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短編

羽根のように軽く

作者: 宵形りて



 体が羽根のように軽い。

 いや、例えとか冗談じゃなくて、マジで。



「風香、ちゃんと掴まってて」



 バイクの前に座る幼なじみの悠太がわたしの腕をぽんぽん叩いて、そう合図した。


(大丈夫! わかってるよ!)



 答える代わりに腰に回していた腕にぎゅっと力を込める。そうすると、細身に見えるけど筋肉質な体質なのが伝わってくる。


 片想いの相手と密着してる状況はトキメキにあふれてるんだけど、気を抜くとうっかり吹き飛ばされてしまうから割と大変なんだな、これが。



 わたしは先週から、急に“羽根のように軽く”なってしまった。


 一回は、隣町まで突風で飛ばされて、すっごい怖い思いもした。

 あのときは、スマホのGPSをもとに、悠太がこうしてバイクで迎えに来てくれたんだよね…。悠太が現れた瞬間の心強さを思い出すと心臓がきゅうっとなる。



 大学生になったときに、悠太がバイクを買ってくれていてよかった。

 おかげでこうして、今、わたしたちは出雲神社に向かっている。この状態をもとに戻してもらうために。



 こんな体になった原因は、今も信じられないけれどーー。




     ⌘ ⌘ ⌘




 始まりは初詣だった。

 悠太とわたし、それぞれの母親たちで近所の神社にお参りに来ていた。背の高い悠太は周りから頭ひとつ飛び出ていて、待ち合わせでもすぐ見つけられた。

 ちょっと大人っぽいダークグレーのコートが似合っていて、人目を引く。

 うっ、カッコいい。

 そのまま長い参拝の列に並んで、


(大学合格が叶いますように。あと、家族の健康と、お金が貯まりますように…)



 受験生になるのはまだ一年以上先だけど、しっかり手を合わせて願った。



(……ついでに昨日の夢のとおり、悠太と恋人になって"羽根みたいに軽い"って姫抱きされたりとか……正夢になったら良いなぁ)



ーーおめでとうございます!!



「えっ」



 頭の中に響く賑やかなファンファーレに、思わず声をあげてしまった。

 けれど、隣で手を合わせている悠太たちは何にも気にせず、じっと目を閉じて真剣に祈ったまま。



(えっ、これわたしにしか聞こえてないの??)



ーーなんと今年のご参拝者から抽選で一名に神さまならの祝福プレゼント! そのご当選者さまの願いを1つだけ叶えました!



(……寝不足かな〜、体調は良いんだけどな。こんな幻聴とか初めてじゃん)



ーーいえいえ、幻聴などではございません。と、いうことで。ただいまお嬢様を"羽根のように軽く"させていただきました!

(…………)



ーー……あのぉ? えーっと、もしもし?



(なにこれ…)



ーーですから、神様からの祝福プレゼントのお届けでした!



(どっかの押し売り業者じゃあるまいし!?)



ーーそれではこれにて、



(クーリングオフで!)



ーーく、クーリングオフ? それは…確認いたしますので、少々お待ちいただけますでしょうかぁ…



 一端声が途切れると『エリーゼのために』が流れた。

 っていうか、神さまも保留で音楽流すんだ……?



 と、そのとき左にいた悠太がそっとわたしの袖を引っ張った。うちの母と悠太のお母さんも微笑ましそうにわたしを見てる。「あらあら、だいぶしっかりお願いしてるのね」って顔で。



(やばっ!)



 わたしは悠太に続いて慌てて初詣の列の横に捌ける。



「しっかりお願いできた?」


「うっ、うん。多分…?」


「ははっ、なんで疑問系なわけ?」



 悠太はわたしの大好きな笑顔で笑った。

 胸がきゅんとして、思わずうつむく。



 周囲の女性参拝者がこちらをうかがって「えっ、なんかあの背の高い人カッコいいね」「となりは年齢的に妹かなー?」とささやきあった。



 その間も頭の中で待ち時間のメロディが止まらない。

 ど、どうしよう困った。



 「頭がおかしくなったみたいだから先に帰りたい」って言う?ーーいや、無理。ゼッタイ言えない。



 ちょうどそのとき音楽がとぎれたので、慌てて頭の中で呼びかける。



(……ねぇ、これが妄想じゃなくてホンモノの神さまっていうなら、ハンズフリー的に隣の悠太にも聞こえるようにして欲しいんだけど)



ーーはっ? はぁ…でも、一応これ神の奇跡でして、あんまり多くの方に知らしめちゃうのはちょっとどうかなーと…。



(できるの? できないの!?)



