第三話 いわゆる現代ダンジョンとおっさん
アイリは東京港区の街を歩いていた。
廃病院のゾンビ退治から三日が過ぎている。
この日も紺色のブレザーを着ていた。
年末が近づくと官民挙げての観光キャンペーンが行われるので、街は大勢の人で賑わっている。家族やカップル、地方や海外からの観光客でいっぱいだが、そのほぼ全員が翼型ヘッドフォンとゴーグル、ネクストステアを装着していた。
ネットから天気、気温、地図、渋滞や混雑の情報を取得しており、標識や看板の文字を翻訳している。VR機器であるがAR(拡張現実)にも対応している。
数年前までは考えられない光景だが、いまや当たり前になっている。
「つけてないの、もう老人くらいだもんね」
独り言をつぶやき、アイリは港区で最も知られた観光スポット、東京タワーに到着した。
観光客やカップルに混ざって突っ立っていると、正面から少女が走ってきた。
大海原ミクだ。彼女はアイリに向かって大きく手を振った。
「アイリさーん! お待たせしましたー! あなたのミクちゃんで――――イダダダダダダッ! なぜほっぺをつねるんですの!?」
「声がでかいから! 小学生か!」
「だって久々のデートですもの! 有頂天になるのも当然ですわ!」
今日が特別おかしいのではなく、アイリと初めて会ったときからミクはこんな調子だった。どうしてここまで好かれたのかはさっぱり不明だ。
「さっさと本題に入りなさい。帰るわよ、私」
「ああん、待って待って。言いますから、言いますから」
こほんっとミクは可愛らしい咳払いをした。
「本日、お呼びしたのは我々ネクストに関しての新情報があったからでございます。まあ、ちょっとやばいのを発見しちゃったんです……」
「なによ、神妙な顔して」
「これまでアイリさんと一緒にモンスター退治をしてましたわよね。廃墟に出てきたゲームの雑魚。一度倒せばしばらくは出てこないので、ことが公にならずに済んでいました。ところが、ここにきて新たな展開ですわ」
ミクが指をピンっと立てた。その先には東京タワーがある。
反射的にアイリも見上げて、数秒。
ザザッと、視界に砂嵐のようなものが走った。ネクストステアの接続が悪いのかと一旦、アイリはゴーグルを外した。
しかし、砂嵐はなおも走っている。
視界全体ではなく、東京タワーにだけ。
そうして数秒後、東京タワーに巨大な円塔がかぶさった。
「――――っ!」
アイリが目をこする。
そんなことをしても消えない。
円塔はそこに存在している。半透明になって、在り続けている。
周囲を見回すも、特に混乱しているものはいない。
偶然にもその場にいる全員のネクストステアが故障しているはずもないだろう。
この円塔を『認識』できているのはアイリと、冷や汗ダラダラで笑っているミクだけだ。
これですよと、ミクが言った。
「待ち合わせ場所をここに選んだのは、これを見てもらうためです。え、えへへへ、へへっ、どうしましょーか」
「……知らん!」
「殺生ですわ~!」
いまにも泣き出しそうな顔をされてはアイリも逃げられなかった。
○
アイリとミクは一旦ログインした。
VRゲーム、東京魔界。
全能の魔術師によって魔界と繋がった世界、その東京が舞台。といっても街並みは変わらない。しかし、ここではモンスターが湧き出るようになり、封鎖されてしまっていた。
プレイヤーは研究者や自殺志願者、逃亡者となって封鎖された東京にやってきたという設定だが、そんなあらすじからは想像できない熱気がここにはあった。
なぜなら、現実世界では『茜さす東京の空を舞台にした戦闘機とドラゴンのドッグファイト』なんてものは決して拝むことはできないからだ。
この日もゲーム世界には現実を超える数の人間が集まり、空の戦いに歓声を送っていた。
「参加したくなるわね、こうやって見てたら」
アイリもまた、地上の群衆に混ざってその戦いを見上げていた。
ゲームの中であっても彼女の姿は変わらない。
真っ赤な髪をポニーテールにし、紺色のブレザーに身を包んでいる。現実との差異はヘッドフォンとゴーグルがないだけだった。
当然ながらゲームのアバターは年齢も性別も体格も自在だ。
