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第10話 事件現場

 三人がパン屋を出ると、大人しく看板の上にとまって待っていたキーロが、アスティの肩に降りてきた。キーロはアスティが抱えている紙袋を興味深そうに眺めている。

 アスティはナディに貰ったパンを一つ取り出し、小さくちぎってキーロに差し出した。キーロはそれを一口で飲み込むと、次をせがむように鳴く。仕方なく、アスティがもう一口分のパンをちぎると、キーロはそれが目の前に差し出されるよりも早く、首を伸ばして飲み込んだ。

「よく食べる奴だな……。」

 イニスが呆れた様子で言うと、キーロは不機嫌そうに鳴いた。

「まあ、うちの店のパンはとびきりうまいからしゃあないて!」

 ナウルが言うと、キーロはそれに同意するように鳴いて次をねだる。

 アスティはせっせとパンをちぎりながら、イニスについて通りを歩いた。キーロがパンを丸々一つ食べ終わる頃、三人は商店街を抜けて緩やかなカーブを描く坂道に差し掛かった。坂の上は何やら騒がしく、坂の上には「この先工事中」の看板が立ちはだかっていた。

「渋滞の原因はこれだな。」

 看板の脇を通り過ぎ、坂を登り切ったイニスがため息混じりに呟く。

 坂を登り終えた先は三叉路になっていて、正面には巨大な石の壁がそびえていたが、その下半分に、これまた巨大な穴が空いていた。

 路肩に止めた大きな荷台付きの四輪駆動車から、数人の若者がせっせと壁と同じ色の石を降ろして壁の穴の前に積んでいる。どうやら工事はこの壁の穴を塞ぐためのものらしい。

 アスティたちが登ってきた坂道と交わる道路は道幅も広く、本来ならば多くの車が行き来するのだろうが、今はこの工事のために車両通行止めとなっているようだ。

「ちょっとここで待っててくれ。」

 イニスはそうアスティに言い残すと、「立入禁止」と書かれた黄色いテープを乗り越えた。

 工事現場へ進入したイニスの姿は石を運んでいる作業員たちの視界にも入ったはずだが、誰一人イニスを咎めることない。イニスは真っ直ぐに巨大な穴の前へと進み出て、大きな図面を広げながら作業員に指示を出していた黒服の青年に向かって声を掛けた。

「ヨルン。」

 ヨルン——それがその青年の名前なのだろう。

「あ、イニス団長!」

 イニスの声に振り返った青年——ヨルンは、広げていた図面を握りしめて声を上げた。彼の服の胸元にも、イニスと同じく政府の紋章が入っている。

「もう! 一体どこに行ってたんですか!? 全然帰ってこないからどうしちゃったのかと思いましたよ!」

 ヨルンは、図面を掴んだ手をぶんぶんと振りながらイニスに駆け寄ってきた。

「全然って……俺が留守にしたのはたったの三日だぞ? 東の森に出掛けることはちゃんと伝えたはずだが。」

 イニスが落ち着いた口調で返す。

「でも、この緊急事態に何の連絡もくれないなんて、みんな心配してたんですよ!」

 ヨルンは両手を腰に当て、ふくれっ面をして見せる。

「緊急事態?」

「そうですよ! イニス団長の携帯端末装置に掛けたら繋がらなかったので、ナウルさんに伝言を頼んだんですけど、聞いてません?」

 ヨルンは首を傾げ、イニスの後方に立っていたナウルを覗き込むように見た。ヨルンの視線の先を追うようにイニスがゆっくりと振り返ると、ナウルはアスティの隣で空中に視線をさまよわせている。

「……俺はまだ何も聞いていないが。」

 イニスはナウルをじろりと睨んだ後、青年に向き直った。

「それで? 何なんだ、この穴は。」

 イニスが尋ねると、ヨルンは周囲を気にしながら声を低くして、口元に手を当てながらイニスに向かって囁いた。

「実は、昨晩、ここで爆発があったんです。」

「爆発!?」

 イニスが驚いた様子で声を上げた。

「ええ。音に気づいた警備兵が駆けつけたら、壁にこの大きな穴があいてて。とりあえず、石材を手配して大至急修繕中です。ナウルさんの指示で。」

「ナウルの指示?」

「ええ。昨晩、僕がナウルさんに状況を報告したら、『壊れてもうたもんはしゃあないから、とっとと直したらええんちゃう?』とおっしゃったので、とっとと直すことにしました!」

