鼻毛系男子
「ヒロキ、あんた鼻毛出てるわよ」
ヒロキの顔を見て、ヒロキの母はそう言った。
鼻毛が出るというのはだらしない。不清潔な感じがするから、嫌悪感の対象だ。
「えっ、それマジ!? 抜いてくる!」
ドタドタとせわしない様子で、ヒロキは鼻毛抜きをもって鏡の前に立った。
鏡の前には、チョコンと1cm程の鼻毛を伸ばしたヒロキが立っていて、間が抜けていた。
「あ~、気づけて良かったぜ。コノミとのデートの前だしな」
コノミといえば、美人で賢いヒロキの彼女である。
だからヒロキは女性の言う清潔感に気を使っているし、こんな姿を見られたらコノミに幻滅されてしまうので、鼻毛の処理もキッチリとする。
コノミは一時間後に家に遊びにくる予定なので、それまでに処理すれば問題ないだろう。
「でも鼻毛抜くのって痛いんだよな~」
ヒロキはそう思いながらも、鼻毛抜きを器用に使って、チョコっと出ていた鼻毛をつまんだ。
ヒロキが思い切って鼻毛を抜こうと鼻毛抜きを引っ張ると、鼻の穴に感じるはずの毛を引っ張られる感覚が無く、スルリと抵抗なく腕を引っ張ってしまえた。
スルスルスル
なんと裁縫に使うホビンの糸が解けるように、スルスルと鼻毛が伸びて出てきたではないか。
その鼻毛は思った以上に太く、たくましい黒いコントラストが憎らしく生える。
「えぇ!? どういうことだよこれ!?!? おかん~」
ヒロキは鼻から出てきた長い長い鼻毛に驚きながら、ヒロキの母を呼んだ。
「なんだい、私は忙し!?? ヒロキ、なんだいその鼻毛は!?!?」
ヒロキの母は仰天した。息子がバカみたいに鼻毛を伸ばしていたのだ。
ネトネトとしていそうな、気持ちの悪い鼻毛を伸ばしている様子を見た母は、ヒロキを叱りつけた。
「わかんねぇ、とにかく鼻毛を抜くのを手伝ってくれ」
ヒロキの母は、鼻毛を指に器用に巻いて、思いきり引っ張った。
が、拍子抜けな程にスルスルと伸び始め、ついに鼻毛の長さは10mを超えようとしていた。
黒く硬そうな鼻毛は、柔らかいがコシがある。
「ちょちょちょ、おかん引っ張りすぎ!? 何メートル引っ張る気だよ!?」
ヒロキの鼻先かはら、糸のように伸びて垂れ下がる黒い鼻毛。
家の床に蜷局を巻き始めた鼻毛は重く、家の床が軋みをあげている。
「どどど、どうすんだよこれ。もしかして不治の病か!? 何で何で!?」
「おおお、お母ちゃんが友達に聞いてきてやる、待ってて!!!」
母がひきつったような笑いをして、玄関に飛び出した。化粧をせず寝巻のだらしない恰好のままだ。
ヒロキは呼び止めようとしたが、母が出ていく方が遥かに早かった。追いかけようにも、長い鼻毛が重くてとても動きづらい。
しばらくすると町の人々が集まってヒロキの鼻毛を面白おかしく触り始めた。
「私は医者だ! 本当に鼻毛がスルスル出てくるじゃないか。ヒロキ君は、世界初の病気かもしれない。ワシがそれを発見した医者だ! 後世に名前を残す名医は私だぞ!!! エレエレエレ!!!」
「私は物理学者だ! この鼻毛はどこからきているのか。まるで宇宙につながっているようだ。この鼻毛の謎を解明すれば、宇宙が理解できる!!! ウホホホホ!!」
「私はCM屋だ! この長い鼻毛を使えば、切れないお付き合いという題目で、CMを作ることができる! 私はセンスあるCM屋として、業界で名をあげるぞ! ウエェヒヒヒヒヒヒ!!」
誰もがヒロキの鼻毛を引っ張っては、私利私欲を満たそうとする笑みを浮かべていた。医者も物理学者もCM屋も、ヒロキの鼻毛をその手に奪い合って、喜び合っていた。
そして誰もがヒロキの鼻毛を引っ張るものだから、伸び続ける鼻毛が家を埋め尽くし始めた。
