸った後、トールクを見据えて答えた。王都にいることが分かっているなら、トールクとは、ここで別れても再び会う機会はあるだろう。数少ない肉親なのだ。会う理由はいくらでも立つ。
「……何だって!?」
トールクは同じ問いを繰り返したが、今度のアスティの声はきちんとトールクの耳に届いているはずだった。
「どうしてそんな……遠慮する必要なんてないんだ。メリルもティムもお前を歓迎するよ。リーダーだって仲間が増えるとなれば大喜びだ。立派な人だからって気後れすることはない。」
トールクの話に、アスティは左右に首を振った。
「私は、ここにいる人たちの仲間にはなりません。」
アスティが宣言すると、トールクは目を見開き、素早く瞬きした。
「どうして……? まさかあいつに何か脅されてるのか? 俺たちの仲間に入ったら逮捕するとでも? できるはずがない! これは正当な抗議活動で広場の占有許可も受けてるんだ。」
トールクは次第に早口になり、一気にまくし立てる。
「脅されてなんかいません!」
アスティはトールクの言葉を遮るように言い切った。
「イニスさんは優しい人です。騎士団の人たちも……。私は、イニスさんや騎士団の人たちを悪く言う人たちの仲間にはなれません。」
「アスティ、お前は何も知らないから……。」
トールクの表情が沈み、その声は哀れみを帯びて響いた。
「……そうかもしれません。」
アスティは視線を落とし、呟くように漏らした。
「でも、だからこそ、よく考えたいんです。私には、イニスさんや騎士団の人たちが叔父さんの言うような悪い人たちには思えないから……ちゃんと自分で確かめたいんです。」
アスティは顔を上げ、トールクに向かって微笑んだ。トールクは虚を突かれたような顔をしてアスティを見つめる。
「それに、私、国王陛下にお会いしたんです。」
「陛下に? お前が?」
トールクは驚いた様子で両目をぱちぱちと瞬かせた。
「はい。少ししかお話できませんでしたけど、優しそうな方でした。今度お話する機会があった時には、東の森の開発を中止するようお願いするつもりです。きちんと話せば、きっと分かってくださると思うんです。」
アスティの説明を、トールクはぽかんと口を開けたまま聞いている。
「王宮にいれば、きっとまたお話する機会もあると思うんです。ううん、何とかしてお話する機会を作ってみようと思います。そのためにも、しばらく王宮にいたいんです。」
アスティの脳裏には、国王の執務室を出た後のナウルの言葉があった。まずは情報収集——だ。
ナウルが言っていたような国王の好物に関する情報が、国王を説得することにどれほど役に立つかは分からないが、少なくとも、国王と会って話をさせてもらうためには、それなりの理由が必要だろうし、何よりまず、国王に取り次いでくれる誰かの協力を得なければならない。
この点に関して、イニスは非協力的だし、ナウルもその性格を踏まえると果たしてどこまで当てにして良いのか分からない。
誰もが簡単に国王と会って話ができるのなら、広場に大勢の人が集まって声を張り上げる必要はないだろう。トールクが立派な人と言った《リーダー》でさえ、きっと国王と直接会って話すことは容易ではないのだ。今更ながら、自分が国王に面会できたことがすごいことだったのだと感じ、勝手に話し掛けるなと言ったイニスの言葉に反発したことをアスティは僅かに恥じた。
とは言え、国王を説得して政府の方針を覆し、東の森を守るという目的を簡単に諦めるわけにはいかない。ナウルの提案に乗った時から、それが決して簡単に実現できることではないということは分かっていたのだ。
いずれにしても、王宮にいることは、トールクの家にいるよりも、国王に面会する機会を得やすくするに違いない。たぶん、ここで大勢の人と一緒に声を張り上げるよりも、要求が実現される可能性は高くなるだろう。
「……姉さんにそっくりだな。」
トールクは困ったような表情を浮かべて頭を掻き、それから、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「え?」
「姉さんは聡明で、何事にも慎重な人だった。せっかちな俺はよく叱られたよ。そのくせ、ものすごく頑固で、一度決めたら何を言っても無駄だった。」
トールクはため息混じりに笑う。
「アスティ、どうやらお前はその血をしっかり受け継いでいるらしいな? お前がそこまで言うなら、俺はもう何も言わない。俺よりもあの騎士団長の方が信用できるって言うなら、そいつに付いて行けばいい。」
「トールク叔父さん……。」
「けど、誤解するなよ、アスティ? 俺にとってお前が可愛い姪っ子であることは変わらねえ。あいつが危ない奴だと分かった時は、いつでも逃げ出してうちへ来ればいい。」
そう言ってトールクはアスティの頭に手を伸ばし、わしわしとアスティの前髪をかき回した。
「お前ももう十六だったな? 立派な大人だ。どう生きるかは自分で決めればいい。」
トールクがニカッと笑い、アスティも素直にトールクに笑い返す。
「……しかし、せっかくアスティに会えたってのに、夕食にも招かなかったなんて、メリルとティムが聞いたら俺はこっぴどく叱られるな。」
トールクは苦笑しながら漏らした。