ーー怖っ! 一応機能的には……。ただ、神のお告げモードは重大事項とか大災害の時だけっていうのが神さま連盟の内部ルールなんですよ!



(連盟とかあるんだ…)



ーーありますよぉ。よそ様では「受胎告知」とか「オルレアンの戦い」とか前例もあります。でも神道ってわりと弱小な神さまの集まりだったりするんで、大規模なのは数千年くらいしてないっす。



(うわっ高1の歴史で習ったやつじゃん!……って、そんなに派手じゃなくていいから!)



ーーまぁ当選者ご本人ですし、お隣の男性と二人なら許容範囲っすね。少々お待ちください。



(よろしくお願いします)



ーー……もしもーし?



「っえ!? なに?」



 悠太が飛び跳ねて、あたりをきょろきょろ見回した。分かる〜、コレだいぶ驚くよね。



ーーあ、聞こえてらっしゃいますね〜。


「悠太にも天の声聞こえた?」


「う、え? 風香も!?」


「なんか願いを叶えますって」


「は??」



ーーはい、叶えたのですが……。



「でも怖いしクーリングオフしようと思って」


「はぁっ??」



ーーさきほど上司にも確認して、今回は当方の確認不足に基づく特殊事情ということもあり、クーリングオフに対応させていただくと。でも、本当によろしいのですか?



「はい、良いです」


「良いのか!? ってか何? なんなのこれ?」


「だよね〜、いきなり怖くない?」


「いや、俺は風香が平然と対応してんのにも驚いてる」


「あははっ」


「風香、そういう豪胆なとこあるよな…」



ーーあ、あのぉ〜、具体的な解約のご説明よろしいでしょうか?



「あぁ、はいはい!」



ーークーリングオフの手続きなのですが、実は今回の願いは出雲神社の管轄によるものでして。



「ふんふん」


「……」



ーー願いはすでに叶えずみですので、7日以内に出雲当地までお越しいただいての解約となります。こうしてお二人とも神の影響下にありますので、おふたりでお越しください!



「はぁ?!」



ーーちなみに、往復の宿泊その他の諸費用のご負担がないよう実費を後日お振込みいたします。



「そ、それは嬉しいけど」



ーー解除当日については出雲神社の鳥居をくぐっていただければ分かるように手配しておきますんで、ご都合の良い時にお越しください!



「出雲神社…」



ーーあ、今回即効性あるタイプの叶え方のため、効きはじめは安定しないことも多いのでお気をつけてお過ごしください! それではっ!



「なに? 何が起こるの!?」



 ブツっと電話が途切れるような音がして、天の声は一方的に終話した。



「……神さまの世界もこんな感じなんだな」


「……天の声、最後ガチャ切りしたね」


「あぁ、これ以上なにか言われるの面倒くさかったんだろうな」



 二人で呆然としているうちに、わたしはうっかり突風に飛ばされることになる。




     ⌘ ⌘ ⌘




 新年からビックリ人間になった娘にも、幼なじみと二人でいきなり出雲神社に行くと告げた時も、



「オッケー、気をつけてね」



 と母はたいして動じずに頷いた。




「風香って、お母さん似だよなぁ」


「やっぱり? 後ろ姿とか似てるって良く言われるわ〜」


「くくっ。うん。外見も(・)似てると思うよ」



 もぐもぐとSAサービスエリアの名物メロンパンを食べながら会話する。

 せっかくのタダ旅行なので、美味しいものを堪能しながら出雲に向かうことにしたのだ。




「けどよかったの? 久しぶりの実家だったのにゆっくりできなくて」


「うん、全然。むしろこうして風香と二人旅できてラッキーだよ」




 ドキッとする。そんな優しい顔でそんなこといわれたら、まるで悠太もわたしのことを特別に思ってくれてるみたいじゃない。



(……でも、知ってる。)



