第32話 出会いとこれから
「えっと、千咲さん。いつからそこに居たんですか?」
小山凪月は、古川千咲にそう問いかけた。すると、
「何、ほんの十分くらい前さ」
と、古川千咲は、何事もないかのようにそう言った。しかし、
「もう、それだけ長い時間居たんなら、黙って観ていないで声をかけて下さいよ。山下さんには、ずっと千咲さんの帰りを、待っていてもらってたんですよ」
凪月は、少し怒った様子でそう言った。すると、
「はは! それはまあ、悪かったって。でも、二人のあの様子を観て、声をかけるなんていう無粋な真似は、私にはとても出来ないね」
千咲は、一切悪びれること無くそんな事を言った。
「あの様子って、何の事ですか?」
その言葉の意味が分からず、凪月は千咲にそう聞き返した。すると、
「なんだ凪月ちゃん、気付いて無かったのか? 君が少年と話している時の表情。今まで見てきた中でも一番だと言えるくらい、楽しそうだったぞ」
「……え?」
「まあ、肝心の話の内容は、正直マニアックすぎて、私にはよく分からなかったが。今までは、あんまりお客様と雑談できなかった凪月ちゃんが、あれだけ楽しそうに長話しをしていたんだ。そこに横槍を入れるのは、人としても店長としても、褒められる行いではないだろう?」
古川千咲はそう言った。なので、
「えっと。従業員が長時間、一人の客と話していたら、他の客に迷惑なんじゃないですか?」
優人はそう突っ込んだ。すると、
「まあ確かに、他の店ならそうかもな。でも心配するな! なんたってこの店には、滅多に客が来ないからな。寧ろ偶に来たお客様と世間話でもしてないと、暇すぎて仕方ないくらいだからな。はっはっは!」
「いや、笑い事じゃないでしょう! そんなんで、この店の売り上げは大丈夫なんですか?」
その言葉を聞いて、優人は思わずそう質問をした。すると、
「……えっと、千咲さんが言うには。ちゃんと固定客が居て、その人たちが定期的に本を買ってくれるから、一応やりくりは出来ているらしいです」
「……本当にそうなんですか?」
その言葉を聞いて、優人は少し疑いの眼差しを、古川千咲に向けた。
「ああ、勿論だとも。その証拠に、私は凪月ちゃんに、毎月きちんと給料を払っているぞ」
「そうですね。その点はとてもありがたいです」
「ああ、そうなんですね。それなら多分、大丈夫ですね」
「……私の言葉は信じなくて、凪月ちゃんの言葉は信じるんだな」
「それは、まあ。今の俺の印象だと、古川さんは財布を忘れるくらい、うっかりしている人なので」
「それを言われたら辛いな。ただ、昨日みたいにいつも財布を忘れている訳じゃないぞ。昨日のは本当に偶々だ。そうだろう、凪月ちゃん?」
「そうですね。こう観えて千咲さんは、意外としっかりしてるので」
「こう観えてってどういう事だよ? 私はどこからどう観ても、立派な社会人だろ?」
「……ええ、そうですね」
「……はい、そうです」
優人に続いて、凪月が渋々といった感じでそう答えた。
「何だ、その不服そうな言い方は。私はちゃんと店長としての仕事を全うしてるのに、失礼な奴らだな」
二人の様子を観て、古川千咲は、少し不機嫌そうな口調でそう言った。が、
「……まあいい。凪月ちゃんは、いつもバイトを頑張ってくれてるし。少年には、昨日コンビニで助けてもらった恩があるからな。今の無礼は水に流そう。それよりも少年!」
「え、あ、はい。何ですか?」
優人が返事をすると。古川千咲は数歩、優人の方に歩み寄って来て。
「昨日の分だ。改めてありがとう少年! お蔭で助かったよ」
そう言って、彼女は優人に、お金が入っているだろう封筒を差し出した。
「あ、はい。ありがとうございます」
そう言って優人は、封筒を開け、中身を確認した。すると、
「あの、少し金額が多いですが」
優人は封筒の中身を観てそう言った。しかし、
「ああ、それは単純に崩すのがめんどくさ……いや、君の優しい気持ちに感謝して、少し上乗せしといたんだよ。学生は金が少なくて大変なんだから、遠慮せず貰っときなさい!」
