第5話 休日の二人④
「落ち着け朝日、折角のチャンスを、そんな事に使っていいのか。もっと他に使い道があるだろ?」
「例えば?」
「えっと、特に浮かばないが……宿題を教えて欲しいとか、何か買って欲しいとか、考えれば色々あるだろ」
優人はそう言ったが。
「今ある宿題は、もう全部終わってるし。特に欲しいモノも今は思い浮かばないから、優人に聞いて欲しい我儘は、これでいいよ」
無情にも、朝日はそう答えた。
「いや、でも」
優人はそれでも、粘ろうとしたが。
「……もしかして優人、遊びとはいえ、私とそういうことをするのは嫌なの?」
朝日は、少し悲しそうな表情でそう言った。
「……そんな事はない。ただ、少し恥ずかしかっただけだ」
朝日から目を逸らし、ぶっきら棒な口調でそう言った。
「そんなの、私だってそうだよ。でも、どこかの偉い人が言ってたでしょ。若いうちは、買ってでも苦労しろって。さっきも言ったけど、今の内に二人で恥ずかしい思いをすることで、将来恥を欠かなくて済むんなら、安いもんでしょ」
「まあ、それは間違ってないと思うが」
「でしょ。ということで、今から私と優人は恋人ね。では、よーい、スタート」
そのまま、朝日が強引に押し切る形で、二人の恋人ごっこがスタートした。
「ねえ、優人」
「なんだ?」
「私、そっちのアイスも食べたいな。一口ちょうだい」
朝日はどうやら、先程の場面から再開するつもりの様で、さっきと似たようなセリフを口にした。なので、
「ほらよ」
優人も、先程と同じように、アイスを彼女の眼の前に差し出した。しかし、
「ねえ優人、私たちは恋人同士なんだから、そのアイス、あーんして食べさせて?」
「……仕方ないな」
再びそう言われ、優人はようやく観念したのか。自分のスプーンでアイスをすくい。
「ほらよ」
朝日から眼を逸らして、彼女にスプーンを差し出した。
「優人、あーんって言うのを忘れてるよ」
しかし、朝日は納得できないのか、そんな事を言い出した。なので、
「……あーん」
「あーん」
優人がそう言うと、朝日は彼の持っているスプーンに食いついた。そして少しの間、しっかり味わう様に、スプーンを口に含んでいた。そして、ゆっくりと、スプーンから口を離し。
「うん、こっちの味も美味しいね」
満面の笑みで、そう言った。
「それは良かったな」
「うん。でも、私ばかり良い思いをするのも悪いよね。だから優人」
朝日はそう言うと、床に置いていた自分のアイスをスプーンですくい。
「あーん」
笑顔を浮かべながらそう言って、スプーンを優人の前に差し出して来た。
「……ん」
もう逆らう意思もなかったのか、優人はそれを素直に受け入れた。すると、
「へへ、間接キスだね」
「ぐふっ」
唐突に、そんなことを言われ、優人は思わずむせてしまった。
「もう、動揺し過ぎだって」
「……お前なあ、人が折角黙っておいたことを」
「あ、やっぱり気づいてたんだ。それでも言わなかったってことは、優人も実は期待してたのかな?」
「……ノーコメントで。というか、俺だからいいものを、他の男子にこんなことをするなよ。間違いなく勘違いされるぞ」
「大丈夫、私がこんな事をするのは、優人だけだから」
「……そうかよ」
そんな風に言われたら、何も言い返すことが出来ず、優人は短くそう答えた。
いつもこんな風に、朝日の唐突な思いつきに振り回されている優人だが。
朝日に悪意があるわけでなく、ただ今この瞬間を、命一杯楽しもうとしているのであって。
巻き込まれる優人自身も、面倒くさいと思うことがありながらも。心の底では悪くないなと、いつもその場を楽しんでいるのだった。
ただ、今は緊張の方が増さっていて、心臓を落ち着かせるので手一杯だが。
「それで、次はどうする?」
「次って、何だ?」
優人が、そう聞き返すと。
「だから、次にする恋人らしいことだよ。折角だから、恋人同士でやりそうなことは、なるべく多くやっておきたいから」
