ポメラとの出会い、そして
綺麗にぬれたマニキュアが、湯上がりにふと見てみると爪先の部分がほとんど剥がれていたときのがっかり感のようなもの。
ワープロとの再会を諦め、様々な逡巡と葛藤の末に入手した超高級文房具、その名は『pomera』(ポメラ)という。
ポメラとはキングジムから出ているデジタルメモ専用の機体で、『ポケット・メモ・ライター』の頭文字をとってポメラと名付けられたそうである。
会議の議事録として入力をしたり、何かをちょこっとメモを取りたいときに使えるように設計されているらしい。
そのためかこのポメラ、電子手帳よろしくカレンダー機能が搭載されている。仕事の予定や旅行の日程等を入れるだけではなく、取引先への連絡をいつしたか、いつ納品があるのかなども好きなように入力することができるので仕事には便利だ。
そして何よりも私が望んでいたとおり、文章を入力する以外のことはできない。
とてもシンプルかつ洗練された有能なガジェットである。
私は発売当初からポメラの存在を認識はしていた。
2008年の11月に初代ポメラ『DM10』が発売された時、親友が買い求めていたのである。
彼も文章を書くことが大好きで、数年前に長編物のファンタジー小説を書き上げ、半端ないメガ数の添付ファイルをメールに載せて送ってくれた。
今でも時々思い出しては彼の小説を読むことがあるが、彼はPCの画面でもきちんと文章が打てるのだな、さすが我が友、変態であると尊敬したものである。
なぜなら当時、私のように文章入力中毒だった人間はすべからくワープロロス症候群に陥っていたからである。
文字を打ちたい。
でもPCの電源を入れるとつい違うことをやってしまう。
ワープロがあるじゃない。
いや、私たちのワープロは古すぎてもう使い物に…。
ああ、文章が打ちたい。言葉が脳からはみ出てきちゃう。
PCだ、PCがあるぞ。
でもPCはねえ…。
あいつ音楽は聴けるしゲームはできちゃうし、ネットもできちゃうじゃん?だめなんだよ、遊んじゃうんだよ!
以上のような思考の連鎖に陥ってしまう、大変不毛な病である。
そんな日々をすごしていたある日、秋葉原帰りの親友が一枚のチラシを持ってきた。
『キーボードでメモをとる』
『画面を開いたらすぐに文字が入力できます』
こんなニュアンスの広告が書いてあったような気がする。
これがポメラとの出会いだった。
カバーを開けて2秒で起動がうたい文句で、文字を入力する以外の機能をほとんど排除したポメラは、我々のように思考を文章に変換したくてたまらない人間にとって、まさしく一筋の光明であるかのように見えた。
だがポメラ、当時から大変お高かった。
初期型『DM10』は本体価格26.000円(消費税抜き)。
高校時代に購入したワープロよりはぐっとお安くはなっているが、思わず伸ばした手を引っ込める価格である。
時は就職氷河期のまっただ中。50社近くの企業にお祈りの手紙を頂いて、大学卒業時点で私は仏となっていた。
それから長い間、派遣社員やパート、アルバイトと、なんとか職を繋ぎ細々と日々を食いつないでいた私にとって、手取りの5分の1に匹敵するポメラは高値も高値、高嶺の花だった。
おいそれと手出しのできるアイテムではなかったため、一足先にワープロロスから抜け出せた彼には激しく嫉妬したものである。
だが所詮『メモ・ライター』である。
もしかしたら私が望むようなワープロ機能ではないかもしれない。
とりあえず使ってみた感想を尋ねて、それから購入を検討しても良いだろうと思って質問してみると、以下のような回答が帰ってきた。
1.折りたたみ式だからか、キーボードの折りたたみ部分を操作したときに微妙なカクつきを感じる。それ自体はそこまで気にならないかもしれないが、一番気になるのはキーボードのサイズ。折りたたみ式だからかキーとキーの間が狭く、男の手だと少し打ちづらい印象を受ける。
2.画面も小さくて一度に表示される文字数が少ないため、今までワープロで行えていたような画面を見ながらの文章構成はしづらい。罫線もない。
