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天使アイリの旅路・はじまり  作者: さざんか
第一部 メシアプロジェクト
6/17

第五話 凸凹パーティ

 アポカリプスが現実世界に出てきたというのは、モンスターとは比較にならないほどに危険だった。

 もし、自覚のないネクストがアポカリプスに紛れ込んだら怪我では済まない。死人が出てもおかしくない。

 そして、逆の場合も考えられる。

 モンスターがアポカリプスから外に飛び出してきたら――、どうなる。

 あっけらかんと導太朗は答えた。


「それこそ世界の終りさ。東京魔界はサービス中止。東京は人が消えて大不況。首都移転なんてのも大真面目に議論されるだろう」


「だったら東京タワーを封鎖したら?」


「現実的ではない。ネクストしかアポカリプスの存在を認識できていないんだ。仮にそんなことをしたら、頭がおかしくなったとみなされるだろう。やるとしたら、誰もが誰も、アポカリプスを認識してからだ」


 結局、なにをしたいのか。


「繰り返すが、君にはアポカリプスの攻略をしてもらいたい」


「攻略って言われてもね。私は対戦ばっかやってたんだけど」


「じっくりやってくれたらいい。最上階までね。ラスボスと遭遇したら、撃破も頼もう」


「私を誘拐してまですること?」


「悠長にしていたら外国の部隊が侵入して先を越されるかもしれない。主権侵害だから何もしないなんてのは所詮建前だ。スパイなんていくらでもいる」


「私は、私の人権の話をしてんのよ」


 導太朗は薄気味悪い笑顔を作った。


「私はそういうものを踏みにじっても気にならない性分なのさ」


「その小洒落た鼻に中指ねじ込んでやりたくなってくるわね」


 ともあれ、アイリに選択肢はなかった。

 アポカリプス攻略のメンバーは、まず宮城小一郎。


「彼は信用できるからな。大切なものがある。それを守ろうと必死に働いてくれるんだ」


 人質でもとってるかのような言い方だ。

 導太朗はネクストをまだ欲しがっていたが、ミクは頑として情報を渡さなかった。


「彼らになにをするか考えますと、不可能ですわね」


 導太朗は悪気なく未成年を誘拐した。もっと悪辣な手を平然と打つ可能性もある。

 故に、ミクは自ら志願した。


「私が登りますわ。アイリさんを巻き込んでしまったのは私ですもの。万が一の場合、遺産の受け取り手をあなたにしておきますから、かまわないでしょう?」


 導太朗はこれを歓迎した。

 遺産とは、東京魔界とネクストステアに関する全権利だ。

 莫大な価値になるため探索中に襲われるんじゃないかとアイリは危惧したが、ミクは笑って否定した。


「そんなもの欲しがりませんよ。私の一族は金よりも強い公権力ってものを持ってますの。あの人にしたらコントロールできたらそれで構わないんですわよ」


 あと一人、導太朗は自身のメイド、平沢薫子を推薦した。


「お目付け役さ。彼女のネクストステアで終始、監視させてもらうよ。彼女自身もネクストだ。軍隊の経験もあって、サバイバル知識が豊富だ。簡単な食事も用意してくれる」


「あなたにとっては腹立たしいでしょうが、邪魔になることはいたしません。どうか、よろしくおねがいします」


 この四人が攻略メンバーになった。

 導太朗の想定ではアポカリプス攻略は冒険になるとのことだった。

 大昔の南極調査隊のように何度もアタックして、記録をつけて、引き返して、またアタックするというのを繰り返すわけだ。モンスターも出るので命の危険もある。


「一ヶ月か二ヶ月はかかるだろう。報酬は十億、あとは株なり土地なり用意する。なんなら、芸能界デビューなんてのもできるが」


「金以外になんもいらないわよ。強いて言うなら、やりたいことがあるわ」


「なにかな? 宇宙旅行かな?」


