48 こういうことってどういうこと?
いよいよキンドリー家に向かう日がやってきた。
明日の朝は早起きをして、身支度をしなきゃいけないんだよね。
それだけで気が重くなるんだから、やっぱり私って貴族に向いてない。
だって、どうして着飾らなきゃいけないの……楽な服のほうがいいじゃない。
時と場合と場所に合わせてふさわしい装いをしなきゃいけないのはわかってるけどっ!
思えば、入学式とか卒業式とか、そういう式典の時にきちんとした服を着るのも苦手だったな。
根っからの庶民なんだよ、きっと。……貴族の血筋のはずなのに。
でも、いやだいやだなんて子どもみたいに言ったって仕方ない。
私にとっても大事なことなんだから、ちゃんとしないと!
とはいえ気が重いのは変わらず、明日は早起きだというのに全然眠れなくて一度キッチンに向かった。
何か温かい物でも飲んで、リラックスしたら眠れるかな、と思って。
そしたらなんと食堂には先客がいた。
トウルさんがダイニングテーブルでお酒を飲んでいる。
珍しい……いや、私が知らないだけで夜にはこうして晩酌を楽しんでいたのかもしれないけど。
「どうした、緊張して寝れないのか」
「うっ、そうですよ、悪いですか!?」
「悪いなんて言っちゃいねーだろ」
ぽかんとして立ちつくしていると、トウルさんに軽く笑われながら声をかけられた。
まさか深夜のキッチンで誰かに会うとも思っていなかったから、ちょっと動揺しちゃう。
クスクス笑うトウルさんをちらちら見ながら、お湯を沸かすためにコンロに火を点けた。
「添い寝でもしてやろうか?」
「けっ、結構ですっ!!」
その間にもトウルさんの軽口はとまらない。もうっ、すぐからかうんだから!
それとも、少し酔っているのかな? トウルさんはいつもこんな感じだからわからないや。
どのみち本気なんかじゃないし、意識しないようにしないと。心臓に悪いっ!
身構えてはみたものの、その後はトウルさんも何も言わず、キッチンには静かな時間が流れた。
お茶用のポットとカップを出すカチャリという音、お湯の沸く音、お湯を注ぐ音。
静かな空間に響く静かな音って、なんだか癒されるんだな……初めて知ったかも。
お茶を淹れ、ようやく椅子に座ってゆっくり味わっていると、トウルさんが再び静かに口を開いた。
「答えは出たのか?」
「……出てないです」
「くくっ、随分はっきり言うじゃねぇか」
案外、こちらのことを気にしてくれているのかもしれないな。
タイミングを伺っていたのはなんとなくわかったから。
私も少し誰かに聞いてもらいたい気持ちがあったから、素直に胸の内を話した。
「今の段階では判断出来ないなって思っただけです。だって私はまだ、キンドリー家に行ったこともないし、公爵様にお会いしたこともないんですよ?」
ほぅ、と息を吐くと、ほどよく肩の力も抜けていくのを感じる。
心も解けていくようで、モヤモヤしていた胸の内も喋ってしまう。
「どういう環境で、どんな人たちがいるのか。仮に貴族になったとして、みなさんとそりが合わなかったらお互いに不幸じゃないですか。だから……想像だけで不安になるのはやめたんです。ほら、せっかく見る目があるわけですし、この目で見て、対話して、それから考えても遅くないかなって」
自分の中である程度答えが出たおかげで、少しずつ余裕を取り戻せたかも。やっぱり誰かに話すのって有効かもね。
トウルさんはまたしてもくくっと喉の奥で笑った。
「あんなに貴族になりたくねぇって騒いでたのにな」
「その気持ちは今も変わってないですよ。ただ、そこまで頑なにならなくてもいいんじゃないかって思うようになっただけです」
「そうか。よく考えたな」
ふと顔を上げると、トウルさんがものすごく優しく微笑んでいたからドキッとする。
そんな顔も出来たんだ。それとも、やっぱり酔っているのかな?
少し失礼なことを考えていると、トウルさんはお酒の瓶とグラスを持って立ち上がり、片付けながら言った。
「明日、キンドリー家に行った後。また話を聞かせろ」
「報告ですね? もちろんですよ!」
「そうじゃねぇ」
え、違うの? そう思って見上げると、いつの間にかトウルさんが目の前に立っている。
なんか呆れたような目をしてません? なんで? 私、変なこと言ってないよね?
「俺がただ、お前の話を聞きたいだけだ」
「……暇なんですか? あっ、乗り掛かった舟だから気になるとか?」
「お前、俺をなんだと思ってやがる」
いや、だって、他に理由なんて見当たらないもん。
でもそうだな、他に理由があるとすれば……暇つぶしとか?
などとあれこれ考えていたら、急に腕を引っ張られた。
「わっ」
それからあっという間にトウルさんに抱き寄せられるとともに、反対の頬に手が添えられる。
何事? と思う間もなく、次の瞬間には頬に柔らかな感触と、ふわりと香るお酒の匂い。
「ぇ……」
「こういうことだよ」
耳元で囁かれ、至近距離で金色の瞳と目が合う。
いつもはサングラスに隠されているその目がなんだかとても綺麗で、吸い込まれそうで、思わず黙って見つめ返してしまった。
それから数秒後、トウルさんは私から離れるとダイニングから出て行きながら軽く手を振った。
「……もう遅い。いい加減に寝ないと明日起きれねぇぞ」
「ま、ま、待ってください! こういうことって、どういうことですかっ!」
「お前まじか。伝わんねーか?」
というか、今何が起きたのか脳が処理をしきれていない。
あれ? 今、本当に何が起きたの? 抱き寄せられて、頬に手を当てられて、それで……?
「俺はお前に……いや、今言うのはなしだな。問題が解決したら教えてやる。覚悟しとけよ」
半ば混乱したままの私にトウルさんはそれだけを言い残すと、今度こそ立ち止まらずに去ってしまった。
……私の気のせいでなければ、だけど。
もしかして今、トウルさん……私の頬にキス、した?
柔らかな感触がまだ残る頬に手を当てたら、急に顔が熱くなるのを感じる。
「どっ……どういう、ことぉ……?」
恋人のフリは終わった、よねぇ?
いや、その期間もこんなことはされたことないけど……。
でも、だとしたら余計に。どういう、こと……?
へなへなとテーブルに突っ伏した私は、その場からしばらく動けそうになかった。




