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夫の愛が強すぎて、義母が私をイビれないようです

作者: 立草岩央

「あらあら。随分と遅いお目覚めですこと。今が何時か分かっていないのかしら」


ある日の朝、バラーシュ伯爵家のお屋敷にて。

目覚めたヴィエラが衣服を着替えて部屋を出ると、見知った女性が待ち構えていた。

この威圧感のある声色。

見間違える訳もなく、義母のリンダだった。

まさかこんな朝早くに乗り込んでくるとは。

鋭い視線を前に引き返すことも出来ず、取りあえずヴィエラは挨拶をすることにした。


「お義母さま。その、おはようございます」

「その言い方は何? 妻は夫よりも早く起きて待つ、それが常識なのよ? 貴方、この家に嫁いできたという自覚がないんじゃ――」


これは始まるか。

ヴィエラは少しだけ身構える。

バラーシュ家に嫁いでからというもの、義母のリンダは何かと彼女をこき使おうとする。

最近では常識などという言葉を盾に、言い掛かりに近いことばかりを言ってくる。

オマケに約束もなしに、義実家から馬車でやって来るという有様だ。

本来なら、そんな暴論にも従うしかないのは立場上仕方ないのかもしれない。

しかし、実際にその通りに動いたことは一度もない。

何故なら毎度の如く、義母の声は()によって掻き消されるからだ。


「嗚呼! おはよう、ヴィエラ!」


廊下の角から勢いよく現れたのは、黒い長髪の美男。

ヴィエラの姿を見て顔を綻ばせる様子は、朝日と同じくらいに眩しい。

彼の名はバルトロ。

このバラーシュ家の現当主であり、ヴィエラの夫である。

彼はヴィエラを一心に見つめ、二人のやり取りなど知らないまま語り出す。


「ぐっすり眠れたかい!? 君の寝顔があまりに可愛かったから、起こしたくなくってね! 僕だけ早起きしてしまった! けれど、ヴィエラのお蔭で目覚めは最高だよ! 既に今日の執務は終わらせてきた! これで思う存分、君との時間を楽しめる!」

「おはよう、バルトロ。でも、朝から張り切り過ぎよ?」

「ふふふ! 嬉しそうなヴィエラを思い浮かべただけで、頭の固い公爵達への返事もスラスラと書けてしまった! これが愛の力、なんだろうな!」


重苦しい空気がバルトロの登場で一気に吹き飛ぶ。

彼は妻のヴィエラを愛していた。

何をするにしても彼女のことを最優先に考え、声を大にして愛を告げる。

他のことなど些事と言わんばかりの徹底ぶりだ。

そのため、自分の母親が傍にいたことにもようやく気付く。


「ん? 母上、いつの間に来ていたんだい?」

「ば、バルトロ……私は今さっき……」

「全く……連絡なしに来ると、ヴィエラが困ると言っておいたじゃないか。しかもこんなに朝早くに……親しき仲にも礼儀は必要だろう?」

「うぐっ」

「まぁ、仕方ない。今回だけは大目に見よう。朝食の用意は一人分増えることになると、改めて使用人達にも言っておく」


サラッと注意しつつ、彼はヴィエラに向き直って、今日の二人での過ごし方を話し始める。

その笑顔に曇りはない。

ヴィエラもにこやかに応じたが、チラリと義母の方を見ると、またかと言いたげに表情を歪めていた。

やっぱり、今日も守ってくれた。

温かな思いを抱き、彼女は心の中で夫に感謝するのだった。


そう、全てはバルトロの愛が強すぎるためだった。

何をするにしても妻を優先し行動する。

リンダは義母として、どうにかヴィエラに口出ししたいようだが、その全てを彼は完璧にガードしていた。

自分の母親の思惑に気付いているなら面と向かって注意している筈なので、完全に無意識での行動らしい。

だからこそ、今までもリンダは息子がいない間を見計らって小言を言おうとした。


『夫が働いている間、妻は休んではいけない。これが常識なのよ?』


当然、そんな常識など存在しない。

しかしそれと同時に颯爽と現れるのがバルトロだった。


『ヴィエラは休んでくれて良いんだよ! えっ、雑用? 大丈夫、安心して! 君が健康で傍にいてくれる、そうすれば百人力だからね! そう! ヴィエラの仕事は、僕と一緒に元気に暮らしてくれること! 僕が望むのは、それだけだよ!』


