❅僕が僕であるために。
今宵の月はどんな顔をするだろう。
さぁ一緒に酔狂しようじゃないか。
だって僕らは酔っているんだから。
❅1.Cine sunt eu? 僕は何者?
月が輝いている。
ふと、顔をあげればそこには闇が横たわりくっきりと月を浮かび上がらせている。
ほんの少しお気持ち程度にかかった雲が、月の下部を朧気にしている。
夜独特の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んでゆっくりと吐き出す。
テーブルに適当に置かれた羽根を模した栞を摘みあげれば装飾に飾られたストーン達がゆらゆらと月明かりを含んで淡く燈ながら揺れる。
いまさっきまで読んでいた手元の本にそれを挟み込んで閉じればパタンと小気味いい音がした。
するすると表紙を指で撫でれば指の腹に布特性の質感が伝わってくる。
ページを捲るあの質感と音が次の物語の期待をさせるようにこの表紙の質感は高揚感を生む、それは物語への入口そのものなのだ。
物語の中では自分なんてものは居なくていい。
僕らはただ傍観者でいるか、それとも物語上の登場人物に成り代わるか。
それでいい。
物語の中では何にだってなれる。
なんでも出来る。
希薄な僕が唯一、何者かになれる瞬間。
それはある意味、『僕は物語の中でなら僕になれる』。
幸福を感じて不意に鼻を鳴らした。
本をそのままテーブルへと置く。
表紙がハードカバーなだけあってそれはコトンと奏でた。
こんな綺麗な月なんだ。
物語に溶け込むのもいいけど物思いにふけるのも一興だろう。
朧気な僕を隠してくれるからね。
今日も長くなるだろうとここに来る時に用意していたティーセット。
酒ではないため月見酒とはいかないが月を見ながらグラスを煽るなんて乙だろう。それに、物思いにふけるのに手持ち無沙汰じゃ心許ない。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
氷をグラスへとうつす。
そうすればカランカランとグラスが奏でた。
ガラス性の端正な切子グラスなだけあって月明かりを氷と共に上手く屈折させている。
そこにガラスポットいりの紅茶を氷が少し浸るくらい……おおよそ5分の1程度注ぐ。
月見酒に似せるのだから少なくていいのだ。
そうすれば、瞬く間にカランカランと鳴いていたものがコロンコロンと少し音程を下げる。耳を澄ませば炭酸のようにシュワシュワと氷の融ける音がする。
僕はこの瞬間が好きだ。
小さくなっていく氷を見つめながらコロンコロンとグラスを数回回せば、切子グラスと氷が含んだ月明かりが紅茶にそれを孕ませて淡く紅く燈らせる。
「綺麗だ。」
感嘆のため息をひとつ落として充分に眺めた後、1口煽ればストレート独特の茶葉本来の甘みと紅茶の安らかな香りが僕を満たしひやりとしたのどごしに未だ物語を引き摺る僕の熱を穏やかに宥めてくれる。
「この紅茶はあたりだな。」
そう呟いて視線を紅茶に落とせばそのゆらゆらと揺蕩う水面に月が映りこんでいた。
風流とはきっとこういうことなんだろうな。
ふとそう思えば、月といえば想い人に申し入れをする時にILoveYouでは味気無いと文豪達は風流をのせて謳ったんだっけ。
そう、それは
「月が綺麗ですね。」
きっとこんなふうに詠わずには居られない程、綺麗な月が文豪達には見えていたんだろうな。
その月が空に浮かぶアレか、はたまた想い人なのか、それとももっと別の何かか。
何を意図しているかはもはや誰にも分からない。
「想い人……かぁ。」
こうして、昔の詩人や作家達もグラスを煽りながら月を見て物思いにふけったりしていたのか……なんて。
文豪に比べて
『自分』というものが曖昧で希薄な僕に語れるものなどないに等しい。
それを語るだなんて文学への冒涜ではないか。
夜の闇を月明かりだけで
そんな烏滸がましさを酒まがいの此奴が僕の感情さえドロドロに融かして何も感じないくらい曖昧にしてくれるならこの冷たい夜に戯言のような夜伽話を語るくらい赦されるだろう。
僕は”酔っている”んだから。
❅僕が僕であるために。
さぁ一緒に酔狂しようじゃないか。
だって僕らは酔っているんだから。




