昔話(中)
「呼んだ?」
などという声が横から聞こえてきた。聞こえたとは思いたくないが、仕方ないったら仕方ない。
生憎ながらこれはいつものやり取りとは違い無視すると勝手に話が進んでいくだけなのだ。よってこちらから積極的なブロックをしていかなければならない。それはさながらサッカーにおけるゴールキーパーのようなもので、一対一の状況ではどうしても相手の方に寄ることで狙いを狭める必要が出てくる。あまりにも前に出すぎるとフェイントをかけられる恐れもあるが、かといって何もしないと相手は悠々と広範囲を狙っていけるわけだ。
まあ要するに、私のすべきことなんていうのはだな……。
「呼んでない。君の居場所はあっちだ」
こっちに問い掛けてきた似非無口キャラ、杭瀬弥葉琉がこちらに来ないように手を払いながら即答してやる事だ。周りの奴らはあまりの返事の早さに感心していたが、こんなものは基本的な技能である。言ってしまえばアナウンサーがべらぼうに早口言葉を言い切るのとなんら変わりないのだ。
だがそれでも少しばかり反応が遅かったのかもしれない。決まったと思った私の抵抗も無駄だったらしく、杭瀬は表舞台に立った。こうなってしまえばもう遅い。覆水盆に返らずだ。コイキングにも劣る一女子高生は所詮自分の無力さに打ちひしがれているのがお似合いのようで。地球滅びないかな。
「そうか、似非無口がいたじゃねえか」
そしてうれしそうな大曽根さん。似非は所詮似非だろうと思うのは私だけだろうか。肉まんの具にダンボールを入れるようなものだ。
「おい、頼まれてくれねえか?」
「シナリオなら書きましょう」
杭瀬の方も即答していた。さてはこいつ、本を読んでいる振りをしてずっとこちらの会話を盗み聞きしてたな? この野郎、虎視眈々(こしたんたん)と……!
「杭瀬、一応言っておくが変な話を書くなよ?」
「大丈夫。私に不可能なんてないから」
頼むから私としては変なシナリオを書く事ぐらいは不可能であって欲しかった。残酷な話ではあるが、世の中にはいらない才能というものが確かに存在するのだ。高いところに上って後で下りられなくなる猫と似たようなものだ。
そんな私の不安も知らず、「なぜなら」と杭瀬は話を続けた。
「私は作者が一番好きなキャラだから大丈夫なの」
「いきなりメタな話に入ったな。で、それがどうした」
「つまり、私がメインヒロインって事」
「いやないだろ」
そう言うもあっさりとスルーし、自分の鞄を置いている席を離れ、杭瀬はパソコンデスクの方に行った。そのまま電源を起動させる。改造により、電源を入れてから起動にかかるまでの時間をコマーシャル一本分まで縮めた文芸部自慢のパソコンだ。
そんなパソコンが起動しワードを開いていた所で、大曽根さんが杭瀬に話し掛けた。
「テーマは『昔話』『恋愛』『惨劇』『銃撃戦』の四つだ。四題噺ってえのはハードだが、出来っか?」
「無論。頭の中で全体図が出来上がっていますから」
やっぱりお前全部聞いてただろ。
「さて晴希、今日も二人の愛を育むぞ」
暇になった所で嘉光が話し掛けてきた。まあ想定内の展開ではある。代わりに回避は出来ないという点では所詮は悲しい読みだが。
「今日『も』ってなんだ、『も』って」
「晴希の愛がこもっているなら晴希の呼気だって二酸化炭素が何パーセントあろうが吸える」
「変態だな」
「晴希の愛がこもっているなら晴希の唇だって吸える」
「極度の変態であることは確かだがせめてオブラートに包んでくれ」
「晴希の愛がこもっているならアスベストだっていくらでも吸える」
「それは冗談抜きでやめてくれ」
後々の事態が深刻になるのは勘弁だ。文芸部から病人を出してはいけない。怪我人は出してもいいかもしれないが。主に嘉光とか。
すると、嘉光の表情が一変して真剣味を帯びたものになった。ああ分かっている。こういう時の嘉光は──
「正直、俺は陰陽師の力なんてものに興味はない」
シリアスだと思わせてふざけたことしか言わないんだ。これでも本人は真面目なつもりなんだろうがな。
「そりゃ大曽根さんの考えた嘘設定だからな」
「だから逃げよう! 二人で!」
「断る!」
何が悲しくて出演事態のためにこいつと愛の逃避行せにゃならないんだ。どうせしてもしなくても嘉光と一緒ってのは……いや違うだろ、うん違うな。思えば活路なんてものは、最初から確かにあったんだ。
「そうだ、お前と一緒に逃げるくらいなら、私は朱鷺羽とラブシーンをやってやる!」
『な、なんだってぇー!』
周囲の人間ほぼ全員が驚愕していた。ちなみに一宮さんと杭瀬は平然としていて、朱鷺羽は単純に喜び、大曽根さんは別の意味で喜んでいた。くっ……だが背に腹は換えられない……。今は耐えろ秋津晴希、ここが正念場だ……。
「晴希先輩!」
「言っておくが、これは逃げ道だからな? 決してお前とやりたいってわけじゃ──」
「それでもいいです!」
「…………」
何だろう、なぜ私は何も悪いことをしていないはずなのに罪悪感に苛まれるんだ? いやここで罪悪感を覚えちゃ駄目だろう。朱鷺羽エンドとか勘弁願いたいんだが。
と、気付けばもうとっくの昔にパソコンは起動し、杭瀬は既にワープロソフトに数行の文章を打ち込んでいた。
凄く心配だ。一応目を通しておこう。
こんにちは。私は文芸部の秋津春姫。顔立ちのせいでたまに男の子に間違えられたりするけど、心は恋する乙女のつもりなの。
「貴様アアアアアアアアアアアァッ!」
思わず激昂してしまった。なんだこれ。やっぱり作者が病気だと駄目だ。いや、杭瀬の話な?
