傘
「傘ほど愚かな発明品はない」
木崎は風に煽られ逆さまに折れた杯のような傘を見上げてそう言った。見事なものである。コンビニに置いてあるような安いビニール製とは物が違う。傘は逆さまになってもしっかりと役目をこなし、頭上から落ちる雨から木崎を守っていた。横殴りの雨のマシンガンはそれでも木崎を撃ち抜いてはいるが。
「すぐひっくり返るし」木崎は傘を直そうと上下に可動する留め具を持ち手まで引っ張って、傘の骨組みを折り曲げる。
しかし強風はそんな木崎を嘲笑うように、傘のある先端一部分だけをペラリとまたひっくり返した。いや、やれやれと木崎がそこに手を伸ばしているうちに全体へと吹き乱れ数秒前と同じ杯を作り上げていた。
木崎は僕に何かを訴えかける目で落胆する。生憎、雨合羽を羽織った僕に出来ることは、愚かな発明品に頼る木崎を前に堪えきれない笑いとその口元を腕で隠すくらいだ。
「すぐひっくり返るし、足元は濡れるし、髪も濡れるし、手は塞がるし。最悪だホント」
「他はともかく、両手で傘を握るから手が塞がるんだろ」
木崎は真っ直ぐな持ち手だけでなく、カーブした部分もわざと握り締めていた。これでは何も持てないだなんて我儘なお嬢様かと僕の方こそため息が出る。雨合羽は両手は自由で、悔しいことに僕は木崎の荷物すら持たされていた。横長のスクールバック。背負ったり肩にかけられるような紐のついたものではない。会社員がストレスで握りしめるようなやや太めの手提げ鞄だ。片手さえフリーなら誰でも持てる。
二つのカバンは傘も雨合羽も必要とはせず、そのナイロンの皮膚が内部の教科書を守っている。極論。人間も全裸であれば、濡れても屁とも思わないのでは? 木崎をくすくすと笑い通り過ぎる女子高生を目が追ってしまう。
「直井はいいよな。雨合羽で」
「おう」
「おい、JKばっか見てんなよ変態」
僕は不機嫌に、大声を出した馬鹿を睨む。だって仕方がない。豪雨に役にも立たない傘をさして、白いシャツは肌と密着する。健全な男子中学生が、どうしてそれを無視できるのか。木崎にはわからないだろう。
「雨合羽でも不満はあるよ。顔は濡れるし、蒸し暑い」
「それだけだろ」
「……傘ほど種類もない」
木崎は「カッ」と言った。ボイスパーカッションでもするかのように音を出した。古臭い親父が「カァ、コイツはホントに」と言うのと同じニュアンスだ。つまりは僕の絞り出した答えに呆れているのだろう。木崎にとって傘の種類など利点にもならないのだ。
「あのさ、傘は地球人が発明した中で最も愚かな発明品なんだよ」
「核兵器よりもか?」
「ベクトルが違う。人殺しと人を守る発明を一緒にしちゃダメだ」
それぞれの向きにそれぞれの愚かさがあるのだと木崎は自分に酔っている。
「例えばだ」傘の愚かさを知らしめるために今し方通り過ぎた男子高校生の傘を指差す。前方が短く、背中側の骨組みは長い。新幹線や飛行機の先端のような丸みある形を作る傘。
「アレは空気力学を取り入れた傘だ。あの形のおかげで簡単に煽られることはない。今日みたいな風の強い日には重宝する傘だ」
「へぇ」
「だが、背中と頭部以外はびしょ濡れだ」
「あっちは最近よく見るな。傘の先端にカバーがついて畳んだ時に濡れないようになっている」
「ほう」
「風に強いわけではないから横から降る雨には濡れる」
「そんでもって、こいつは骨組みの多い傘だ。折れないことを売りにしているだけですぐにひっくり返る」
「……」
「雨風を防ぐ傘の役目を何一つ達成していない」
木崎は自分の傘を貶すついでに他人の傘も貶した。
「そして今通った女子の傘は日傘だ。太陽も出てないのにな」
「なあ」
「晴れの日にも傘をさされると邪魔でしかない。白い肌がそんなに大切か?」
一体何の話をしているのか。木崎の同意を求めるような目を無視して、僕は尋ねる。
「なあ、結局これは何の話だ?」
「愚かな発明品の話だぞ」
話を聞いていたのか? とまたも呆れを浮かべる。僕は馬鹿にされている気がしてムッとした。
「傘のくせに雨風が防げないから愚かだって?」
「そう言っただろ」びしょびしょに濡れているくせに横柄な奴だ。
「見てみろどの傘も結局は同じ構造だ。傘が発明されたのは16世紀だ。似たようなものはもっと前にも作られているらしいが。そこから今日まで傘は進化していない! さしたところで雨風に負けるとわかっているのに、今の構造を変える努力がされていない! こんな愚かなことがあるか!?」
木崎は熱弁した。木崎の熱意で周りの雨が蒸発しそうになるくらいだった。通学路で叫ぶような奴と友人であることを聴衆が後悔したくなるくらいに木崎は傘に不満を持っていた。それにしても傘に詳しいな。
「そんなものをまるで文明の利器であるかのように堂々と街を闊歩するなんて、恥ずかしくて目も開けられないね。火星人が攻めてきた日には笑われる」
「木崎も傘をさしているじゃないか」逆さまだが。
と、ふいに視界の端を傘が通る。
「傘が雨風を防げないだって? ならアレを見てみろよ」
その傘は画期的な傘だった。頭上から降る雨だけではない。横からの雨も、足元からの雨すらも防ぎ、風も防ぎきっている。傘としての役割をしっかりと果たしている。
その傘は先端から透明なカバーが足元まで降ろされた、つまりは傘が全身を覆ったものだった。
美。機能美。まさしく傘の極地といってもいいだろう。僕には恥ずかしくてさせやしない。木崎はげんなりした声でいった。
「ああいう機能性ばかり極めたものはダメだ。利便性もないし。シンプルにダサい」
「木崎はカッコいいものが好きだもんな」
「……似合わないか?」
強風が耳を撫で、小さな声を聞き漏らす。何か言ったかと木崎を見れば、木崎は目を閉じて、逆さまの傘をさしたまま歩きだしていた。風邪でも引いたのか頬は朱を帯びている。足取りは速く、この場から離れたそうにも思えた。
「俺も雨合羽にしようかな」
「……やめとけよ」
雨に濡れる彼女の背中を僕は無視できなかった。
「変態」




