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赤い月がでた夜に・コレクションルームで・真珠の耳飾りを・拾いました。

 その月は恋が宿る月と呼ばれる。ストロベリームーンはさる民族の採集の日にちを示す重要な役割だったのが、いつしか人間は農機具や温室などの文明を発展させてというもの、赤い月にそこまでの意味を持とうとしなかった。文明と共に手放した物はたくさんある。恋や子宮をイメージしたことで充実した人生のイメージを赤い月に託し、人類は好きに願掛けをしてきたのだ。その願いを月が叶えるのかはさておき、にだ。月にそのような力があるとは信じがたいが、いかんせん我々は天候を神の御業とみなす風習が今日まで続けているので、ただの天体に願わずにいられないようである。それは遺伝子情報に組み込まれているまじないであると言っても差し支えないだろう。その願掛けをしたのか分からないが、さる赤い月の夜にさる屋敷に忍び込んだ者がいた。家主の許可を得ていないので、その者を泥棒と呼ぶべきだろう。その生い立ちは幾分か不遇と呼べるものだが、金持ちの家々を狙い、捕まらないように工夫を凝らす知恵は最低限持ち合わせているようで同情はしにくかった。

 よくある不幸な身の上である。父親はアルコールに溺れ、母親は日々を泣いて暮らしていた。その日々の中で母の神経は耐え難い苦痛を負ったのだろう、ついには父を刺し殺してお縄にちょうだいとなってしまった。何の力もなく身よりも無かった子供の泥棒(このときはまだ純真無垢な子供であるが便宜上泥棒、と呼ぶ)は施設に入る運びとなり、荒れた人生を送ってきた。定職にも付いた事はあったが、どうにも人間関係を構築するのには社会の目が冷たく、また偏見に苛立つ気質でまばらな職歴が出来上がった。その彼が次に目を付けたのが、金持ちと呼ばれる老人の空き巣であった。珍しいことではなかった。仲間は施設から上がった者達もいたし、たまに片言の外国人が紛れることもあった。彼らのグループは知恵が回る一人を基点にし、押し込みをする役目を彼が担っているようだ。

 本日彼らが目を付けたのは、都内にある豪勢な一軒家である。持ち主の身分は割れていて、事業家の七〇歳代の夫婦が住んでいるという。そのうえで年金まで受給されるのに、いい気なものだと泥棒は痰を吐いた。この社会において生きづらいのは承知の上だったが、それでも彼を転落させるのには、あまりにも、あまりにも容易い。彼が忍び込んだとき、家人は家にいないという調査がされていた。だから窓ガラスを最低限に割り、それでも音がしないように忍び込む。懐中電灯を頼りに歩くと、デザインが古めかしい和洋折衷の家の中一つだけ、妙に気になるドアがあった。そのドアだけ違う空気を纏っているのだ。そのドアが気になり、泥棒はそのドアを開けた。中は埃っぽかった。数えるまでもないほどに少ない図書館のようなにおいがした。

 「うえ、なんだよ」

 パーカーで顔を隠し、マスクをしている中でも感じる埃臭さに思わず言葉が漏れる。だが照らした明かりの先に絵画が目に付くと、すぐに金目の物がありそうだと物色を始めた。絵画の価値は分からないが、埃にまみれているのならどうせ貰っても構わないだろうと好き勝手に泥棒は考えている。その絵画を手に入れるために、幾分かの苦労や相当の報酬を誰かに支払っていることなどはお構いなしだ。だが絵画は持ち運ぶのは目立つので、ほかに何か現金に換えられそうなものは無いのか、と辺りを物色し始めた。絵画が数点壁に掛かっているほかは、乱雑ともいえるが絵画が壁一面を埋め尽くしている。部屋の真ん中に立つと、まるで両端から絵が迫ってくるようだ。その中で、どうやら使われていないから放り込まれたのか、絵画の手前には椅子が数脚押し込まれている。その椅子が、なんだか主を待つ哀れなものに見えて、なぜか母を待つ己とフラッシュバックした。だがすぐに泥棒の頭には社会への怒りで埋め尽くされ、手っ取り早く金を手に入れようという思考に脳が切り替わった。椅子の向こうに、大理石のテーブルがあることに気付いた。重そうなテーブルである。だから放り込まれたのかもしれない。そのテーブルの上にある小箱があった。青色のベルベットの小箱である。見るからに高価そうな物に、泥棒は飛びついた。本来なら管理を怠ったといえ、こんな物置じみたコレクションルームに小箱など置かないはずである。だが金持ちの考えは分かるもんか、と泥棒はそもそも考えることを拒否して飛びついた。中には真珠のイヤリングが入っている。なんだかがっかりした。高価そうに見えるが、そこまで価値が高いのかは微妙なところだ。だが何も無いよりもいい、と箱を掴んでポケットにねじ込む。

 そこからの記憶が曖昧だという。家主が突然帰ってきて、鉢合わせとなり、怒号と悲鳴が飛び交って、気が付いたら母親と同じになっていた。拾ったんだと彼は主張したが、この家にそんな真珠のイヤリングは存在しないという家主の証言により、彼は余罪を追及され、疲弊していた。覚えていない。ただポケットに突っ込んだことは事実だと繰り返すのみだ。

 これは彼が知る由のない物語であるから聞き流してくれても構わない。ただ、そのイヤリングが実は彼の母親が後生大事にしていたイヤリングに似ていた、という。だが泥棒が今生でその所以を知る由は無いのだった。

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