悪女と王子の契約結婚
「ねえ見て。すごく綺麗な子」
「本当。あんな子もいるのね」
着飾った女性たちがざわつく中を、私は優美な笑みを浮かべて歩く。
「王子はきっとあの子をお選びになるわね」
「悔しいけど敵わないわ。見て、あの美貌」
そうでしょうとも! そのとおりよ! 心の中で高笑いするも決して表情には出さない。あくまで優雅に微笑むこと。それが淑女の鉄則である。
ここは王宮。今夜は第一王子主催の舞踏会が開かれているのだ。
「確かに綺麗だけど……人間離れした美貌よね」
やっかみ混じりの声が聞こえた。
だけど、そりゃそうよ。だって私、悪魔だもの!
今は魔法で人間の姿に変えている。背中の中ほどまで流れるような蜂蜜色の髪に、翡翠のような大きな緑の目。透き通るような白い肌。
そりゃあ、こんな美しい人間はいないと思う。だって作り物だから。
この美貌で、今夜は絶対に第一王子を攻略するのだ。そして、いずれ国を乗っ取る! ――できればだけどね。いや本当に、できればの話よ?
「お嬢さん」
呼ばれて振り返ると、礼装姿の男性が立っていた。目元に仮面をつけていて、顔はよくわからないけれど王族だ。匂いでわかる。
でも若いから国王じゃない。もしかして――。
「ひょっとして第一王子のクレハ様ですか?」
もしかして、もう当たりを引いちゃったのかしら?
「ええ、そうですよ」
仮面の下で端整な口元が微笑む。何、これ。私の人生で、こんな幸運初めてだわ。
「お美しいお嬢さん。今宵は私と過ごしませんか」
いきなりのお誘い。これはもう乗らないわけにいかないでしょ。
「喜んで」
淑女らしく、うつむきがちに頷いた。
案内された先は塔の最上階にある小部屋だった。
なぜこんな場所に? 自室じゃないの? ちょっと特殊なフェチでも持っているのかしら?
「入って」
第一王子の後をついて室内へ入る。部屋は狭いし、埃っぽい。
うわあ、と思わず顔をしかめたけれど、第一王子はずっと優しく微笑んでいる。いい人そう。ちょっと胸が痛んだ。
小部屋の中ほどまで進んだ時、突然雷が落ちたような激しい音がした。目の前が光ってまぶしい。何も見えない。なんで? 何もなかったのに? と思ったら、
「痛――いっ!」
痛いよ! 静電気のようなものが体中に流れ、私は動けなくなってしまった。
魔法陣だ。魔法陣の中心に私が浮いている。やだ、何? どうなってるのー!
混乱する私に、にこやかな微笑みをすっかり消した王子が冷たい声で告げた。
「お前、悪魔だろう?」
はいー!? びっくりだよ。何、この王子。なんでわかるの?
「と、突然、何を言い出されるのですか……?」
「下手な演技はいい」
ばれてるー! なぜー! おもむろに王子が仮面を外す。
ん? あれ? 第一王子じゃないぞ?
「……ひょっとして、第三王子のクラウス様ですの?」
「そうだ」
嫌ー! この人、司教も兼任している第三王子じゃん! 格好いいと評判で、確かに美形だけど、悪魔の私に聖職者は御法度でしょー!
王子が紙の札を取り出した。なんか色々と文様やら呪文やらが描いてある。待って。あれって悪魔封じのお札じゃない? まさかエクソシスト系なの?
必死で逃げようとするも魔法陣に阻まれて体が動かない。動くのは口だけだ。
「やめてー! 助けてー! 反省してますー!」
「嘘だろう?」
「嘘です」
ああ、口がつい本音を! 嫌だ、王子が無言で怒っていらっしゃる!
「消えろ」
あ、これマジで死ぬんじゃない……? そう思った瞬間、今までのことが走馬灯のようによみがえった。
特にいいことのない人生だった。悪魔の中でも出来の悪かった私は、他の悪魔たちからいつも見下されていた。せめて皆を見返そうと第一王子に近づこうとしたのに、私はそれすら満足にできなかった。というか、そもそも人違いだったし。
いや待って。この人、自分が第一王子だと嘘ついたんだ。騙された。いや、そもそも私が悪いんだけれども。
ああ。やっぱり私の人生、最後までいいことなんてないんだわ……。
気がつくと、魔法陣の中で動けないまま本気で泣いていた。
そんな私をじっと見ていた王子が、
「……仕方ないな」
ため息を吐いて札をしまう。さらに魔法陣まで消してくれた。
え、本当に? 体が動く。いい人じゃない。騙されたとか言ってごめんねー!