 アイリは導太朗の顔に拳を近づけた。


「その上品なお顔を殴りつけてやりたい。いかが?」


 導太朗はキョトンと目を丸くしたあと、大きく朗らかに笑った。


「はっ、はっはっは! そうきたか! いいな、とてもいいな、君は!」


 彼の表情は晴れやかだった。

 最初に出会ったときにはなかった素直さが感じられた。

 その目はまっすぐとアイリに向けられている。


「オッケーだ。殴りにきたまえ。待っているよ」


 まるで報酬ではなく約束のような言い方だった。

 きっと、ここで運命は定まってしまったのだろう。

 アイリはアポカリプスを攻略する。

 そして、世界を滅ぼすのだ。


   ○


 アポカリプス攻略のリーダーはアイリ。

 年長の宮城小一郎ではない。

 彼よりも『ネクスト』として先をいっているアイリこそが適任だと導太朗から指名された。

 突入する前に、薫子から攻略上の注意点を伝えられる。


「アポカリプスを先に私と宮城で調べたところ、ショートカット機能はありませんでした。一度で最上階まで突破して、ボスを倒して、戻ってくる必要があります」


「クソゲー! もしかしてだけど入るたびにダンジョンが変わる系だったりする?」


「それはありません。何度となく試しましたが、常に同じダンジョンでした。なので、私からは一度に一階層ごと攻略し、その都度、帰還するという手法を提案します」


 安全策だ。命を最優先するならこの案がベストだが、アイリは却下した。


「時間かかりすぎ。そもそも何階まであるの、これ」


「一階ずつ登るごとに、三十メートル弱、位置が高くなることがわかっています。恐らくは一〇〇階までかと」


「九十九階に到着しても、また一階まで帰るの? 何日過ぎるかわかんない。金もらえるからってこんな面倒事に長々と付き合いたくね―わよ」


 アイリの返答を予想していたのだろう。薫子はすぐ次案を出した。


「では、食料の三分の一を消化したら帰路につくというのではどうでしょう。アクシデントがあれば撤収で」


「そこらへんが無難か。じゃ、それで」


 数日後、アイリの怪我が完治してから塔に入った。

 導太朗が用意した防弾防刃の迷彩服を着込み、食料が詰まったリュックを背負ってアポカリプスに突入。薫子だけは防弾防刃のメイド服だった。アイデンティティ、らしい。

 二十階まではプレイヤーなら既知のダンジョンなので迷わず突破。あっという間に二十一階に続く巨大な門の前に到着する。

 ゲームだとこの門は固く閉じられているのだが、試しにとアイリが手を伸ばすと、つんっと触れるだけでゆっくりと開いていった。その先には階段が見えている。

 ここを上がれば未開未踏のダンジョンが待っている。

 製作者のミクも知らない世界。

 宮城と薫子が調べたのはその触りだけ、なにが出てくるかまったくわからない。

 所詮――、その程度だ。

 アイリにはなんの障害にもならなかった。


「じゃ、さくさくっとクリアしましょかー」


 第一次攻略――開始。

 二十一階は砂漠。乾燥と熱線、嵐が襲ってくる世界だ。

 四人は空中を移動していたが、地中から巨大な芋虫めいたモンスター、サンドワームが襲いかかってくる。

 アイリはこれを一蹴する。


「はい、邪魔」


 ほんの一瞬ですらなかった。

 四人の前に出てきたと同時、突然の爆発音が響く。

 サンドワームの眉間に穴があいていて、大きく仰け反っていく。

 死んでいた。光の粒子になって消えていく。

 いつのまにか、手ぶらだったアイリは巨大な対物ライフルを構えていて、その銃口からは硝煙が立ち昇っていた。

 ミクは平然としており、宮城も眉をひそめるくらいだった。

 薫子が神妙な顔つきでアイリに尋ねてくる。


「あなたが撃ったのですか、いま」


「そうよ。愛銃のピースメーカーじゃ威力が足りないから、こいつを使ったけど」


