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天使アイリの旅路・はじまり  作者: さざんか
終章
17/17

ネクスト

 月、そこは漆黒の荒野。

 生命の存在が許されない黒と白の星。

 そこを一人の女が歩いていた。

 ウェーブがかかった黒髪と儚いほどに白い肌が特徴的。可愛らしい柔和な顔立ちをしていた。

 彼女は厚手のジャージ姿で足元はただのスニーカーだった。ネクストステアを装着していて、自分の周囲に透明な膜を作り、そのなかで呼吸をしている。

 やがて彼女は一本の旗の前に到着する。ぽつんと淋しげに立っているただの旗だが、分厚い強化ガラスで囲われていた。

 そうやって守るだけの価値がある旗だ。なにせ、人類が初めて月へ到達した証なのだから。

 女は旗のそばで、虚空に向かって手を振った


「月面放送局、レポーターの柳下ほたるです。私はいま月の表にきています。地球の人、火星の人、見てらっしゃいますか」


 ぽんっと、彼女の目の前に複数のウィンドウが出現。言語別のコメントで入り乱れている。


「西暦一九六九年、ニール・アームストロング船長が初めて月面着陸しました。それから一世紀以上が過ぎたいま、このように、なんでもない私が散歩気分で月を歩くことができるようになりました」


 柳下は感慨深く語っていく。


「天使アイリと大海原ミク。彼女たちの戦いのあと人類のネクスト化は急速に拡大していきました。その影響で世界は混乱し、多くの地域で政変、内乱が勃発。戦争も起こりました」


 十二月二十四日、クリスマスイブに世界は終わった。

 決してその次の日から暴動が発生したわけではないが、徐々に、徐々に、崩れていった。なにせ、世界のバランスの一端を担っていた『軍事力』というものが、ゴミクズになったのだ。