「今度遊びに行きます。」
アスティは微笑んで言う。
「ああ、ぜひともそうしてくれ。連絡先を教えておこう。」
そう言ってトールクは上着のポケットからペンと紙片を取り出すと、何やら走り書いた。
「こっちが住所、こっちの番号は音声通信用のIDだ。」
トールクがメモを差し出しながら言う。
「音声通信機は持ってるか?」
トールクの問いにアスティは首を振った。
王都には音声通信機というものすごい発明品があるという話はアスティも聞いたことがある。王都に限らず、東の森から一番近い小さな町にもその機械は導入されているらしいのが、アスティはまだそれを使ったことはない。通信する相手がいなかったからだ。
「……森から出てきたばかりじゃそうか。実は最近、俺の家にも一台買ったんだ、音声通信機。」
トールクはそういって得意げに笑い、アスティは思わず聞き返した。
「え、本当に!?」
音声通信機については、一度だけ、東の森でも、集落に一台あれば便利なのではないかという話が出たことがある。ただ、機械の導入にムリクが難色を示したことに加え、装置の価格があまりにも高く、自給自足を基本としてほとんど通貨を用いない森の民には支払い困難な額だったため、結局、音声通信機が東の森にやって来ることはなかった。
「最近はだいぶ価格も下がっているらしい。王都では一家に一台どころか、小型軽量の携帯端末を一人一台持ってる奴も少なくないくらいだ。もっとも、うちの奴は中古で更に安く買ったもんだから、気軽に外に持ち出せる大きさじゃあないが。」
トールクがけらけらと笑った。アスティは関心してため息を吐く。
「とにかく、何かあった時にはこの番号に連絡してくれ。王宮の中なら固定機があるだろうし、誰かに頼んで、この番号と通信したいと伝えれば、繋げてくれるだろう。もちろん、何もなくても連絡してくれて構わないぞ。俺は昼間は仕事に出ているが、買い物にでも出掛けてなけりゃメリルかティムが出るだろうし、留守なら自動的に録音機能が働いてメッセージを残せる。」
アスティはメモを受け取り、トールクの説明を頷きながら聞いた。トールク一家が森を出て数ヶ月、彼らはもうすっかり都会の暮らしに慣れ親しんでいるらしい。
「正直、可愛い姪っ子をあんな奴に預けるのかと思うと不安でしょうがないが、まあ、これ以上言ってもお前に嫌われそうだからな。……とにかく、無理はするなよ。」
トールクはそう言ってアスティの肩をポンッと叩いた。
「うん。ありがとう、トールク叔父さん。」
アスティがトールクに微笑んで返す。
「クエッ!」
アスティの肩でキーロが一声鳴くと、トールクが驚いた表情で後ろへ飛び退いた。
「……!? お、おい、そ、それは生きてるのか!?」
トールクが怯えた表情でキーロを指差しながら尋ねる。
「あ……そっか、叔父さん、キーロに会うのは初めてなんだ。東の森で仲良くなったと言うか、懐かれちゃったと言うか……。」
アスティは苦笑しながらトールクに説明する。
「鳥……なんだよな?」
トールクは恐々と近づいて怪訝そうにキーロを見つめる。
「うん。珍しい鳥で、おじいちゃんも見たことない種類だって言ってたけど。私はキーロって呼んでるの。」
アスティの説明を聞きながらトールクは目を細め、しげしげとキーロを観察する。
「変な鳥だ……。」
トールクが呟くと、キーロがクエッと威嚇するように両翼を広げて鳴いた。
「わわわ……!」
トールクはキーロに飛びかかられるとでも思ったのか、慌てて後ろへ下がり、尻餅をつく。
「キーロ、ダメッ!」
アスティが窘めると、キーロは不満げに「グエェ……。」と漏らした。
「こいつは人の言葉が分かるのか?」
トールクが立ち上がり、服に付いたいた砂埃を払いながら尋ねる。
「そうみたい。どこまで理解してるのかは分からないけど……。」
アスティが言うと、トールクは感心した様子で再びキーロを見つめた。
「ふむ……よく分からんが、東の森にいたってんなら、向こうの黒いのよりは信用できそうだ。」
トールクは広場の墨のベンチを一瞥してから、キーロに向き直った。アスティもイニスを振り返ったが、イニスは相変わらず目を閉じたままベンチに腰を下ろしてじっとしている。
「よし、キーロ! アスティのことはお前に任せた! 何かあったらすぐに助けを呼ぶんだぞ?」
トールクはニッと笑ったかと思うと、真剣な表情でキーロに言いつけた。
キーロは「クエッ!」と鳴き、了解したと言うように自信ありげに片翼を広げた。
「うんうん、こいつはなかなか賢い鳥だ。」
トールクが満足げに頷くと、キーロも得意げに胸を張る。
「じゃあな、アスティ。遠慮しないでちゃんと連絡寄越せよ?」
トールクが言い、アスティは頷いて小さく手を振った。トールクは名残惜しそうにアスティを振り返りながら立ち去ったが、その姿はすぐに人混みの中に消えた。手を振る相手を失って、アスティはゆっくりと右手を下ろす。
不意に寂しさがこみ上げてきた。周囲には、こんなにも大勢の人がいるというのに——。
アスティはしばしぼんやりと賑やかな集団を見つめ、それから慌てて首を振った。感傷に浸っている場合ではない。自分はイニスと王宮へ戻ると決めたのだ。
アスティはきびすを返し、ベンチに腰を下ろしてるイニスのもとへ向かった。