朝日は、そんなことを言い出した。しかし、あーんだけでも割と一杯一杯だった優人は、何とか止めようと、口を開こうとしたのだが。
「勿論、優人も最後まで付き合ってくれるよね」
「……しょうがないな」
朝日に笑顔でそう言われ、優人は渋々納得した。惚れている弱みもあり、優人はどうしても、朝日には強く出れないのだった。そして、
「……なあ、朝日」
「……なあに?」
「流石に、これは止めにしないか?」
あの後も、恋人同士だとやりそうな、他人に観られるとかなり恥ずかしい事を幾つかした二人は。
現在、優人がベッドに座り、朝日は優人の膝に頭をのせてベッドに寝転がり。優人は右手で、朝日の頭を撫でていた。いわゆる膝枕である。
「なんで? 私はこの体制、凄く好きみたいだから。もう少し続けてよ」
朝日は目を開けると、少し甘える様な口調でそう言った。
そう言った朝日はさっきまで、撫でられる感触を楽しむかのように。目を瞑って、黙って寝転がっており。くすぐったいのか、時々体を動かしては、
「う、ん」
と、少し悩まし気な声を出していた。そして、朝日はリラックスしている様だったが。優人に関しては、そういう訳にははいかず。
ズボンの布を挟んでいるとはいえ、好きな人の体温を直に感じていて。自分が朝日の頭を撫でる度に、彼女に気持ちよさそうな反応をされる今の状況に、思春期真っただ中の男子が、冷静でいられるはずもなく。
さっきから、徐々に膨れ上がってきている、邪な感情を抑えるのに必死になりながら。それでも表面上は冷静であるようにみせかけ、朝日の頭を撫で続けていた。すると、
「ねえ、優人」
「何だ?」
「こうして私の頭を撫でてると、昔を思い出さない?」
「……そういえば、昔はよく、お前の頭を撫でてたな」
朝日の言葉を聞いて、優人は幼い頃の彼女の姿を思い返した。そして、
「昔のお前は今と違って、大人しくて可愛げがあったのにな。いつからこんなにうるさくて、我儘になったのか」
優人は、からかう様な口調でそう言った。
「あー、そんな事を言う? 優人だって昔は、もっと明るくて元気だったのに。いつの間にか無口で、休日は家に引きこもる様になった癖に」
それに対して、朝日もお返しとばかりに、優人にそう言い返した。
「別に良いだろ、俺にはその方が性に合ってたんだ。それに、引きこもりだったのはお前の方だろ」
「あ、人の思い出したくない過去をそんな風に言うなんて。優人の意地悪」
「今日は散々、お前の我儘に付き合ったんだ。これくらい言ってもいいだろ。それにお前だって、あの頃の事は、もう気にしてないんだろ?」
「……全く気にしてないって訳じゃないよ。でも、いつまでも昔の事でウジウジしてても、前には進めないから。それに、昔の事をいつまでも悲しんでいるよりも、毎日を少しでも明るく過ごしてる方が、お母さんも喜ぶと思うから」
朝日はそう言った。
「そうか、なら安心しろ。多分、今のお前を観たらおばさんだって、立派に成長したなと、喜んでくれると思うぞ」
「……本当?」
「ああ。胸と身長以外はな」
「……優人の意地悪、もう知らない」
朝日はそう言うと、優人の膝に顔を埋めた。どうやら地雷を踏んでしまったようだ。
「悪い、冗談だ、安心しろ。お前は誰の目から見ても、魅力的な女の子だよ」
「……それは、優人の目から観ても?」
朝日は、顔を上げてそう聞いてきた。
「え、それは」
優人は一瞬、言葉に詰まった。自分の好きな相手である朝日が、魅力的に観えない訳がないのだが。それをはっきり口にできる程の度胸は、優人にはなかった。そして、しばらく、優人が口を閉じていると。
「やっぱり、こんなお子様体型、優人の好みじゃないよね」
朝日は、少し悲し気な声音でそう言ったので。
「そんなことない、お前の体型は明るくて元気な性格に合っていて。何と言うか、子動物みたいで可愛いぞ」
優人は慌てて、そうフォローしたが。
「むー、可愛いって言われるのは嬉しいけど。その褒められ方は、何だか嬉しくないな。女の子としての魅力はないって言われてるみたいで」