とはいえ文字をひたすら入力し続けることができる、という機能においてはこんなに便利なものはない。私の脳内で停滞していた言葉がようやく解放されていく。ワープロレスの時代は終わった。
との、ことであった。
文字がワープロのようにひたすら打てる小型マシン。
これだけで私には十分な回答である。これこそ私が追い求めた最新型のワープロなのではないだろうか。まさかのキングジム、大手文房具メーカーから生まれてくるとは思いもよらなかったが。
もう、私に残された道はポメラしかない。そう思った。
お金を貯めてポメラを迎えに行こう。高校生の冬、ワープロさんを迎えに行ったように。
20代の冬、私はそう決意したのであった。
だが時が流れるうちに、私を取り巻く環境が劇的に変化した。
まず、6年あまり働いていたアルバイト先が閉店してしまったのである。実家から近く地方にしては時給も良く、仲間同士で食事に行ったりと雰囲気もとても良い職場だったので、本当に残念だった。
仕方なく派遣社員に再度登録をし、どうにか職を見つけた私は電車に乗り街へ出ることになった。
そしてちょうどその頃、将来の夫となる男性と出会っておつきあいを始めることとなる。
平日は仕事から帰れば後は寝るだけ、というような生活スタイルになり、休日はデートで家を留守にする時間が増えた。そのうち、あまり行かなかった旅行にも行くようになる。
プライベートがかなり忙しくなってくると空想にふける時間が少なくなり(ゼロではない)、いつしか文章を書くことをやめていた。
以前は言葉が頭の中に浮かび上がってきたら、それを少しずつ形にしていかないと、考えた言葉で頭の中がふくれあがってしまうような感覚に陥っていた。
言葉の海でおぼれてしまうような、と言ったら良いのだろうか。
ところがこの頃、それらの言葉たちはどこかへふいと消えてしまうような感覚に変わっていたのである。
結論から言えば、私は変わったのだ。
おそらく私はその頃ようやく世間一般的な『大人』になったのだ。
高校時代、私は反抗期を迎えた。
思春期の狭間。いつまでも子供のままだった自分の心。周りが少しずつ大人になっていくのを横目に見ながら、親の都合の良い子だった自分の生き方に対する疑問。親の敷いたレールの上を歩いていることで得られる安定感、安心感。自分のやりたいこと。全てが未知数で全てが不可思議。つかみ所のない将来への不安。
高校生の私は不安の塊でできていた。
自分を取り巻く世界の何もかもが面白くて楽しかったけれど、何もかもが気に入らなかった。出会うことができた人々のことが大好きでたまらなかったのに、どいつもこいつも私と同じ温度差でいてくれない、と一人で勝手に嘆いては不満を抱いていた。
そんな不可思議な感情をもてあまし、どう気持ちを表現して良いのかどう解消して良いかがわからず煩悶した結果、私はワープロというベストパートナーに巡り会い、救われたのだった。
今ではさすがにそんなぐちゃぐちゃな感情に飲み込まれたりしない。人は人、自分は自分。
みんな違って、それでいいのだ。
違う土地で生まれ違う人生を歩んでいる人が皆、同じ考えになるわけではない。相手の意見を真っ向から否定しなくて良いのだ。受け入れられる部分があれば喜んで受け入れ、拒否したい部分はやんわりと断れば良い。
取捨選択の自由は自分の手のひらの中にある。
そんな風に世の中を理解し、多少おぼつかない足取りではあっても、私は自分の考えで歩き始めていた。
もはや『感情の発露のためのワープロ』は必要なくなっていたのだ。誰かに理解されたくて、大切にして貰いたくてたまらなかった心の中の旅人は、満ち足りた私の中からもう旅立っていって、二度と戻ってくることはないのだろう。そう思ってここ数年過ごしていた。
しかし運命の歯車が、私を再びこの戦場へと連れ戻した。
文章を書いてみてはどうだろう、と。
逃れられない、摩訶不思議な縁である。
ちょっと気がついてしまったんですけど、なんか内容的にはずっと続いているんですよね。
これはエッセイを統一して連載扱いにすべきだったのでは、と今更ながら思っております。