アイリもまた、自分がなれなかった女子高生の姿を選んだ。それがそのまま続いているのである。
ぼおっと眺めていたら、隣から話しかけてくるものがいた。
「なんなら飛び入り参加いたします? 体力にハンデはつきますが、大した問題ではありませんよ?」
声をかけてきたのはミク、そのアバターだ。
身長や顔立ちはリアルのままだが、服装は柿色の半纏と草履になっている。頭には白いネコ耳がついていて、腰からしっぽも伸びていた。
「アイリさんは、最近、東京魔界にログインしておりました?」
「週に一回くらいはカーレースやバトロワ系をやってたわ。空中戦が好きね。両腕にマシンガン構えて撃ちまくってたわ」
「……あ、アイリさんの動画、上がってますわね。被弾ゼロで連続優勝なんてすごいことしてますわね。ドラゴンも戦闘機もゼロ距離射撃でぶち倒すなんて、また酔狂なことを」
「生配信してたころは金稼ぎの定番だった。生身だと被弾箇所が小さいから避けやすいのよ。飛行スキルをつけてくれたあんたのおかげね」
「物理法則遵守とは言いますけど、ゲームですからね。飛行スキルをここまで習熟できたのも他にいないでしょうが」
「飛ぶのが好きだもの。使えるようになるまで苦労したし、愛着もひとしおよ」
アイリはネクストステアを購入して、すぐに飛行スキルを手に入れたわけではない。
従来のゲームと同様、資金を稼ぎ、レベルを上げなければならなかった。
休み時間でも仕事中でも東京魔界にログインして、資金を稼ぎ、スキルを取得。
そのスキルで高レベルのモンスターを退治して資金を稼ぎ、スキルを取得。
そのスキルでバトルロイヤルなどに出場して資金を稼ぎ、スキルを取得。
最終的に飛行能力を手にしたのは購入から半年後だった。
ちなみに、この間に仕事をやめて受験勉強を始めている。これもまた東京魔界で開講されている塾で、である。
「初めて空を飛んだときは感動したわ。現実のほうで飛んだときも、びびりはしたけど喜びが勝ったわ。通学にも使ってるし」
「気をつけてくださいよ。目撃されたのが一日だけだから都市伝説ですんでるんです」
「わかってる。私だって面倒事はごめんよ」
会話が終わると二人は移動する。
少しばかり歩いたところでアイリとミクは足を止め。目の前にそびえ立つものを見上げる。
二人がやってきたのは現実世界で東京タワーが存在する場所だが、この仮想世界にはその代わりに巨大な円塔がそびえ立っていた。
ミクの口からこの東京魔界の設定が改めて語られる。
「東京タワーの頂上で魔術師は魔界の門を開きますの。その影響で空間まるごと魔界と入れ替わってしまい、東京タワーは消えてしまいます。代わりに石造りの円塔『アポカリプス』がそびえ立つこととなったのです。私達が現実で見てしまったのと同じように」
ぞっとしない話ですと、最後にミクは付け足した。
円塔アポカリプスには大きな門があり、多くのプレイヤーが行き来していた。
格好は様々だ。
軍隊らしきものもいれば、侍や騎士、学ランを着た不良もいた。
こここそが東京魔界のメインコンテンツ。
中にはモンスターがうようよしているので、彼らを倒して資金とスキルを獲得するのである。
テクニックさえあれば元手がかからず、上層にいくほど効率もいいので初心者から上級者まで通い詰めている。
「ついにはこのアポカリプスまでもが現実にきたか。社長としては誇らしかったりする?」
「んなわけありません。私は理想のVRゲームを作りたかっただけです」
「そりゃそうか」
特に目新しい技術も使っていないのにこんなことになって、最も困っているのはミク自身だろう。
「とにかく、ことが公になって東京魔界がサービス終了なんてことになったら私も食い扶持がなくなる。協力はするけど、ここからなにするの」
「アイリさんにはボディガードを頼みます」
○
現実世界に戻り、再びアイリとミクは東京タワーの前にやってきていた。
一時間ほど経過してただいま夕方六時である。円塔アポカリプスは未だに消えていない。むしろ、その存在感は強くなっていた。
それでも、観光客や従業員の誰一人、気づいていない。
多分だけど――、と、前置きして、アイリが言った。