「宮城の報告と比べ物になりません。それに、空中では姿勢保持ができないはずですが……」


「空を飛びながら言うこと? 私達、物理法則をぶっちぎってんだけど」


 アイリにはなんでもないことだったが、薫子は納得できていないようだった。


「ゲームでも、同じことができますか?」


「無理無理。振動でぶれぶれよ。やっぱ現実のほうが自由よね」


「どういうことなんですか、この人」


 薫子は眉間を押さえて唸ってしまった。

 アイリは不思議そうに首をひねる。


「どうでもいいから、出口を探しましょうよ。あ、サンドワームまだいるから、これ出しっぱじゃないといけないのか。めんどくさ」


 アイリはまるで傘のように対物ライフルを振り回して空を進んでいった。

 出口は砂に埋もれていたので、見つかるまで半時間ほどかかった。それでも想定より遥かに早いペースだった。

 二十二階は沼地だった。

 ワニが多数生息しており、上空には人間並の体格を持つカラスが飛び交っている。最早翼竜に近く、空を飛んでは格好の餌食である。

 これに、アイリは一人で対処した。


「三秒くらい待ってて」


 実際は五秒だった。

 曇天の空が壊れるのではないかというほどの轟音のあと、巨大カラスが雨のように沼地に降り注いだ。死骸にはワニが群がっていく。

 アイリは空中から三人に謝った。


「悪いね。思ったより数多かったわ。ついでに出口も見つけたからさっさといきましょ」


 終始、こんなペースだった。


 二十三階――洞窟。

 暗闇に巨大な毒蛇が大量に巣食っていたが、アイリのピースメーカーで一匹残らず脳を撃ち抜かれた。


 二十四階――吹雪の山岳地帯。

 雪に紛れて狼が襲ってくるが、姿を表した瞬間にアイリが取り出した剣で喉を切られていた。五匹同時に襲ってきても、五匹同時に切られていた。


 二十五階――廃城。

 石像と空っぽの鎧が襲いかかってくるが、両肩にバズーカを担いだアイリが城ごと破壊してしまった。


 そうして三十階まで一気に登った。三時間もかかっていない。

 このペースに薫子が待ったをかけた。


「いくらなんでも早すぎます! アイリ様、休憩、休憩を要求します!」


「ん、疲れたの?」


 面倒そうに尋ねるアイリに、最後尾の宮城が言った。


「俺達じゃなくお前のために休憩すると言っている。ほとんど一人で突破してきただろうが」


「そうです。あなたの負担が大きいんです。少し、広場を探しましょう。そこで食事がてら、診察を始めます」


 適当なところに降りると、薫子はそこでスキルを使った。


「召喚・キャンプセット」


 アイリたちの前に大型のテントとテーブル、椅子、食器や調理器具が現れた。

 へえっとアイリは感心する。


「こんなのもあるんだ。ミク、東京魔界でキャンプってすんの?」


「誰もが誰もモンスターと戦ったりサバゲーやってるわけじゃないですからね。現実では時間がないから、友人たちと東京魔界で集まってキャンプするっていうのは根強い人気がありますよ。薫子、食事は私がやっとくね」


「申し訳ありませんが、お願いします。宮城、あなたは周囲の警戒を。それでは、アイリ様、私の診察をお受けください」


 診察といっても、大したことはしない。

 脳波や脈拍、体温はネクストステアで計ることが可能だ。

 薫子はそれに加えて発汗や、筋肉の張りを確かめた。

 その結果、なんの問題もなかった。


「あなた化け物ですか」


「めちゃくちゃ失礼ね」


 あまりの反応にアイリも驚いてしまった。


「ミク様や導太朗様とちがって取り繕う必要もありませんから。でも、本当におかしいですよ。ネクストステアは脳を酷使する機械です。ゲームをやっていなくとも、スキルを使っていたなら脳を使いますので、疲れているはずなんです」