そう言って、使用人のように働こうとするヴィエラを引き止めた。

逆に寝顔が可愛いからと、夜になると自分より早く眠るように促してくる。

そんな状態なので、ヴィエラもバルトロが仕事をしている間は、趣味の刺繍や音楽、または他国の言語や文化を学び自己研鑽を積んでいた。

とは言え、そんな行動すら気に食わないのか。

義母は負けじと顔を出しては突っかかってくる。


『貧乏な家の娘を誰が貰ってあげたか分かっているの? 貴方にはこの家に尽くすという義務があるのよ? ほら、書類の整理なら要領の悪い貴方でも出来――』

『ヴィエラ! 此処にいたんだね!』


するとまたしても見計らったように、バルトロがその場に駆け付ける。


『書類整理なら僕がやるよ! なぁに、今まで散々やってきた雑務だからね! 直ぐに終わらせるさ! そんなことよりも、慣れない土地で不安なことはないかい? もし気になる事があるなら、僕に言ってほしい! 愛する君の望みを、僕は叶えたいんだ!』


彼はすぐさまヴィエラの元にやって来て、彼女が背負わされようとしていた仕事や小言を引き受けていく。

実の母の顔色など気にもせず、ただ愛する人を敬い、懸命に尽くそうとする。

その姿はまさに騎士のそれだ。

そんなこんなで義母のイビりが成功した試しは、今まで一度もない。

どれだけ彼女が二人の距離を剥がそうとしても、まるで効果はなかった。


『ぐ、うぐぐ……』


そのせいで時折、義母の呻くような声が聞こえることもあったが、ヴィエラは気にしないことにした。

彼女もいつか、無駄なことだと気付いて諦めるはず。

何より、バルトロが手を差し伸べてくれることが嬉しい。

それ以上にヴィエラが望むものはなかった。


「今日も可愛いよ、ヴィエラ。ふわふわな髪も、透き通った瞳も、そんな君が僕を見てくれている事実も含めて……その全てが愛おしい」

「ただ見ているだけなのに大袈裟よ。でも、ありがとう。バルトロがそう言ってくれると、私も愛されているって分かるから。とても嬉しいわ」


この日も、朝食を取りながらもバルトロはヴィエラに愛を囁く。

可愛いと今までで何回言われただろう。

彼がこれだけの事を言うのだ。

ヴィエラ自身も、同じように彼に向けて自分の思いを告げる。

そうすると、彼はとても嬉しそうに顔を綻ばせる。

その様子がまた、堪らなく嬉しいのだ。

するとそんな様子を見て、リンダが食器に小さな音を立てる。


「バルトロ、貴方その子を甘やかし過ぎだわ……。そんなことでは、バラーシュ家の妻としての自覚が……」


表情からして少し苛立っている。

何の連絡もなく朝早くにやって来て、この態度は中々なものである。

対するバルトロは不思議そうに首を傾げた。


「自覚? 自覚ならあるさ。僕はヴィエラを妻として愛しているからね。ヴィエラはどうだろう? 僕を愛してくれているかい?」

「勿論、誰よりも貴方のことを愛しているわ」

「ありがとう。聞いた通りだ、母上。ヴィエラもこう言ってくれている。自覚がない訳がない。僕達は夫婦として、確かな絆で結ばれているんだ」


妻としての自覚は、今ある愛で証明されている。

そう明言する息子を見て、リンダは無言で視線を逸らすだけだった。

結局、その日も義母の思惑は通用しなかった。

険しい表情のまま、彼女は朝食を終えてすぐに馬車で屋敷を後にする。

そろそろ懲りてくれると良いのだが。

遠ざかる馬車を玄関で見送りつつ、ヴィエラがそう思っていると、バルトロが悩んだ様子で近づいてくる。


「しかし、最近の母上は様子がおかしいな。以前はここまで口を挟む人じゃなかったんだが……ヴィエラは何か言われていないかい?」

「いえ、特には何も……」

「ふむ。それなら、僕の気にし過ぎなのかな?」

「心配してくれてありがとう。それに私は、バルトロが傍にいてくれるから大丈夫よ」

「……! そうか! その言葉を聞いて安心したよ!」


取り敢えず義母の件について、彼女は口を噤んだ。

被害があるでもなく、大袈裟にして事を大きくするのも良くない気がしたからだ。

だから気にせず、今日も執務を終えたバルトロと二人で過ごす。

互いに筆を持って似顔絵を描き合ったり、チェスで勝負したり。

そして軽く庭園を歩き、ヴィエラは昔を思い出すように空を見上げた。


「それにしても、学院の頃は貴方と結婚するなんて思ってもみなかったわ。私の家は貧乏で、伯爵家とは釣り合わないと思っていたから」

「まぁ、最初は僕の一目惚れだったからね」


バルトロも懐かしむような表情をする。

二人の出会いに衝撃的なことがあった訳ではない。

ただクラスメイトで、何度も話し合う機会があっただけ。

その中で彼はヴィエラの笑顔に惹かれたのだという。


ヴィエラの実家である子爵家は貧乏だった。

周りからそういう噂が流れる程には、である。

それでも彼女は周囲に屈託のない笑顔を向け続け、それがかつてのバルトロには周りとは違って見えたようだった。


『君はどうして、そんなに楽しそうに笑うんだい?』

『私はお父さまやお母さま、そして領民の人々に支えられて此処にいます。だからせめて、明るく笑っていたいんです。私は今、こうして此処にいると。それが今の私にできる、恩返しですから』