 悠太に好きな人がいるってこと。だから、本当はそろそろこの片想いも終わりにしなきゃって思ってたんだ。

 


「このまま行けば、富士山見れそうだな」


「えっ、楽しみ!」



 わたしは普段以上にはしゃいでしまう。



 今だけは、許してよね。



 だって、悠太はもうすぐその好きな人に告白しようとしてる。そしたら、絶対恋人になっちゃうよ。




     ⌘ ⌘ ⌘




 悠太に好きな人がいると気づいたのは、彼が大学進学する直前の約1年前。

 借りていた本を返すために会いに行くと、悠太は庭先で飼い犬タローをブラッシングしながら電話していた。



「……うん、だから1年後には告白しようと思ってるんだ。彼女がどうするにしろ…海外行くなら長期で会えなくなるし」



 えっ、と思った時には、自然と生垣に身を隠していた。心臓がバクバクした。

 告白? 悠太が? 海外に行く彼女!?



「……ふふっ、うん。俺が弄ばれてる感じだな〜。けっこう気持ちはアピールしてるのにな」



 も、弄ばれてるの?



「そうそう。そりゃ多少の年の差はあるけど……」


 しかも年上!?


「……うるさいなー、社会人と大学生ならあることだろ」



 相手、社会人の女の人なのか…。



「好きだから、仕方ないだろ」



 悠太、見たことない顔してる。気恥ずかしいけど、これ以上ないくらい幸せそうな、大好きな人を想うときの顔。



 フラッとよろめいて、本を入れていた鞄をバサリと取り落としてしまった。

 その音で、ブラッシングでうとうとしていたタローが耳を立てて、


「わんっ!」


 と尻尾を振った。



「え? タロー、どしたん?」



 悠太も電話を耳から離して振り向く。

 わたしは慌ててその場を離れた。

 気づくと自分の部屋にいて、返すはずだった本もそのまま持ち帰って来ていた。



(……立ち聞きなんてした罰だ。悠太に社会人の好きな人がいたなんて……)



 それ以来、なんだかうまく悠太の顔が見れなくて。

 そのまま進学によって遠い街で一人暮らしを始める彼とは疎遠になってしまった。

 だから、あの初詣で悠太と顔を合わせるのは久しぶりだった。



 なのに全然ブランクなんかないみたいにすごせるのは、幼い頃からの習慣の成せるわざだった。




     ⌘ ⌘ ⌘




 SAサービスエリアのトイレから出てくると、悠太が年上の女性3人に囲まれていた。わたしは固まってしまう。

 え? これ今わたし声かけていいの?



「京都の国立大学なの? すごい頭いいね」


「あ、じゃあ帰省からひとりで帰るところ?」


「いえ、連れと二人ですー」


「へ〜!」


「なんかお正月からバイク旅とか、若さ感じる〜」


「ハハハ、そんな年齢変わらないじゃないですか」


「嬉しい。口うまいね!」



 これって逆ナンってやつですよね。


 こやつ慣れておる。……でも、悠太にとってはなんてことないんだ。

 爽やかな愛想笑い。


 そういえば、高校時代もモテてた。そりゃあモテていた。

 バレンタインは紙袋いっぱいに貢ぎチョコを持って帰ってきていたし、何度か告白まがいの現場に居合わせてしまったこともある。……でも、あんまり具体的な彼女の話は聞かなかったなぁ。



 そうやって現実逃避していると、


「ねえ、今度京都に遊びに行くから、ご飯でも一緒にしようよ」


「あ、そうだそうだ。いいね!」


「ご馳走するよー!」



 悠太は愛想笑いしているけれど、決してイエスとは答えていない。こういう時の悠太、割とわたしにはわかりやすいんだよね……。



 割って入っていいのか迷うし、正直わたしなんか比べ物にならないくらい綺麗な人たちに怯んでしまう。



「あ、来た。風香!」



 けれどニコニコ顔で名前を呼ばれたので、わたしは渋々歩み寄った。



「この子がその幼馴染です」



 お姉さまがたの視線が突き刺さる。(え? この子が?)(彼女じゃないよね)(妹とか?)と目線が言ってる。

 めっちゃ言ってる。



 と、そのとき風が吹いて、


「えっ」


 瞬間、わたしの体がふわりと浮き上がってしまう。5センチくらい浮いてる! 浮いてます神さま!