 アイリはこっくりと頷いた。

 むしろ、やることが簡単すぎて眠くなっているくらいだ。

 もしかして、と、薫子はアイリから視線を外してつぶやいた。


「ネクストステアを使っているわけではないってこと……?」


 攻略そのものは順調にも順調過ぎるペースであった。

 怪我や病気はなく、食料にも余裕があった。

 三十階を超え、四十、五十と突破していけそうであったが、そうはならなかった。

 すべてのダンジョンで気温、湿度、風景、酸素濃度、環境が激変する。それに対応できるだけの訓練をアイリは受けていなかったのだ。

 四十六階に続く扉を開いた瞬間、彼女のストレスは限界を超えた。

 その階層は悪臭漂うゴミの島が舞台だった。

 小蝿にカラス、ゴキブリなんかも大量に蠢いている。

 アイリは即座に扉を閉めて、大の字に寝転んだ。


「もうやだー! コーラが飲みたい! シュワシュワキンキンのコーラでギトギトの照り焼きバーガーと揚げたてフライドポテトを流し込みたいー!」


「アイリさーん、宮城と薫子の目が呆れてますよー」


「知るか! 勝手に呆れてろ!」


 テコでも動かないとはこのことだった。アイリは靴も服もぽいぽいと脱ぎ捨てた。


「こんなだっさい格好して汗だくになって、塩っ辛いスープや缶詰をご飯にして固いマットレスで寝てる生活、無理! もう無理! 無理無理無理! 無理!」


 手足をバタバタと振り回す。完璧な駄々っ子をやってのけた。


「元々やっすいアパートの万年床で寝起きしてるじゃないですか」


「おだまりなさい! とにかく、もう帰る! 私、帰る! 帰る~~!」


「いや、まあ、誰も反対してませんから……」


 そもそもリーダーはアイリなので、彼女が帰るという方針を決めたらミクも宮城も薫子も従うのであった。

 さて、アイリが真っ先に音を上げたが、四人全員、平等にストレスがかかっていた。他の三人も時間の問題であった。

 寝具と食事の質を向上させるというのは必須だった。

 第一次攻略――終了。

 日数・三日。

 四十五階まで突破。


 第二次攻略――開始。

 第一次攻略の問題点であった寝具と食事の質は薫子によって改善された。

 彼女はテントではなく、トレーラーハウスを召喚した。

 文字通り、トレーラーに乗せて運ぶことができる住居である。

 形状が縦長で、さほど防音やら気密性やらが優れているわけではないが、ふかふかのベッドにソファ、キッチンも備わっていた。

 アイリにはたまらなかった。

 玄関で迷彩服を脱ぎ散らかして下着になってベッドに飛び込んだ。


「うひゃあああ! 沈む沈むー、溺れちゃうー! きんもちいい!」


「アイリさーん、とう!」


「んげっ! ミク、おも……あんま重くないな。ちゃんと食ってんの? 暑いからどけい」


「殺生な~~」


 ミクを蹴り出したら毛布をかぶる。

 枕も柔らかくていい気分だった。


「平沢さーん、東京魔界にこんなのも売ってんのー?」


「なんでも売ってますよ。家や車は購入前に東京魔界でどんなものか試すのが一般的です。それで、こんなのは当たり前のことですが、服を脱ぎ散らかさないように!」


 薫子がアイリの迷彩服をベッドに投げてきた。


「おっ、ごめんねカーチャン。カーチャン、私のこと捨てたけどな。がはははっ!」


「アイリさん、誰も笑えませんからね、それ」


「知ってる。編入したときの自己紹介でみんな青ざめてたもん」


 こうやって軽口を叩けるほどにアイリはリラックスできた。

