聖夜のリボンをほどくのは。
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「少し冷えるな……」
執務室の暖炉は効いている筈だが、書類に筆を走らせる手が妙に肌寒くなってきた。
夜もすっかり深まり、良い子はすでに寝ている時間だ。そりゃ寒くなるのは当然と言えば当然だが……
ついに我慢できなくなった俺はペンを机に置き、悴んだ指先を片手で覆った。
「隙間風でも入ってきてるのか?」
重たい椅子を背で押してずらす。
振り返って椅子の後ろの窓を覗き見てみると、たしかに窓がほんの少し開いたままになっていた。
「どうりで寒いわけだ、まったく……」
たしか昼に訓練終わりのマーシャが執務室に来た時開けていた外を見ていた気がする……
いつも戸締まりはきちんとしろと言っているのに……
「ま、そのまんまの時よりは成長したか」
少々面倒だが流石にこれ以上寒くなるのは仕事に支障が出る……というかもう出てるため、窓を閉めようと立ち上がる。
取っ手に手をかけたその時、小さな白い何かが窓の隙間から入ってきた。それは俺の服に付いた途端に染みるように消えていった。
もしやと思い窓を開けると、街全体に夜を照らす煌びやかな装飾を気にもしない雪がちらちらと降っていた。
「雪、か……これが俗に言うホワイトクリスマスというやつなのか……」
窓から下の大通りを見てみると、チカチカと光る装飾の下をこの時間でありながら多くの人で賑わっていた。
そう、今日はクリスマスイブ。街の中心には大きなツリーにイルミネーションが飾り付けられており、至る所がライトアップされている。
そして俺は冬の寒さだろうが特別な行事の日だろうが関係なく昼夜問わず執務作業か訓練だ。少し夜が明るいだけのいつもとなんら変わりはない1日。
強いて言えば世間が浮かれムードのおかげでそういう任務がやりやすいくらいだ。
「世の俺と同い年の人間は一体どんな冬を過ごしているんだろうか……」
俺は冷風の吹き込んでくる窓を閉め、再び椅子に座りながらそう呟いた。
これは最近知ったことだが、少なくとも15歳という年齢でこのような仕事や訓練に追われる日々というのは無いはずなのである。
そして、命懸けの戦闘に駆り出されるということも……
……が、果たしてそれでいいのだろうか。そう考えることが少し増えてきた。
いや、俺はいい。これが自分の使命だと分かっているし、俺が救われたことへの恩返しでもある。
ーーだが、マーシャは違う。あのマーシャは俺のエゴでこの環境に巻き込まれたようなものだ。
もしかしたら、また別の人生があったかもしれないし、あの有り余る元気さと力をもっと良いことに使えていたのではないか……そう思ったりもする。
せめてマーシャには、普通の子供のように……こういう少し特別な日を楽しみながらで生きてほしいというのが俺の本音だ。
しかし、そんなことを悔いても何も変わらないことだって分かっている。
だから、そんな俺に出来ることを12月に入ってから考えに考え抜いた。
「もはやこれしかない……」
俺の辿り着いた結論は……
俺はデスクの下に隠しておいた大きな紙袋をガサゴソと漁ると、袋の中からマーシャが戦闘任務を終えた直後の服の如く真紅に染まったその狂気的な帽子を取り出した……
「サンタクロース……これをマーシャは待っているんだ」
これは12月に入ってしばらく経ったある日、マーシャがこんなことを言っていたーー
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「ーーねぇねぇルーくん知ってる? この前ぶっ潰した邪教の奴らがおもしろいこと言っててね!」
「開幕から物騒すぎやしないか?」
例の如く訓練後の昼休憩の時間には執務室にやってくるマーシャ。