「あっわわわわ」


 やばいこれっ。これっ、隣町まで飛んじゃった時といっしょな流れ!



「あれ?」



 3人の美女のうち、ショートカットのひとりがわたしの足元を見て、パチパチと目を瞬く。足、完全に浮いちゃってますよね!



「えっ、その子……」



 なんか浮いてない?と言い終わる前に、気づいた悠太が素早くわたしの肩を掴んで、地面に引き戻してくれる。



「ん? なにか??」



 見事な着地とごまかす笑顔! 10点、10点、10てーん! 停止したわたしの脳内で採点者が高得点を叫ぶ。



「じゃあ、俺ら行きます!」


「えっ、今なんか浮いて…」



 手にかいた汗を気取られないうちに、愛想のいい顔で「いい旅を」と言い添えて彼女たちとわかれる。


「焦ったああぁぁぁ!」


「おれもだよ!」


「気づかれたよね!?」


「いやー、さすがにあのくらいなら目の錯覚だと思うだろ」



 くくくっと笑っていられる悠太、大物になるよ君は。



「ってかそれを願う! 気をつけなきゃ…」



「とりあえず出発するよ」


「うっうん、急ごう!」


「おっけ」


 バイクにエンジンをかける。


「あ、でも座りっぱなしだと尻痛くなるらしいから、疲れたら早めに休憩しような」


「完璧な気配り!」


「前に言われたんだよ」



 前に……このバイクに乗せた人いるんだ。

 もしかして片想いの年上社会人か……。


 勝手に落ち込むわたしをよそに、バイクはそのまま静岡に入って行った。

 



     ⌘ ⌘ ⌘




「メロンパン、静岡茶ソフトクリーム、富士宮焼きそば、三ヶ日みかんソフトクリーム、浜松餃子、尾張卵の鉄板ナポリタン…」


 悠太が指を折って数えていった。



「よく食べたよな〜、そりゃ気持ち悪くなっても仕方ない」


「うぅ、悠太は全然平気そうなのに!」


「そりゃこんだけ体格違うし」



 はい、これ胃薬。と差し出してくれた錠剤を流し込む。




 ひとまず着いた京都。悠太の一人暮らしのマンション。

 ここでバイクの旅はひと段落で、一泊してからまた明日出発することにした。



 部屋は適度に片付いていて、モノクロの家具で統一されていた。フローリングの片隅に、テニスラケットが転がっているのが目に止まる。

 大学に入ってからもサークルで続けてるんだよね、お母さん経由で耳にしていた。



 さっき手を洗うとき、洗面台には一人分の歯ブラシとコップがあった。あからさまな恋人の影はなくてほっとすると共に、そんなことを気にしている自分にゲンナリする。ーーまだ付き合ってないって、保証はどこにもないのに。