「……最初の言葉が無ければ、普通にいい話なんですけどね。でも、そう言って下さるのなら、遠慮せずに貰っておきます。ありがとうございます」
「ああ! 是非、そうしてくれ!」
「はい、ありがとうございます」
優人は再び礼を言い、封筒を持って来ていた手提げ鞄に仕舞った。そして、
「それじゃあ、用事も済んだので、俺はそろそろ帰ります」
優人はそう言った。すると、
「何だ、もう帰るのかい? 折角来てくれたんだから、もっとゆっくりして行ってくれても良いんだぞ。お菓子や飲み物だってあるし。何なら、さっきみたいに、もう少し凪月ちゃんと話してても、私としては構わないよ」
気を使ったのか、古川千咲は優人にそう提案をしてくれた。しかし、
「そうしたいのは山々ですが。今日、この店に来た目的は達成しましたし。さすがに何も買うつもりもない客が、これ以上長く店に居ても迷惑をかけるだけだと思いますので。そろそろ帰ります」
「……そうか、分かった。悪いな、引き留めて」
「いえ、こちらこそ、折角のお誘いを断ってしまって申し訳ないです。それと、小山さん」
「え? あ、はい」
「今日はわざわざ話し相手になってくれて、ありがとうございました。お蔭で待ち時間を、楽しく過ごせました」
「えっと……それなら、よかったです」
「はい。それでは、失礼します」
優人はそう言って、そのまま店を後にしようと、二人に背を向けた。すると、
「……あの! 山下さん!」
「え? はい、何ですか?」
小山凪月に呼ばれ、優人はそう言って振り返った。すると、
「……その、私も山下さんと話をして、楽しい時間を過ごせました。だから……もしよかったら、本は買わなくてもいいので。また休日に、話をしにいらして下さい!」
凪月は、少し恥ずかしそうに頬を染めながら、それでも、少し離れた距離に居る優人に届く様、少し大きめの声を出してそう言った。
「……ええ、分かりました。それじゃあ」
すると、優人はぶっきら棒にそう返事をして。今度こそ、二人に背を向けて、そのまま出入口へ歩いて行き、店を出た。そして、優人の姿が完全に観えなくなると。
「いやあ、凪月ちゃん、今のは良かったよ!」
千咲は、凪月に向かってそう言った。
「え? 何の事ですか?」
「さっきの別れ際の言葉だよ。凪月ちゃんみたいな美少女にあんな事を言われたら、来ない訳にはいかないからな。これで固定客を一人獲得したな!」
「もう……美少女って。千咲さん、からかわないで下さい」
「本心なんだけどな。でも、本も買わなくていいっていうのは、一言余計だったな。折角来てくれるのなら、何かしら買って帰ってくれた方が私も嬉しいし。いくら暇とはいえ、雑談する為だけに来て、溜まり場みたいにされたら、正直、少し困るからね」
「それは、すみません。ただ、山下さんの好きなジャンルの本は、この店にはあまり置いていないので。買って頂くのは、少し難しいと思ったので」
「そうなのか……よし。それなら、次に彼が来たら、この店に置いてある本の中から、凪月ちゃんが好きな本を、彼に勧めてあげたらどうだい?」
「私の好きな本をですか?」
「ああ。凪月ちゃんの言い方だと、どうやら彼は本を読むこと自体は好きなようだから。もし凪月ちゃんが上手くプレゼン出来て、彼がその本を買ってくれたら、店の売り上げに繋がるし。仮に失敗したとしても、話の話題は作れるし。何より、凪月ちゃんにとっては、いい経験になると私は思うんだけど。どうだろう?」
「……そうですね、分かりました。山下さんが、また来てくれるとは限りませんし、上手くプレゼンできるかも分かりませんが。折角の機会ですし、頑張ってみます!」
「ああ、その意気だ。とは言っても、別に失敗しても何かある訳じゃないから、あんまり気を張り過ぎないようにな」
「……そうですね、分かりました。それじゃあ早速、何かお勧め出来る良い本がないか、少し探してきます」
凪月はそう言うと、立ち上がって、本棚の方へと歩いて行った。