そして例によって例の如く執務室のデスクで仕事中の俺は書類の方に目をやっていたが、それでもその日のマーシャはなんだかいつもよりご機嫌な様子が声色で分かった。
執務室のデスクに前のめりになりながらマーシャは話を続ける。
「クリスマスの夜になるとね! よい子の家にはたしか『サタン』……?っていう血塗れの錬金術師が煙突から入って来て〜、欲しいものをメモに書いておくと悪い子の命を触媒にした闇の錬金術でそれを作ってプレゼントしてくれるらしいの!!」
あまり分かっていなさそうだったが目を輝かしながらそう言っていたのが印象的だった。
「普通に不法侵入だしこのアジト煙突無いぞ。それにそんな歪みきった慈善団体みたいなのが本当にあるのか疑問なんだが……」
「あと多分それ『サンタ』な。それに『サタン』は邪神の類で俺たちの敵だぞ」
「え〜来るもんサタン来るもん!!」
マーシャが俺の首に脚を絡ませてヘッドシザースを決める勢いで暴れ出す。
あまりの暴れっぷりに座っている椅子がガタガタと揺れる。
「わかったから締め落とそうとするなって……あとサタンサタン言ってると怒られるぞ」
このまま完成した書類の山を破壊されてはたまったものではない。俺は頭の上で暴れるマーシャを宥めながら席から立ち上がる。
「ならこのままマーシャを部屋まで連れてって〜」
「はいはい……」
何がならなんだと言いたいが言っても無駄なのでマーシャを肩車したまま俺は執務室を後にする。
「ルーくんはサンタになにをお願いする〜?」
「いや特にお願い事は無いな。強いて言えば休みがーーそれはともかくマーシャは何が欲しいんだ……?」
特に欲しいものが思いつかなかったから切実な願いを言いかけたものの、頭の上からそういうことじゃないと言わんばかりのムスッとした空気を感じ取った俺は咄嗟にマーシャに話を晒す。
「マーシャは〜…………」
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「ーーさて、向かうとしよう」
俺は赤白のサンタ帽子を装備すると小さな袋を持ってプレゼントを待つ良い子の元へと向かったーー
「……」
気配を殺し、音を立てないよう慎重にマーシャの部屋の扉を開ける。そして忍足で彼女の眠るベッドへとゆっくり歩を進める。
マーシャは人の気配にとても敏感だ。この俺ですら寝ているマーシャ相手でも油断すれば一瞬で気取られるだろう。
「少し懐かしい気分だな……」
そしてついにマーシャの眠っているベッドの横へとたどり着くと、片手に持ったプレゼントの入った小袋をマーシャの頭の隣に置こうとしたその時……
ミシッ……っと、ほんの少し軋んだ床が音を立ててしまった……!
「しまっ……!!」
「ーーサタン……!」
暗闇の中で光るマーシャの目を見たと同時……こちらが反応するよりも先に布団の中からサッと伸びてきた手に俺の片腕が掴まれ、もの凄い力で体ごとベッドへと引き摺り込まれる。
「捕まえたぁ……!!」
寝起きのくせに反応良すぎやしないかコイツ……?!
えげつない力でベッドへと引き摺り込まれた俺の体は彼女の素早い動きで背中に絡みつけられた脚で固められてしまった……!
「えっへへ……サタンって思いの外小さいんだねぇ〜……!!」
まずい……!! このままでは俺がサンタであることがバレてしまう!!
逃げようと思えば逃げられるがそれは間違いなく能力を使った武力行使によるものでしか不可能だ。生身のプロレスで勝てる相手ではない。
だがそんな方法マーシャ相手に使いたくはない……
「さぁて、サタンのお顔を見させてもらおっかな〜♪ すっごい眠かったけど寝たフリしてた甲斐があったよぉ♪」
なるほど、だからあんなに反応早かったのか……ってそんな事考えてる暇はない!!