その質問に笑顔で答えた瞬間、彼の心は撃ち抜かれたという。


「君には人の幸福を考え、それに応えようとする優しい心根があった。その時からだったよ。ヴィエラに完全に惚れ込んだのは」

「急にバルトロが大金を稼ぎ始めたと聞いた時は、何事かと思ったわ」

「貴族同士の交流は駆け引きの連続だ。君がその荒波に呑まれて笑顔を失ってしまう前に、僕の手で引き上げたかった」


そこからのバルトロは本気だった。

本気で自身の財産を築き上げ、子爵家の貧困状態を救い上げたのだ。

当時、義母のリンダを含め彼の両親は反対した。

折角手に入れた財産の一部を、格下の子爵家につぎ込むなど愚かなことだと。

それでもバルトロは両親を説き伏せ、ヴィエラに結婚を申し込んだ。


「ねぇ。私が今、どうして笑っていられるか分かる?」

「それは、君のご両親や領民のためだったと思うけれど……?」

「そうね。でも今は、それだけじゃないわ」

「えっ?」

「貴方の真っ直ぐな愛に応えたい。私が幸せだということを、貴方にも分かってほしい。そのためでもあるのよ」


彼女はバルトロの申し出を受け入れた。

恩があっただけではない。

学院時代、貧乏だった彼女に近づく令息は殆どいなかった。

そんな中で真っ直ぐに自分を愛してくれる人を前に、彼女も胸を打たれたからだ。


「嗚呼! ヴィエラ!」


そして今日も今日とて、バルトロは高らかに愛を叫ぶ。

溺愛ぶりが変わることはない。

慈しむように、ヴィエラをぎゅーっと抱き締める。


「本当に可愛い! 可愛いよ! 僕はなんて幸せ者なんだ!」


優しく抱かれながら、ヴィエラは微笑み頷く。

愛されていることも、必要とされていることも十分伝わっている。

とても嬉しいことで、不満などある筈もない。

けれど一つだけ思う所もある。


自分に何か出来ることはないだろうか。

甘やかされるだけではいけない気がする。

彼のために何かをしてあげたいと思うようになっていた。

とは言え、バルトロは執務だろうが何だろうが一人でこなしてしまう。

ヴィエラの実家を援助した上で、バラーシュ家が今まで以上に豊かになっているのもそのためだ。

彼女が動こうとすると、やっぱり代わりに全て引き受けてしまう。

一体どうしたものか。

それが今ある彼女の課題だった。


「今日のバルトロは、ロブレス伯爵との会談。私に出来ることはないかしら。使用人達の管理はひっそり終わらせたし……他には……」


それから少し日を重ねた、ある日のこと。

ヴィエラはバルトロがいない間に、雑務をこなしていた。

誰かに言われた訳ではなく、以前から考えていた課題のため、自分で始めたことだ。

軽く書類を整理したり、屋敷の使用人達の動きを管理したり。

奇しくも義母に指摘されかけたことを、自ら行うようになっていた。

結局は、後で気付いたバルトロが感激する所までが最近の流れなのだが。


そろそろ彼にも慣れてほしいなぁと思っていると、唐突に外から新たな気配がやって来る。

見慣れた馬車、困ったような表情をする屋敷の使用人達。

凄く嫌な予感がした。

ヴィエラが玄関まで駆け足で行くと、その嫌な予感が的中し、義母のリンダが現れる。

バルトロがいない間を狙ったのだろう。

止める間もなく彼女はヴィエラの元にやって来た。


「お義母さま? 今日はいらっしゃるご予定ではなかった筈では?」

「貴方、私のことを馬鹿にしているんでしょう?」

「えっ? 一体何を……?」