「そんなことないぞ。お前は女の子として凄く魅力的だ」
「本当?」
「ああ」
「分かった。それじゃあ、私とキスして」
「ああ……って、なんでだよ!」
朝日の言葉を聞いて。優人は珍しく、声を大きくして突っ込んだ。
「何でって、私のことが魅力的に思えるんでしょ。そんな女の子と同じ部屋で二人っきりいるんだから、これはキスしなきゃ駄目でしょ」
「いや、しちゃ駄目だろ。犯罪だぞ、それは」
優人は冷静に、そう突っ込んだが。
「犯罪じゃないよ。今の私たちは恋人同士だから、何の問題もないよ。寧ろこの状況で何もしないほうが、彼女に対して失礼だよ」
朝日は、優人の突っ込みは意に返さず、優人に膝枕をさせたまま、そんな事を言ってきた。
「いや、それはあくまで設定だろ」
「例え設定でも、やるからには最後まできちんとやりたいの」
優人は必死に突っ込むが、朝日は譲る気は無いようだ。なので、
「というか、そんなことでキスしていいのかよ。多分だけど、お前にとってはファーストキスだろ」
優人がそう言うと。
「そうだけど。別にいいよ、優人なら。というか、ファーストキスの相手は、優人がいいな」
朝日は笑顔で、そんなことを言った。
「……それってどういう」
優人がそう言うと。
「どうって、言葉通りの意味だよ。それとも優人は、ファーストキスの相手が私じゃ嫌?」
「……そんな事は無い。でも」
「でも、何?」
「やっぱり、そういうのは、本当の恋人とするべきだろ。こんな遊びみたいな事で、適当に済ませていい事じゃない……と、俺は思う」
優人としても、朝日の提案は非常に魅力的なモノで。このまま流れにまかせてしてしまいたいという思いも、とても大きかったが。
それ以上に、朝日の事を大切にしたいという思いが勝り、何とか自分の欲望を抑えてそう言った。しかし、
「遊びみたいな事ね……優人はさ、あの約束をまだ覚えてる?」
朝日は、今までの子どもっぽい雰囲気から一変し。
急に真面目な声音になり、そんな事を聞いてきた。
「……約束?」
「うん。優人が私を振った時に、私と交わしてくれた約束」
「……忘れる訳ないだろ、あんな大事な事を」
朝日の言葉を聞いた優人も、今までの態度とはガラリと変わり、真面目に返事をした。
「はは、そりゃあそうだよね……それで、私の事が大好きな優人は、あの約束を破るなんていう、私を傷つける様な、酷い事はしないよね?」
「……ああ」
それを聞いた優人は一言、絞り出すような声でそう返事をした。すると、
「なら、何も問題はないよね。私たちはいずれ、恋人になるんだから。そうなった時にする事を、少し早めに経験するだけだよ」
そう言って、朝日は優人の頬に右手を添えた。それだけで優人は、蛇に睨まれた蛙の様に、全く動けなくなってしまう。そして、
「ふふ、優人、顔が熱くなってるよ。好きな人に触られて、そんなに嬉しい? それとも、キスをしてる私たちの事を想像して、興奮しちゃったのかな」
「っつ、そんな事……」
優人は慌てて、否定しようとしたが。
「誤魔化さなくていいよ。正直私も、ちょっと興奮してるし。でも、いいよ。優人と同じで、私も優人の事が大好きだから。優人とキスしたいっていう思いは、遊びなんかじゃない、本気の気持ちだよ」
そう言うと、朝日はゆっくりと、優人の膝から起き上がり。ベッドに腰かけている、幼なじみの顔を見て。
「お願い、来て、ゆうと」
十年以上の付き合いがある優人ですら聞いた事がない、甘えるような口調で、朝日は幼なじみの名前を読んだ。
「……朝日」
優人も、幼なじみのを呼び、まるで催眠術にでも掛かったかのように、少し朦朧とする意識の中、彼女の元へ向かう。
「……ゆうと」
「朝日……えっと、本当に、俺でいいのか。後で後悔することになるかもしれないぞ」
朝日の目の前まで来た優人は、最後の理性を振り絞り、彼女にそう聞いた。すると、