「俺がソフトクリーム2個目あたりで止めてればよかったな」


「ううん」



 なんだか意地になって各SAの名物を制覇してしまった自分が悪い。



「でも食べたら重くなって少しは風で飛ばされなくならないかな?」


「え? そうか?」



 よいしょっと声をかけて、悠太はいきなりわたしを抱き上げた。


「ひっ」


「軽っ」


「ちょっと、悠太!」


「うわ。分かってたけど軽いな、風香」


「すっごい楽しそうなんですけど」


「そりゃ楽しい。人ひとりこんなに軽々抱えられるなんてな〜。スーパーマン気分」


「左様ですか」


「うわっ」



 くるくる回っているうちにうっかりバランスを崩して、悠太はベットにどすんと座り込む。



「痛っ」


「…ふわっ!」



 わたしは彼の腕からふわりと浮き上がり、そのあとゆっくり時間をかけながら、もう一度悠太の腕に着地した。まるで本当に羽根みたいに。



「某アニメ映画のようですな」


「家宝のネックレスは光ってないけどな」


「ふふっ」



 わたしの好きな映画。悠太とも何度も録画した金曜ロードショーを観た。



「晩飯はいらないな。京都名物は明日食べてから発とうか」


「お茶いる?」


「ありがとう〜。京都のお茶?」


「ううん。『おーいお茶』。なんぞ文句でもあるのか、旅人よ?」



 ハハーっと平伏してみせる。



「文句などあろうはずもありません」


 くすくす笑ってペットボトルを受け取る。

 ぐっと力を入れるけど、キャップが滑って上手く開かない。一日移動して、疲れてるのかな。すると、


「ん」


 わたしの手の間からペットボトルを奪って、パキッと音を立てて開いた後、悠太がわたしの手に戻してくれる。


「ありがとう」


 ほんのり耳が赤くなる。こういう自然な親切をサラッとできちゃうから、地元でもずっとモテてたんですよ。



「落ち着いたら今晩の宿に送ってくけど、場所わかる?」


「多分?」


「わかった。一緒に行こう」


「えへへ〜、良くわかってますね旦那」


「また迷子になられたら敵わん」


「やだ! 小学生の時の話でしょ!」


「昨日、隣町まで風に飛ばされてったのは誰でしょう?」



 あ、そうでした。



「思い出してくれたか。ーーなんか風香は平然としてるけど、あの時も俺は割と気が気じゃなかった」



 ふと真剣な顔になる。



「だから言っておきたい……いや、逆だな。ずっと考えてた」


 こくんと喉がなる。



「神様だかなんだか知らないけど、こんな意味がわからない現象が起こって、驚いてる。でも同時に、こんな機会がなかったら、風香とこうやって昔みたいに過ごす機会もなかったんじゃないかと思う。大学に進学してから1年くらい、あんまり連絡取り合わなかっただろ」



 意図的にそうした自覚があって、思わず俯いた。連絡を取り合ったら想いが断ち切れそうになくて。



「距離が離れたんだから、ただの幼なじみとしては当然なんだけどさ」



 ただの幼なじみ、というフレーズに、胸がずきんと痛んだ。

 俯いていたから、わたしの思い切り傷ついたって表情は見えなかったはずだけど、同時に悠太がその時どんな顔をしていたかも見えていなかった。



「子どもの頃だったら、こんな不思議な出来事にも、純粋にただワクワクできたんだろうな」



 うん、きっとそうだね。



「でも、いつまでもこのまま子どもじゃないだろ。いつかーー風香も進学して、就職して。いつかは恋人ができたり、結婚したりして。ーーそうしたら、俺たちは仲のいい幼なじみだとしても、二人で過ごす時間なんてなくなっていく。このままなら、こうして風香を気軽に助けることさえできない立場になるんだ」