上機嫌になる私に、王子は悪魔張りの不敵な笑みを浮かべた。
後頭部に手を寄せて強引に引き寄せられる。そのままキスされた。えっ、何? 何よ、これ? 悪魔もびっくりだ。
そして、
「痛――いっ!」
今日二度目だよ? 私の唇が痛いよ?
必死にもがいて王子から離れる。唇を舐めると血の味がした。もしかして噛んだの? なんで? やばい人なの?
「これでお前から人間への攻撃魔法は封じた。もう兄上にも俺にも手出しできない」
そんな魔法があるの!? 再びびっくりだ。
だけどそもそも私が使える魔法なんて、こうして人間の姿に変わることだけだ。他には全く使えない。
えーと、正直に言った方がいいのかしら? 迷う私に、王子は思いついたというような顔をした。
「ああ、そうだ。そろそろ結婚しろと周りがうるさいから、ちょうどいい。今からお前は俺の妻だ。お飾りのな」
しかも、契約結婚という呪いまでかけられたよ!
あれよあれよという間に私はさる侯爵家の養女となり、偽の結婚証書が交わされた。この国の司教は結婚できるらしい。
そして、司教の宮殿で嘘の夫婦が始まったのである。
もちろん寝室は別々で。
「今から公爵夫妻に会う。愛想よく微笑んでいろよ。いくら俺よりかなり弱くて出来の悪いお前でも、それくらいできるだろ?」
「もちろんですわ」
馬鹿にしないでほしいわね! 心の中で憤慨しながら、表向きは優美な笑みを浮かべる。
並ぶ私たちはさぞやお似合いだったことだろう。なんせ見る人たちが呆然と見とれていたから。全く嬉しくないけどね!
「昼からお茶会がある。ご婦人方に混じってちゃんとしてこいよ。粗相をしたらこの魔封じの札を、お前の額に三十枚貼るからな」
「三十……!? もちろんですわ」
ニコニコしながらお茶を飲む。このハーブティー、めちゃ喉ごしがいい。このクッキーもなんて美味しいことよ。
帰ってから王子が真顔で言った。
「よくやった。ご婦人方がお前を絶賛していたらしいぞ」
「光栄です」
そりゃそうだ。なんせお茶とクッキーが超絶美味しかったからね!
腰に手を当てて一瞬威張ってしまった私を見て、王子がフッと笑った。
「これから王宮に行く。一緒に来るか?」
「新しいドレス買っていいんですの?」
「じゃあ来るな」
「わかりました」
決めた。三着買ってやるわ! そう決意する私を見て、王子が笑っている。
「これから伯爵家の舞踏会だ。行くぞ」
「わかりました。あの突然ですけど、あの伯爵ってナスビに似ていません?」
「……人間と野菜は似て非なるものだ」
「それは知っていますわ。でも髪型がナスビのヘタに似ていると思うんですよ。ちょっとしもぶくれの長い顔も、それを助長しておられるというか。愛嬌があって私は好きなんですのよ」
「……ちょっ、お前……やめろ。腹痛い……!」
ナスビに似た伯爵がツボったようだ。王子が爆笑している。
なんてリラックスした顔で笑うんだろう。さらさらの髪が、窓から差し込む陽光を受けて輝いている。
なんだか胸がいっぱいになった。
そんなこんなである時、側近の一人から言われた。
「あなたと結婚されてから王子は毎日楽しそうです。最近よく笑われるようになりました。ありがとうございます」
戸惑った。え、そうなの……?
「王子は奥ゆかしい女性がタイプだとの噂です。まさに、あなたですね」
「おくゆかしい……?」
どういう意味なの? 悪魔の辞書にはそんな言葉ない。
そんな折、小柄でふんわりとした女の子が宮殿にやってきた。なんか異世界から召喚されたとかなんとか。え、それってすごくない?