 ヨルンはそう言ってピシッと右手の指先を揃えて額にかざし、敬礼した。

「……あ、何か、まずかったですか?」

 イニスが眉間に拳を当ててため息を吐くと、ヨルンがきょとんとしてイニスの顔を覗き込む。

「いや、いずれにしても修理は必要だからな。手際よくやってくれて助かるよ。」

「そやろ、そやろ? 俺の指示が的確やったおかげやな!」

 ナウルが嬉しそうに声を上げたが、イニスは厳しい表情でナウルを振り返り睨み付けた。イニスの視線に刺されたナウルはぴたりと動きを止め、表情を強ばらせる。

 イニスがため息を吐きながらナウルから視線を外すと、ナウルは気が抜けたように地面にしゃがみ込んだ。

「……なんで怒んねん……結果良ければ全て良しやん……。」

 ナウルは不満そうに呟きながらイニスに背を向け人差し指で地面に落書きを始める。

「……で、爆発の原因は分かってるのか?」

 イニスはいじけたナウルに構うことなく、ヨルンに向き直り尋ねる。

「石壁が独りでに爆発するはずはないので、何らかの爆発物が仕掛けられたものと見て調査中ですが、詳細は不明です。」

 イニスの問いに答えたのは、ヨルンではなかった。

「あ、ジェイス!」

 ヨルンが嬉しそうな声を上げ、イニスが振り返る。イニスの問いに答えた人物——ジェイスと呼ばれた青年は、右手を額の前に掲げ、イニスに向かって敬礼した。つんつんと逆立つような短髪が特徴的なその青年もまた、政府の紋章入りの黒い服を着ている。

「お疲れさまです、イニス団長!」

「今の時点で分かっていることを報告してくれないか?」

 イニスはジェイスの敬礼に答えるように軽く右手を挙げると、ジェイスに向かって問うた。

「はい。まず、穴の周辺に機械部品と思われる破片が散乱していたので、一通り回収して機械部門で分析中です。爆発当時の状況ですが、監視カメラは壁を乗り越える進入者を想定して壁の上方に向けて設置されていたため、下側は死角になって爆弾を仕掛けた人物や爆弾そのものは映っていませんでした。深夜だったため往来も少なく、人的被害はありませんでしたが、目撃者もありません。」

 ジェイスは声量を抑えつつもはきはきと説明した。

「犯行声明は出てないのか?」

「特には。情報部門で調べていますが、今のところめぼしい情報は何も。」

「国民広報はどうした?」

「原因がはっきりしないので、老朽化による壁の崩落と発表しましたが……。」

「……早めに片付けないと、面倒なことになるな。」

「ええ。王都全域の警備強化を指示していますが、国王陛下は、国民を不安がらせることのないように、との御意向です。」

 イニスとジェイスのテンポのいいやり取りは、アスティには耳慣れない単語も多かったが、イニスの真剣な表情で何か良くないことが起こったらしいということはアスティにも分かった。

