36 ずっと誰かに抱きついてる気がする
クランに戻ってきたその瞬間、建物内からものすごい怒声が聞こえて体が縮こまる。
何を言ってるのかまでは聞き取れなかったけど、この声がトウルさんのだっていうことはわかった。
す、すごく怒ってるぅ……! 私が怒られてるわけじゃないってわかってるのに怖い。
クランの入り口で足が止まってしまった私に気付いたラスロが振り返り、首を傾げながら軽く両手を広げた。
「……いる?」
「あっ、いや、そこまでは……でも、少しだけ」
ハグが必要か、と悪意なく言ってくれるのは正直助かる。ただ、さっきみたいにぎゅうぎゅう抱き着くほどではないので、腕をお借りしてしがみつかせてもらった。
きっと歩きにくいだろうに文句も言わずにそのままにしてくれるラスロはやっぱり優しい。目つきが鋭すぎるだけで心はあったかいんだね。
「さっきから言い訳ばっかり並べてんじゃねぇぞ、ああ!?」
「トウル様、お言葉が過……」
「うるせぇ! 兄弟喧嘩に口を挟むな!」
「ひぃっ」
食堂に入ると、再びトウルさんの怒声が聞こえてひしっとラスロに抱き着いてしまった。
さっきより近くで聞こえたから迫力も段違いだ。ラスロも私を守るように無表情のまま抱きしめてくれている。ご迷惑をおかけします……!
「あ? ルリじゃねぇか。無事だったか!」
「た、ただいま、です……!」
「……なんで抱き合ってんだ、お前ら。いつの間にそういう仲に?」
トウルさん、まだ目が据わってるぅ!
ビクビクしているとラスロが私を抱きしめる腕の力を強めてくれた。
「そういう仲……? ただこうすると、ルリが落ち着いてくれるから」
そうなんです、淡々と任務をこなしてくれているようなものなんです!
特別親しい仲だとか、恋人だとか、そういうわけではありません! 確かに距離はめちゃくちゃ近いけどっ!
「……はぁ。なんか腹を立てる俺のほうが馬鹿みてぇだな。こっちこい、ルリ。もう怒鳴らねぇから」
「は、はい」
ラスロから離れ、恐る恐る近付きながらトウルさんの手を取った瞬間、グイッと引っ張られてバランスを崩す。
気付いた時には、今度はトウルさんによって抱きしめられていた。
「ト、トウルさん!?」
「……無事でよかった」
突然のことに大慌てになってしまったけど、耳元で聞こえた小さな囁き声を聞いて胸がギュッとなる。
そっか。本気で心配してくれていたんだね。
なんて言ったらいいのかわからなくて、しばらくそのままされるがままになってしまった。
しばらくして少し体を離してくれたトウルさんが顔を覗き込みながら聞いてきた。
「巻き込んじまって悪かった。怪我はねぇか?」
「は、はい。大丈夫です。でもカトリーヌさんは無事かな……」
「セルジュが先にここに連れてきてる。少しやられた程度だ」
「怪我したんですか!?」
「あいつは昔、戦闘員だったからこの程度よくあることだ。問題ない」
でも、やっぱりどこかを痛めたのなら心配だよ。昔戦う人だったとしても今は違うんだから。
「んな顔すんな。カトリーヌも困るぞ」
「う、そうですよね。でも後で顔を見に行きます!」
「そうしてやれ」
よかった、いつものトウルさんだ。
ようやく安心して肩の力が抜けたよ。ふぅ。
そんな時、聞いたことのない声が耳に入ってきた。
「本当に兄さん、なんですか……」
「あ? どういう意味だよ」
「いえっ、ただこんなふうに人に優しくも出来るんだなぁって」
「そりゃ俺だって男だからな。良い女には良い顔もする」
「そんな言い方しなくてもいいのに」
……もしかして、もしかしなくてもこの人。
王子様なのでは!?
慌ててトウルさんから離れようとしたけど、ぐっと抱き寄せられてそれも出来ない。
ちょ、トウルさん!? それ絶対わざとですよねぇ!?
「そのままで構いませんから。ルリさん、ですね? 私はライル・リュシアン・ツェリージアと申します。トウルの弟です」
「腹違いの、な」
「わざわざ付け加えないでくださいよ……」
控えめながら高級感ただよう装いと所作に、オーラから只者ではない感がにじみ出ている……!
やっぱり王子様だーっ! いるって知ってたのに怖がってたせいで頭から抜けてた! どうしよう、不敬だって捕まったら!
いやいや、落ち着いて。そのままでいいって言ってくれた。たぶん本心から言ってくれたはず。ミルメちゃんも反応しないし。
私の力ではトウルさんのホールドから抜けられそうもないので諦めてそのまま頭を下げる。
「このような姿勢で申し訳ありません……。ルリと言います。えーっと、殿下?」
「ははっ、ありがとう。ライルでいいよ」
「おい、王太子が気軽に名前を呼ばせんな」
「とか言って、ルリさんに呼ばせたくないだけでしょ。ケチだなぁ、兄さんは」
軽口を叩き合う姿を見ていると、本当に兄弟なんだなって雰囲気かも。さっきまで怒声を浴びていたというのに、怖がる素振りもないし……。
ただ、王子様の護衛かな? それからお付きの人の視線は鋭い。ずっとトウルさんを睨みつけていてすごく嫌な感じだ。
なんなら私も一緒に睨まれている気がする。こ、怖い。
「ルリさん。恐ろしい目に遭ったばかりで心苦しいのですが……襲撃された時のことを何か覚えていませんか? 些細なことでもいいのです」
襲撃された時のこと、っていうと暗殺犯の手掛かりがほしいってことかな。
予想はついているけど証拠がない、みたいな?
証拠はないけど証言は出来る。ただ、ミルメちゃんの力を使って得た情報って言っていいのかな?
心配になって見上げると、トウルさんが頷いてくれたので意を決して話すことにした。