「あの子を騙して侍らせて……! そうやって、私に見せつけているのでしょう!?」


既に彼女は怒りに堪えかねていた。

溜め込んでいた感情を吐き出すように、目を吊り上げる。


「貴方が来てから、あの子は変わってしまったわ! いつもいつも、貴方を甘やかしてばかり! 昔のバルトロはあんな子じゃなかった!」


どうしようと思案していたヴィエラだったが、その言葉を聞いてハッとした。

彼女の暴言は間違いなく行き過ぎているし、褒められたものではない。

咎めても良いのだろう。

けれどその言葉に、自分が悩んでいた答えが隠されていたと気付いたのだ。

今のまま甘やかされるだけで良いのか、と。

そしてそれを第三者から見た気持ちも、考えてみれば分かる。


ヴィエラは愛されている。

確かに愛され過ぎていた。

それ故にもっと早くに気付くべきだったのかもしれない。

自分に出来ることは、一体何だったのか。

だからこそヴィエラは考えを改め、そこで頭を下げた。


「……申し訳ございません」

「!?」

「確かにお義母さまの仰ることも当然です。私は彼の優しさに甘えていたのだと思います。だからこそ今、私は出来ることを探しています。お義母さまが仰った言いつけを少しずつですが、こなせるようにもなっています。ですからどうか、もう暫くお待ち頂けないでしょうか。私は必ず、あの人を支えられるようになります」

「お、お黙り! その態度も白々しいわ! 今まで私が言ってきたことは全て、妻として当然成すべきことばかりなのよ!? それすら出来ていない貴方が、この私を説得しようだなんて許されないわッ!」


毅然と受け答えするも、リンダは一瞬だけ怯む。

まさかそんな殊勝な言葉を返されるとは思っていなかったようだ。

けれど感情のままに、その言葉を切り捨てようとする。

辺り一帯に怒号が響き渡る。

その瞬間だった。


「そこまでだ! 母上!」


ヴィエラだけでなく、リンダも驚いて声の方を振り返る。

玄関の扉を開きやって来たのは、会談に行った筈のバルトロだった。

加えて今の話も聞いていたのだろう。

真剣な表情で二人の元へ歩み寄る。


「ば、バルトロ!? ロブレス家との会談は……!?」

「母上の馬車が屋敷に向かっていると聞いてね。嫌な予感がして引き返してきたんだ。まさかとは思っていたけれど、こんな事になっていたなんて……!」


彼の語尾にショックと怒りが混ざり合う。

流石にマズいと思ったのか、リンダは慌てて弁明する。


「ま、待って頂戴、バルトロ……。私はこの子に、妻としての常識を教えようと……」

「常識? ヴィエラを怒鳴りつけ、抑えつけることが常識なのか? 体の良い言葉で自分を正当化するのは止めてもらおう!」

「っ……!」

「それに言った筈だ。何の連絡もなしに屋敷に来るのは止めてくれ、と。母上の行動は彼女だけじゃなく、僕に対する礼儀をも欠いている」


幾ら言い分があろうと、無断で屋敷に乗り込んだ時点で分が悪い。

今までの度重なる行動からしても、最早看過は出来ない。

遂にバルトロは審判を下す。


「当分は、母上の屋敷への出入りを禁じる。少し頭を冷やしてほしい」

「う、嘘でしょう……? バルトロ、冗談よね……?」

「ヴィエラはバラーシュ家の土地に来たばかり。とても不安定な時期だし、それを支えるのが僕の役目なんだ。それなのに、母上が全く真逆な行動をしていたなんて恥ずかしいよ。だからたとえ相手が肉親であっても、例外にはできない」

