ショートストーリー3明け方の夢は疑ってはならない
ショートストーリー3明け方の夢は疑ってはならない
天正9年6月28日岐阜城下
「初!こっちや」
本町の提灯屋の入口から、仁吉が手招きする。11才の初は笑顔で提灯屋に飛び込む。7日程前、姉や妹の目を盗み城下に抜け出した。川で遊ぶ内に草履が川に流れた。どこからともなく現れた少年が、ザブザブ川に入って拾い上げてくれた。
「おまえ。お館の子か?」
「なんでわかる?」
「着とるもんが違う」
「そか!初や。草履助かったわ」
「仁吉や。ひとりで川来るのは馬鹿や。こんど来るんなら本町の提灯屋に来い。一緒に行ったるわ」
約束通り仁吉は待っていた。
「初。お館をそうそう抜けて良んか?」
「仁吉に会いとうなったんや」
仁吉は戸の影に初を引っ張る。
「初姫様!初姫様!」
提灯屋の前を侍女が通り過ぎる。
「初は信忠様の姫か?」
「違う。父上様は小谷で死んだ」
「浅井の姫か。駄目こと聞いた。ごめんな」
「良い(ええ)のや。父上様は立派に逝かれたのや。誉れや」
「川行くか?」
「うん。行こ!」
ハッ?
小谷長正は目を覚ました。手探りでスマホを探して、液晶を点灯させる。
2021 6 28 4:38
蜂窩織炎の右足が浮腫んで痛む。
4人部屋の病室で、85才の松並さんは(ビニール袋に着替えと電気シェーバーを詰め込む)ガサゴソと言う音を立てている。間もなくナースコールして、¨帰る¨と連呼し始める。この時間の儀式だ。
看護師の井口吉子さんが収めに来る。
「まだ4時やで。暗いで。寝とって。暗いと帰れんやろ?」
「暗いか?」
「暗いよ?」
「…暗いと。帰れんわな」
「帰れんで。寝とって」
「ほうか?なら寝るわ」
数秒後にイビキがして儀式は終了する。
吉子さんは、長正のベッドのカーテンから顔を出す。小声で言う。
¨小谷さん…ごめんなさいね¨
長正は頷いて返す。
8時の病院食が終わって、パソコンを載せた台車を押して吉子さんが来た。
「小谷さん?」
「はい」
と言うとカーテンが開く。
「検温と血圧はからせて下さい」
体温計を左脇にはさみ、血圧測定の布風船を右腕に巻く。
「あれから眠れました?」
「まぁ眠れました。その前に…変な夢見て目が覚めたんです」
「どんな?」
「岐阜城が有って。僕はお館から抜け出したお姫様なんです。名前が有って初って呼ばれて、仁吉って男の子と多分…長良川で遊ぶんです。それがリアルなんです」
吉子さんは戸惑った顔をした。
「どうかしました?変な夢でしょ?」
「その……待ち合わせ場所は尾関提灯の入口?」
吉子さんはまじまじと長正を見た。
「いや…本町の提灯屋の入口です」
「私。初って女の子に仁吉って呼ばれる夢を見るんです。小谷さんが入院してから」
「お姫様の初が僕で、男の子の仁吉が吉子さんですか?男女入れ替わりですね」
長正は笑った。吉子さんも笑う。
その日から二人とも、同じ内容の夢を見るようになった。男女入れ替わりで。
ググると。天正2年9月29日にお市の方の3姉妹の次女初が岐阜城に転居し、10年後に柴田勝家の越前北ノ庄城に移る。1570年産まれなので、岐阜を去ったのは12才…小学校高学年。夢の初はそれくらい。岐阜城の麓の住まいから抜け出して、地元の男の子と仲良くなる可能性は無くもない。
1ヶ月後。
長正は退院の日を迎えた。吉子さんとは初と仁吉で毎晩デートしているも同然の日々だった。
手の開いている看護師さんやリハビリの先生が見送ってくれた。吉子さんは忙しくて見送りに来ていなかった。
タクシーに乗り込む。
「どこに行きます?」
年配の運転手が笑顔で言う。
自宅の住所を言いかけて、思い直した。
「岐阜城の岐阜公園にお願いします」
岐阜公園の駐車場で降りて、本町に向かって歩く。本町の道沿いの民家の軒先に、尾関提灯が下がっている。
1580年前後に初姫と仁吉が現実に待ち合わせをしていたのか?それとも幻影なのか?
不意に。
当たりが揺らめき出した。街並みもアスファルトの道路も歪んで行く。
それが元に戻ると、土埃の道に馬車が動いている。振り替えると提灯屋の前だ。
長正は初になっていた。仁吉が目の前に居る。
「お母上様が、柴田様に嫁がれるので。初も越前に行かねばならん」
「初。越前は寒いと聞く。風邪を引くな」
「仁吉にはもう会えんな」
「いや。越前の城を抜ければ会える」
「抜ければ。仁吉は待っているか?」
「この提灯屋で待っていよう。産まれ変わっても。初も産まれ変わっても来るか?」
「産まれ変わっても来る。仁吉約束や」
「約束やな。産まれ変わって会うなら、嫁に来い。子を沢山産んで川で遊ぼう」
「そうする。それまでの別れなら寂しくないわ」
初は笑顔で仁吉に背を向ける。
また街が揺らめき、歪みはじめた。
歪みが戻る。
アスファルトの道路が戻って来た。
涙が流れているのに気付く。
目の前に白いワゴンRが急停車する。
吉子さんが、涙を流して降りて来た。立ち尽くして言う。
「約束やな」
長正は泣きながら笑顔で答える。
「約束や」
ショートストーリー3明け方の夢は疑ってはならない
2021年6月29日
武上 渓