第一部最終話 メシアプロジェクト
激烈なる風が吹いていた。
四人を出迎えたのは突き抜けるような青空と二人の男だった。
一人は黒いローブを着込んでいた。頭から爪先まですっぽりと隠れている。
口元が僅かに見えるだけで、性別も人種も不明。妙に存在感のない男だった。
もう一人には見覚えがあった。
グレーのスーツを着込んだ晴れやかな男だ。
背が高く、薄気味悪い笑顔を浮かべている。
誰もが呆然とする中、唯一、ミクだけが二人目の男に呼びかけた。
「お兄様、なぜここにいるんですの。ここはアポカリプスですわよ……」
「そうとも。ここはアポカリプスだ」
大海原導太朗。
アイリたちをここに送り込んだ張本人が最後に待っていた。
ここでもネクストステアを装着していなかった。
彼はにこやかに笑ったまま、パンパンッと拍手をする。
「コングラッチュレーション」
拍手が続く。
風が吹く。
「おめでとう、諸君。君たちは見事、アポカリプスを攻略した。私の予想を大きく上回るペースだ。感嘆するよ」
ほっといたら延々と拍手を続けてそうだったが、導太朗のポケットからピリリと音が鳴る。
手を止め、彼はスマートフォンを取り出した。
「誰かと思ったら、なんだ。ミクか。用があるのか?」
「いいえ、兄様。確認のため、電話をかけさせていただきました」
じっとりとした汗を浮かべ、ミクはアイリの隣に立った。
「参りましたわ、アイリさん。目の前にいるのは本物の兄様、大海原導太朗です。偶然にも生み出されたそっくりさんではございません」
「――ということは、ここは、現実世界ってことね」
ネクストステアで現在時刻を確認する。
午後二時、アポカリプスが東京タワーにかぶさるまであと三時間はあるはずだった。
SNSを検索すると、この東京タワーの変身で世界中が話題だった。
いつからなのかはわからないが、最早、誰にでもこのアポカリプスが視認できる状況だということだ。
ひとまず、アイリは落ち着きたかった。
「とにかく依頼は達成したんでしょ。どこか、別の場所にいきたいわ。ここで待ってたからには慰労会でも開いてくれるってことなんじゃない?」
「ああ、もちろん。しかし、天使アイリくん。君にはまだ最後の仕事が残っている」
「そんな予感はあった」
アイリの頬が引きつってしまった。
そうなのである。
アポカリプス攻略を命じられたが、ダンジョン突破が主目的ではない。
ラスボスを倒せと導太朗は言ったのだ。
アイリは導太朗の後ろに佇む、ローブ姿の男に目を向けた。
彼はなにもせず、ゆらゆらと陽炎のように立っている。
「あれがラスボス?」
「そうだ。東京を魔界に変えた『魔術師』である。少し話をしたが、なかなか興味深いことを言っていたよ」
「会話ができるの……。ねえ、あんた、マジでこの塔のボスなの?」
声をかけると、その魔術師はぼそぼそと小さな声で返事をした。
「アポカリプスを攻略したものに立ちはだかる最後の障害。それが私。そうあれかしと望まれたゆえに、そうあるもの」
「……回りくどいわね」
「ラスボスであれと望まれたなら、私はラスボス。アポカリプスの魔術師である」
アイリは無意識のうちに唾を飲んだ。
塔の中で向けられた殺意、それをより高純度にしたものが全身に叩きつけられている。
逃げてやろうかと思っていたのだが、そういうわけにもいきそうにない。
――こいつは追ってくる。私を必ず、殺しにくる。
導太朗は、アイリ以外の三人を促した。
「さあ、我々は離れよう。いまから彼女の戦いが始まるんだ」
薫子は迷わず、宮城も困惑を残しながら導太朗のもとへと歩いていった。
ミクだけはアイリのそばに残った。
「兄様がなにをさせたいのかわかりませんが、彼女を巻き込んだのは私。一緒にいます」
「そうか。なら、私達は去ろう。アドバイザーとして、ミクがいたほうがいいかもしれないしな。では、健闘を」
導太朗は薫子と宮城に支えられ、空を飛んでアポカリプスから離れていった。
いま現在もマスコミと有志が生中継しているので大騒ぎだ。
アイリはゴーグルをしっかり固定し、ミクに一つ質問をした。
「あんたと私の関係ってなにかしらね」
「雇用主と労働者……というよりも、別のほうが私は好きですわ。とうっ!」
ミクが背中に負ぶさってきた。ネコがしがみついているみたいだ。
「私、あなたとは友達がいいですわ」
「同感。ピースメーカー!」
アイリの右手に拳銃が召喚される。
視界に十字型のターゲットサイトが出現。
照準を合わせ、魔術師に弾丸を叩き込んだ。
○
銃声とともに戦いは始まった。
魔術師は金色に輝く杖を虚空から取り出して銃弾を防ぐと、超高速でアイリに襲いかかった。
あわやというところで後ろに回避するアイリ。杖の一撃はアポカリプスの床を粉砕する。