それでも威張ることもなく、静かにたたずみ微笑んでいるような子だ。素晴らしい。
「奥様――リリス様に申し上げるのも失礼かと思いますが、彼女はクラウス王子に憧れているそうです。けれど口にするのが恥ずかしくて今まで黙っていたとか。彼女も奥ゆかしい方ですな」
広間で私の隣に立つ側近が、彼女を見てデヘッと笑う。
なるほど。あれが私と同じ「奥ゆかしい」のね。じゃあ私ももっと奥ゆかしくなれば、王子のタイプになれるんじゃ……?
そこでハッと我に返った。いや、違うよ! タイプの女性になったら、この呪いをといてもらえるかも、と思っただけだから。本当だよ!
奥ゆかしいふわふわちゃんがこちらに歩いてくる。そして私の横を通り過ぎざま、突然転んだ。
えっ、どうしたの? 大丈夫? ちょっと、うっかりさんなの?
ふわふわちゃんは涙目で起き上がり、ちらりと私を見た。そして王子に視線を移して、悲しそうにうつむいた。
「あの、どなたかの足に引っかかってしまって……」
大きな目に涙が浮いている。
なるほど。あれが「奥ゆかしい」のね。大きく頷く。私は知識を得てレベルが一つ上がった。ふわふわちゃんに感謝である。
よーし、後は実戦あるのみ。
すぐに私も広間を横切り、突然転んでみた。やだ、これ、けっこう難しい。
涙目で起き上がり、ふわふわちゃんをちらりと見る。そして王子に視線を移してうつむいた。
「あの、どなたかの足に引っかかってしまって……」
そして涙を浮かべ――どうしよう、涙なんて浮かんでこないよ! 焦っていたら、広間にいる皆が唖然と私を見ているじゃないか。何、どうしたの?
そこで重要なことに気がついた。私が転んだのは広間の真ん中だ。周りには誰もいないし、もちろん誰かの足もない。
ふわふわちゃんの顔がこわばり、王子が顔を背けて笑っている。
しまったわ。よーし、次よ、次!
次はすぐにきた。ふわふわちゃんが、
「私の大事なものがないんです。しまっておいたのに、どこかへいってしまったみたいで。リリス様が私の部屋に入ったのを見たという人がいるのですが……」
力のない声とまなざしで私をちらりと見上げ、そして王子にうるうるした目を向けた。
よし、きた! 私もすぐに、
「私の大事なものがないんです。しまっておいたのに、どこかへいってしまったみたいで。ふわふわ様が私の部屋に入ったのを見たという人がいるのですが……」
力のない声とまなざしでふわふわちゃんをちらりと見上げ、そして王子にうるうるした目を向けた。
ふわふわちゃんの顔が大きく歪む。そこで気づいた。「ふわふわ様」ってなんだ。心の中で呼んでいたからつい口に出しちゃったよ。本当にごめんね。
そこで王子が噴き出した。笑いながら私に聞く。
「お前の大事なもの、とはなんだ?」
「えっ? 苔です」
「苔!?」
しまった。突然聞かれたからつい本音でしゃべっちゃったじゃないか。
わたわたする私に、王子が「苔って!」と爆笑している。笑う王子はめずらしいようで、皆が唖然と見つめている。
悔しそうに唇を噛みしめていたふわふわちゃんが、突然王子に泣きついた。
「王子は私を信じてくださいますよね?」
上目遣いにうるうる目。さっそく真似しようとすると、
「ここではしなくていい」
王子が先に言った。よかった。これ難しいんだよ。――ん? 「ここでは」って何?
