39 王太子ライルの苦悩
憂鬱な気持ちで王城に戻る。
また兄上の説得に失敗してしまった。成功するとも思っていなかったが、まさか襲撃事件に居合わせてしまうとは運がない。
そのせいで、二度と兄上を貴族社会に戻すことが叶わなくなってしまった。
仕事を任せたいという下心がないといえば嘘になる。そのくらい、兄上の能力は高く、頼りになる人物なのは間違いないのだから。
周囲の者たちが兄上を求め、そして消そうとする。
両極端な意見を持つ者たちの相手をするのに疲弊していたのもたしかだった。
けれど私個人の意見をいうのなら。
私はただ、またあの頃みたいに兄上と共に学び、国の未来を語り合いたかっただけなのだ。
もう戻れないという事実が、胸にずしりとくる。
それもこれも、兄上を排除しようと目論む能無しどもが余計なことをするせいだ。
私を確実に王位に就けようと必死なのはわかるが、王太子となったというのになぜそこまで過剰に兄上を排除しようとするのか理解が出来ない。
王になった後も兄上が私の命を屠り、国を乗っ取ろうとしている? はっ、馬鹿馬鹿しい。
そんな面倒なことを兄上がするわけがないのに。
あいつらは兄上のことを何も知らないのだ。
真っ直ぐ自室に戻ってベッドに倒れ込み、何も考えずに眠りたい。
だが立場上そうするわけにもいかない。襲撃事件に巻き込まれたことを、陛下に報告しなければならないのだから。
陛下のもとへ向かう途中、美しい黒髪を靡かせながら私に駆け寄ってくる愛しい人が目に入る。
聖女マリアンヌ。彼女は私の婚約者でもあった。
「おかえりなさいませ、ライル様! ご無事ですか!?」
心配そうな顔で駆け寄る彼女がたまらなく愛おしい。
近寄ってきたマリアンヌを抱きしめたくなるのを堪え、腰を抱いて引き寄せた。
マリアンヌは恥ずかしそうに少し頬を赤く染めると、私の顔を覗き込むようにして告げる。
「襲撃に巻き込まれたと聞きました。本当に心配したのですよ」
「ごめんね。でもこの通り無事だよ。心配してくれてありがとう」
「ライル様がご無事で本当によかった……あっ、それでトウル様については?」
「これから陛下に報告に行くところなんだ」
「お供します!」
「そう? ではついておいで」
元よりこのまま一緒に行くつもりだったが、彼女からそう言ってもらえるのは嬉しい。
マリアンヌは私の心の支え。いつも私を思いやり、気持ちを汲んでくれる優しいマリアンヌがいなければ、とっくに過労で倒れていたかもしれない。
◇
陛下の御前で頭を垂れる。陛下は兄上を呼び戻すことに難色を示している側だ。
とはいえ、他の愚か者どものような考えからではない。兄上の気持ちを慮っているからこそ、そっとしておくべきだという「父」としての考えからだった。
それもわかった上で、私は兄上の下に通っていた。
それさえも陛下は黙認してくれていたのだが、さすがに今回ばかりは黙っているわけにはいかなかったのだろう。
「今回のことはライル、そなたに非があるな。私とて何度も忠告したはずだ。トウルのことは放っておけと」
「……はい。反省しております」
「だが、おかげでお前も諦めがついたであろう。いい加減王太子としての自覚を持ち、励むように」
「はい。では、失礼いたします」
反省しているのは本当だった。自分が悪いことも理解している。
それでも貫きたい思いがあった。あの頃に戻りたいという幼稚な考えも、陛下のおっしゃるようにいい加減捨て去るべきなのだろう。
陛下からはお叱りを受けたものの、あまり深くは聞かれなかった。すでに情報は耳に入っているらしい。
それから、私の気持ちも考えてくれたに違いない。
陛下もまた、私と同じで甘い考えをお持ちだ。
ままならない。あの事件さえなければ、今も兄上はここにいただろうに。
だがあの事件がなければ今より兄上も、そして私も敵対派閥に命を狙われたかもしれないが……ああ。結局どうするのがよかったというのか。
結果的に、兄上が自ら縁を切るという決断のおかげで、今の状態が最も平和だと言わざるを得ないのが腹立たしかった。
「そうでしたか。トウル様とそんな契約を……残念でございましたね」
「うん。そう言ってくれるのはマリー、君だけだよ」
「あら、こうして言葉にするのが私くらいなのであって、他にもライル様のお気持ちに寄り添う者はたくさんいますよ?」
「わかってる。ただこうして言葉にしてくれることが、今の私にはありがたいんだ。君がいて本当に良かった」
「まぁ、ライル様ったら……」
異世界生まれということで、マリアンヌは異国情緒のある顔立ちだ。
余所者だと反発する者も多くいたが、聖女としての在り方が認められ、その美しさも皆に認められつつある。それもこれもマリアンヌの努力の賜物だ。
とても強く美しい女性。それがマリアンヌ。
『ひぇっ、あ、あのっ! 王子様がそんな簡単に頭を下げたらまずいのでは……!?』
兄上の側にいたルリという名の女性も、美しい女性だった。
私が謝罪したことにとても驚いた顔をしていたな。なんとなく見覚えがある気がしたが……。
「ライル様? どうかされまして?」
「……ああ、いや。なんでもない」
きっとマリアンヌと同じ黒髪で、美しい人だったから気になったのだろう。
黒髪はそこまで珍しくはないが、サラリと艶やかで長い黒髪の女性はあまり見ないからかもしれない。
私はさらにマリアンヌを引き寄せ、彼女のこめかみにキスを落とす。
「聖女として、赤子の頃に召喚された君には血の繋がった家族がいない。だから君の唯一の家族として、私がマリーを支えたいんだ。そんな存在になれたらいいのだけれど」
「ああ、ライル様。もうなっていますわ。ずっと私の心の支えに……」
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
ああ、マリー。きっと私のほうが、君に支えてもらっている。
思わず彼女を引き寄せ抱きしめていると、ふいに視線を感じて少し身体を離す。
通路の途中で立ち止まる私が悪いのは承知しているが、こちらを見ている人物が問題だった。
「キンドリー公爵。何か用事でも?」
「……いえ。失礼」
キンドリー公爵は冷ややかな眼差しで私たちを見ると、すぐに視線を逸らして隣を足早に歩き去っていく。
感じの悪い公爵だ。王太子派でも兄上派でもない中立を謳ってはいるが、息子のセルジュは兄上の側近だ。
公爵自身の考えはわからないとはいえ、いずれにせよあまり敵対したくはない人物でもある。
ただ、会うたびにあんな目を向けられてはこちらとしても不愉快だ。婚約者としばし愛の確認をしたっていいだろう?
いや、気に入らないのはマリアンヌの存在なのだということはわかっている。
気持ちはわからなくもないけれど……それをマリアンヌにぶつけるのはお門違いだ。
彼女は、何も悪くないのに。
「マリー、気にしてはいけないよ」
「私は大丈夫ですわ。ただ……いつか公爵様のお心が晴れますようにと祈ることしか出来ないのが歯がゆいですけれど」
「優しいマリアンヌ。あんな態度をしてくる人にまで祈るなんて」
そう、誰も悪くない。神の采配に誰が異を唱えられようか。
巻き込まれただけのマリアンヌのことを思うと、切なさで胸が苦しくなる。
大丈夫だ、私が君を守るよ。
君が望むことはなんでも叶えてやりたい。
だから私はまだ、兄上を諦めるわけにはいかないのだ。