「ッ……! バルトロ、貴方は本当に変わってしまったわ! その子が現れてからッ!」

「変わったのは母上の方だ。昔の貴方はこんな、愚かなことをする人ではなかった」


一時はどうなるかと思われた場も、バルトロが間に入ったことで直ぐに収められた。

義母のリンダは屋敷から追い出され、暫くは屋敷への接近を禁じられる。

彼女は恨めしそうな、悔しそうな表情を浮かべていたが、最後は項垂れたような姿でその場を後にした。

勿論、駆け付けたバルトロには感謝しなくてはならない。

彼がいなければ、どうなっていたか分からない。

けれどヴィエラは疑問に感じていた。

甘やかされてばかりの自分にも責任はあった。

だが本当にそれだけが理由なのか。

それとは別の理由が、リンダをあれだけ暴走させていたような気がしたのだ。

そして数日後、使用人からの伝達で、彼女がヴィエラを目の敵にしていた本当の訳が分かった。


『私だって、亡くなった御婆様から同じように言われてきた! それなのに見せつけるように、あの子ばかり守られて……! こんなの……こんなの不公平だわ……!』


かつてバラーシュ家に嫁いだ際、彼女も同じように叱責を受けていたのだ。

誰の目にも触れない場所での小言。

他の人に明かせる訳もなく、耐えに耐えてここまで来た。

自分がされてきた事なのだから、自分だってして良い筈。

自分は耐えてきたのに、何故ヴィエラだけが庇護され続けなければならないのか。

二人のやり取りを見て、そんな思いが積もり、遂に爆発したのだという。

聞き取った話を告げて申し訳なさそうにするバルトロを見て、ヴィエラは考える。


「お義母さまも、被害者だったのかもしれないわね……」

「確かに父上は自分のこと以外には無関心な人だった。夫婦として互いに思いやる心があれば、こうはならなかったのかもしれない」


ヴィエラの記憶上、バラーシュ家前当主である彼の父親は殆ど姿を見ていない。

印象が薄いというべきか。

当初はバルトロの結婚にも反対していたが、彼が当主として名を上げる途中で興味を失ったようで、それは無関心という態度が表に出た結果だったのだろう。

夫婦間でもその態度が変わらなかったというなら、とても悲しいことだ。

きっと義母のリンダが過去に叱責を受けていたことも、無関心のままだったか、或いは目を背けていたに違いない。


「君のご両親は、本当に僕達のことを祝福してくれていたのに……こんな事ではバラーシュ家の名が泣くよ。だから今一度誓わせてほしいんだ。この先、ヴィエラのことを必ず守り抜くと」

「そんな不安そうな顔をしないで。貴方は今までもずっと、私を守ってくれていたわ」

「そう、だったかい?」

「いつも私を気に掛けて、率先して動いてくれたでしょう? それが結果的に、お義母さまから私を守ってくれていたのよ?」


バルトロは、ヴィエラから失望されるかもしれないと思っているようだった。

だがそんなことはない。

彼女は彼の頬に触れる。

義母の態度が正しかったのか、間違っていたのか、簡単に言い切ることは出来ない。

それでもバルトロには確かな思いやりがある。

愛する人を守ろうとする、その考えで今まで頑張ってきたのだ。

そんな彼を否定する理由などない。

自分を責める必要は何処にもなかった。


「思いやることが大切な人を守ることに繋がる。今までの貴方を見て、私はそう感じたわ。だからバルトロ、私も同じように思いやりたいの。貴方だけが頑張り過ぎるなんて、私の気が収まらないわ。貴方が支えてくれるように、私も支えたい。それが夫婦というものでしょう?」