 食事もインスタントには変わりないが、多種多様な商品を用意していて飽きがない。炭酸コーラもついていた。

 薫子がなかなか苦労したそうである。


「メーカーから大量に取り寄せて吟味しましたからね。同僚たちにも協力してもらいました。塩分過多なんで、食べすぎないように」


「ほんとにカーチャンみたいだな。カーチャンがどんなもんか知らないけど」


 力の抜けたやり取りを重ねながら次々と四人は階層を突破する。

 四十六階のゴミ山ダンジョンも抜けて、五十階、六十階も突破した。

 しかし、そこから明確な敵が出没するようになった。

 それまでの階層に出てきたモンスターや獣も襲ってきたが、縄張りにやってきたよそものを排除しようとしただけだ。

 だが、六十一階からは純粋な殺意を向けられていた。

 極めつけは七十一階。森林のエルフ。

 彼らはアイリたちが足を踏み入れた瞬間、矢の雨を降らせてきた。

 反応できたのは唯一、薫子だけであった。


「トレーラーハウ――、間に合わない! アイリさん!」


「――あ、全員伏せ!」


 寸前のところでアイリは動き出すことができた。

 鼻先にまで迫っていた矢を払い除け、両手に銃を構えて空中の矢を撃ち落とす。

 刹那の早業であったが、まだ終わらない。

 続けて第二射が放たれた。


「やってられるか! 撤退撤退!」


 第二次攻略――終了。

 日数・七日。

 七十階まで突破。


 第三次攻略――の前に、作戦会議。

 七十一階のエルフのように、本気で殺す気でかかってこられたら敵わない。アイリだって不意打ちにはどうしようもないのだ。

 戦力の向上が必要。アイリが目星をつけたのは宮城だった。


「おっさんには、私と同じことができるようになってもらいます。ちょちょいと速くなるだけだから、すぐできるでしょ」


 ぶんぶんと宮城は首を振った。


「先に言っておくが、多分無理」


「無理だと思うから無理なんです」


「昔のブラック企業みたいなこと言ってんなこいつ……」


 結局どうだったかというと、できなかった。そもそも、アイリもなにをすれば速く動けるようになるのかわかっていないのだ。


「なんかこう、頭の中に階段みたいなのあるでしょ? それを登ってたら、勝手に……」


「お前がなに言ってるのか全然わからん」


 宮城も『頭の中にある階段』は認識しているようだが、自在に上り下りするというのはできないらしい。

 このままでは攻略失敗となる。

 無理強いさせられてるアイリにしたらそれはそれで構わなかったが、宮城はそういうわけでもないようだった。

 彼には娘がいた。


「いま十歳だ。親の贔屓目なしに可愛いだろ」


 入学式の写真を見せられた。世にも珍しい物理写真だ。

 言うだけあって可愛い。校門前で母親らしき人物と一緒にニコニコ笑っている。


「本当に可愛いわね。肌も綺麗で目もパッチリしてて、ぴしーって両足を揃えてるのとか、張り切ってるってのが伝わってくるわ」


「だろ? ふふっ、世界一だ」


「世界一かっていうと、まあ個人の見解ってところで……。睨まないでよ、おっさん」


 目つきが怖い。


「ふん、俺にとってこの子は世界一なんだよ」


「そりゃ疑ってないよ。でもさあ、これ私立の小学校だよね。お金かかるよ。そこのお父さんがなんでこんなアホな仕事してんの?」


「失職したからだよ」


 実によくある理由だった。

 ネクストステアの登場で日本どころか世界中に好景気が波及したが、だからといって全人類が上向きになったわけではない。どうしても流れから弾き飛ばされてしまうものもいる。


