2. 忘れてはいけない日
いつの間にか眠りこけていたらしい。
気が付けば日はとうに昇っていて、いつもなら騒がしく身支度をする妹も、食パンのパンくずをそのままにコーヒーをすする父もすでに出かけていて、今日仕事が休みらしい母だけが残っていた。
そうか、今日は休日か…
と行きたいところだが、天地がひっくり返っても、地球が真っ二つに割れても今日は平日だ。
「なんで誰も起こさなかったの?」
と、もはや夕飯の材料を買い出しに行くためにメモを用意している母に尋ねると、母は一瞬ペンを持つ手を止めた。が、何事もなかったように再び動かし始めると、小さく「そう、そうだよね」とよくわからないことを言った。
きっと悲しみに暮れて気持ちの切り替えができていないであろう我が子に登校を強制することを躊躇ったのだろう。
生憎私は、悲しみに暮れていない。まだ実感がないだけかもしれない。
実感はないけど、昨日棺桶で眠る人を前にみんなが「眠っているよう」というのには共感できなかった。
確かに安らかに眠っているようではあったが、この人はこんな穏やかに作られたような笑みは浮かべない。まったくの真顔か、訝しげな顔か。笑うときはもっと大口を開けて本気で笑う。悪だくみをしているときも口を思いっきり横に広げてニヤリとする。
その何とも中途半端で嘘くさい微笑みは、私に「やっぱりここに生がないんだ」と感じさせた。
そんな私に母はいつまで気を使い続けるのだろう。明るく振舞えばよいのか。一度泣いてみればよいのか。正解がわからない。ただなんとなく居心地が悪くなって私はまた自室に逃げ込んだ。
しばらくしてあの時の母の目が腫れていたことに気が付いた。
昔から自分が優しい自信はあったし、薄情ではないと思っていた。でも今あの人の、幼馴染の死を前にして悲嘆できない私はれっきとした薄情者だろう。
何より、こんなに普通に生活をしていたらいつか自分の頭の中からあの人がいなくなってしまう気がしてならない。それだけは絶対に嫌だった。
どこに行ってもなんとなくうまくいかない私に明るい景色を、きれいな花火を見せてくれたあの人を忘れることだけは絶対に。
絶対にあの人を忘れずにいられる方法、普通に生活しない方法を考えよう。