「分かった。ここは任せていいな?」

「もちろんです!」

 イニスがジェイスに向かって問うと、ヨルンが脇から元気よく答えた。イニスとジェイスが微かに笑い、緊張した空気が僅かに緩む。

「……ところで、その女の子は誰なんです?」

 ジェイスがアスティを見ながらイニスに尋ねた。

「ああ、ちょっと東の森で色々あってな。」

 イニスはアスティを振り返り、どこまで説明すべきか思案しているようで、曖昧に答えた。

「王都ではあまり見ない格好だね? もしかして君、東の森の民?」

 ヨルンが腰を屈め、アスティに目線を合わせて尋ねる。灰色掛かった薄茶色の髪に、抜けるような白い肌を持った青年は、柔らかな雰囲気をまとっていた。

「まさか。王都への移住が進んで、東の森の民は頑固者のじいさんが残ってるだけだって聞いたぞ?」

 ヨルンの言葉に、ジェイスが反応する。

「アスティはそのじいさんの孫娘だよ。」

 イニスが端的に答えた。

「へー。アスティちゃんって言うんだ? ……僕はヨルン。王宮騎士団の団員でイニス団長の部下。よろしくね。」

 ヨルンはにこりと微笑み、アスティに向かって右手を差し出した。

「あ、アスティです。よろしくお願いします。」

 アスティは差し出された右手を握り返しながら会釈した。

「肩の上の鳥さんはアスティちゃんの友達?」

 ヨルンがキーロを見ながら尋ねた。

「え? あ、はい。キーロって言います。」

 アスティが答えると、ヨルンはキーロの頭に手を伸ばした。頭を撫でられたキーロは嬉しそうに短く鳴いた。

「俺はジェイス。俺も王宮騎士団の団員だ。」

 ジェイスがヨルンを押し退けてアスティの手を握ると、キーロが低く不愉快そうな声を上げる。

「それで……アスティちゃんはイニス団長の恋人なの?」

 突然、押し退けられたヨルンが脇からにこりと微笑んで尋ねた。

「え?」

 ヨルンの思いがけない問いにアスティは驚いて聞き返したが、イニスとジェイスはアスティ以上に驚きの表情を見せて絶句した。

「……こ、恋人……なんですか?」

 ジェイスが握ったアスティの手をそっと離しながらイニスに顔を向ける。

「違うに決まってるだろ!」

 イニスが顔を真っ赤にして叫ぶと、ヨルンはきょとんとした。

「違うんですか? でも、東の森で色々あったんですよね?」

「いや、色々っていうのはそういう意味じゃなくて……。」

 イニスは額に手を当て俯きながら答える。

「そういう意味ってどういう意味です?」

 ヨルンが聞き返すと、イニスは額に手を当てたまま難しそうな表情をし、すぐに顔を上げると叫んだ。

「……とにかく! アスティは俺の恋人じゃない! 彼女は東の森で事件に巻き込まれたから保護してるだけだ!」

「……事件?」

 イニスのうろたえようとは正反対に、ヨルンは落ち着いた様子で聞き返す。

「……彼女のおじいさんが密猟者に撃たれて亡くなったんだ。」

 イニスは小さく息を吐き、落ち着きを取り戻すと静かに答えた。

「おじいさんが……。」

 驚いた様子でジェイスがアスティを振り返る。

「そう、それは気の毒に。詳しいことは分からないけど、心配要らないよ。イニス団長は見た目によらずいい人だから、きっとアスティちゃんのためによくしてくれるよ。」

 ヨルンはそう言ってアスティに微笑みかけた。きちんと切り揃えられた前髪の間から覗く優しげな瞳に、アスティも思わず微笑み返す。

「はい、ありがとうございます。」

「……見た目によらずって何だよ。」

 イニスが不満そうに呟くが、ヨルンはにこにこと笑っている。

「しかし問題は……。」

 イニスは小さくため息を吐いた後、むすっとした表情で後ろを振り返った。イニスの視線の先にいた人物がびくりと身体を強ばらせる。

「なぜ報告しなかった?」

 イニスは腕組みをしてナウルを睨み付けている。

「やって、連絡来たのは真夜中やったし? アスティちゃんのじいさんの葬儀もしてやらなあかんかったし? 緊急事態言うたかて、事件はもう起きてもうたんやから、数時間到着が遅れても大して変わらへんよなあって……。」

 ナウルはイニスから視線を逸らし、斜め上を見上げながら答える。

「それが報告しなかった理由か?」

「やって、イニスに言うたら、絶対にすぐ戻るって言うやん! せっかくアスティちゃんと仲良うなったんに、いきなり帰るなんてもったいやん!」

 ナウルがそう叫んだかと思うと、ナウルの前髪が数本、はらりと地面に落ちた。アスティには一瞬何が起こったのか分からなかったが、イニスが剣を鞘に収めるカシャリという音でイニスが剣を抜いたらしいと気づく。