 やめてよ。真実は刺さるんだってば。泣きそうな顔をしてるのが、自分でもわかる。



「風香。俺は風香のことが可愛いよ。でも俺、決めてたことがあって……近く、こうしてあんまり二人で会ったりできなくなるんだ」



 その先は聞きたくなかった。



「俺らは遠く離れるけど、それでも大丈夫なように……」


「やめて」


「いや、聞いてくれ。安心して離れられるようにーー」


「やめてってば!」


「聞いてくれ!」



 大声で叫ばれて、わたしの肩が跳ねた。



「……いや、ごめん。怒鳴ったりして」


「……ううん」



 二人でいて、初めてこんなに沈黙を苦く思った。


 そのままわたしはひとり京都のホテルに泊まり、翌朝、そこまで悠太がバイクで迎えにきてくれることになった。




     ⌘ ⌘ ⌘




 夜、夢を見た。


 小学生の頃に迷子になってしまった時のことだ。


 あの時の、心細くて寂しくて、しでかしてしまったことへの恐ろしくてたまらない気持ちが蘇ってきた。



「どうしよう…」



 わたしは胸に子犬を抱えてうずくまっていた。

 その日、ベタに捨て犬を拾って、ベタに父親に反対されて、ベタに飛び出てきてしまったのだ。


 そのうち雨が降ってきて、しかも自分がどこを歩いているかもわからなくなってしまって。

 仕方なく、名前も知らない神社の軒下で雨宿りしていた。



 半袖で剥き出しの腕が震えて、足もおぼつかなくなり、胸に抱えた子犬だけが暖かかった。


 このまま家に帰れないのかも。


 帰ってもひどく叱られるだろうし。


 寂しくて悲しくて、ぎゅっと体に力が入った。変に腕にまで力が入ってしまったのだろう。子犬がキャンっと吠えて、わたしは慌てて立ち上がりながら抱え直した。



「ご、ごめんね!」



 その時、ずるっと音がしてスニーカーの底が滑った。足首に鋭い痛みが走って、視界がぐるんと転がった。



 やばい!



 強い衝撃が来るのを覚悟して、体をこわばらせる。



ーーけれど、予想した痛みは襲わなかった。



「風香」



 転がっていく懐中電灯の明かりと一緒に、少し慌てた、聞き慣れた声がした。



「悠ちゃん……」



 わたしはギリギリのところで、悠太に抱き止められていた。


「探してたんだ」


「……」


「みんな心配してるよ」


「……うん」


「帰ろう」


「……叱られるかも」


「一緒に叱られてあげる」


「……子犬は飼えないって」


「一緒に新しい飼い主を探そう」




 足首を痛めていたわたしを背負って帰るのは、雨の中、まだ中学生だった悠太は大変だったと思う。



 申し訳なくて、わたしがもっと軽かったら良かったのにと思った。せめて重いって思われてませんように。

 そんな心配をよそに、悠太は家に着くまでずっと穏やかに、安心させるようにわたしに声をかけてくれた。



「……なんで悠ちゃんはそんな優しいの?」


「えー? 優しいか?」


「優しいよ! クラス男子はスカート捲ってくるし、カエル投げてくるし」


「なにそれ。小学生男子だな〜」




 クククッと楽しそうに笑う。この笑顔が大好きだった。

 わたしだけが引き出せる笑顔。

 そのときはそう考えていた。



「でもやり返したけどね!」


「え?」


「ずぼん下ろしてやったし、トカゲ投げ返しておいた」



 ブハッと吹き出した後もくすくす笑い続ける振動が伝わってきた。



「やるな、風香」


「でしょ。わたしにだけブスとかデブとか言ってくるし、嫌われてるんだよ」


「風香はブスでもデブでもない。可愛い」



 断固とした声で言い放った。



「次、そいつが何か言ってきても無視しときな」


「う、うん」



 あのあと、子犬は悠太の家で飼割れることになった。

 今では誰にでも尻尾を振る愛想のいい犬・タローとして、番犬にはならないけど、近所の子供たちには大人気だ。


 ずっと変わらないと思っていた。



 でも、この度が終わったら、もう彼に背負われることもない。こうして部屋に二人きりになるのも、じゃれあって軽々と横抱きにされるのも、彼女ができたらありえない。


 誠実な悠太は、たとえ幼なじみ相手でも、そんな恋人が嫌がることはしないだろうから。




     ⌘ ⌘ ⌘




 翌朝、悠太は約束通り迎えにきてくれて、なにもなかった顔をして私たちは合流した。


 バイクが発進すると、半分ほっとして半分堪らない気持ちになった。移動中は喋らなくていいのが救いだ。でも、ピリピリした沈黙の痛みはずっと続いていて、苦しかった。



 出雲に着くまでは、前日と同じくらいの距離があったはずなのに、永遠のように長くて、あっという間だったかのようにすぐだった。

 目の前には巨大な鳥居が構えていて、わたしたちは静かに一歩を踏み入れた。



ーーいらっしゃいませ!



 あの頭に響く声だった。



「来たよ」



ーーはい、承っております。願いのクーリングオフですね。



「そうです」



ーーでは、最終確認を。ご当選者さまもよろしいでしょうか?



「良いですってば」



ーーいえ、お嬢さま(、、、、)ではなく(、、、、)、ご当選者さま(、、、、、、)に伺っております。



「えっ!?」

「えっ??」



 なにを言われたのかわからなかった。



ーーご当選の青年と、その願いの発揮先のお嬢さま双方の同意を確認いたしましたら、願いを返却手配いたします。



「ま、待ってくれ、どういうことだ?」


「えっ、当選したのは悠太だったってこと?」


(わたしじゃなくてーー悠太の願い?)



