第2話 逆襲のS①
「命が惜しければ、渋沢を置いていけ!」
黒いパーカーを着た男がナイフを突きつけた。男はパーカーのフードを被り、夜なのにサングラスを着用している。大学時代の同級生との飲み会が終わり、JR田町駅への抜け道を通っていた田中は、黒ずくめの集団に囲まれた。
これがオヤジ狩りなのか? 先週30歳になった田中。認めたくないけれど、いつの間にか、オヤジと呼ばれる年齢になった。もし29歳だったら、こいつらに会わなかっただろうか?
とにかく、穏便にやり過ごすためには、黒ずくめの集団に逆らわないほうがいい。
黒ずくめの集団が要求する渋沢……田中には渋沢が何なのかがわからない。
「渋沢ですか?」
「そうだ。渋沢だ。持っているだろう?」
渋沢を持っている? 田中の持ち物は、スマホと財布のみ。はたして、渋沢を持っているのか?
質問したら、黒ずくめの集団を怒らせるかもしれない。が、渋沢を間違えると命に関わる。
「あの、渋沢のヒントをもらえませんか?」
「お前、知らないのか? これだよ」
黒いパーカーの男がポケットから取り出したのは一万円札。渋沢栄一が描いてある。
オヤジ狩りとは、金銭を奪う行為。黒ずくめの集団は金を要求している。オヤジ狩りとしてはごく真っ当な要求だ。
田中は財布を開いた。渋沢栄一の一万円札が一枚、福沢諭吉の一万円札が一枚、北里柴三郎の千円札が三枚入っていた。
財布から一万円札を二枚抜き出し、黒いパーカーの男に差し出した。
「渋沢、持ってるじゃねーか」
黒いパーカーの男は受取った二枚の一万円札を確認した。一枚を別の一万円札に差し替えると、「福沢先生は大事に持っておけ」と田中に返した。
手許を確認すると、福沢が二枚。田中に損害はない。
「渋沢に手を出すんじゃねーぞ!」
そう言い残して、黒ずくめの集団は去っていった。
その場に放置された田中。放心状態で状況を整理する。
黒ずくめの集団は田中から金を奪わずに去っていった。
渋沢栄一の一万円札を福沢諭吉に替えて、田中に二万円を返却した。黒ずくめの集団の目的は金銭ではなく、渋沢栄一。
つまり、オヤジ狩りではなく、渋沢狩りだ。
この日以降、SNSでは「#渋沢狩り」のタグが付いた投稿が多数確認されることになる。
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「課長、渋沢狩りの被害エリアの絞り込みができました」
佐藤はSNSの「#渋沢狩り」のタグの位置情報をマッピングした地図を課長に提出した。東京都で発生する渋沢狩り、都民を震撼させている事件だ。
黒ずくめの集団は通行人に渋沢栄一の一万円札を要求し、奪った渋沢を福沢に替えて、被害者に返す。
通行人に渋沢栄一の一万円札を要求する恐喝事件ではある。しかし、被害者に実害はない。
警視庁捜査一課では、渋沢狩りを強盗事件として捜査するか否かを検討中である。
「実害がないから、単なるいたずらだろう。捜査一課が担当するような事件じゃねーよ」
捜査一課長はこの捜査に乗り気ではない。被害者に損害がないから、大した事件ではない。それよりも、昨夜発生した強盗殺人事件に捜査員を割きたいのだ。
「被害者は黒ずくめの集団に恐喝されました。捜査しないというのもどうかと思います。SNSで騒がれると面倒ですから、形式的に捜査をしてはいかがですか?」
「めんどくせーな。形式的にってどうやって、捜査するつもりだ?」
「渋沢狩りの被害は三田エリアに集中しています。このエリアに数日間、捜査員を配置して黒ずくめの集団を恐喝容疑で逮捕します」
「強盗殺人事件で忙しいから、人は割けねーぞ。お前と村田の二人で捜査しろ。捜査期間は3日だ。3日で逮捕できなかったら、強盗殺人事件の捜査に合流しろよ」
捜査一課長の指示のもと、佐藤と後輩の村田は私服捜査員として三田エリアを巡回することになった。
黒ずくめの集団は三田の裏路地を一人で歩く通行人をターゲットにしていた。監視カメラを避け、目撃者もいないことから、手際がいい。土地勘のある、プロの犯罪グループだ。黒ずくめの集団に遭遇するために、佐藤と村田は根気強く裏路地を徘徊し続けた。
被害者を犯罪から守る、佐藤が警察官になった理由だ。重要な事件、重要じゃない事件なんてないはずなのに、警察組織では重要な事件を解決することしか興味がない者が多い。
「付き合わせて悪いね」佐藤が言ったら、「いいっすよ。それよりも、次の合コン、かわいい子くるんすか?」と村田は緊張感がない。