王子はふわふわちゃんを見据えて真顔で言った。
「俺が信じるのは妻のリリスだ。君じゃない」
やだ、ちょっとキュンとしちゃったじゃない。本心じゃないとわかっていても。
ふわふわちゃんは怒って王宮に帰ってしまった。
残った王子に聞かれた。
「大丈夫か?」
「何がですか?」
きょとんと返すと、
「いや、なんでもないならいい」
と王子がホッとした笑みを浮かべた。
悪魔の私は苔が好きだ。たまに無性に食べたくなる。そう、緑色で石なんかにへばりついているあれだ。でも淑女は食べないからと我慢していたら、ある時我慢の限界で倒れてしまった。
気がついたら私の寝室のベッドに寝ていて、王子が覗き込んでいた。
「大丈夫か?」
すごく心配そうな顔だ。なんで? と思ったけれど単純に嬉しい。
「一体どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」
「そんなことありません」
「じゃあ、なんだ?」
「……苔が食べたいだけです」
「苔? 食べる?」
てっきり爆笑されるかと思ったら、案の定爆笑している。いいじゃない。苔が好きだって。好物は人それぞれでしょ。
でもすぐに側近に命じて大量の苔を取ってきてくれた。食堂の立派なテーブルに苔が積まれている。
「美味しいですわね」
何これ。最高でしょー!! 苔を夢中でぱくつき、ふと顔を上げる。向かいに座る王子が頬杖をついて私を眺めていた。とても愛しそうな顔で。
……なんだろう。頬が熱い。そして大好きな苔なのに味がよくわからない。
「お前、一体なんの悪魔なんだ?」
ある時聞かれ言葉に詰まる。渋々、
「……蝙蝠です」
「蝙蝠?」
王子はやっぱり爆笑した。けれど、
「その姿も見たいな。見せてくれ」
「嫌です」
すぐに拒否した。
「なんで?」
「なんでもです」
「見たい」
「絶対に嫌ですったら」
てっきり怒るかと思ったら、
「本当の姿は、俺には見せないんだな……」
と、ぽつりとつぶやいた。えっ、違うよ。違う。そうじゃない。でも本当の姿は見せられない。
「わかった……」
寂しそうに笑い、部屋を出て行った。なんだこれ。胸が苦しい。それに頬も冷たい。
「涙……?」
気がつくと私は泣いていた。違う、違う。嫌われたくないだけだ。だって蝙蝠の姿は醜いから。醜いのだ。そんな私は見せたくない。
でも王子のあんな顔はもっと見たくない――。
その夜、王子の執務室のドアをノックした。
「どうした?」
ごくりと唾を飲み込んで、
「私の本当の姿は醜いんですよ……?」
かすれた声しか出ない。王子は無言で私を見つめている。
「この姿じゃ駄目なんですか? とても綺麗です。綺麗に作ったんですから」
自信作なのだ。本当の姿がコンプレックスだった私が、初めて自信を持てた。たとえ作り物でも、こっちだって立派に私の姿だ。
王子はしばらくして言った。
「俺は両方見たい。お前の作り物の姿も本当の姿も」
「でも――」
「きっと、どっちも俺は好きだ」
なんて幸せになることを言うんだ。
「見たことありませんのに……」
また涙が流れてきて急いでぬぐう。最近涙もろくて駄目だ。
「そう言うなら見せてくれ」
王子が笑う。優しい笑みだ。私は胸が詰まって目を閉じた。
「……いいですよ」
体が縮む感じがして、私は蝙蝠に戻った。黒い羽に小さな体。どこからどう見ても蝙蝠だ。体が小さすぎて着ていた服は全部床に落ちてしまった。
「……どうですか?」
恐る恐る問うと、王子は蝙蝠の私を両手ですくい上げた。そして笑って、
「やっぱり、こっちの姿も可愛いじゃないか」
と私の額にキスをした。
うわー!! 驚き過ぎて魔力が暴走した。つまりまた人間の姿に戻ったのだ。もちろん服は着ていない。だって蝙蝠になった時に落としちゃったからね。
王子の腕の中でアワアワする私と、呆然とする王子の視線が絡み合う。とっさに逃げようとすると、強い力で抱き留められた。そのまま抱きしめられる。
「これは……さすがに我慢するのは無理だ」
色気だだ漏れる顔と声で、なんてことをおっしゃるのか。
デスクにゆっくりと座らされる。まさにアワアワだ。狼狽以外の何ものでもない。
けれど悲しいかな、表情に出さない癖がすっかりついてしまった。私はさぞや慣れた、優美な笑みを浮かべていることだろう。けれど、
「緊張しているんだな」
なぜわかる。
「それくらいわかるさ。お前のことなら」
王子が笑う。私を一心に見つめる目は吸い込まれるように綺麗だ。
王子の腕に力がこもる。私が思わず体を固くすると、
「嫌ならやめる」
力強い腕とは裏腹に、真摯な口調でそう言った。
なんだ、これ。こんな顔でこんなこと言うなんて反則だよ。
――嫌じゃない。
そう言う代わりに、私は手を伸ばして愛しい王子を抱きしめ返した。
読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m