 戦闘機、戦車、戦艦、はては『核』までもがホコリを払うように蹴散らされたのだ。

 そうして、それまで虐げられていたものたちが力を得たことで、争いが世界中で起こった。

 革命、クーデター、独立……。

 日本もアメリカもロシアも中国もヨーロッパも、例外はなかった。自然も都市も区別なく破壊されてしまった。

 じきに地上は死と破壊で満たされると誰もが危惧した。

 ところが、長くは続かなかった。


「命の危機が迫ったとき、やはり、人は願いました。アークエンジェル、助けてと」


 そしたら、現れた。

 幻人のAAと天使アイリ。さらには大海原ミクが率いる天照も救助活動を行った。

 戦は続くも、肥大化することもなく摘み取られていった。

 そうしていったある日、誰かがふとつぶやいた。


 ――そうだ、月へ行こう。


「一人、また一人と、月と火星の開拓、調査を宣言しました。人手を募集しましたら、混乱があっという間に沈静化したのは懐かしいですね」


 現在、月と火星には一億を超える人が暮らしている。

 宇宙に建設したコロニーで生活するグループや、外宇宙探索に出発した冒険者たちもいた。

 たった一年でこれだ。将来的に地球の人口はますます減っていくだろう。


「天使アイリ、彼女には功罪があります。地球環境は劇的に回復するようになり、宇宙開拓時代を開きましたが、人類の進むべきだった歴史をも歪めてしまいました。

 ですが、決断をさせたのは、紛れもなく私達でありました。彼女が神か悪魔なのかは後世の人々が判断するでしょうが、我々が悪魔だったのは言うまでもありません」


 柳下は断言した。そこには自分自身への怒りもあった。

 最後に、彼女は遠く地平線の彼方から昇ってくる地球を見つめ、言葉を贈った。


「私事ですが、この場を借りて祝福を。天使アイリさん、ご卒業、おめでとうございます」


   ○


 一月が半ばを過ぎたころ、エヴェリ女学院の卒業式はつつがなく執り行われた。

 以前のように大勢の来賓が並ぶことはない。

 教師も校長と他に数人。卒業生もたかだか数十人という小規模なものであった。

 それでも天使アイリは生徒の一人として祝福され、本日、卒業した。


「私、おめでとう!」


 式のあと、彼女はエヴェリ女学院の屋上に立っていた。

 ネクストステアで柳下ほたるの放送を聞きながら、東京を見渡していた。

 かつての混雑、賑わいはなかった。

 発展もなかった。

 この東京も戦火を逃れることはできず、あちこちで戦闘が繰り広げられた。

 まさしく『東京魔界』となったのだ。

 攻撃を受けて多くの高層ビルやテナントが破壊され、撤去されている。静かな風がのんびりと吹くようになった。

 大きく背伸びをし、アイリは透き通った青空を見上げる。

 彼女の目には成層圏に届く軌道エレベーターが見えていた。


「すっかり、寂しくなっちゃった。様変わりしたもんだね」


 彼女が声をかけたのは、屋上の入り口に立っている女だった。

 ほんの少しだけ背が伸びた大海原ミクである。関係者として式に参列していた。セーラー服を着ている。


「我々がこの都市を変えてしまったんですよ。顔見知りも減ってしまいました」


「たくさん月や火星にいったしね。この学校もなくなるかなと思ってたけど……、あんたが買い上げるとは。なにからなにまで世話になったわ」


「このくらいのことはしますよ。慈善事業みたいなもんですし」


 エヴェリ女学院は私立であったが、この世界の変化の煽りを受けて法人は解散した。そこでミクが学校は大事だと天陽で丸ごと買い上げたのだ。小学校と幼稚園も経営している。


「天陽もデカくなりすぎましたね。学校法人、農園、運輸、インフラ整備にも手を伸ばしてます」


「通貨に東京魔界のクレジットがあんだから、金融もでしょ。大変ね」


「実家のツテを使って人を集めましたからね。顧問として兄様も雇いましたので、そこらは楽だったんですが」


「元凶だし、そんくらいこき使っても全然足りないでしょ」


 とっくにミクも天陽は導太朗に任せて、ネクスト派遣の天照に集中している。そちらも、ネクストがここまで宇宙に飛び出していったらほとんど仕事はなかった。

