3. あの人になった日
せっかく母がくれた、あくまで故人をしのぶ休みだ。できることはすべてやってみよう。
私はその日一日中、普通の日を送らないためにできることを試した。
悲しいと思い込もう。
置いて行かれた思い出たちを手あたり次第読み、聴こう。
あの人との思い出をノートにつづろう。
昔の写真を見よう。
なぜかどの思い出も昨日のことのように思い出せて、またそのどれもが楽しかった。
生前のあの人の明るさのせいでその思い出たちは、暗い闇に自らを引きずりこみたい私の気持ちとは裏腹に、陽気に私の前で踊って見せた。
いよいよ行き詰った私はベッドに寝ころび机の上に飾ってある写真に目をやった。
わたしと、あの人と、大福。
私が中学に上がったばかりのころ、物心ついた時から一緒にいたゴールデンレトリバーの大福が死んだ。
あまりの悲しさで私は1週間以上部屋からも出なければ、学校には一か月近く行かなかった。
身体を動かしたら目にたまっている涙がこぼれてしまいそうで、昨日のようにベッドに腰かけたままほとんど動かずに過ごしていた。
そんな私に見かねた母が特別に今日のような休暇を設け、伊豆にある母の実家に私を連れだした。
家に温泉があり、目の前には海が広がり私はそんなの祖父母の家が大好きだったはずなのに、その時の私にはなんだか曇って見えた。
その日の夜、私がお風呂上りに荷物のまとめてある和室に行くと、おばあちゃんが縁側に腰かけて夕涼みをしていた。なんとなくその背中が何か言おうとしているような気がして私も隣に越しけた。
するとやっぱりおばあちゃんは私に話しかけてきた。
「人はね、大事な人を失ったその時は悲しいとなんて思わないの。何か思い出しても楽しいことを思い出しちゃってね。ただ、もう一度あると思ってたものにうっかり出くわすと、涙がぶわーっと出てくるものなのよ」
その時の私は、お風呂で散々泣いた後で涙が出なくて、おばあちゃんがそんな風に思ったのは誰なんだろうと気になっていた。
今思えば自分の両親や他にもいろいろいるだろう。なのに私はなぜか、おばあちゃんにはおじいちゃん以外に昔思い人がいたのだと勝手に結論付けてモヤモヤした。
大福とはまた違う意味にはなるがあの人も等しく、或いは意味が違うだけにそれ以上に大切な存在であったことに違いはないのに、簡単に涙が流れないのはなぜだろう。
成長に伴って私の感性が鈍ってしまったのか、逆にショックが大きすぎて生まれたての赤子のように反応にタイムラグが生じているのか。
ふと、おばあちゃんの言葉に大きなヒントが隠されていることに私は気が付いた。
「もう一度あると思ってたもの」だ。
大福とはまた同じように朝を迎えて、いつもの日常を過ごせると思っていた。
あの人ともう一度と思っていたもの。
そう考えるより先に私は、私たちがあの日まで一緒にいるきっかけになった防波堤に来ていた。
ここには毎年決まって夏休み、大きな花火大会のある日に来るのが私たちの暗黙のルールになっていた。いつも海風が磯臭さをもわっと連れてきてお世辞にも心地いいとは言えない場所だったが、冬の今日は澄んだ空気が鼻にしみる。夜の海と空は同じ色をしているけれど、この季節は空にちりばめられた星でその境界があらわになる。
そんな初めて見るこの堤防からの景色はなんだか違う全く知らない場所のような気がして胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。
すると、冷たい空気が鼻に気管に、涙腺に身体全体にしみた。
ここでのあの人との思い出が頭の中に流れる。
ケンカしてもなんだかんだこの日は一緒にここで花火を見た日のこと。
終わらなかった計算プリントを持参して風がプリントを奪い去った日のこと。
初めてこの場所に来て約束を交わした日のこと。
思い出が遡るほど涙がぼろぼろこぼれる。
これで忘れずに済む。いつも見ていた風景が違うどこかに感じて、ますます違うどこかに行ってしまったあの人を思い出す。
あの人の明るさが、単純さが、そのくせ捻くれてるところが、すべてが私のあこがれだった。
借りた本を読んでおけばよかった。
おすすめされた曲もちゃんと聴いておけばよかった。
もっとちゃんと『あの人の思い出』を共有しておけばよかった。
あの人の人生をこの世界から亡くしたくない。
亡くしてしまえば思い出になってしまう。
彼の人生を共有しよう。
彼の人生を私が残りの人生をかけて続けよう。
そうして私は、あの人の人生がなくなった高校3年の冬から彼の人生を歩むことに決めた。
この日が私のあの人になった日。