「……おい、ヨルン。お前、今の太刀筋、見えたか?」

 アスティの背後で、ジェイスが低い声で囁いた。

「全然見えなかった。さすがイニス団長、相変わらず速いねえ。」

 心持ち震えるようなジェイスの声に対し、ヨルンの声は随分とのんびりした調子だ。

 一方、目の前を刃がよぎったはずのナウルは、青ざめた顔で地面に散った前髪を見下ろしている。

「……報告は義務だ。今度情報を上げなかったら頭ごと切り落とすからな。」

 イニスは押し殺した声で言うと、ナウルの表情が変わった。

「……あかん! 前髪ぱっつんになっとる! こない前髪で人前出られへん!」

 ナウルは慌てて額に手を伸ばし、真っ直ぐに切り落とされた前髪の先を押さえてしゃがみ込んだ。イニスに「頭ごと切り落とす」と脅されたことは耳に入っていないのか、全く気にしていないらしい。

「だったら一生出てくるな。」

 イニスは明らかに苛立った表情でナウルを見下ろし、きびすを返して歩き始めた。

「ひどい……ちょっと報告忘れたくらいで前髪ぱっつなんてあんまりや。アスティちゃんもそう思うやろ?」

 ナウルは懐から取り出した鏡を覗き込みながら大きなため息を吐くと、涙目でアスティを見上げた。真っ直ぐな線で切り揃えられた前髪は確かに少し違和感があるが、頭ごと切り落とされることに比べたらずっとましに思える。何と返せば良いのか分からず、アスティは引きつった笑みを浮かべるしかない。

「短い前髪もお似合いですよ。僕とお揃いですし。」

 言葉に詰まったアスティに代わって、ヨルンがのんびりとした調子でナウルに声を掛けたが、ナウルは一層落ち込んだ様子で頭を抱えた。

「男とお揃いとか全然嬉しくあらへん! ああ、もう最悪や……。」

「いくぞ、アスティ。そこの馬鹿は放っておけ。」

 アスティがどうしたものかと立ち尽くしていると、イニスの声が響いた。イニスを怒らせて再び剣を抜かれても困る。一瞬迷ったものの、ナウルに掛ける言葉も見つからないので、アスティは駆け足でイニスを追いかけた。

「あ、アスティちゃん! 待って、待って! 置いてかへんで!」

 ナウルも何とか立ち上がり、前髪を押さえながらアスティとイニスの後をついてくる。どうやら前髪以外、怪我はないらしい。


 アスティたちが工事現場を去った後、ヨルンとジェイスはしばらくの間並んで三人の後ろ姿を見送っていた。

「可愛い女の子だったね。」

 ヨルンが呟く。

「ああ、イニス団長の恋人じゃなかったら俺が口説きたいくらいだ。」

 腕組みをして三人の背を見つめながら、ジェイスが返す。

「口説いてみたら? イニス団長は恋人じゃないって言ってたし。」

「いや、この場合の本人の証言は当てにならない。今はまだ恋人じゃないとしても、将来の恋人候補って可能性があるだろう? うっかり手を出してイニス団長に殺されるのはごめんだ。」

 ジェイスは先ほどのイニスの鋭い太刀を思い出したのか、首筋に手を当てながらぶるりと震えた。

「……ふーん。」

「……でも、珍しいよな、あの堅物のイニス団長が女連れなんて。」

「そう? イニス団長、よくユミリエール姫を連れてるけど。」

「馬鹿! あれは団長が連れてるんじゃなくて、姫様が団長につきまとってるだけだ。」

「そうなの?」

「そうなの! ヨルン……お前、ほんと何も分かってねえなあ。」

 ジェイスはやれやれとため息を吐くが、ヨルンはきょとんとしたまま首を傾げている。

「しかし本当に、あのイニス団長が女連れでお帰りだなんて、これはなかなか面白いことになりそうだな。」

「そう?」

「そうだよ!」

「……そっか。じゃあ、みんなに知らせないとね!」

「ああ。お前もよく分かってるじゃねえか!」

 ジェイスとヨルンは顔を見合わせて笑い合った。

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