咄嗟に顔を布団の中に埋めるも焼け石に水のようだ。マーシャは抵抗できない俺の頭をサンタ帽ごと鷲掴みにして持ち上げようとしてくる。
「アッハハ!! ムダムダぁっ……!! それじゃあ……ごたいめ〜ん!!」
マーシャの力が更に上がる。なんとか片腕を使って抵抗を続けてはいるがこれはまずい……!!
どうする……!! どうすーー
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「ーーZzz……」
窮地に追い込まれた俺だったが、持久戦の末に何とか勝利をおさめることができた。
「まさかうろ覚えの子守唄に助けられる時が来るとは……」
だが、まだ戦いは終わってはいない。眠ってくれたはいいものの、未だにマーシャの腕と脚が絡み付いたままで身動きが取れない。
「早く抜け出さなくては……」
しかしまだ眠りが浅いかもしれない。大きく動いては起こしてしまう可能性がある。そうなれば次こそ終わりだろう……
だからしばらくの間は布団の中で過ごすしかないのだが……
「ーーまずい……急に眠気が……」
日頃の徹夜続きの疲れが溜まっていたからか、急激な眠気に襲われる。
久しぶりの布団の中の心地よさとマーシャと完全に密着していることによる暖かさが余計に眠気を誘う。
「だ……めだ。起きてないとーー」
俺の意思とは逆にどんどん瞼が重くなっていく。何とか意識を保とうとするがそれも無意味に終わってしまったーーーー
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「ーーこれはあっちで、これはこっち……」
俺は窓から朝日の差し込む執務室で、マーシャが支度を終わらせてくるまでの間にと書類を整理を始めていた。
……あの後、俺はぐっすり眠っていたようで、マーシャの部屋の目覚まし時計が鳴る直前のカチッという音で飛び起きるまで一切目を覚まさなかった。
いつもはマーシャが起きる1時間前には勝手に体が起きるようになっていたから正直驚いたが、そんなことを考えている間もなく目覚まし時計が鳴り始めた。
そして俺はマーシャのまだ絡みついている緩んだ腕と脚から自分の身体をスルッと抜き出すと急いでその場を後にしたのだったーー
普段は朝からやる書類の整理は面倒極まりないが、なんだか頭がスッキリしたからかそこそこ捗っている。
睡眠の重要性をひしひしと感じていたその時、執務室の外から聞き慣れたドタドタと走る音が聞こえてきた。
「ーーねぇねぇルーくん見てっ!! 朝起きたらお布団の中にプレゼントがあったの!!」
「サタンほんとにいたんだね!!」
執務室の扉をぶち破って入ってきたマーシャは嬉しそうに両手に持ったプレゼントの小袋を頭の上に掲げながら飛び跳ねている。
「そうか……それはよかったな」
扉を破壊して入ってきたことのお説教は後にするとして……
そんなことよりも、あんなにクリスマスプレゼントで喜んでいるマーシャの笑顔を見れて俺も嬉しくなった。
いや、少し安心したというのが正しいのかもしれない。
「あっ、ルーくんはサタンにお願いしたものもらえた〜?」
マーシャは思い出したように俺にそう聞いてきた。
「あぁ、貰えたよ。今日はいっぱい寝れたからな」
俺は心の中で「サンタな」とツッコミを入れたながらそう答えた。
「え〜なにそれ〜……せっかくのサタンにそんなお願いするなんてつまんないよぉ……」
ぷくっと膨れるマーシャを宥めながら俺はマーシャと朝食の準備をしに執務室を出た。
「そういえばサタン捕らえ損ねちゃったな〜……」
残念そうな顔をしながらそう言うマーシャ。夜のことが脳によぎり頬に汗が伝うのを感じる……
「お、おう……それは、残念だったな……」
というかサタン捕まえるとか教会の信者の前で言ったら大変なことになりそうだしやっぱり止めとかないとな……
「来年は絶対捕まえるからルーくんも手伝ってね♪ 捕獲できたら錬金術でいくらでも欲しいものゲットだよ!!」
「頼むから大人しく寝といてくれ……」
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