 アイリがふと空を見上げると、を女が一人飛んでいった。アイリと同じ顔、同じ制服を着ている。AAだ。彼女はあいも変わらず世界中で人助けを繰り返している。


「あいつ、私が死んだあとも残ってるかな」


「残ってるでしょうね。いまじゃあアイリさんとAA、別物として見られていますから。どっかじゃあ神社ができてるそうですよ」


「そりゃすごいね……。頑張れよー」


 アイリはAAに向かって大きく手を振った。


 二人が学院から出ようとすると、校門前で一人の女が白いリムジンとともに待っていた。

 黒を基調としたメイド服を着込んでいる。平沢薫子であった。

 彼女は恭しく頭を下げる。


「アイリ様、ご卒業おめでとうございます」


「どーも。でもどうしたの。薫子さん、導太朗につきっきりで仕事してるじゃん。今日は有給でもとったの?」


「いいえ。本日もお仕事です。どうぞ、お乗りください」


 薫子がドアを開けるが、アイリは首筋にざわざわと鳥肌が立った。


「嫌な予感がしてきた。ミク、空飛んで帰ろう――か?」


 がしっと、そのミクに肩を掴まれた。


「アイリさん、すいません。卒業式の当日ですが、緊急の問題が発生しましたのでお付き合いください」


 ぐっとアイリが背中を押されると、彼女は一瞬もしないうちにリムジンの中に放り込まれていた。


「距離を改変してやがったな……!」


「そのとおりです、ごめんなさいね」


 ミクも乗り込んできて、ドアがすぐさま閉められた。

 ロックが掛かっていようが、アイリにはなんの問題でもなかったが、飛び出したところで追われるだけだ。

 彼女らがこうしたのも事情があってのこと。

 その事情は、目の前に座るスーツ姿の男、大海原導太朗が語ってくれるだろう。

 彼はまず、祝福した。


「卒業おめでとう、アイリくん。さて、これからは社会人の時間だぞ」


「モラトリアムをよこせ」


「あいにく、そんなものはない。困ったことに、本物の緊急事態だ。君という我々の最高戦力を用いて挑まなければならない」


「そんなことを言われるとますます逃げ出したくなるんだよ」


 車がゆっくりと走り出す。

 交通量も少なくなって、車道を悠々と走ることができる。道路の整備は半ば放置され気味であるが、運転している薫子が損傷を見つけるたびにペタリペタリと修繕していくので揺れることもなかった。


「それで、なにがあったの?」


「では語ろう。いま、我々を取り巻く状況について」


 導太朗がすっとネクストステアを取り出し、装着。

 すると、アイリの目の前にウィンドウが表示された。

 小惑星が映っている。美しさは欠片もない無骨な土塊。大きさは、途方も無いようだ。月とほぼ同質量と記されてある。


「これがなに? どうしたの?」


「人工衛星の観測チームが、この小惑星が地球への衝突コースに乗っていると解明した」


 アイリは耳を疑った。

 隣のミクに目を向けると、彼女も小さく頷いた。


「私も詳しくないけど、太陽系にはアステロイドベルトだかなんだかがあって、隕石を防いでるとかじゃなかった?」


「質量が巨大すぎて、むしろそれらを引き寄せながら地球にぶつかるんです。絶望的な気分になりますけど、困ったことに、これ序の口なんですよ」


「序の口?」


「月の洞窟で遺体を発見しました。幻人でなく、本物です」


 ウィンドウの画像が切り替わる。ドーム型の洞窟で、人工的に造られたであろう台座の上で手を組んだ若い女性が一糸まとわぬ姿で横になっている。

 これだけでも十分な異常だが、その女性は巨人だった。

 調査に同行していたのか、アビゲイルがカウガール姿で一緒に映っている。彼女の背丈が巨人の足裏ほどもなかった。髪の毛は注連縄に近い太さだ。


「そうして次は火星なんだが、」


「待って待って待って。送ってくんな、頭が壊れる。情報過多で鼻血が出る」


「地下に眠っていた氷を溶かしたら、文字を記した石版が見つかったのだ。月の巨人も隕石もとんでもないが、天使アイリ、これを見たときは絶対に君を連れ出してこないといけないと確信したよ。」