「……本当に、もう少し気楽にすればいいのに。まあそれが、この子の良い所なんだけどね」
千咲は少し苦笑いを浮かべて、そう言いつつも。優しい眼差しで、彼女の背中を観ていた。
「ただいま」
店を出て、自転車をひたすらこいで二十分と少し。
優人は家に帰り。玄関を開けて、そう言いった。するとそこには、いつも家には無いが、割と見慣れている、女性モノの靴があった。
「……」
優人は、何かを察しつつ、家へと上がった。そして、自分の部屋に戻る前に、リビングへ向かうと。
「あ、お帰りなさい。それと、あんたが居ない間に、朝日ちゃんが遊びに来たから、あんたの部屋に上がってもらったわよ」
「……やっぱりそうか、分かった。取りあえず、適当にジュースとお菓子でも持って行くよ」
「そうしなさい」
そして優人は、お盆の上に、昨日コンビニで補充しておいた、ジュースとお菓子を乗せた後、二人分のコップを乗せ。
それを持って、リビングを出て、階段を上り、自室のドアを開けた。すると、
「あ、やっと帰って来た」
そこには、いつもの様に、優人の使っているベッドの上に、仰向けに寝転がり。
優人の持っている漫画の中の一冊を読んでいる、渡辺朝日がいて。彼女はその姿勢のまま、視線だけは、優人の方を向けてそう言った。そして、
「今日は来るとは、聞いてなかったんだけどな」
優人は、そんな朝日に向かってそう言った。すると、
「そんなの、いつもの事だよ。優人こそ、今日はどうしたの? いつも平日は部屋に籠ってるのに、今日は随分長い時間、外出してたんだね」
朝日は、漫画に視線を戻しつつも。優人に向かってそう質問した。
「……まあな。今日は俺にしては珍しく、用事があったからな。ちょっとそれを済ませて来たんだ」
「そうなんだ……ねえ、優人」
「何だ?」
「今日、何かいい事でもあった?」
朝日は、優人に向かってそう言った。
「どうして、そう思うんだ?」
優人がそう聞くと。
「だって優人、いつもより声がはきはきしてて、どことなく楽しそうな感じだもん」
「……正直、全くそんな自覚無かったし。母さんからも、特に何も言われなかったのに。よくそんな事まで分かるな」
「分かるよ、これだけ長い付き合いだもん。それで、何があったの?」
「別に、大した事じゃないよ」
「……言えない様な事なんだ。もしかして、浮気?」
朝日は、優人にシド眼を向けながらそう言った。
「そんなのじゃないって。そもそも、俺が女子に全然モテない事は、お前もよく知ってるだろ?」
「そうだね。でも、全然モテないっていうのは、少し違うと思うよ。少なくとも、ここに一人。優人にメロメロな女の子が居るんだから」
「そういえばそうだったな……ありがとうな、朝日。こんな俺を好きでいてくれて」
「そう思ってるんなら、言葉じゃなくて、何か行動で表して欲しいな」
「そうだな……なあ、朝日。来週の土曜は何か予定はあるか?」
「別に何もないけど。どうかしたの?」
「ああ。よかったら、二人で何処かに出かけないか?」
「……もしかして、それってデートのお誘い?」
「そう思ってくれて、構わないよ」
「……分かった。それじゃその日は、予定は入れない様にしておくね」
「ああ、それと、プランは全部、俺に任せてくれないか。飛び切りいいのを考えるから」
「了解、それじゃあ私は、あんまり期待せずに、土曜日を待っておくね」
「……少しは期待してくれても、良いんじゃないか?」
「うーん。今までの優人の様子を観るに、それは難しいかな。でも、もし今後、私にそういう目で観て欲しいんなら。私の想像を超える、素敵なプランを用意してね」
「……随分プレッシャーをかけて来るな。でも、分かった。お前にあっと言わせるような、素敵なプランを作ってやるよ」
「うん、頑張ってね優人。私はずっと、優人の事を応援してるから」
朝日は、漫画をベッドの脇に置き。そのままベッドの上に起き上がると。
彼にしか見せない、優しい微笑みを浮かべながらそう言った。