「ネクストだけが見えているのよね、これ」
「そのとおり。ずっとっていうわけじゃなくて、東京魔界への接続数が増えてきたら出てくるんですよね、これ」
ピークタイムということだ。未明にかけてこのアポカリプスは在り続けるのだろう。
「で、ここからどうすんの」
「中に入ります。ネクストステアを装着したまま、この門をくぐってください。アポカリプスの門を」
どういう光景が待っているのか、アイリは嫌々ながらもそこに存在するはずのない門に手を伸ばす。
とんっと感触があった。
さらにそのまま押すと、門がゆっくり開いていく。
「帰れるのよね、これ」
「もちろん。でないと私がここにいませんから」
「入ったの……。不用心な子……」
八割の恐怖、二割の好奇心のもと、アイリはミクとともにその門をくぐっていった。
中に広がっていたのは、鬱蒼とした森林だった。
日本に似つかわしくないジャングル。
虫や鳥の鳴き声が響き、眩しい木漏れ日が差している。
東京魔界のダンジョン、アポカリプスの一階と同じ光景だった。
アイリは適当な木々に触れる。
「温度がないわね。手触り、質感は本物と違いはない。スキルで出した銃と同じか」
がさがさと音がする。
アイリがその方向に目を向けると、緑の小人、ゴブリンが現れた。
棍棒を持って飛びかかってきた。
迷わず、アイリはピースメーカーで迎撃する。
「モンスターも出るのか、ここ」
「私が調査しましたところ、寸分違わず、ゲーム内と同じです」
「広さも?」
「はい。外観と矛盾しますが、どの階も半径数百メートルほどです」
「上もあるの……」
詳細を伝えられるほどにアイリは目眩を覚えていく。
なんだかわからないが、とてつもなくやばいことなのだというのは間違いなかった。
「ちょっと落ち着きたいから帰らない? 今日はすやすやお眠りしたいわ」
「お待ちを。予想通り、私の敵が待ち構えていました」
不意に、ミクはあらぬ方向を見た。
その視線の先には森が広がっているだけだったが、奥から一人の男がやってきた。
ぬうっと、暗い影を背負った男だった。
「……やってきたか、やってきたのかよ、お嬢様」
ジャージを着た中年だった。
白髪交じりのボサボサ頭に無精髭。ネクストステアを装着している。
垂れた両目には覇気がない。口元に咥えたタバコでさえもだらんとたれている。背は高いのにやや猫背な体型が陰鬱な気配を醸し出していた。
一見、街中にいくらでもいそうな男だが、ミクはそそくさと物陰に隠れてしまった。そこから話しかけていく。
「やはり、ここで待ち伏せしてましたか。お暇なんですわね、宮城小一郎」
「まあ、そういうことにしておこうか。ここも悪くないぞ。タバコも吸えるからな」
宮城はタバコを咥えたまま、じろりとアイリに目を向ける。
「お前さんは、大海原のお友達か」
「友達兼バイト。現実に湧き出したゾンビとか倒して、この子から給料をもらってる」
アイリは目を離さずにミクに尋ねた。
「ミク、ボディガードってのはこれ?」
「はい。彼は私を捕まえようとしています。守ってくださいませ」
「ふーん……。おっさん、あんたはなんで――」
その動機を聞く前に宮城が距離を詰めてきた。
背筋をシャンと伸ばして歩いてくる。その姿を見た瞬間、アイリに戦慄が走った。
――ガチじゃん、この人。
宮城がタバコをふっと吐き捨てた瞬間、弧を描くハイキックが襲ってきた。
「ぬあっ!」
アイリは寸前でガードしたが、こらえきれずに尻餅をついてしまう。
宮城はため息を付きながら彼女を見下ろしていた。
「ショックだぜ、こんな子どもに防がれるなんて」
「これでもキックボクシングのスキルはカンストしてるんでね!」
アイリは起き上がりざまに蹴りを放った。宮城は後ろに下がって避けた。
距離を詰め、アイリは左ミドルを放った。
渾身の技であったが、宮城はしっかり自分の腕でガードした。アイリと違って、細い身体が一本の大樹のようにびくともしなかった。
宮城は顔色一つ変えず、拳を打ってきた。
なんの変哲もないストレートが、吸い込まれるようにアイリのみぞおちに入った。
「――ゲハッ! ハッ、ハッ……」
アイリは腹を押さえて呻いた。