 白い石版の画像が送られてくる。

 記されたメッセージは、訳す必要がなかった。

 そこに書かれていたのは、日本語だった。

 内容はシンプルだった。


『未来へようこそ、天使アイリ』


 ぶばっと、アイリは鼻血を出した。


「鼻血が本当に出ちまった! なんなのこれ、なんなのこれ! なんで私の名前が火星の石版なんてもんに書かれているのよ! 誰かのイタズラでしょこんなの!」


「残念ながらそれはない。年代測定を様々な手法で行ったが、相当古い時代に作られたものだと判明している」


「相当って、どんくらいよ」


「五十億年前」


「……地球がまだ誕生してないでしょうが!」


 動転しすぎていつまでも鼻血が出続けていた。ミクに渡されたティッシュを鼻に詰め、アイリは頭を抱えてしまう。

 異様、異様、異様。

 常に宇宙は観測されており、月と火星は有人無人を問わず調査され続けてきた。

 月の地下洞窟は発見されていなかったとしても、火星の氷は数十年前には見つかっていた。氷の中身も調査されていた。なのに、石版の存在が判明しなかった。


「国家が秘密にしていたとかではないのよね」


 アイリは導太朗に尋ねたが、ちがうと言った。


「アメリカにも日本にも、中国にも、そんなおもしろいものを秘密にする動機がないさ。予算大増額キャンペーンが始まるんだぞ」


「じゃあ隠されていたってことよね。どうやって――って、一つしかないわね」


 隠してきた力を、アイリはよく知っている。


「『天使』化したら、できる。石版も巨人も隕石も見つからないよう、現実を『改変』したらいいだけだもん」


 やろうと思えばアイリにも同じことはできるだろう。

 ミクもうなずいた。


「何者かはわかりませんが、彼らは私たちがこの力を手にするまで『宇宙』を隠していたんです。巨大隕石といった脅威からも守っていたのかもしれません」


「めちゃくちゃだ……」


 話をしている間にリムジンが止まった。

 外に出てみると、目の前に軌道エレベーターが立っていた。食料品など物資の輸送だけはネクスト個人では限界があるのでひっきりなしに稼働している。

 アイリはリムジンから出てきた導太朗たちに尋ねた。


「このまま、月か火星かへ連行するつもり?」


「協力してもらいたいのさ」


「そのとおりです。ですが、無理強いはしません。というか、できません」


「だから我々兄妹がするのは、お願いだ」


 ミクと導太朗は、アイリの前に立って頭を下げた。


「新しい未来のために協力してください」


 二人は声を揃えて言った。

 ぐにゃりとアイリの眉毛がひん曲がった。

 困る。これには困る。

 二人の目には打算がなかった。

 ひたすらに懇願し、アイリの心にとんとんとノックをする。

 報酬も取引も脅しも持ちかけてこずに真摯に語りかけてくる。

 それが一番効いてしまう。


「あんたら兄妹、手に負えないわね……。ん~~~~っ!」


 アイリはうなりながら頭をガシガシ掻いた。


「わーかったわよ! やる! やってあげる! 一緒に月でも火星で外宇宙にでもいってやるわよ!」


 もうやけくそである。

 どのみち、断ったところで太陽系から出ない限りは一連の問題から逃れることは不可能である。

 やるしかないのだ。

 やるしかないのだが、


「まっ、以前のようになし崩しに協力させてきたわけじゃないからね。説明してお願いするの、大事、とても大事よ」


「感謝します、アイリさん。では――」


「我々を月に連れていってくれ」


 二人が手を伸ばしてきた。


「あんたら自分で飛んでいけるでしょうが! というかここに来る必要もなかったでしょ!」


 まあまあと、リムジンから出てきた薫子も手を伸ばしてきた。


「アイリ様に断られたら、ここから登っていく手はずだったのですよ」


「応じたんだから四人並んでいけばいいじゃない」


「ここは先頭に立つのが天使アイリだというのを示すためにも、引っ張ってもらいたいのですよ。というわけで、私もお願いいたします」


「私の腕は二本! ミクは背中!」


「はーい」


 いつかのようにミクはアイリの背中におぶさった。

 右手に導太朗、左手に薫子の手を握り、月に向かって唱えた。


「トゥモロー・イズ・イン・マイ・ハンド」


 アイリの頭から白い光が放出される。

 その『天使の翼』が現れると、四人を透明な膜が包み込んだ。

 そのままふわりと四人は浮かび上がり、空へと舞い上がった。

 

 天使アイリ――。

 ただ一人、天才だったというだけで世界を作り変えてしまった女。

 この先も多くの困難が彼女に理不尽に襲いかかってくるだろう。

 愚痴をこぼし、運命を呪う。

 それでも彼女は一人ではない。


 大海原導太朗は、これからは助けてくれるだろう。

 平沢薫子も同様だ。

 ゴールド・アビゲイルも、いまなおアイリをボスと慕ってくれている。

 いまは疎遠となっている宮城小一郎も、助けを望めば応じてくれる。

 そして――、背中の大海原ミクは、永遠に隣に在り続ける。


 天使アイリと彼女の仲間たちは、ずっとその先の未来にまで飛んでいくことができるだろう。

一応これで完結です

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