一旦、空に逃れて距離を稼ごうとするアイリだったが、魔術師は杖の先端から巨大な翼ある蛇を呼び出した。
ピースメーカーでは火力不足。
アイリは対物ライフルに持ち替えて迎撃するも、その背後に魔術師が迫っていた。
しかし、彼女の背中にはミクがいる。
彼女は拳銃を握り、魔術師の頭部を撃ち抜いた。
人であれば即死だったが、魔術師は仰け反るだけだった。
額には風穴があったが、まだ動いている。
杖を掲げ、襲いかかってきた。
この攻防にかけられた時間は――二秒。
観戦していた導太朗は子どものように喜んでいた。
「素晴らしい! ぜんっぜんわからん! あっちこっち動き回って蛇が出て銃がぶっ放されていることしかわからん! これがネクスト! ただ一人の女子高生が示した人類の未来! 素晴らしい! 感動的な光景だよ!」
彼は遠く離れたホテルに移り、ドローンから送られている映像を眺めていた。
ネクストステアではなく、わざわざモニターを用意していた。
薫子はその場におらず宮城だけが残っている。
戦いは十秒、二十秒を過ぎても続いている。アイリとミクの体感ではすでに一時間は経過しているかもしれない。
舞台はアポカリプスの上空から東京全体に移っている。
戦いの余波で街並みが破壊され、車が宙を舞った。ガラスが雪のように降り注ぐ。
歴史に残る事件になるだろう。
被害総額、特に東京タワーの変身という被害は算出のしようがない。
だというのに導太朗ははしゃいでいる。
困惑の顔をした宮城が尋ねた。
「お前、なにがしたいんだ。世界中にネクストを公開して、何を得る」
「ん? 言ってなかったかな。いや、正確には答えてなかったかな? 私はネクストの管理をしたいのさ。そして、その力で、」
くくっと導太朗は笑った。
「人類を『次』に進めるのさ」
魔術師が稲妻を放った。
その光をアイリは避けていくが、ビルや高架に命中、爆散する。
このままでは怪我人、死者も出る。
世界中に混乱と騒動が巻き起こる。
しかし、そこには希望もあると導太朗は語った。
「初めて人類が月に降り立って一世紀が過ぎようというのに、未だ月面基地も軌道エレベーターもテラフォーミングも進んでいない。どれもこれも夢物語だ。実現するには資源がない、技術がない、勇気がない。だが、ネクストならば――」
――人類を月へ連れていってくれる――
導太朗の身体は震えていた。
痙攣かと言うほどに震え、笑っていた。
「ロマンがあるじゃないか! 私の中の九歳児が歓喜に打ち震えているよ!」
そこに邪気はなかった。
金、権力、女、そういった下世話なものがかけらもない。
夢見る少年の目だ。
「大人が、政治家が、そんな子どもじみたことを言うのか!」
「言うさ! ロマンとは、すべての人類に共通する魂の慟哭だ!」
導太朗は抱きしめんばかりに宮城へにじり寄ってきた。
「ロマンがあったからこそ人は航海に旅立った! ロマンがあったからこそ宇宙へも旅立った! そしていま、人類が『次』のステップへ進む! 『ネクスト』になる! ここにロマンがないと言えるわけがない! 世界が滅び、生まれ変わるのだ! 幼年期の終わりだよ!」
魔術師が杖を振り下ろす。
アイリは白刃取りの要領で受け止め、股間を蹴り上げた。
空中を蛇行しながら何発も蹴り上げた。
すでに彼女らの動きは音を超えている。
ソニックブームだけでなく小規模の竜巻すら発生していた。
何機ものドローンがその余波で粉砕された。
「ミクもよく振り落とされないものだ。しがみつきながら『ゴッド・スピード・ユー』をバージョンアップし続けているのか? でなくてはとうに振り落とされているはずだからな」
この惨状を作り出しておきながら、導太朗には罪の意識などなかった。
息を整え、彼は語った。
「宮城、ネクストとはなにかわかるか?」
「ネクスト、とは……? スキルを現実でも使えるやつ、だろ?」
くくっと導太朗は笑った。
「奇妙だろう? なぜ、東京魔界で覚えたスキルしか使えないのか。銃に剣、なんなら家まで召喚して空まで飛ぶのにだ。いいか、逆なんだよ」
逆――。
「東京魔界のスキルが使えるのではなく、東京魔界のスキルしか使えないよう制限してしまっている。それがいまのネクストだ」
「待て、じゃあアイリは……」
「そう。彼女だけが東京魔界のスキルに関係なく、思うがままに自分と世界を改変する。それが本当のネクスト。宮城、君はネクスト未満だ」
戦いは終わろうとしていた。
魔術師が杖を振るう。
蛇を呼び出す。
獅子を召喚する。
そのどれもを、アイリは速さで圧倒した。
剣で蛇の頭を落とし、槍で獅子の脳天を貫く。
魔術師には拳と蹴りを叩き込む。
導太朗はネクストに区分けをした。
「真の意味でネクストは、天使アイリ。彼女だけだ。では、宮城、君たちはというと、私はサードと呼ぼう」
「ファーストは普通の人間か? だとすると、セカンドはなんだ」