「なにしてたかは聞いても?」


「キックボクシングのコーチ。自分でも結構な名コーチだったと思うが、ネクストステアで練習したほうが効率がいいってわかってな、あっさりと契約打ち切りだ」


 ネクストステアが普及した要因は様々だ。値段や機能以外にも、未だ研究中だが脳波増幅がアルツハイマーや鬱病を改善するという仮説もあった。

 そして、身体機能の向上もきっかけの一つである。

 ゲーム内で身体を動かすと現実にも影響が出る。おかげでリハビリにもネクストステアは使用されており、スポーツでも有効活用されていた。

 東京魔界のスキルで動きを教え込ませて、現実に反映させる。この手法でスポーツ全体のレベルが向上した。

 同時に、コーチの存在意義はなくなってしまった。

 宮城はその煽りを受けた一人なのだった。


「ジム経営してた知り合いとちがって借金はないからまだマシだったが」


「ネクストステアで無職になってネクストステアで小銭稼ぎして、ネクストになって導太朗に雇われた……。んん?」


 首を傾げてしまう。

 ネクストになるまではよいとして、導太朗に雇われる理由がなかった。

 そのことを尋ねると、宮城はあっけらかんと答えた。


「親権取られたからだよ」


「あー、無職になったから離婚したってこと?」


「そんなところだ。シングルマザーでバリバリやってる。で、導太朗が、仕事を受けてくれたら定期的に会えるようにしてくれるっていうんでな。そらやるだろ」


 あとは、導太朗がネクストを増やしたくないという指針を持っているからだった。


「俺は消えてほしいが、管理されるっていうんでもかまわない。現状、撃っても違法にならない拳銃が空から降ってくるようなもんだ。頭のおかしなやつがネクストになって、娘が巻き込まれたらって想像すると、とても看過できない」