「……もう、優人は本当にヘタレだね。大丈夫、私は絶対に後悔しないから」
一瞬だけ、いつもの口調に戻った朝日は。優人に届くように、力強くそう答えた。
「そうか……それじゃあ、その、するぞ」
「……うん」
朝日はそう言うと、静かに目を瞑った。それを観て優人は、朝日の肩にゆっくりと、両手を置いた。その瞬間、朝日はびくっと肩を震わせたが、直ぐにそれも収まった。
震えが止まったのを確認してから、優人はゆっくりと、朝日の唇に、自分の唇を近づけて行き。
お互いの、鼻の頭がぶつかりそうになる程の距離になり、優人も静かに、自分の目を閉じた。
そして、二人の距離は更に縮まり。お互いの激しい息遣いが徐々にぶつかりあい、相手の生温かい体温を少しずつ。しかし、着実に感じる様になる。
そして、ついに、お互いの唇と唇が触れ合うという、まさにその瞬間。
「ガチャ」
突然、何の前触れもなく、優人の部屋のドアが開いた。そして、
「ただいま。朝日ちゃん、今日はわざわざお昼を作ってくれてありがとうね。お礼に今日は、家で晩御飯を食べて……」
そう言いながら、乱入者。買い物から帰って来た優人の母親はそこまで一人で喋ったが、部屋の中にいる二人を観た瞬間、まるで葬式会場に来たかの様に急に黙った。そして、
「あ、えっと、その……お邪魔だったかしら。あ、そうだ。今日は久しぶりに、お父さんと二人で、夕食を食べて来るわ。だから、えっと、その。ごゆっくり?」
優人の母はそう言って、ゆっくりとドアを閉めた。しかし、
「待って、母さん、これは誤解だから!」
観ての通り二人は、キスをする寸前だったのだが。
幸い、まだ未遂だったこともあり。優人は慌てて、自分の母親を追いかけて、階段を下りて行った。
その後、優人は、朝日の目に入ったごみを取ろうとしていただけという苦しい言い訳を、母親に何とか信じさせて。
優人と、優人の両親と朝日の四人で、久しぶりに賑やかに夕食を食べた。
ただ、食事中は、優人と朝日の仲の事で、優人の両親(主に母親)に散々からかわれたが。キスを止めてくれた恩? もある為、優人はそれとなく聞きながし。朝日も終始、愛想笑いで誤魔化していた。
その後、夕食を食べ終えた後。少し優人の両親と雑談をして過ごした朝日は、そろそろ帰ると言い出したが。優人が、自分も付いて行くと言ったので。
隣の家なので、僅か数十歩の距離だが。二人は綺麗な月と、一面に広がる夜空を見ながら。無言で横に並んで歩いた。
ただ、いつもはお互いに無言でも、自然と居心地の良さを感じていた二人だが、今回ばかりはそういう訳にはいかず。
普段は絶対に感じない、恥ずかしいのか照れ臭いのか分からない、妙な居心地の悪さを感じていた。
そして二人は、朝日の家の前まで辿り着いた。
「えっと、その……ありがとう、優人。わざわざ送ってくれて」
玄関のドアに手を掛けた朝日は、後ろにいる優人に振り返って、いつもとは違い、少し歯切れの悪い口調でそう言った。しかし、
「何、ただ食後の散歩をしたかっただけだ。気にするな」
優人は、そんな妙な雰囲気を感じさせない様子で、ぶっきら棒にそう言った。
「ふふ。何それ、新手のツンデレ?」
その言葉を聞いた朝日は、少しはいつもの調子を取り戻したのか、そんな風に突っ込んだ。
「違えよ、ただの俺の本心だ……じゃあな」
「うん、また」
優人は短くそう告げると、朝日に背を向けて、そのまま家へと帰ろうとしたのだが。
「……ねえ、優人」
「……何だ?」
朝日に呼ばれ、優人は振り返る。すると、
「……優人はまだ、あの事を……」
そこまで言って、朝日は口を閉じる。そして、
「ううん、何でもない。その、またね」
「……ああ、またな」
そう言って、優人は再び朝日に背を向け、今度こそ自宅を目指し。
朝日も、自宅のドアを開け、家へ入った。
「ねえ優人、いつになったら告白してくれるの? 私もう待てないよ」
家に入って呟いた、朝日のその独り言は。誰にも届く事はなく、静かに消えていった。