導太朗は懐から翼型ヘッドホン――ネクストステアを取り出した。
「これを装着したもの、そのすべてだよ」
ネクストステアは公称で十億台が世界に普及している。
つまりは、十億を超える数の『セカンド』が存在する。
「身内で研究をしたよ。ネクストステアを装着してなければスキルが使えない。ならば、ネクストステアのなにがスキルを使えるようにするのか。検証した結果、脳波増幅だと判明した。たったそれだけで、人は現実を改変する能力を手にしてしまう。
しかし、ほとんどの人間はその力に気づかない。そんな彼らを総称して『セカンド』と呼称する。だが、力そのものはある。なので、ちょっと意識を引っ張ってやれば現実を改変してしまう。その証拠が東京に出現したアポカリプスと魔術師だ」
導太朗はモニターの映像を変えた。
映っていたのは数多のダンジョンを駆け巡る三人組の姿だった。
天使アイリ、大海原ミク、宮城小一郎。
撮影しているのは、平沢薫子だ。
「……記録を撮っていただけじゃなく、世間にこれを流したのか」
「ああ。みるみるうちにアポカリプスが実体化していったのは、ぞくぞくしたよ。数学の難問が転がるように解決されていくときと似た高揚感を覚えたものだ」
導太朗は精神的絶頂に酔いしれている。
宮城は震えていた。拳を握りしめて。
「いつから、こんなことを思いついた。どこから計画のうちだった」
「最初から――というわけではない。偶然だ。君がアポカリプスで天使アイリと出会って、『ゴッド・スピード・ユー』を目にしたとき、この計画を思いついた」
くふふと笑っている。
「俺のせいだというのか」
「いいや、私だ。考案したのも、実行したのも、すべて私だ。この栄誉は譲らん」
「栄誉だと……」
「はじめはここまでするつもりはなかった。管理されたネクストを使い、環境回復や難民保護をこなしながら影響力を強め、そこから宇宙開拓を始めるつもりだった。しかし、あの子のおかげでネクストの真の価値に気づくことができた。悠長なことをする必要もない。世界を創り変えるのはまさにいまなのだ」
「貴様、貴様……!」
「天使アイリは人類の救世主。この作戦に名を付けるなら、メシアプロジェクトだ」
ぶつんと宮城の心がキレた。
灼熱の怒りが全身から爆発した。
「ふっ――ざけんじゃねえぞクソ野郎!」
宮城は怒声とともに殴りつけた。
導太朗は壁に叩きつけられた。
鼻骨が折れ、血が吹き出る。
膝が震えてまともに立つことができていない。
だというのに彼は笑っていた。
「ふふっ、ははっ、はっはっは! 怒るか! 怒るか、宮城小一郎!」
「怒る! 貴様、あの子は子どもだぞ! 実の妹も慕っているんだぞ! それを、それを、散々利用しやがって! 人の人生を何だと思っている!」
「その子どもを車で跳ねるなんて案に賛成したのはどこの誰だ?」
ぐっと宮城は身を引いてしまった。脂汗が額に滲んでいる。
導太朗はハンカチで血を拭き、目に涙を浮かべ、ゴキリと鼻骨の位置を直した。格闘家でもなかなかできない応急処置だ。
「アポカリプス攻略で情が移ったか。そうさな、君の言ったとおり、天使アイリはただの子どもだ。女子高生だ。怪物じゃあない。親の愛を受けず、社会から切り離され、私や君のような大人に利用される女の子だ」
「黙れ! 俺が馬鹿だった! いまからでも!」
「君では助けにならんと言っただろ。あの速さに追いつけるかね」
ホテルの窓から戦いを見ることができ――ない。
見えない。
宮城にはなにも見えない。
東京の街を駆け抜ける二種類の閃光しかその目には映らない。
スキル『ゴッド・スピード・ユー』を使っても追いつけない。
足に力が戻った導太朗が宮城の隣にやってきて、ともに外を見つめた。
「感動的な光景だ。あの子は、人を未来に進ませる導き手だ」
「妄想も程々にしろ……!」
「妄想ではない。真実だ。真実になる。してみせる」
二つの光が見えなくなった。
そのすぐあと、モニターの映像が変わる。
アイリと魔術師の戦いが決した瞬間だった。
アイリが黄金の杖を奪い、魔術師の胸を貫いていた。
魔術師そのものは光の粒子になって消えていってしまう。
そこで部屋の扉が開いた。
新品のメイド服に着替えた薫子が入ってくる。
「導太朗様、記者会見の準備が整いました。報道陣も待っています」
宮城が導太朗を殴ると予想していたのか、上着の替えを用意していた。導太朗はすぐに着替え、鏡で身なりを整える。
「宮城、君の望みは叶えておいた。今日から自由に親子で会うことができる。家族みーんな、仲良くしたまえよ」
去っていこうとする導太朗に、宮城が一つ尋ねた。
「あの子は、天使アイリはどうなる」
導太朗は至って真面目に答えた。
「メシア――神様にでもなってもらうさ」
そして、時代は変わっていく。