「ヴィエラ……」

「それに、お義母さまの言い分も全て間違っていた訳じゃない。私が悪かった所もあるの。だから、嫌いにならないであげて」

「ありがとう……。君の優しさが、身に染みるようだよ……」


その言葉を聞いて、バルトロは少しだけ元気を取り戻したようだった。

思いやりとは相手を尊敬すること。

敬う心を失えば、相手を見下し横柄な態度を取ることに繋がる。

家族であっても、例外にはならない。

寧ろ愛する家族だからこそ、最も傍にいるからこそ、失ってはいけないのだ。

そして互いに思いやる心があれば、同じことは二度と起こらない。

二人は改めて、それを理解しあった。







「嗚呼! 今日も可愛いよ、ヴィエラ! 君の柔らかな声色も、屈託のない笑顔も……その全てが愛おしい!」

「ありがとう、バルトロ。今日の貴方も、とても格好良いわ」


二人の日常は元に戻った。

愛を告げ、互いの思いを示し合わせる。

そこには欠片の迷いもない。

ただ少しだけ、以前とは変わった所もある。


「バルム伯の報告書を読んだけれど、要点が纏まっていなかったわ。何度読んでも、本筋から話題を逸らそうと遠回しな理屈を並べている。もしかしたら、何か隠し事をしているのかもしれないわね」

「ううむ。やはり君もそう感じたんだね。よし、次の会談ではそれとなく切り込んでみることにしよう。叩けば埃が出るかもしれない」

「私の指摘は文書で纏めておいたわ。会談に行く前に確認して、気になる事があったら教えてね」

「ありがとう! 早速、確認しておくよ!」


ヴィエラはバルトロを補佐するようになった。

いつもは夫婦として、執務では共に助け合うパートナーとして。

その成果もあって、バラーシュ家は順調に名を上げている。

更に変わったのはそれだけではない。


あれからヴィエラは、一度だけバルトロと一緒にリンダと面会した。

ヴィエラ自身が会って話がしたいと歩み寄ったがためのものだ。

義実家に住まう彼女から、以前のようにイビられることは、もうない。

息子から叱責を受け、今までの行動を振り返ったのか。

リンダは完全に牙を抜かれたようになっていた。


「ヴィエラさん、今までの私はどうかしていたわ……。今の貴方と昔の自分を重ねて、嫉妬していたの……。ごめんなさい……」

「いいえ。私もお義母さまに気付かされました。ただ、愛されているだけでは駄目だと」

「その、こんなことを言えた立場ではないのだけれど……。また機会があれば、一緒にお茶でもどうかしら。もし許されるなら、今度はしっかりと貴方の力になってあげたい。後はその……あの人との……夫との接し方についても、相談に乗ってほしいのよ……」

「はい。私で良ければ、喜んで」


代わりにあの騒動を経て、少しだけリンダとの仲が深まった気もしていた。

指示をするされるという関係ではなく、相談し合うという間柄に。

そう、リンダにも思いやる心がある。

だから少し時間は掛かるだろうが、何れは笑い合える仲になる。

温かな関係になれる。

面会を通して、ヴィエラはその予感を抱いた。


「来週は君の実家に移動する予定だけど、何か僕に出来ることはないかい?」

「気にしないで。大恩人の伯爵さまに動いてもらったら、お父さまやお母さまも気が休まらないわ。向こうではもう、準備万端なんだから」

「そうなのか……」

「どうかしたの?」

「少しだけ、以前の君の気持ちが分かった気がするよ。何だか、もどかしいな」

「ふふっ。暫くはその気持ちを味わって頂戴」


そして少しの間は生まれ故郷で過ごすことになる。

それは体調を心配したバルトロが進言したことでもあった。

彼女のため、新しい命のため。

微笑む夫の顔を見て、ヴィエラは微笑み返す。


今日は絶好のお散歩日和だ。

どうかこの思いやりが何年、何十年と続きますように。

どうかこの思いやりが家族に、新しい命に、より多くの人に伝わりますように。

ヴィエラは眩しい光を浴びながら、そう願うのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんな旦那が欲しいです。
[一言] お義母様救済してほしかった!実はお義母様が真のヒロインに思えました。
[一言] 別にリンダさん間違ったことひとつも言ってなくね?息子の育て方は間違ったみたいだけどさ。
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