「大変。晴希が壊れた」
「壊れてんのはお前だこのインチキ星人!」
「てめえら! 晴を抑えろ!」
『ラジャー!』
部員達が流れるように動き出し──。
結局大曽根さんの指示により皆に簡単に取り押さえられ、仕切り直し。
「晴希、少しは自重するべきだと思う」
「お前がな……ちょっと待てなんだその顔は。秋津春姫と内藤義晃の話はもうやめろといったはずだ」
だからやめてくれ。そんな目で私を見るな。
「面白いのに」
「私は面白くない」
「俺もいいと思うぞ」
「内藤は黙ってろこの精神病患者」
「ぬわ」
嘉光が血を吐いて、床に真っ赤な花模様を残して倒れた。さようなら、嘉光。
嘉光の少々派手なログアウトに対し、横では朱鷺羽が「晴希先輩は一対多だと内藤先輩に容赦の欠片もありませんね」などとよく分からない事を言っていた。あとその後の「内藤先輩はずるいです。私も同姓同名のキャラが欲しいです」と言ったのは空耳だったと信じたい。
そうこうしているうちにプロットの細かい部分まで完成させた杭瀬が説明を始めると言い出し、私と朱鷺羽はそれを聞くことにした。大曽根さんが「こいつは最高のシナリオだぞ」と言っていたのがものすごく心配だ。
「さて、話は『うさぎとかめ』」
「恋愛とかそう言う要素が全く内容に思えるんだが」
「話は兎が亀にロシアンルーレットで負けて、罰ゲームで全てを失う所から始まるの」
えらくアダルトそうな童話だった。日本昔話ではまず放送されそうもない。まあ所詮学生のやることだからいいんだろうけど。
「ロシアンルーレットって何ですか?」
朱鷺羽が疑問を唱える。てかほんと、ロシアンルーレットも知らないのにガチムチレスリングを知っていたのが驚きなんだが。一応説明をしてやることに。
「拳銃の弾倉に実弾を一個入れて、自分の頭に銃口を当てて交互に一発ずつ引き金を引くってゲームだ。要するに命が懸かってる博打」
「はあ……」
「分からないなら晴希でやってみれば──」
「分かります分かります!」
杭瀬がさらりと危険な事を言い終わらないうちに朱鷺羽が話を終わらせる。こういう所が優しくて、他の奴らとは大違いなんだよな。だからこそ辛い面もあるんだけども。
「まあそれで、負けたと」
「けど亀は、その銃弾の重みから場所を把握できる能力があったから」
「亀凄いな。せこいを通り越して」
「この事を後で知った兎は憤慨した」
「でしょうね。なんでまだ生きているかは知りませんけど」
同感だ。命を賭けたんじゃないのだろうか。
「兎が頭につけていたうさ耳バンドが銃弾の威力を殺したわけね」
「うさ耳バンド強すぎるな。あとその装備からすると兎ってバニーガールか何かだろ」
私がそう言うと杭瀬は軽く首を縦に振った。本当かよ。
「と言うわけで兎は亀にリベンジを果たそうと、かけっこ勝負を挑んだ」
「ようやく本筋ですか」
「けどここでも亀が重火器で兎を攻撃して妨害しようとするの」
「亀最低だな。あとその装備からすると緑色の迷彩服着た軍隊か何かだろ」
じゃなかったらミュータントタートルズとか。杭瀬はここでも首を縦に振った。バニーガールと軍隊の戦いになるのかこれ。ご都合主義の展開ならきっと兎の勝ちだろうな。
「兎が攻撃を何とか避けて茂みの中に逃げ込むと」
「どうなるんですか?」
続きを言おうとしない杭瀬に朱鷺羽が質問する。お前実は聞き入ってるだろ。
そんな様子を見て満足したらしく、杭瀬は次の言葉を紡いだ。
「秋津春姫と内藤義晃が裸で交わっている現場に直面してしまうの」
「ストップ! もうやめるぞこれ!」
超展開につぐ超展開。最後までやっていける気がしない。ほら朱鷺羽を見ろ。沸騰してるぞ。
「じゃあ、続きは本番で」
「本番やめろ!……まさかロシアンルーレットや重火器本物使ったり、裸云々の所で実際に脱ぐんじゃなかろうな?」
「……勘が鋭い」
「貴様ァッ! この似非弥葉琉ッ!」
「よし晴を取り押さえろ」
『ラジャー!』
ああ、こうなるのか。なんだか既視感を覚えるなこれ。