宮城は急がず、じっくりとアイリを覗き込んでくる。陰鬱そのもので頭から押さえつけられている気分だった。
「もういいかい、お嬢さん。邪魔、しないでくれるかい?」
「――嫌だね」
呼吸を整えてアイリは起き上がった。痛みはまだ残っている。
「強いわね、おっさん。ゲームの上手さじゃない。現実で喧嘩なり格闘技なりをやってる強さだ。こら敵わないや」
アイリは両手をだらんと下ろしてその場で軽くステップを踏む。
「あなたも知ってるんでしょうね。ゲームスキルで技を覚えても完璧じゃない。ボクシングスキルを使っているときはボクシングしかできないし、柔道スキル使ってるときは柔道しかできない。そこを突かれるとぶっちゃけ弱い」
「加えて、リズムが一定だ。結局、現実での経験が物を言う」
「実にそのとおり。だけど、私はネクストよ?」
アイリが両手を上げて拳を握りしめた。
その直後――、パンっと音がして、宮城が背後に倒れていた。
左ジャブ。
アイリはボクシングの最も基本的な技を使った。
ただし、彼女の左ジャブは音よりも速かった。
宮城が困惑しながらも起き上がる。
「なにをした……、お前……」
「左ジャブ。見えなかったかな。それでは、ちょーっとだけスローにしてみよう」
再び左ジャブ。
今度は宮城もガードするが、顔が引きつっている。
にやりとアイリは笑った。
左ジャブ。左ジャブ。左ジャブ。
まっすぐ打ち続ける。
単純に、機械のように連打する。
これを宮城は両手で顔を覆って防いでいく。
アイリのジャブにそのガードをこじ開けるパワーはない。
単純に、速すぎるだけだった。
「どうしたの。亀のように閉じこもってるだけではクソガキを制することができないわよ。うふふっ、ほほほほっ」
「舐めた口をきくんじゃない」
宮城がガードを解いた。左ジャブを受けながら飛び込んでくる。
レスリングのタックルだ。
綺麗で素早い動きだった。これも現実で練習してきたのだろうが、アイリはすたすたと後ろに下がってかわした。
アイリはふうっとため息をつく。
「どうします? まだやります?」
「やってやるぞ、クソガキめ」
宮城は拳を振るった。
ジャブ、フック。アッパー。
蹴りも使った。
ローキック、ミドルキック、ハイキック。前蹴り。
動きが見えづらく、リズムが独特だ。一発でも当たればアイリは動けなくなるだろう。
だが、アイリには届かない。
彼女はこれみよがしにあくびをしながら防ぎ続けた。
優しく、宮城が怪我をしないように防ぎ続けた。
拳も蹴りも、そぉっと掌で包み込んでいった。
「なんなんだこれは。ネクストはゲームのスキルを使えるようになった連中のことだろう。こんなスキルはない。大海原がチートスキルでも作ったのか」
「ちがうわよ。ところで、おっさん」
アイリは宮城の正拳を避けながら尋ねた。
「これゲームじゃないんですよ」
パンっと、再びアイリの左ジャブが宮城の顔面に入った。
二度目のダウンを喫した宮城は、もう起き上がろうとしなかった。失神したのではなく、見るからにやる気が失せていた。
「勝てない。スピードがちがう。人間の出せる動きじゃあない」
「ネクストって空を飛べるんだもの。ちょびっと速くなることくらい、なんてことないわ」
宮城は寝転がったままアイリの背後、物陰に隠れているミクに目を向けた。
「そうなのか、大海原」
ミクは首を振って否定した。
「こんなことできるのは彼女だけですわ。ゲームスキルに、人間以上の速度を出すなんてものはありません。これもあって、彼女にバイトを頼んでるんです」
「……ネクストか、本当に」
「そんなこと言われても、できるもんはできるのよ」
少しして、宮城は鼻血を拭いて身体を起こす。
その場であぐらをかいて、タバコを新たに一本、咥えた。噛みしめるようにタバコを味わっている。演技ではなく、もうやる気はない。
じっとアイリは彼を見つめる。
「なんでミクを捕まえたかったの?」
「俺は仕事を頼まれただけだが、理由は少し考えればわかるだろ」
彼が言ったものは、実に単純なものだった。
「ネクストを放置するわけにいかないからだよ」
ぴくりとアイリの眉根が動いた。
ミクに顔を向ける。彼女は別段、驚いている様子はなかった。