「おい医者、鼻毛を伸ばすのをやめろ! 絡まって取れなくなるじゃないか!?」
「おまえこそ物理学者! これはワシが研究するんじゃ。や、やめんか! 鼻毛が絡み付いてしまう!」
医者達が言い争うをしている間に、あまりにも鼻毛を引っ張られたものだから、ヒロキは鼻がムズムズとしていた。鼻毛がサワサワとヒロキの鼻の中を擽ったからだ。
「フェックシュン!」
ヒロキがそうクシャミをすると、伸びた鼻毛が鳴動して、大きく波打った。そして母が連れてきた役に立たない人達を絡めとってしまった。
「「「エレエレエレェ」」」
そうこうしているうちに、ヒロキはコノミとの約束の時間を迎えてしまった。
ヒロキが時計を確認しようとしたそのと時、コノミが家を訪れてしまった。
「何だか、騒がしいわね。何をしているの?」
コノミに見られた。ヒロキはとても恥ずかしくなり、悲しみに暮れた。
鼻毛もそれに呼応したかの如く、シレっと萎れたような気がした。
「実は、鼻毛が抜けなくて」
ヒロキは諦めたように、コノミに鼻毛の一切合切を説明した。コノミは呆れたような顔をしてヒロキの鼻毛を引っ張った。
スルリと、鼻毛も気合が入ったように引っ張られるものだから、ヒロキは何だか悲しかった。
「確かに面白い鼻毛ね。引っ張れば引っ張るほど出てくるじゃないの。汚いわね、これ」
コノミが他人事のようにつぶやいた。その様子がヒロキはとても悲しかった。
コノミに嫌われた。それとも幻滅されてしまったのかもしれない。
鼻毛系男子、ダサすぎて嫌になる。
「バカらしい話だけど俺は必死なんだ。何かいい方法はないか?」
コノミは、少し考えた後得心したように言った。
「そんなの簡単じゃない。鼻毛を切ればいいのよ。私の鼻毛カッターで切ってあげるから、はい」
ヴィ~ン
ザクリ
「引っ張ったらまた出てくるかもしれないけど、とりあえずそれでいいじゃない。ほら、早くデートに行くわよ」
ヒロキは圧倒的な解放感を持った。鼻毛がない。なんと素晴らしいのだろう。この爽快感に比べれば、世の問題はまったく大したことではないように思える。
健康第一とは言うが、人間が普段通り暮らしていけるということは、何とありがたいことなのだろうと、ヒロキの心は神様が住み着いたように安寧に満ちていた。
そんなヒロキの様子を見ていたコノミは、心底ため息をついた。
「そんな下らない問題で悩んでいたのね。他にも何かあったら相談してちょうだいよ、まったく。私は貴方の彼女なんだから、彼氏が鼻毛で悩んでいるなんて格好悪いでしょう? あっ、この鼻毛カッターもう使えないから貴方にあげる。私に新しいの買ってよね」
優し気にこたえるコノミを見て、ヒロキは仰天した。
コノミに幻滅されて嫌われたに違いないと思ったからだ。
「俺のこと嫌いにならなかったのか!? 鼻毛を切ったとは言え、引っ張ればまた伸びてくるんだぞ!? 鼻毛系男子なんだぞ!」
コノミは呆れるように言った。
「バカね。その鼻毛は貴方のせいじゃない。それに対応策もあるんだから、私が嫌う必要なんてないわ。あっ、私の前で鼻毛をイジるのは辞めてよね。恥ずかしいから」
とても感動的なセリフを聞いたヒロキは、泣きそうになった。
なんて素敵な彼女なんだと、感動で身を震わしていると、母が割り込んだ。
「あら~、青春してるわね~。鼻毛は切れても、コノミちゃんの愛は切れないのね~」
切った鼻毛をどこからか持ってきた箒で集めながら、母が鷹揚にそういった。
鼻毛もどこかしおらしく、縮みながら集められていた。
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