「確率的には低すぎる気がするけど……」


「たしかにな。それでも、唯一、俺ができることだ。父親としてできることを放棄したら、繋がりが消えてしまいそうだ」


 時折、宮城は一人でネクストステアで動画を見ている時があった。そのときだけは陰鬱な気配はなく、顔も綻んでいた。子どもの映像を眺めていたのだろう。

 微笑ましいのだが、アイリにはよくわからない。

 親子愛を描いたメディアは数あれど、捨て子であるということが楔となって、素直に受け止めることができないのだ。

 されど、宮城小一郎という男にとって、その関係が尊いものだというのは伝わった。


「そんなわけでミク、なんとかなったりしない? 導太朗はクソカス・ミソカス・カスカスカスだけど、宮城のおっさんは普通の父親だし、放置するのもかわいそうじゃん」


「……このまま攻略できなかったら兄様の狙いが崩れるんで私はありがたかったんですが」


「まあ、今回はクリアしないと私も日常生活を送れないってことで。案があるんでしょ?」


 ミクは迷いながらも肯定した。


「スキルを覚えてもらったらいいんです」


 ネクストは、東京魔界のスキルが現実で使えるようになったものたち。

 だったら、アイリのように速く動けるスキルを習得すればいい。


「でも、ゲームにそんなのなかったんじゃないの?」


「私をなんだと思ってんですか。作りゃあいいんですよ、作りゃあ。目の前にあなたっていうデータがあるんですから」


 現実でもゲーム内でも、アイリはミクの目の前で何度となくその速さを見せていた。

 ミクはそのデータを保存していたのだ。


「再現はできていました。あとはスキルとして実装するだけです」


 後日、宮城と薫子、ミクが持つ東京魔界のアカウントに新スキル『ゴッド・スピード・ユー』が実装された。

 練習に時間がかかったが、現実でも使用できることを確認して、攻略が再開される。


 第三次攻略――開始。

 スキル『ゴッド・スピード・ユー』によって攻略速度が格段に向上する。

 それまでの記録を遥かに更新し、一日足らずで七十階の出口に到着した。

 そして問題の七十一階。

 やはり足を踏み入れた瞬間に無数の矢が降り注いでくるが、四人は宙に浮いている矢の下をそそくさと駆け抜けた。

 その後は手分けしてエルフたちを倒していたのだが、そのさなかに宮城からアイリへ質問が飛んできた。


「お前さん、どうして普段はこれ使わないんだ? 副作用でもあるのか?」


「……気づいてない? この私達の会話以外、なんにも聞こえなくなってるの。あんたはいちいち、この一人ぼっちの世界に入りたい?」


「……あんまりいいものじゃあないな、これは」


 その後も順調なペースで進んでいった。

 七十二階、七十三階、七十四階、どの階層でも攻撃を受けるが、相手にはならなかった。

 そうして八十階、九十階を超え、九十九階に突入した。


   ○


 九十九階は人が作り出した地獄、戦場だった。

 モチーフは第二次世界大戦。

 これまで山火事、嵐の海上、濃霧、吊橋、ゾンビパンデミックの村なんてシチュエーションもあったがクリアしてきた。

 しかし、ここが最も苦労した。

 銃弾と砲弾が飛び交い、空からは爆弾が降り注ぐ。

 地面には無数の地雷。

 市街地エリアもあればジャングルや洞窟、軍事基地。

 それらすべてを探索していかなくてならなかった。


「クソクソクソクソクソクソゲー! ミクちゃんクソゲー開発者!」


「こんなとこ私が作ったんじゃないですってばー!」


 宮城と薫子も疲労困憊で愚痴をこぼす気力すらなかった。『ゴッド・スピード・ユー』を使用しても丸一日攻略に費やさなければいけなかった。

 最終的に、銀行の地下金庫の中で出口を発見。

 全員がヘトヘトになっていたのでその日はトレーラーハウスも出さずに寝ることとなった。

 翌日、アイリは鼻をくすぐる香りで目を覚ました。

 朧気なカンテラの明かりの下で、ミクが一人、コーヒーを飲んでいた。どこか物憂げな目で一〇〇階へ続く扉を見つめている。

 アイリは目をこすりながら声をかけた。


「おはよう……。他の二人は?」


「おはようございます。宮城と薫子はちょっと離れて食事を作ってます。アイリさん、起きる気配がなかったですから」


「気を使ってくれたの? 悪かったわね。私にもちょうだい、それ」


 アイリはコーヒーをもらい、暑さと苦さで頭を覚ましていった。

 彼女もまた、先程のミクのようにじっと一〇〇階へ続く扉を見つめる。その扉の先にはこの旅の終わりがあった。


「感慨深いものがあるわね。導太朗に無理やりやらされた仕事とはいえ、一ヶ月、ずっとこの塔にかかりっきりだったんだから」


「ええ、なんだかんだで楽しく……たのし……」


 くにゃりとミクの眉がひん曲がった。

 それを見てアイリの顔が綻んだ。


「楽しくはね―でしょ! あっははははは!」


「笑ってんじゃないですか」


「あんまりおかしなこと言うんだもん。最高、大爆笑」


 まだ熱が残っていたコーヒーを一息に飲み干し、アイリは大きく背伸びをした。


「ジープで跳ねられ、誘拐されて、ダッサイ迷彩服と長靴を履かされて、砂漠やジャングルや雪山に放り出される。楽しくはない。でも……、」


「でも?」


「思い出には残ったよ」


 そういうアイリの口元には穏やかな微笑みがあった。

 一ヶ月、強制的にやらされたものであるが、どこか寂しい気持ちもあるのは事実だった。

 少しして、薫子と宮城が朝食を持ってきた。

 残っていたベーコンとハム、チーズ、卵、キュウリとレタス、玉ねぎとトマトなどをトーストで挟んだ特大サンドイッチだった。


「でけえよ! 十センチくらいあるじゃん!」


「結構余りましたからね。最後の最後ですから、豪勢にさせてもらいました。さあ、お腹いっぱい食べて、最後の戦いに赴きましょう」


「俺もどうかと思ったんだが、若いしな。こんくらい平気だろ」


「絶対口の中パッサパサになるじゃん! ミク、コーヒーおかわり!」


「もう淹れてます。お腹タプタプになりますね、こりゃ」


 薫子特製の巨大サンドイッチ。

 アイリは顎が外れそうなほど口を開いてがぶりと食らいついた。

 他の三人は上のパンを外してちまちまと食べていた。


「育ちの良さを見せないでよ! 恥ずかしいでしょうが! 宮城のおっさんもおっさんなんだからもっとガブーっていきなさいよ!」


「おっさんだから大きく口を開くと顎が痛くなるんだよ」


「爺じゃん! パパじゃなくて祖父じゃん!」


「まだ三十代だ!」


 にぎやかなやり取りだが薫子もミクも聞き流している。

 毎度のことだった。

 食事が済んで、数十分ほどしてから四人は扉の前に並んだ。

 アイリがゆっくりと手を伸ばす。


「さあ、クリアして、帰って祝杯よ。最後のダンジョン、オープン――――っ!」


 とんっと柔らかに扉を押して、彼らは一〇〇階へと到達した。

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