紫煙を燻らせて宮城は続けた。
「ネクストは警察じゃあ捕まえられない。法律では裁けない。なにより、世界の構造を破壊しかねない。消えてほしいね、少なくとも、俺は」
「ミクを捕まえて東京魔界をサービス中止にするつもり? そうなったら、影響は出るかもだけど……」
ゲームをやっていたらアイリはネクストになった。
サービス終了となれば新たなネクストが生まれなくなるという可能性はある。いささか手段が乱暴にすぎるが。
タバコの火を消し、宮城はゆっくり立ち上がった。
「じゃ、俺は帰るわ。また今度な」
「定番のセリフだと、生かして帰すか~ってところだけど。ミク、どうする?」
「捕らえて尋問とか拷問とか嫌ですわよ」
「じゃあ、金を出して雇うとかは?」
ミクはこれにも首を振って否定した。
「その提案、彼と出会ったときにしましたけど、断られましたわ」
「仕方ないだろ。俺は、ネクストばかりの世界は嫌だからな」
ひらひらと手を振って、宮城はアポカリプスから出ていった。
二人だけになって、やや沈黙が流れる。
アイリは拳を食らったみぞおちを撫でた。
「ミク、あんたが私をここに連れてきた理由、よーくわかったわ。そりゃ私の手助けもほしいでしょ。宮城のおっさん、強いもん」
「ですよね。それでもアイリさんが勝ちますけど」
「でも、私だって不意をつかれたらやられるわ。ミク――」
突然、アイリはミクの胸ぐらをつかんだ。
ミクに戸惑いはなく、申し訳無さそうな苦笑いを浮かべた。
「あはは……、やっぱり怒ってます? あの、謝ります。宮城と戦わせたことは」
「そうね。宮城のおっさんも、私を絶対に殺すって気持ちはなかったけど、大怪我をさせても構わないくらいの勢いだった。私と同じようなことができたら、本気の殺し合いに発展してたかもしれない。でもね、そうじゃあない。それっぽっちの小さなことじゃあないの」
「じゃあ、あの、なにを……?」
「私を舐めやがったことよ。正座ぁ――!」
ミクは地面にめり込みそうな勢いで正座をした。
アイリは怒っていた。
すぅ~、はぁ~っと深呼吸をするが、コメカミがヒクヒクと痙攣していた。怒りが高まりすぎているからか汗も浮き出ていた。
「ミク、私は孤児院の先生から丁寧に教えられたことがあるわ。誠実さよ」
「誠実さ……ですか」
背中を丸め、上目遣いでミクはアイリを見上げた。
「あんたを取り巻く状況はとても信じられない。でもね、信じてもらえないから秘密にしているのと、信じてもらえないけど打ち明けるってのじゃあね、天と地ほどの差があるの」
「それは、あの、正直に話せば、絶対にきてくれないって思って」
「そうね。アポカリプスに生身で入れるなんて聞いて、呆れて帰るかもしれない。宮城のおっさんのこととか信じなかったかもしんない。でもね、だからって不義理をかまされて怒らないわけがないでしょう」
「…………」
「そういうのをね、不誠実っていうのよ」
反論はなかった。ミクは正座をしたまま、静かに頭を下げる。
「返す言葉もございません。誠に、申し訳ございませんでした」
「そこで素直に謝るんだから、あんたの親や祖父はいい人なんだろうね」
どかりと、アイリもその場に座ってミクと目を合わせた。アイリの表情はすでに穏やかなものになっていた。
「で、どうなの?」
「どう、とは?」
「あんたを取り巻く状況よ。これまでは現実に出てきたモンスターの駆除だったけど、今日からは人間の相手も勘案しなきゃならんのでしょ。詳しく話しなさい」
「続けるって選択肢、あるんですか?」
不思議そうにミクが尋ねてきた。
アイリの眉間にシワが寄った。
「そりゃあるわよ。東京魔界がなくなったら私の食い扶持がなくなるんだから。それに、そんな捨て犬みたいな顔されたらほっとけないでしょうが。本当に高一なの? 小学生くらいにしかおもえな――」
「ワンワンワーン!」
「抱きつくな吠えるな押し倒すな! 前々から疑問だったけど、なんでそんな懐いてんの!」
「これで懐かないものがおりますか! かっこよすぎですわよ、アイリさん! ワンワン!」
「いいから離れなさい!」
頭をぶっ叩いてもミクは離れようとはしなかった。