 頭の中は疑問でいっぱいだ。



「じゃあなんで? なんでわたしが軽くなったの??」


「うーん。俺そんなこと願ってないけど…」



ーーわたくしどもは、ご当選者さまの『彼女とずっと一緒にいられるよう、留学先にも軽々と連れ出せたらいいのに』という願いに応えて、ご希望通り対象のお嬢さまを"軽々と連れて"行けるようして差し上げたのです。



「えっ……」


「ちょっ……そんな!?」



ーーただ、叶え先のお嬢さまからクーリングオフとのことでしたので、お二人でお越しいただいて意思確認のうえ対応を。



「なにそれ…。ん? じゃあなんで当選した悠太に最初から話しかけないの」



ーーお荷物のお届けでも、送り主ではなくお届け先にご連絡いたしますよね?



「ん? うーん。分かったような分からないような」



ーーということで、ご当選した青年もご同意のうえならこちらでクーリングオフの処理をすすめますが、『彼女と一緒にいられるよう、留学先にも…』という願いは取り下げでよろしいですか。



 隣で絶句していた悠太が動き出す。



「ちょっと待ってくれ、自分できちんと話したい」



 すこし頬を赤らめた顔でわたしに向き合う。



「風香。こんなタイミングで言うのもなんだけど、俺は風香のことが好きだ」


「うそ……」


「嘘じゃない。冗談でもない」


「海外って…?」


「ああ、大学2年から海外留学に行くチャンスがあるんだ。だからもうすぐ長期で会えなくなる」


「海外に行くの、悠太だったんだ…」



  【彼女がどうするにしろ…

   海外行くなら長期で会えなくなるし】



 耳に生垣のむこうで忍び聞いた声が蘇ってくる。



「年上が好きなんじゃなかったの?」


「は? 一体どこでそんなことを?」


「好きな人と年の差が……って聞いたから」



  【そうそう。

   そりゃ多少の年の差はあるけど……】



「うん、風香とおれだと3つ違うよな」


「あ、うん」


「たしかに10代には大きい年の差だけど、大人になれば気にならないくらいだしーー社会人と大学生とか、社会人どうしならよくあるだろ」



  【社会人と大学生ならあることだろ】



「風香。俺は海外に行く。ずっとやりたかったことができるから、諦められない。でも風香とただの幼なじみのままだと、俺が不安なんだ」



 京都の悠太の部屋で、彼がいいかけた言葉を思い出す。



「俺の恋人になってほしい。俺がおおやけに風香を心配して、これからの時間を一緒に過ごす大義名分がほしい」


「タイギメイブン…」


「えっ…。大義名分って分かるよな? 理由っていうか、約束みたいな?」


「ああ、うん。分かる。分かってるけど混乱してる…」


「そ、そうか」


「って、悠太はわたしが大義名分もわかんないと思ったの!?」


「風香ならありえるかもと」


「ひど! でもちょっと自覚あるから言い返せない!」


 ククク、と悠太が喉で笑う。


「は〜、一世一代の告白したのに、カッコつかないな。でも風香相手だから、振り回されるのは慣れっこだよ。……返事は急がないけど」


「えっ!?」


「え?」


「なるよ! 悠太の恋人にしてください!」


「ぷっ……」


 なんなんだよ面白いなぁと、悠太は顔をくしゃくしゃにして笑った。


「神さま。ということで願いは取り下げにしてください。自力で叶えるし、これ以上ずっと風香がふわふわしてたら気が気じゃないんで」



ーーかしこまりました。



 気づいた瞬間に自分の体にずっしりと重さが戻ってくるのが分かった。

 地に足が着く。ふわふわ浮いたりしない。


 風香はもう、軽々と持ち上げられるほど軽くない。

 けれどそんな彼女を横抱きにして、青年は嬉しそうに言う。



「うん、羽根のように軽くはない! けど、この腕に風香の重さ(存在)があるって嬉しい」

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